こんにちは。 新学期ですね。 何か新しいことをお始めでしょうか。 FaceBookでフォローしている雲井雅人さんというサキソホンの演奏家の方の記事に、こんな言葉を見つけました。 「一番大事なことは、音符をたくさん吹くとか指が速く動くとかそんなことではなく、自分が誰であるかが分かるような演奏をするということです。」(雲井雅人さんfb 師の言葉 より) 「自分が誰であるかが分かるような演奏」 私が、国語の先生として、子ども達に伝えたいこと、これです! 嬉しくて、手帳に書き留めました。 もちろん、音楽のお話ではありませんよ。 念のため音楽を、言葉に置き換えてみました。 「一番大事なことは、難しい言葉が分かるとか、知識があるとかそんなことでなく、自分が誰であるかが分かるような言葉を使うということ。」 言葉を通して、自分が誰であるかを、知ることも、伝えることも、大きな喜びです。 (これは音楽の喜びもきっと同じですね。) この喜びを子ども達に伝えられたら・・・ 教師としての本望です。 そして、その第一の方法は、もちろん、 教師自身の、その喜びを見せてゆくことですよね。 となると、 まずは、先生の私が、子どもたちから見ても、喜んだり悩んだりする生身の人間でなくては。 おほほ、お恥ずかしい。 先生だって、大事な家族がいますし、楽しいこといっぱいしたいし、もう大人ですけど、みんなとおんなじように勉強して成長したいのです。 それでね、この物語の中でね、先生の好きなところ言うとね、 ねえ、聞いて聞いて。 う~ん。先生としては、少々頼りないかも。 一人の人である私の言葉を、子ども達に届けたい。 一人の人として、子ども達の言葉を聴きたい。 どうやら、私が頑張ってきたと胸を張って言えるのは、ただこのことだけのようです。 それなのに、自分では、結構頑張ってきたような気がしています。 それはきっと、私は、にわか知識をかっこよく披露してケムに巻いたり、 格好いい先生の自分が嬉しくなってしまったり、というところがあるからです。 でもそうすると、とたんに、私たちの間には、言葉の行き来がなくなってしまうのです。 子どもたちは、思った以上にいろんなことを感じ、いつも理解しようとしています。 私自身の言葉の喜びを見せてゆくこと。 まあ、今までも、これからも、国語の先生として私が頑張りますと自信持って言えるとしたら、このくらいかなと思います。 「言葉を通して、自分が誰であるかを分かることや、それを伝えることの喜びを子どもたちに。」 国語の先生になるための勉強をしている学生さん達に、 私が目指してきたのは、ただこんな風なことなのだと、 これだけでも結構精いっぱいだったのだと。 私が話して差し上げられることと言えば、そのくらいだなあと思います。
[2017/04/04 23:24]
教育 |
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こんにちは。 リビングの前の桜が咲きました。 七分咲きです。 朝から、草刈り機の音があちらこちらでしています。 お昼前には、ご近所の方が数人で、桜の下でお茶会。 みなさん、外に出たくなっているんですね。 桜が咲いたら写真送ってねって娘に言われていたので、窓に立って写真を撮りました。 去年と変わらない写真です。 娘に送るついでに、仕事中の夫にも写真を送りました。 夫は、今年度いっぱいで定年です。 最後の担任の新学期。 忙しくしていると思います。 お散歩で、つくし野原を通り過ぎようとしたら、 何だかキトリにこっちこっちって言われているような気がして、 やっぱり、ちょっとだけつくし摘み。 ちょっとですから、明日のお味噌汁に入れることにいたしましょう。 キトリがいなくなって、初めての桜。 私も、ウッドデッキに出て、一人お花見お茶会です。 桜の花が咲く間、 何となく、家族がここに戻ってきているなと思います。 万愚節テレビ体操伸び縮み ここ
[2017/04/03 15:20]
日記 |
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こんにちは。 4月になりましたね。 話題の本を読みましたので、ご紹介です。 土井善晴『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社 2016.10) 筆者は、和食の第一人者です。 そんな方に、料理は「一汁一菜でよい」なんて言われると、何だか私の毎日の料理の、申し上げにくいあれやらこれやらの免罪符をいただいたような気がして、それだけで少しホッといたします。 しかし、その上「おいしくなくてよい」とまでおっしゃっていると聞きますと、 我が家の料理責任者としては、 ホントにそんなのでいいんでしょうか、 とお訊ねしたくなります。 そうではないのです。 この本の「一汁一菜」は、お料理を、モノ=できあがった作品としてでなく、作り手、食べ手、状況などをひっくるめて捉える、家庭料理のあり方全体のこと。 この本の問いは、「家庭料理はどうあるべきか」につきます。 そしてその答えとしての。「一汁一菜」なのです。 「 どうも脳というのは、身体と反対の方向を向いていることがあるように思います。この頃は、「脳に騙されるな」、あまり脳を信じてはいけないと思っています。
・・・若い人が、「普通においしい」という言葉使いをするのを聞いたことがありますが、それは正しいと思います。普通のおいしさとは暮らしの安心につながる静かな味です。
・・・人間の「食べる」は、表層的なおいしさだけを求めているのではない。無意識の身体はそれをすでに知っており、穏やかな心地よさとしてゆっくりと脳へメッセージを伝えています。
・・・おいしい・おいしくないも、そのとき次第でよいのです。
・・・その変化を自分で感じていればよいのです。」
(p.18「自分の身体を信じる」より)筆者の奥様は、仕事でできた料理を、帰宅した子どものために取り置いて、食べさせることを一切なさらなかった のだそうです。そんな奥様への感謝とともに。 「仕事でできたご馳走と妻がその場で作ったお料理は、食べ物として同じでしょうか。
・・・それがご馳走であるとか簡単なものであるとか、味つけなんてことも問題ではありません。妻がその場で娘のために作る料理の音を、娘は制服を着替えるあいだに聞いたでしょう。匂いを嗅いだでしょう。母親が台所で料理をする気配を感じているのです。」
(p.40「台所が作る安心」より) この本は、母親が家庭で手作りの料理を食べさせるべきだとか、身体に良い自然素材をとか、そういった教条的なことを仰っておられるのでしたらうんざりですが、そうではありません。 よくある、そんなに頑張らなくて良い、というたぐいのものでもありません。 人が料理をし、それを食するという、日常として繰り返されること。 そこに深く目を凝らし、そこで人の中に何が起きているのかに思いをいたし、何が大切で、何がそうでないのかを考えようとした本だと思います。 「二〇一三年十二月、和食(日本人の伝統的な食文化)がユネスコの世界無形文化遺産に登録されました。その理由には、日本の豊かな自然を背景として、
一、素材の持ち味を尊重する(旬を楽しむ)
一、栄養バランスに優れた健康的な食生活(動物性油脂をあまり使わない)
一、暮らしの行事とともにある(節句のちらし寿司やおせち料理)
一、自然の移ろいを表現する(美しいプレゼンテーション)
があります。これはまさに、日本の国民の健康とくらしの情緒に関わる家庭料理のことだとわかります。にも関わらず、メディアは、名のある和食の料理人ばかりに、マイクを向けるのはなぜでしょう。どうして、日本の家庭料理を担ってきたおばあちゃんや母親のもとに、行かないのでしょうか。」
(p.104 「和食の感性 考えるよりも、感じること」より) もちろんですが、本書は随所に、具体的なお料理の提案や写真がちりばめられています。 後半は、日本の食の歴史や文化について、現在の食の変化、食の周辺、食の楽しみなどについて、いずれも身近な親しみやすいことを例に取り上げながらのお話。 そこにも写真が多数添えられています。 そして、その控えめな写真の中にあるのは、私たちの美しい日常なのでした。  JR九州 特急かもめ 車内にて
[2017/04/02 15:50]
家事 |
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こんばんは。 大阪に戻る娘を、夫と一緒に広島駅まで送ってきました。 帰りの車のラジオで、広島市の桜の開花宣言のニュースが流れておりました。 ひと月くらい前でしたか、 「あさイチ」にバレリーナの吉田都さんが出ておられて、おもわず目を止めました。 いろいろお話の後、有働さんが、 ’きれいに歩くコツ’をご質問。 あらまあ、世界のプリマに、そんなことを。 吉田さんは、いたって真面目そうにお答え。 「背中に押されるように」歩くといいですよ、 ということでした。 「背中に押されるように」 ちょっとやってみたら、なるほど、すすすっと前に進む感じがいたします。 どうぞお試しくださいませ。 「自分の背中に押されるように」って、面白いですね。 自分の意志で歩いているのに、押されているって受け身でもあって。 ちょっと流れに身体を任せる感じ。 案外、安定感があります。 ふむふむ、 頭でっかちですと、前のめりな歩き方になってしまうのです。 自分の背中に押される感じで歩く。 自分の意志で、自分の力で、でも何か大きな流れを背中に受け止めつつ。 これからは、そんな風に歩いてゆきたいなと思いました。 いくらでも歩けそうな気がして、いい気分です。 下宿に着いた娘からのありがとうメッセージ。 「桜咲いたら写真送ってね」。 家の前の大きなソメイヨシノ、もう少しで開花です。
[2017/03/27 10:54]
日記 |
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こんにちは。 2,3日前、お散歩経路に、剪定後の桃の枝がうち捨ててあるのを見つけました。 つぼみがたくさんついているのに。どうして今? あと一息できれいな花を咲かせられるところを。 心が痛みました。 で、昨日お散歩途中に、いただいてきちゃいました。 桃のお節句は、旧暦ならちょうどこの頃ですね。 今、家中が、桃の枝でいっぱいです。 先々週のことでしたか、 俳句仲間の先輩とお電話でお話していたときに、 ふと「読書会やりたいなあ」って言ったら、 「やりたい、やりたい」って、 何と行動がお早い! すぐに6人集めてくださいました。 よく存じ上げている俳句のお仲間です。 私、俳句の方はサボってばかりですので、嬉しいやら恥ずかしいやらでございます。 というわけで、早くも来月、読書会をすることになりました。 イメージは、大学の授業でやっているような読書会です。 単位も、学位も差し上げられませんけれど。 よろしければ、どうぞご参加下さい。 というわけで、早速、ご案内文。 全4回の第1回目は、自己紹介を兼ねたブックトークです。 テーマは、定番の「私を変えた一冊」にいたしました。 「私を変えた一冊」 ありますか? 読書会 へようこそ 2017/03/12 こんにちは。 俳句をサボってばかりのここです。ご無沙汰申し上げております。 読書会にご参加下さるとのこと、ありがとうございます。とても嬉しく存じます。 毎月1回、全4回の予定です。ご一緒に楽しいひとときが持てればと存じます。 どうぞよろしくお願いいたします。 日程や場所など、決まりましたら、改めて詳細をお知らせ申し上げます。 <全4回 概要> 第1回 ブックトーク「私を変えた一冊」 第2回 課題図書(1) 自由ディスカッション 第3回 課題図書(2) 自由ディスカッション 第4回 まとめ ブックレット作成 <第1回 ご準備いただきたいこと> 第1回は「私を変えた一冊」という共通テーマでブックトークを行います。 (テーマの「変えた」は、大げさなものばかりでなく、ささやかな変化で結構です。) 以下のものをご準備ください。 ①テーマに沿った内容の本を1冊決めて、ご持参下さい。 ②テーマに沿ったトーク(5分程度)を以下の内容でご準備下さい。 (1)本の題、著者、出版社、出版年 (2)本の概要(あらすじなど内容の紹介 ) (3)特に紹介したい部分の抜き出し(1~3行程度) (4)テーマに関わること(この本が私をどう変えたのか) ③トークの内容を簡単に記したレジュメ ・A4用紙1枚に(横書き または横置き縦書き)。 ・上の(1)~(4)の順に。冒頭にお名前をお忘れなく。 ・字数、行数などは自由です。ワープロでも手書きでもかまいません。 ・人数分コピー(ご自分用を入れて7枚) お気軽に楽しめる範囲でご準備下さい。 みなさまとのひとときをとても楽しみにしています。
こんばんは。 夜になって、雨が降り始めました。 この雨で、花のつぼみがまた膨らみそうです。 お彼岸で、夫の里にお墓参りに行ってまいりました。 のんびりできて、何よりの休日になりました。 昔の街道の面影も残る街並み。 遠く高いところに雪をいただく峰々。 山里の昼は、全体が春の陽に包まれて明るくて、しいんとして静かで。 雪の多いところで、中庭にはまだ雪がたくさん残っておりました。 それにしても、行き交う車の少ないこと。 車で往復したのですが、前後に車の姿はなく、すれ違う車も、時々という感じ。 島根県の雲南と呼ばれる地域です。 理由は分かっています。 高速道路、尾道松江線 の開通以来、広島と松江の通り道ではなくなり、すっかり車通りが絶えてしまったのです。 ドライブしながら、とても寂しい気がいたしました。 ところが、道の駅(布野)で一息入れた時、 ライダー達や、かっこいい自転車のサイクリストが、ちらほら。 あ、そうか。 どうやらこの道は、自転車に乗るには、もってこいの道になったのです。 車が少なくて、道は整備されていて、眺めも上々なんですもの。 坂道はいたってなだらか。 広々とした田畑に、島根県特有の赤瓦の家が点在しているのが遠くまで見えています。 時々、大きな川のそばを行ったり、山の間を行くこともご愛敬でしょう。 疲れれば温泉も所々に。 車がいなくなって、取り残されたように思えた道は、 昔のように、身の丈の速度で人が通う道に、再び戻っただけなのです。 国道54号線は、広島と宍道を結ぶ古い街道です。 昔の人たちも、この道を歩くのは、案外楽しかったのではないかしらん。 興味が湧いてきて、いろいろ調べてみますと・・・。 三次駅 ― 夫の里(頓原) 42㎞ 夫の里 ― 宍道駅 これも調べるとちょうど50㎞。 40㎞は、昔で言えばちょうど10里。 江戸時代の人は、ゆっくり歩いて一日6里、急いで12、3里だったそうですから、 三次を出れば、雲南のあたりで一泊というところでしょうか。 では、自転車ですと、どのくらいかかるのでしょう。 根性が今ひとつでな私でも大丈夫でしょうか。 そうそう、赤来道の駅には、とってもおしゃれなレストラン・カフェがあります。 そもそも食べものがおいしいこの地域、他にも、ジビエのレストランや、薬膳レストランなどなど、 この頃は、こうした山間地域に、どこかで修行してこられた立派なシェフが開かれる、とてもよいお店があるのです。 食いしん坊の私が頑張れそうなご褒美です。 温泉も所々にいろいろです。 ラムネ温泉とか、平家の隠し湯とか。 それに、滝とか、キャンプ場とか、スキー場とか。 寄り道しながらのんびり行くのもいいですよね。 広島から来れば、到着は宍道湖。 宍道湖の夕陽の美しさはとても有名ですから、夕方着なら一層ドラマチックかも知れません。 自転車も、てくてく歩きも、とても楽しそうです。 これは大発見かも! もうすぐ、藤の花、そして、合歓の花の季節がやってきます。 *今度、サイクリングに挑戦して見ようかな、と思って、ネットを見ると、 「やまなみサイクリングロード」とありました。 すでに知られているようです。さすがですね。 国道54号線、三次から宍道間が、特にお勧めです。 どうぞいらしてみて下さいね♪ ☆やまなみサイクリングロード (島根県エリア) http://www.pref.shimane.lg.jp/infra/road/joho/d_katuyo/kasseika/index.data/yamanamimap1.pdfhttp://www.pref.shimane.lg.jp/infra/road/joho/d_katuyo/kasseika/index.data/yamanamimap2.pdf
[2017/03/21 23:17]
旅日記 |
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おはようございます。 昨日ミモザのリースを作って、入り口のドアに掛けました。 やりたいなと思ったことを、思ったとおりに出来るなんて、 幸せ度一番です。 先日、実家に帰ったとき、両親の日課のお散歩のお供をしました。 よく晴れて、温かい午後。 3人一列になって、警報器のない小さな踏切を渡って、あぜ道小道をゆきますと、 足下には、いぬふぐりの花がちらほら。 いぬふぐり、咲いてるね。 ほんと!昨日は咲いてなかったのに。 母が大げさに驚いてくれました。 この辺に、毎年ニラが出るのに、今年は出ないの、どうしてかと思って。 などと母。 私がお散歩の時につい、食べられる草や木の実を探しながら歩くのは、母譲りのお楽しみです。 ところで、先週、見つけた本。 平谷けいこ『四季の摘み菜12ヶ月 健康野草の楽しみ方と料理法』 https://honto.jp/netstore/pd-book_27801020.html帯には、「摘んだ草がたちまちごちそうになる。身近な72種を紹介」とあります。 植物一つ一つに、短いエッセイとレシピが書かれています。 たとえば「タンポポ」について。 見出しには、 「いつでも元気な西洋種が増え、四季を問わず採取可能に」とあります。 「最近の新興住宅地で、西洋タンポポそっくりの花をみつけました。さっそくサラダにしようと葉を摘もうとして、ブタのような毛が両面に生えているのにびっくりしました。「これはサラダにはちょっとおいしくなさそう」と独り言。新顔だったので、家に帰って帰化植物図鑑で調べてみましたら、ありました。ありました。ブタナ、西洋では「ブタのサラダ菜」と呼ぶそうです。」 といった風に、エッセイの中で、間違えそうな種類について、ちょっと楽しく触れられていました。 最後のレシピは「タンポポサラダ」。 「①西洋タンポポの葉や茎は一口大にちぎり、水をはったボウルの中のザルに入れ、水を替えながら1時間アクを抜く。苦みの成分が胃薬になるそうなので、水にさらすだけで大丈夫。 ②マグロの油漬け缶詰とピーナッツかクルミを粗く刻んだものを①と合わせる。 ③花びらがあれば少し飾りに散らす。 ④好みのドレッシングを添える。 *イカとリンゴや柿、ラズベリー、レーズンなどの果物と合わせ、ヨーグルトマヨネーズを添えてもおいしい。」 花びらを「少し飾りに散らす」なんて、う~ん、絶対やってみたい。 そういえば、本屋さんの本棚巡りも、食べられる草や木の実を探しながらのお散歩に似ているなあって思います。
[2017/03/17 09:06]
本 |
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こんにちは。 いかがおすごしでいらっしゃいますか。 ところで、突然お訊ねいたしますが、 このごろ、何か文学作品、お読みになられましたでしょうか。 どんな作品がお好みでしょう。 面白いものがありましたら、どうぞご紹介下さいませ。 生きるため(^^)、自分の好きなこと探しをしています。 今日は、大学でのお仕事について、自分はどう考えているのか、考えてみました。 私は、大学では、近現代文学と、教育に関わる授業をしています。 その中で、やっていて楽しいのは、 「卒業論文のゼミ」 「近・現代文学演習」 演習の中で時々やる「読書会」 「女性と文学(講義形式)」 です。 何が楽しいって、人によって、気になるところや読み方がこんなにも違う!っていうこと。 学校で読むことの醍醐味ですよね。 いわゆる文学の授業のイメージって、作品を対象化して客観的に分析したり批評したりすること(ウンチク語り?)ではありませんか? 私の授業の風景は全然違っています。 何より ‘自分にとって’ が一番大切。 だって、正しい読みなんてもともとありませんし。 読む楽しみも読む意味もそこからですから。 (もちろんですが、文学研究者にとっての作品やその研究も、必ず自分自身にとっての問題とつながっています。) 当然授業は、参加メンバーによっていろいろに展開。 予測不能、奇想天外。 想定外の展開を、私を含め、参加者みんなで受け止めながら、ドキドキの読む教室ができてゆく…。 ね、楽しそうでしょう? 私は、大学では、近現代文学の分野に関わらせていただいていますが、 残念ながら、夏目漱石、といったような意味での専門はありません。 「人が、作品をその人として読むこと」に、とても興味があるのです。 というわけで、私の授業は、いわゆる文学研究的アプローチの前の、「自分で読む」ことのお手伝いです。 「自分で読む」ことって、意外に難しいのではないかなと思うのです。 ボールペンのぞくポケット涅槃西 ここ
おはようございます。 やっぱり、昨日、ミモザの枝を買ってきました。 無人市ですから、100円。 今日はそれで、リースを作りたいと思います。 先日の卒業式の日は、学科の先生方との会食に始まり、嬉しいばかりの一日でした。 麗しい袴姿のゼミの学生さんたち、 私へのこまやかな心遣いが、今さらのように伝わってきて、本当に素晴らしい若者たちです。 謝恩会を途中退席した私を、最後まで見送ってくれて、本当に感激でした。 久しぶりにお目にかかった学科の先生方は、インフルエンザやら、風邪の高熱やら、ぎっくり腰など、卒業式がやっとという状況の方が数人。 文字通りの満身創痍です。お忙しいのでしょう。 どう見ても一番元気なのは私なのでした。 そんな中、ゆっくり好きなことだけして過ごしてねと、言って下さる学科の先生方。 希有なことと、しみじみありがたく存じました。 というわけで、私の目下の課題は、ゆっくり好きなことをして暮らすことです。 ん?私の好きなこと・・・。 あなたの好きなことって何ですか。 時間がたくさん出来たらなさりたいことは何ですか。 私は、先日から、結構真面目に考えているのですが、まだみつかっていません。 何だかそれも情けない。 そうこうするうちに、おやすみが終わってしまいそう。 或る方から、お金をいただかなくてもできること、を考えればいいと教えていただきました。 家事。 実は私は家事が好きです。 食いしん坊ですから、糖質制限中のお料理も、返って工夫が新鮮で楽しんでいます。 ちょっとイヤになった時は、夫が代わってくれます。 お仕事。 学生さんといると嬉しくなって、テンションが上がってしまうのが問題なくらい。 面倒なこともありますが、あれこれと助けられて、何とかなっています。 研究。 あんまり好きではないけれど、時々すごくやりたくなります。 それに、研究はもともと、直接お金にはなっていません。 結局、どれもお金がいただけなくても、関係ないような気がします。 そうです。 私はもともと、好きじゃないことは、ひとつもやっていなかったのです。 困りました。 好きなことだけやって過ごすというのは、大事な中心的治療行為です。 それが、今までと変わらない生活だとしたら、 大変!再発必至です。 私はどうしても、私が好きなことを探さなければなりません。 そうだ、反対に、好きでないことを止めればいいのです。 私があまり好きでないこと・・・。 髪洗い。 待ち合わせに時間どおりに行くこと。 メールのお返事。 生活に支障が出そうですが、命には代えられません。
[2017/03/15 10:15]
健康 |
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おはようございます。 もの干し場の前のサンシュユの木が、黄色いつぼみをつけています。 この花は、私にとって、大事な春の合図の一つです。 明るい春が来ました。 病気治療に関わる不思議なお話の続きです。 これでおしまいになると思います。 ************* 1月6日の面談の時、私は主治医の先生に、抗がん剤治療をもうしばらく待って下さるように伝えました。 その時先生は、抗がん剤治療をしなくても、その後の経過観察の定期検査はしてくださるとおっしゃってくださいました。 これはとてもとてもありがたいお話でした。 ビタミン・ケトン療法をして下さる心療内科の先生は、「自分はガンの専門では無いから、検査結果を診る力量は無い」と正直におっしゃって下さっていましたから。 多くの大病院では、治療方針に従わない患者には、それ以後関わらないとするところが多いと聞いています。 放り出された患者は、その後、いわゆる医師に見放されたガン難民になります。 たとえ民間施設で検査は出来ても、その検査結果を診る見識が無ければ、どうしようもないのです。 たくさんのがん患者を診てこられた先生に、経過観察をしていただくことは、何にも代えがたい安心です。 私は心の底からホッといたしました。 今も、先生に感謝の気持ちでいっぱいです。 1月13日、鳥取のお医者さまの待合室で目にして、購入した本。 『がんに負けないこころとからだのつくりかた』(浜口玲央 長谷川充子 和田洋巳) この本は、イラストつきで、がんのしくみの説明がわかりやすく、かつ学術的でした。 がん三大療法を先頭に立って勧めてこられたがん治療の権威であった和田先生が、大学病院をご退官後、新たに治療を試みられている、その内容が、食事内容を含めて具体的に示されています。 その本は、ビタミンケトン療法とは異なる治療でしたが、やはり、がん治療を、今の医療の外から考えることの大きな可能性を伝えていました。 16日(月)に心療内科に行きました。 気持ちは、鳥取の先生の説明を受けて、ガイドラインどおりの抗がん剤治療を受けることに傾きつつありました。 迷っていると伝えました。 手術をしていただいた病院で、経過観察をしていただけることを伝えました。 先生は、もう一度、必要ないと思うよ。とおっしゃいました。 抗がん剤で治るわけではないからねえ。 先生とは、いつも短い面談です。 先生には、一般に想像する名医の重厚さといったイメージがあまりなくて、そんな重要なご意見でも、どこかさらっとした印象があります。 初めはそれが少し心配でした。 でも、何度か通ううち、そのお人柄やお力が伝わってきていました。 先生は、ただ、今までの医療の考え方の外、全く別のところにおられるのでした。 私は、治療について考える中で、エビデンスと言う言葉をたくさん聞きました。 くだんのガイドラインは、その立場の中でのエビデンスの集積です。 しかし、何が何ののエビデンスかということを考え始めると、全体は揺らぎます。 先生は、お薬の適用などに、とても慎重です。安全の保証の無い高価なお薬は出されません。 それから、一般に、自由診療の費用はとても高額ですが、 先生のところでの、混合ビタミンの点滴は、私のような者にも十分継続的に受診できるありがたい価格でしていただいています。 たくさんの論文もお書きになって居られ、心ある医療者の方々のグループが、果敢に新しい治療を試みられている、その中心に居られる様でした。 私たちが人とその仕事を見る上で、その人が何を大切だと考えているかは、重要な手がかりだと思います。 その帰り道、やっぱり抗がん剤は止めようと思いました。 1月19日、面談の前日。 私は、やっぱり迷っていました。 結局、その日にも、鳥取でのプロテオという検査結果の連絡はありませんでした。 私は、病状をはっきり受け止めるために、結果を待っていました。 手術後まもない私の場合は、C(血中にガンがある)という結果が殆ど自明のことなのでした。 明日の治療方針についての決断について、ずっと迷っていた私に、 夫が、「出来ることは全部やってくれ」と申しました。 私もそのとおりだと思いました。 抗がん剤治療もして、ビタミンケトン療法もする、ということです。 私たちは、結局、そうすることに決めました。 1月20日、面談の日の朝。 もう一度、抗がん剤治療を受けることを確認して、夫を仕事に送り出しました。 午後の面談には、一緒に来てくれることになっていましたから、 私は夫に、また病院でね、と言いました。 その後まもなく、朝の8時過ぎに電話がありました。 鳥取の病院からでした。 プロテオの検査結果についてでした。 診察開始の時間前にお電話を下さったのだと思います。 結果は、A(微量のガンもみつからない)というものでした。 先生にとっても、意外な結果でした。 間違いがあってはいけないので、確認していたため、知らせが遅くなったと言われました。 ただ、呆然といたしました。 どうやら、私の中で、がんは消えているようでした。 夫に急いでメールしました。 実家の両親に電話しました。 娘にも電話しました。 ずっと心配してくれていた友人にメールしました。 午後の面談で、検査のことを伝え、翌週もう一度面談することになりました。 検査は新しいもので、その信憑性についてが問題の様でしたが、私たちは全く分かりませんでした。 検査結果の連絡は、ぎりぎり間に合ったのだと思いました。 抗がん剤は、一旦始めることになると、なかなか止められないと聞いていましたから。 結局、抗がん剤治療をしないことに決めて、今に至ります。 あれから一ヶ月以上たちました。 気が抜けたようになったまま、あっという間に時間が過ぎました。 治ったという実感はあまりなく、再発の不安は今も残っています。 私は今も40グラム/日を目安にした糖質制限の毎日を送っています。 治療効果の目安になるケトン値は、400~900の間を行き来しています。 先生からは、 もう治ってると思うよ。今後は、不安の解消が目標だね。 と言っていただいています。 たぶん、治ったのだと思います。 ところで、初めに、悪いガンだと分かって、とてもうろたえていた時のことです。 私は、すでに学会発表を申し込んでいましたが、とても発表どころではない精神状態でしたので、発表を辞退することにしました。 しかし、ふと、病気のことばかり考えていても仕方がないと思い直し、頑張って学会発表に望むことにしました。 会場には、大学院の時の恩師が、わざわざ聴きに来て下さっていました。 久しぶりにお目にかかる先生のお姿でした。 私はまずい発表の言い訳のように、がんがみつかったことをお話ししました。 その時、先生は他の発表をふいにして、耳を傾けて下さり、私はとても慰められました。 その先生が、また偶然暮れにご連絡を下さいました。 先生はまたお電話口で熱心に励まして下さいました。 私は今、先生の励ましで、今の心療内科の先生に連絡を取る勇気が出たことを思い出しています。 めったにお目にかからない先生が、私を救う神さまのお使いになって、繰り返し現れて下さったのだと思われてなりません。 他にも、娘がもらってきてくれた大阪の神農さん(少彦名神社)のお守りを、一度落として失くしたのに、なぜか夫が拾ってくれていた事件。 まだまだここには書ききれない、たくさんの小さな偶然と、いろいろな方のお気持ちがありました。 そんなこんなが重なって、今の私の状況があります。 今、自分では、すっかり元気になっていると思っています。 相変わらず、これでよかったのか、この先どうなっていくのか、結局は全然わからないまま。 知識も何も無い素人のままで、根拠は自分の直感だけ。 こわいなあ。 でも、それしかないし。 まあ、大体人生ってそんなものかも。 私はこんな調子で、今日の晴れた日曜日を迎えています。 今までにご心配をお寄せ下さった皆さまに、本当に本当に感謝しています。 このたびの病気にかかわるいろいろは、そんなささやかなご縁が重なって今があるということが、身に染みて分かる体験でした。 ありがとうございました。 今後ともどうぞどうぞよろしくお願いいたします。 ************* 長いこと、おつきあい下さって、ありがとうございました。 せっかくですので、ご参考までに、初めに挙げました ケリー・ターナー『がんが自然に治る生き方』に記された、 「余命宣告から「劇的な寛解」に至った人たちが実践している9つのこと」 をここに記しておきますね。 先ほどご紹介した本の和田先生を初め、この本の研究に触発された医療者の方々も少なくないそうです。 1.抜本的に食事を変える 2.治療法は自分で決める 3.直感に従う 4.ハーブとサプリメントの力を借りる 5.抑圧された感情を解き放つ 6.より前向きに生きる 7.周囲の人の支えを受け入れる 8.自分の魂と深く繋がる 9.「どうしても生きたい理由」を持つ では。 皆さまのご健康とご活躍をお祈り申し上げつつ。
[2017/03/12 11:54]
健康 |
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こんばんは。 昨日、今日と、よく晴れて、春らしい温かい日になりました。 昨日は、勤務校の卒業式でした。 久しぶりに大学に参りました。 卒業の日に、それぞれに卒業証書をお渡しするのは、ゼミの担当教員の仕事です。 なにより大切で、嬉しい仕事です。 しばらくお仕事をお休みしておりましたが、この日だぜひ出勤して、この佳きお仕事をしたいと願っておりました。 久しぶりにゼミ生の皆さんに会いました。 病休中、ずっと応援して下さった8人の学生さんたちが、今日は華やかな袴姿です。 毎年のことですが、今年も卒業論文集のあとがきをここに残します。 でも、今年はまだ文集ができあがっておりません。 文集係の方が奮闘してくださって、また印刷屋さんにも幾重にもありがたいお力添えをいただいて、なんとか3月中にはできあがりそうです。 卒業の日を記念して、今日、そのあとがきをここに。 心を込めて。 **************** あとがき 卒業論文、大変お疲れさまでした。 11月からの私の不在の中、それぞれ本当によく頑張られたと思います。 皆さん揃ってご提出の知らせに、ほっと深く安堵したのが、ずっと昔のことのように思われます。 大学の教員として、最も大切でやりがいのある仕事である、卒業論文のゼミ。 追い込み時期の不在については、今も本当に申し訳なく、残念に思っております。 病床から、卒業論文の本当の醍醐味を、味合わせて差し上げることが出来ないままになってしまったと思い、しみじみ、繰り返し、悔しく残念に思っておりました。 今年度のゼミ生は、揃って卒論への意欲が高いのが特徴でした。 しかしなかなか課題が決定しませんでした。 決定しても、研究が全く進まない場合もありました。 研究の舟になかなか乗り込めないのです。 (それについては、指導者としての私の今後の課題であると思っています。) 研究の舟は、いつだって頼りない笹舟のような小舟です。 それでも、そんな小舟に一人乗り込み、漕ぎ出して行くこと。 ただ一心に漕ぐ中で、到着点は不思議と見つかるものだということ。 そんな小さな航海の体感こそが、卒論研究の醍醐味の中心であると考えてきました。 だから私の仕事は、まず舟に乗せ、波間に押し出すことなのに。 今年はとうとう・・・。 その時に耳にしたのが、自主ゼミのことです。 「研究室で、いつも賑やかな声がしていますよ。」 そんなお声を耳にして、私はとたんに嬉しくなりました。 私の心配は何のその、皆さんは一緒に大きな船をこしらえ、漕ぎ出して行かれていたのですね。 おしゃべりや、お茶やお菓子、窓からの景色。 学生同士で行った自主ゼミの光景は、きっといつまでも残るこころの風景となるでしょう。 軽やかに、明るく、優しい風に吹かれての航海。 皆で見つけられた、卒業論文の別の醍醐味ですね。 それはきっと、なにより、これからのための佳き体験となってゆくと思います。 このたびの皆さんの姿に、何より私自身か深く学ばされました。 入院には、みなさんからの応援の色紙やプレゼントを持って行きました。 枕元の皆さんの温かい言葉が、本当に本当に心の支えでした。 今はただ感謝の気持ちでいっぱいです。 ありがとうございます。 皆さん、どうぞこれからも、勇気を持って、明るく楽しく前に進んでいらしてください。 これから進まれる道が、佳きものであることを、心から信じています。 ご卒業おめでとうございます。 心から、お祝い申し上げます。 2017年3月10日 ここ
[2017/03/11 22:35]
教育 |
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こんばんは。 この頃はいかがお過ごしでいらっしゃいますか。 今日は、お野菜市場にミモザが出ていました。 あの黄色! 花の色に吸い寄せられる虫たちの気持ちが分かるような気がいたします。 私の治療の備忘録について、もっと具体的に書いておいたら、どなたかの参考にもなるよというご意見をいただきました。 なるほどそうかもしれません。 私も 他の方の体験談にずいぶん励まされましたから。 それで、もう少し具体的に書くことにいたしました。 よろしければ、おつきあい下さいませ。 ************ 暮れに、お電話して、診ていただいたのは、心療内科の先生でした。 先生は私に、「抗がん剤をしないほうがいい」とおっしゃって下さったのでした。 糖質制限と混合ビタミン点滴が、先生の治療方針でした。 鬱病や統合失調症が栄養で治ることのご経験から、がんなどの病気も栄養治療で治ることを発見されたばかりなのだそうでした。 私も糖質制限をすることになりました。 本を読んで下さいと言われました。 以下は勧められた4冊の本です。 古川健司『ケトン食ががんを消す』(光文社新書) 荒木裕『ガンを自宅の食事で治す法』(三笠書房) 小林びんせい『がんになったら何を食べたらいいの?』 野中秀訓『がんになって、止めたこと、やったこと』 あっというまに4冊読み終えました。 まずは古川先生の本で、ノートを取りながら勉強しました。 並行して、自分が食べているものを記録し、日々どのくらい糖質を取っているのか、確かめることにとりくみしました。 私が目指す日に40グラムの糖質摂取に抑えるには、野菜の糖質さえ計算しながら食事を取らなければなりません。 それでも、明らかながん治療のためのスーパー糖質制限 20g/日 よりはずいぶん楽です。 私の場合は、手術直後の見えないがんとの戦いでした。 私白いご飯が大好きですが、すっぱり諦めました。 1月4日。 宮島での皆さんの励ましのおかげで、すっかり元気になった私は、 その勢いで、本で読んだ小林びんせい先生の連絡先(東京)にお電話しました。 ご著書から、とても信頼できる気がしていたからです。 またまた今までの私にはないびっくり行動力です。 ご指示通りに、相談書を送ると、直ぐにお返事が来ました。 ・抗がん剤治療を待って下さるように、主治医の先生に言うこと、 ・広島から比較的近くて行きやすい病院を2軒紹介しますから、電話してみるように。 どちらの病院にするかは、電話の対応が自分に合うかどうかで決めるといいですよ。 それは、ちょっと聞くといいかげんなようで、実はとてもよいアドバイスでした。 大事なことを決める時って、そういう風な、自分の‘感じ’って、とても大切なのだと思います。 延期していただいた主治医の先生との次の面談日は20日でした。 どうしてもそれまでに、自分で納得できる治療方針を決めなければなりません。 結局、自分で決めなければならないのです。 私は早速お電話をし、13日に鳥取の病院を訪ねることになりました。 13日はよいお天気で、した。 新幹線で赤穂へ、そして智頭線に乗って、鳥取に向かいました。 大旅行です。 県境あたりから、突然、雪景色になりました。 予定を空けて診て下さることになった鳥取の病院の先生は、お若い先生でした。 先生はこれまでのことをいろいろ尋ねてくださいました。 私は主治医の先生や看護婦さんに言われたことなどいろいろお話しました。 執刀主治医の先生は、穏やかで明るい素敵な女性の先生。 手術後に、先生から言われた治療方針は、抗がん剤6クール。 その治療方針は、先生が広げて見せて下さった、Yes・Noでたどってすすんでいく占いのようなもので、たどりついたところに書かれいました。 先生のおっしゃるガイドラインです。 私の仕事や生活、家族のことなど、主治医の先生とはまだ何もお話していません。 今ここにいる私も、次に来るだれかも、このYes/No占いの少ないパターンによって分けられる、占い結果で治療が決まるのでしょうか。 私には、この占いが私にもあてはまるとおっしゃる理由がよくわかりませんでした。 ガイドラインは市販されているから購入してよく読んで下さいと言われ、帰りに紀伊國屋で購入しました。 結局、いまだに一度も開いていません。 鳥取のお若い先生は、いろいろと丁寧に説明して下さいました。 私はやはり抗がん剤治療を受けた方がいい状況であるということでした。 手術後にも、ガンは、血流やリンパに乗って体内を回っているとのこと。 それをたたくには、保険のきく範囲では、抗がん剤が効果的lだと言われました。 やっぱり結論は抗がん剤なのでした。 でもまあ、おかげでようやく納得することが出来ました。 よしとしようと思いました。 何だかやるせない気分でした。 せっかくここまで来ましたから、お土産がわりに、プロテオという新しい検査をしてみることにしました。 それは、ごく微量のガンも見つけ出す検査で、最近出来たばかりだということでした。 16日(月)に結果を知らせて下さるとのことでした。 それにしても、我ながら感心いたします。 よくもまあ、ある意味東京より遠い鳥取まで、それも雪の中をついて。 帰りは松江まわりで広島に戻ることにしていました。 雪の中を走る山陰本線。 車窓からずっと海岸線が見えていて、よい旅行だったと思いました。 20日の面談まで、あと1週間。 *********** 長い間おつきあい下さったのに、やっぱりそれほど具体的になりませんでした。 やれやれです。 申し訳ありません。 入院の時に作った歌二首 繭玉のごと一人ずつカーテンの薄桃色に抱かれて眠る 自然治癒の書に9つの物語魔法と謎と9人の勝者 ここ
[2017/03/08 23:12]
健康 |
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こんばんは。 昨日の続きです。 と申し上げたいところですが、前回からなんと20日が経っていました。 たった一夜が何年もという、おとぎ話のような毎日を送っております。 では、、前回の続き、 私に起こった小さいけれどたくさんの不思議についての備忘録です。 長いので、もしよろしければどうぞです。 ************ おかげさまで、術後の私は、どんどん元気になりました。 2週間後、今後の治療方針についての面談にも、一人で電車に乗って病院に出かけました。 久しぶりの外出です。 よく晴れた日でした。 私の病状は、意外なことに、あまり良いものではありませんでした。 え? それはどういうことですか? 抗がん剤なんて、身体に悪い…。 次の面談は、1月6日。 それまで、抗がん剤治療についての決定を待っていただくことになりました。 私は一日中こたつにいて、ネットサーフィンをして過ごしていました。 あいまいな記憶を頼りに、いつかFacebookで見た、「がんが治る」という記事を探したり。 考えることは、ただ堂々巡りするだけでした。 もう年の瀬が迫っていました。 偶然、そのいつか見た記事が見つかりました。 そしたら、いつもの私とは別の、何やら行動力ある私が現れて、その病院にお電話。 数日後には、また一人で電車に乗って出かけていました。 電車は、幼いころ住んでいた明るい海辺の町を通っていきました。 抗がん剤は必要ないと思うよ。 嬉しい先生の言葉でした。 でも、なぜかその言葉は、私の体をすり抜けてしまったように感じました。 結局は不安なままなのでした。 1月4日、面談の2日前。 ねたのさん(静岡)、まき衛門さん(大分)、マチコさん(長崎)が、なんと広島まで会いに来てくださいました。。 ブログがご縁で、今ではすっかり仲良しの私たち。 昨年は、珍道中「お伊勢参り福笑いの旅」、ご一緒いたしました。 みんなで宮島で会うことになりました。 乗船前に、早速ねたのさんが「うえの」のあなごめしを調達。 会えた瞬間から、わあわあおしゃべり。 海の見える桟橋近くの高台に上がって、お弁当です。 長い間いろんなことを話しました。 抗がん剤なんて、しなくていいわよ。 仕事もやめて、のんびり好きなことして暮らしたらいいじゃない。 風もなくて、温かい午後でした。 「凶」が出ることもある厳島神社のおみくじを、恐る恐るひきます。 「 薬禁厭定兆(くすりまじないさだめのちょう) (吉) 病気 十が十治る 」 おみくじの文言は、私の悩みにズバリ答えてくださるものでした。 畏れを感じて、鳥肌が立ちました。 日が短い1月のはじめ、あたりは早くも夕方の気配になりました。 お忙しい中、遠方から駆けつけてくださって、 私のことばかりを一日ただ心配して、励ましてくださった皆さんは、日帰りのご予定。 無償のお気持ち。 私は、これは奇跡だと思いました。 皆さんの温かさに包まれて、私はすっかり元気を取り戻しました。 長らくとりついていた不安も、すっかりどこかに消えてしまって、なんだか爽やか絶好調です。 お調子者の私、いただいたたくさんのお土産を抱えて、意気揚々と帰宅の途に就いたのでございました。 *************** 長くなりましたので、また続きは明日にいたします。 表題の「実感に従う」は、前回ご紹介申し上げたケリー・ターナー『がんが自然に治る生き方』に挙げられている、奇跡的寛解を遂げた人に共通する9つの要素のうちの一つです。 その別の一つには、「自分の魂と深くつながる」があります。 これは、信仰や祈りといった、霊的なものを感じるあり方を言っているようです。 あのおみくじの結果は、神様にでも何にでもすがりたい気持ちの私にとっては、十分治療方針についての一判断材料になるものでした。 でもしばらくして、気が付きました。 これは検査結果やいろんなお医者様の意見と同列の、何かの要素とは違う。 神様からの、それもかなりはっきりした、メッセージだと考えるべきではないか。 心配しないでいいよ。応援しているよ。大丈夫。 こんなに知らせているのに、まだ分からないのか。 2度がんになってわかったことは、がんはお医者様のおっしゃる通りの治療を黙って受ける病気ではないということです。 本当はきっと、どんな病気もおんなじですね。 もちろん、治療方針を決定しなければならないのは私だけれど、 注意深く耳をすませば、人の周りは応援のメッセージに満ち満ちているのです。 神様が、私の全体を、見守ってくださっているのです。 私は、とりあえずクヨクヨ心配するのをやめることにいたしました。 何もかもに感謝して、邁進です。 ‘がんが自然に治る’という9つの要素のうちの一つ「自分の魂とつながる」は、私の中にこうして訪れました。 ここまで長いお話におつきあいくださってありがとうございます。 また明日、おめにかかります。 退院の後昼永き冬至来る 人日や治療方針決まらぬまま ここ
[2017/02/19 23:08]
健康 |
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こんにちは。 今日はいいお天気ですね。 ずいぶんとご無沙汰申し上げました。 お元気でいらっしゃいまたでしょうか。 私は、なんと昨秋、深刻な病気であると診断されて、手術を受けました。 おかげさまで、よい先生に手術をしていただき、体力もみるみる回復。 いまではすっかり元気です。 考えてみればわずか4ヶ月ですのに、今ではずいぶん昔のような気がいたします。 その間におこったたくさんの不思議なことを、書き留めておきたい気持ちになって、久しぶりにここに参りました。 長くなりそうですが、もしよろしければおつきあい下さい。 ********** 10月。 診断は、初期のガンということでした。 ちょっとがっかりしましたが、初期だし、大丈夫だ、と思いました。 ガンは2回目です。 再発予防のためにといわれて、まじめに飲んでいた薬が、原因の一つだそうでした。 病院を出て、しばらく公園のベンチに座って、ぼんやり過ごした後、本屋さんに行きました。 天神のジュンク堂です。 福岡には、好きな本屋さんが多いですけれど、大きな本屋さんではここが好きです。 新聞広告か何かで見て、何となく気になっていた本を探して買い求めました。 ケリー・ターナー『がんが自然に治る生き方 余命宣告から「劇的な寛解」に至った人たちが実践している9つのこと』 という本です。 話し合って、広島で手術を受けることになりました。 広島の病院で、改めて診察を受けました。 11月末に手術を受けることに決まりました。 病院では、ぎっしりと詰まった予定の中に、無理に手術日を入れて下さったのでした。 お仕事もお休みすることになり、引き継ぎやらなにやらで、いつも以上にお仕事に追われました。 ああ、いつも何でも、締め切り間際にとりかかるようなことだから、こんな大変なことに、という反省しきり。 その間、懐かしいいろいろな方から、お久しぶりの連絡がありました。 こちらから連絡したわけでは全くありませんのに、不思議です。 もしや神様が、お別れをさせようとしておられるのかと、内心怖ろしくなってきたりしました。 高校や大学の同級生とか、高校勤めの時の教え子達、同僚、大学の卒業生、などなど。 電話でお話ししたり、会ったりいたしました。 たまたまでしたが、同僚でガン経験者の先生が、講習会にお誘い下さったりしました。 ガンは大変な病気なのだと、その時になって初めて知りました。 その後の検査の結果は、予想より悪いものでした。 これといった根拠も無く、なぜかまた、大丈夫だと思いました。 いろんな方の協力で、ようやく、面倒なお仕事をほぼ片付けて、無事に休みに入ることになりました。 いつもとても控えめな私のゼミの学生さんの一人が、ごく遠慮がちに、温熱療法がきくのだという話をしてくれました。 最終日には、別の経験者の先生が、チョコレートを持って、お話に来て下さいました。 明治製菓の「チョコレート効果 オレンジ&大豆パフ」です。 その方は、国内外を問わず、ネット上の医学論文を読みあさり、治療方針をご自身で決められたというお話でした。 一見かよわそうな雰囲気なのに、芯から研究者なんだなあって思いました。 ちなみに私は英語、全然ダメです。 日本語の論文もたぶんダメだろうと思いました。 この病気はきっと、病院での治療の他にも、治療がある世界なのでした。 藁にもすがる、という言葉がふと思い浮かびました。 広島に帰って、ぼんやりと電車を待っていたら、目の前の柱に、 「ガンと診断されたら、すぐにご相談下さい。高濃度ビタミン点滴・・・」 という広告。 神様のおしらせかもしれません。 その病院に行ってみることにしました。 今考えると、何もしないでじっと手術を待つ気持ちにはなれなかったのだと思います。 うわさに聞いた高濃度ビタミンの点滴です。 あれ?私ったらそのうわさ、どこで聞いたのでしょう。 その病院は、小さくな家のような病院で、周りの患者さん達が、なぜかみんな明るくて楽しそうでした。 娘にビタミン点滴のことを話したら、「モデルさんみたい!」 へええ。もしかして、キレイになるのか知らん。 うふふです。 娘に、また病気になったことをいうのが、私にとってはとても辛いことでしたが、 娘はちゃんと受け止めてくれました。 初めて涙が出ました。 手術の後のお話では、先生方が心配なさっていた転移は無かったというお話でした。 ビタミン注射の効果でしょうか。 嬉しくて、とても元気になりました。 入院中、病院の一階のドトール・カフェで、偶然友人の由紀子さんに出遭いました。 由紀子さんたら、手術を受けたばかりの私に、「おめでとうございます」って言っていらっしゃいましたよ。 きっと私が、とても嬉しそうだったせいだと思います。 ****** 長くなりました。 続きはまた明日書こうと思います。 梅の花が咲き始めました。 今年は少し早いみたいです。 今日は、お天気がよいので、この辺りを何度もぐるぐるお散歩しています。 お城より高き病室十二月 病棟に屋上庭園冬うらら クリスマスの飾りナースステーション夜 ここ
[2017/01/31 15:47]
健康 |
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こんにちは。 今朝は青空がのぞいておりましたが、午後からは雨になるのだそうです。 ほんとうに、乙女心と・・・なんですね。 うふふ。 昨日は、落語会に参りました。 なんと、教え子が、立派な落語家になっておりまして。 「河豚鍋」 あつあつのナベの具のいろいろ。 湯気が見えるようでした。 帰り道、もう来年の手帳が売られているのに気がつきました。 びっくりです。 いつのまに、一年たったのでしょう。 過ぎて行く時間を、ゆっくり味わうような暮らしがしたいなあと思いました。
[2016/10/31 11:16]
日記 |
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こんにちは。 今年も彼岸花があちらこちらに咲いています。 夏が暑くてもそうでなくても、毎年時期を違えず咲きはじめます。 去年の今頃、彼岸花が咲いてきれいだからって、キトリと一緒にたくさん写真を撮りました。 その時は、次の年にはキトリがいなくなっているなんて、思ってもおりませんでした。 先日、彼岸花が咲いたから、お散歩に行きましょうって夫を誘って、 山のお散歩道に。 二人は、少し離れて歩いていきます。 特に話すこともなく、ゆっくり歩きました。 何となくですが、夫が私に優しくしてくれているのかな、と思いました。 キトリですか? たぶん私たちについて歩いておりました。
[2016/09/24 17:29]
家族 |
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こんばんは。 今日でようやく試験が終わりました。 長かった前期も終了です。 残務はまだまだありますが、大学は明日から遅い夏休みを迎えます。 思い立って、一人で祝杯をあげることにいたしました。 お疲れさまのごほうびです。 ご近所の小料理屋さんにまいります。 ささげ豆のお醤油あえ ささげ豆は、九州に多い食べものかもしれません。 ご亭主とおかみさんの、ささげのお赤飯の思い出話などをうかがいながらいただきます。 冬瓜のそぼろ煮。 カウンターの向こうのケースの上に、青い冬瓜がゴロンと置かれています。 小さい方の生ビール、たった一杯で酔ってしまったのでしょうか。 少しご機嫌になって、箸袋に歌を書きつけて帰りました。 メゴチの天ぷらの歌。 角失ひ街の夜をゆく魚の尾鳥の尾羽のごとま直ぐなる ここ お店を出ると、夜はすっかり更けておりました。
[2016/08/04 22:10]
日記 |
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今日は、爽やかないいお天気になりました。 久しぶりに サンティーを作りました。 それから、毛糸をちょっとだけ洗いました。(今さらですが) 今は、溜まった学校のお仕事を片付けています。 何となく、キトリが外に出てひなたぼっこをしたいかなと思うので、一日網戸を開けています。 キトリは、いつものように、私の足下に居ます。
[2016/07/04 17:28]
家族 |
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おはようございます。 雨上がりの、湿り気の多い緑の朝です。 今年もリビングから見える合歓の木に、ほんのり赤く、花が咲き始めました。 キトリが逝きました。 一昨日のお昼間のことでした。 それから一日、いつものお部屋で、キトリは眠っていました。 物音がすると目を開けてちらりとこちらを見る、あのいつもの顔です。 ずっと姿勢が変わらないから、ちょっとおかしいなと思いましたが、起きたらお散歩に行くかもしれないなと思いました。 あえぐ様子もなくて、案外元気そうです。 でも朝から外は大雨で、お散歩は行けそうもありませんでした。 お昼になって、不思議に雨が上がりました。 キトリは 晴れ犬なのでした。 娘も帰ってきてくれて、みんなで頑張って、最後のお別れをいたしました。 それぞれに、3月に倒れて以来のキトリのがんばりを言いました。 あれから家族で過ごした3ヶ月は、キトリからの最高の贈りものでした。 いつでもご機嫌のキトリちゃん。 苦しかったかもしれないのに、最後までずっとニコニコしていました。 ありがとう、キトちゃん。 ごはん用のお鍋とか、お風呂のお水場とか、もう要らないんだなあと思います。 玄関の扉を開ける時、この向こうにキトリはいないのだと、一旦心に思ってから開けました。 今朝は、いつものお散歩道を、パパと二人でお散歩しました。 たぶん、キトリも来ていたと思います。 キトリは、これからもこの家で、一緒に暮らすのだなと思いました。 一人になるパパのことが、少し心配でしたけれど、きっと大丈夫です。 キトリ、パパのこと、よろしくね。 キトちゃん、またママといっぱい遊ぼうね。 ね、キトちゃん。 そうだ、夜になったら、蛍を見に行こう。 合歓の花レースのカーテンを揺らして ここ
[2016/06/20 07:22]
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こんにちは。 気の早い蝉たちの声が聞こえています。 娘から手紙が来ました。 少し前からレッスンに通っている、バレエ教室の発表会のチケットを送ってきたのです。 何でも電話やメールで事足りてしまうこの頃、手紙は珍しいことです。 ちょっと嬉しくて、ここに。 「 パパ、ママ、きとりちゃんへ 大坂はまだ梅雨入りしないようで、夏のように暑い日が続いています。 広島や福岡はどうですか。 みんな元気で過ごしていますか。 バレエの発表会のチケットをいただいたので送ります。 いつのまにか、憧れのお姉さんとして踊るようになっていました。 また、もう一度、華いっぱい輝く姿を見せられるように頑張ります。 期待してね。 三年生になって、授業も専門的になってきて、 毎日毎日芸術を学べる、中学高校の頃の私が夢にまで見た生活を送っています。 でも、それはそれで大変だったようです。 もうすぐ梅雨です。 恵みの雨の中で、また一日一日頑張ってゆこうと思います。 また夏休みに帰ります。 みんなで楽しく遊びましょう。 2016.6.1 さくら 」 日付が少し前なのに気付いて、それもちょっと彼女らしくて。
[2016/06/11 11:02]
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こんにちは。 雨の休日になりました。 先週、お仕事で新潟に行って参りました。 新潟は初めてです。 海沿いの新潟空港、飛行機がまるで海の中に降りてゆくかのように降下。 お仕事とは言いながら、楽しい旅の始まりです。 早速、翌日の午後は、お仕事をさぼって観光いたします。 信濃川河口に広がる広々とした新潟平野。 そうだ、レンタサイクル! われながら、素晴らしい思いつきです。 さっそくレンタサイクルにお電話いたします。 「もしもし、今三越のところにいるのですが、ここから一番近いステーションを教えて下さい。」 「では、古町商店街で検索して下さい。」 ええ? 確かそういわれたと思うけれど、検索は億劫なので、手元の小さな地図に頼ることに。 持っていた小さな地図に記されたステーションの位置はかなり曖昧。 道を尋ね尋ね、30分以上歩き回って、ようやく自転車を借りることが出来ました。 その後の観光は快適そのもの。 この頃の旅のマイブームは、作家の家探訪です。 平らな新潟平野が、唯一海に添って小高くなっているあたりの屋敷町を中心に廻りました。 会津八一晩年の家(北方文化博物館) 旧斎藤家別邸(国指定名勝) 坂口安吾 生誕碑(大きな神社の入口。このあたりに生家があったそう。) 安吾 風の館(旧市長公舎) 古い風情の路地を抜け、松林の中の静かな小道を超えて、海へ。 よく晴れた日でしたが、残念ながら佐渡島は見えず。 風が吹いて、良い気持ちでした。 さて、そろそろ時間です。 お借りした自転車をお返ししましょう。 またステーション探しです。 電話します。 「今、古町商店街の入り口にいるのですが。」 「○○神社わかりますか?」 「わかりません。」 大体、サイクルステーションが載っている地図には、目印になるものがほとんど書かれていません。 外来者の私は、もう一つの別の地図と照らし合わせながら見なければなりませんでした。 当然その神社も書かれていません。 「ではちょっと距離がありますが、パーク600に行って下さい。」 自転車で、言われたとおりに進みます。 パーク600、ありました! ところが、レンタサイクルをやっている様子がありません。 ただの大きな立体駐車場の入口。 無人です。 見知らぬ土地の立体駐車場の前に立ち尽くす私。 仕方なくまたお電話いたします。 「すみません、パーク600の前にいるのですが、レンタサイクルをやっている様子が無いのですが。」 「ぐるりと廻って下さい。」 心細く思いながら、ビル沿いの路地を入ると、女性のいる受付がありました。 やれやれ。 「レンタサイクル返したいのですが。」 「ぐるりと廻って下さい。」 時間も無くなってきたせいもあって、だんだんイライラがこみ上げてきました。 もっと別の説明は無いのでしょうか? 他にどうしようもなく、また少し進みましたが、ありません。 もう一度お電話します。 「もしもし、自転車を返すところが見つからないのですが。」 「イタリア料理の○○というところを曲がって・・・・。」 だったら初めからそう言ってよっ。 本当にぐるっと回った、わかりにく~いところに、レンタサイクルのステーションはありました。 自転車を返しに来たと一目で分かる私に目もくれない受付のおじいさん。 こみ上げる怒りに堪えながら、自転車を奥の自転車置き場に並べます。 愛想の無いおじいさんに無言で鍵を返却して、怒りとともに外へ出ました。 何なの、このレンタサイクルの人々。 私は、怒った勢いで、大きく3歩、カツカツと歩き出しました。 ん? 突然、降ってくるように気がついてしまいました。 これって、「新潟県人」なのでは?! もしかして、新潟の人って、聞かれたことだけにしか答えないのでは? そういえば・・・。 「この乗り場は、新潟大学に行くバスが来ますか?」 「来ません。」 「どこから乗ればいいですか?」 「3つさきの乗り場です。」 知っているんだったら、最初から教えてよ、と思ったのでした。 そういえば・・・。 地図がわかりにくいせいで、街をさまよいながら、地図を見せては何度も「私はこの地図のどこにいるのでしょうか?」と尋ねました。 尋ねた人は皆さん、親切に立ち止まって地図を手にとって、「ここです。」と教えて下さいました。 親切なのです。 でもこれが福岡だったら? 「どこに行くの?」とか「どこから来たの?」とか。 もっと「近くに美味しいところがあるよ。」とか「あそこにも行ってみて。」とか。 旅ですねえ。 ここは新潟、異国の地なのです。 さっきまでのイライラは、一瞬で消え失せました。 私は確かに新潟を旅しました。 私は改めて、広々と見通しのよい市街地を歩き始めました。 バスが、信濃川河口にかかる萬代橋にさしかかりました。 萬代橋は、立派な石造り6連アーチの長い長い橋です。
[2016/06/05 12:56]
旅日記 |
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こんにちは。 若葉の美しい季節になりました。 お元気でいらっしゃいますか。 このところ、毎朝、7時半から、BSでNHKの朝ドラを見ています。 今は「とと姉ちゃん」です。 面白いですね。 それが終わると、次の「こころ旅」が始まります。 俳優の火野正平さんが、自転車で、視聴者の思い出の場所に行くという番組です。 出かける支度をしながら、見るともなく見ています。 番組の冒頭で、お手紙が一通読まれます。 お手紙の内容は、思い出の場所と、それにまつわる思い出についてです。 紹介される場所は、大抵、どうということのない普通の場所です。 小さなお寺であったり、高台からの眺めであったり、川辺の石や、松の木であったり。 それでも、その普通の場所が、とても輝いているように思われます。 特別の場所です。 ところが、火野正平さんが訪ねてみると、 その輝いているはずの場所が、もう無くなっていたり、すっかり様子が変わっていることがあります。 テレビの中には、すっかり変わってしまったその場所の光景が映し出されます。 私は、その映像を見ながら、とても残念な気持ちになります。 でも、きっとこのお手紙の方には、当時と同じ景色が、ありありと見えているに違いありません。 思い出の場所、見られてよかったですね。 この番組は、もう何年も続いていますから、 もう日本中、津々浦々、いろいろな方の、大切な思い出でいっぱいです。 番組では紹介されなかったお手紙もたくさんあるでしょう。 そして、お手紙を出さなかった私にも、大切な思い出の場所があります。 この世は、無数の輝く記憶で満ち満ちているのだと思います。 誰かの大事な記憶と隣り合わせの、私の今の暮らし。 風の匂い。 肌に触れる光。 そして、懐かしい人が、懐かしい人を呼ぶ声。 学級写真の石段あたり鳥雲に ここ(春の句ですみません)
[2016/05/16 11:33]
日記 |
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こんにちは。 花の午後でございます。 我が家のリビングの、大きな窓いっぱいに、桜が見えています。 写真を撮ってゆく家族、老人ホームの車いすの方、車を止めて見てゆく人。 時間が止まった世界にいるような、花のひとときです。 キトリが先月の3月13日で11歳になりました。 ゴールデンレトリバーの女の子です。 食いしん坊は相変わらず。 時々お散歩も面倒になってきたこの頃ですが、途中のおやつ用にと「いりこ」を用意すると、てきぱきした様子でついてきます。 先月の3月10日のこと、本当に突然でしたが、キトリが倒れてしまいました。 あまりに突然で、お医者様の仰ることが、全然わかりませんでした。 昨日まで元気に走り回っていたのに。 せめてお誕生日を迎えたかったと思って泣きました。 娘はお誕生日の飾りを作りました。 一進一退の病状に涙するうち、お誕生日が過ぎ、わけの分からないような一週間が過ぎました。 私は毎日福岡から帰って、一緒に夜を過ごしました。 キトリはだんだん元気になってきました。 おとぼけ者のキトリ。 自分が重病だっていうことに気がつかなかったのでしょうか。 キトリは、奇跡の復活を遂げたミラクル犬になりました。 今思えば、たまたま娘が帰省して家にいてくれて、ほんとうに幸いでした。 もう一度、お散歩しながら一緒につくし採りをしたいと思った私の願いも叶えられました。 私がつくしを採っている間、キトリは好みの泥をせっせと食べていました。 ちょっとよたよたしていますから、ご近所の皆さんに心配されますけれど、前より元気なくらいです。 どんどん歩いて、この間はパパとママと三人?で、山の冒険道を一周しました。 またこれでしばらくキトリと一緒に遊べるなって喜んでいましたのに、 4月2日、また倒れてしまいました。 大好きな動物病院の先生と看護婦さんから、最敬礼されながら見送られて、キトリは家に帰りました。 今日は4月5日です。 奇跡のミラクル犬キトリは、再び復活を遂げようとしています。 少しずつ、ご飯が食べられるようになりました。 食いしん坊って、だいじなことですね。 大学は今日、入学式ですが、お仕事をお休みすることにしました。 でも、明日はどうしても行かなければなりません。 今までそうだったように、キトリは明日、長い昼を、家族の帰りを待って一人で過ごします。 寂しがりやのキトリ。 今、キトリは私の足下で、うつらうつらしています。 私はいつもの席にいて、お裁縫です。 せっかくのお昼寝を起こさないように、目が覚めたらすぐに私が見えるように。 キトリ、ママここにいるよ。 だっこしようね。 開け放った窓から、時々花びらが舞い込んできて、キトリの近くに落ちています。 犬笑ふ私笑ふ山笑ふ ここ
[2016/04/05 15:41]
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こんにちは。 家の前の小さな谷の春は、臘梅から紅梅へ、そして今は、黄色い山茱萸の花が咲いています。 学生時代に、 一番お世話になった方が亡くなられました。 大学の大先輩です。 俳句会が出会いでした。 西荻の、それらしい気取らないお庭の中の広間に、私たち学生はよく集まっておりました。 句会の時はもちろん、ただのおしゃべりの時もたくさんありました。 学生時代の私ときたら、その方のお宅に、三日にあげずお邪魔しておりました。 私と同じ年のお嬢さんがいらしたのもあって、しょっちゅうご家族とお夕食をご一緒させていただいておりました。 あの頃が、ちょうど今の私と同じ年頃でいらしたと思います。 考えてみたら、何の遠慮もなくしょっちゅうやってきては、勝手なおしゃべりをして帰って行く若者に、嫌なお顔ひとつなさらず、ご飯を食べさせ続けてくださったのでした。 今ごろようやくそのことに気が付いて、今さらながらびっくりです。 だってそんなこと、今の私にはできそうもありません。 お知らせを聞いて、最後のお見送りに何とか行きたいと思いながら、仕事が重なって身動きのとれない自分の切れ味の悪さに、悔しい気持ちでいっぱいになっている時のことでした。 突然、 「いいのよう」って、 長い間忘れていた、あのお声が聞こえました。 わざとちょっと投げやりっぽくおっしゃるあの言い方です。 なつかしい、ちょっと苦笑いのお顔といっしょに。 結局、春休みになった先月下旬になって、ようやくお焼香に行ってまいりました。 お仏壇があるそのお部屋は、あの頃、お母様を送られた同じお部屋でした。 あの時も、静かな悲しみが伝わってきて胸が一杯になりましたが、でも学生の私は、何ひとつ慰めの言葉も言えませんでした。 私は今も結局変わっていません。 亡くなられたお母様は、佐渡のご出身でした。 お父様は、遠野の方で、遠野の不思議なお話もよく聞かせていただいておりました。 あんまりしょっちゅう行っていましたので、ご家族のいろんなお話を聞かせていただいていたのでした。 ご主人は、とても偉い方でしたが、面白いことばかりおっしゃるので、いらっしゃる時は大笑いしてばかり。 この度も、 盛岡の友人やら先輩やら後輩やら、仲良しだったお嬢さんも一緒に、懐かしい広間に集まって、またおしゃべりをいたしました。 私が一番かわいがられていたと思っていましたが、今考えると、きっとみんながそう思っていたのだとわかります。 ここにいる皆が、こうして集まっていることが、当たり前のようで、不思議なようで。 今もこうして私たちをつないでくださっていることの有り難さを、誰もが感じておりました。 それにしても、集まってくださった方々や、うわさ話に聞く友たちの消息が、みんなみんな立派で、頑張っていて、確かで。 ため息が出るほど。 ああ、それに引きかえ私ってば何やっているんだろう。 そう思ってふと思い出すと、これって学生時代の私そのものではありませんか。 そうそう、これが私だった。 思い出すのも恥ずかしい大風呂敷やら、失敗やら、情けなさやら。 それなのに、そんなダメ学生の私を、いつだって笑顔で迎えて、ダメだなんて全然思っていらっしゃらない様子で。 西荻駅までみんなで歩きながら、みんなすごいなあって思う、 こんな春の夕暮れが、ずっと前にもあったのだと思いました。 私はどうやら、大人になっても、何一つ変わってないみたいです。 また遠慮も無く、お宅に集まろうと思います。 ここにつながる皆の幸せを、あのころからずっと祈ってくださっていたこと、心から、心から、深く深く感謝しています。 本当に、ありがとうございました。 遠くから、ご冥福をお祈り申し上げております。
[2016/03/15 16:15]
日記 |
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CM(2)
こんにちは。 このごろは、文字通りの三寒四温ですね。 お元気でいらっしゃいますか? 昨日は、勤め先の大学の卒業式と謝恩会でした。 プライベートのいろいろで、気もそぞろの中、卒業生を送り出しました。 今年の学生さん達は特に、優しさと行動力を備えた、素敵な大人の方々でした。 毎年のことですけれど、卒業論文集のあとがきをここに。 「 あとがき 卒業論文の完成おめでとうございます。 それぞれに、その人らしい良い論文が出来ましたことを、心から嬉しく思っています。 よく頑張りましたね。 今年のゼミは4人でした。 研究室の大机に、4人という人数が何だか丁度良くて、毎週のゼミは、和やかで本当に楽しい時間でした。 特に、例年に比べて毎回の発表時間をゆったりとることができたのが何よりでした。 とりかかった題材の中から、少しずつご自身のテーマが姿を現してくる研究の醍醐味を、全員で共有できたことを喜んでいます。 皆さんは、4人それぞれに個性豊かな方々でした。 Nさんの研究はアンケートの活動があって大変でしたが、私はすっかり安心して見ておりました。人としての確かさを深く信頼していたからだと思います。 YAさんは文章もおしゃべりの面白さも格別で、おかげで私たちは随分笑いました。貴女の本質的な明るさと強さをすがすがしく感じています。 YYさんは、ご自分の問題に正面から取り組み、終始とても果敢でした。口数は少ないけれど、飄々として存在感がありました。 YMさんは、次々新しく見えてくる問いに、気負わずこつこつ取り組んでゆかれることが印象的でした。他の人の研究にも関心を持って静かに皆を支えてくれました。ゼミ代表としての丁寧なお仕事にもとても感謝しています。ありがとうございました。 全員が教職生でしたから、教育実習や採用試験、小学校実習にも行かれた方がお二人。 忙しい一年間であったことと思います。 そんな中、皆さんが有形無形に私をサポートして下さったことを心から感謝しています。 ほんとうにありがとうございました。 学ぶこととは、答えを求めることではなくて、自分の本当の問いが何であるかを求めることだと思います。 そしてその学びは、つらいがんばりの中にではなく、温かくて楽しくて真面目な、そんな友人達との時間の中にあるのだと、そう思うようになりました。 皆さん、毎週のゼミの良い時間をありがとう。 皆さんのこれから先の長い時間の中にも、このゼミのような時間と空間を、ご自身のまわりに作って行って下さいね。 それぞれに研究テーマを持ちながら集まり、議論しながらも和やかに過ごす、そんな時間と友人こそが人生の宝物だと思います。 この卒業論文の学びが、皆さんのこれからの糧になりますことを信じています。 ご卒業、おめでとうございます。 心よりお祝い申し上げます。 2016年3月11日 ここ 」
[2016/03/12 18:16]
教育 |
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こんにちは。 久しぶりに雨になりました。 ご祝婚のうたげ続きでお疲れの我が家のお雛さまも、一息ついておられるようにお見受けいたします。 少し前のお話で恐縮ですが、 母が、ながらく続けておりました茶道の先生のお役目を、昨年末で終わりといたしました。 12月のとある月曜日に、ふと思い立って久しぶりに実家を訪ねましたら、 今日が最後のお稽古日だったの、と聞かされたのでした。 そろそろという話を聞いてはおりましたが、今日がその日だったなんて。 何も言わずに、普段通りにしているところが、母らしいと思いました。 来年のお初釜に、お客様として生徒さん達をお招きするのを、本当の最後にするそうです。 もうお稽古が無い座敷を見ながら、言いようもなくさびしい気がいたします。 私のそんな気持ちを察してか、 母は、「しおどき」という言葉を何度も口にいたしました。 何か物事を決めなくてはならない時の、不思議なカンのようなものが、母にはあります。 幼い頃の、弟の病気の治療についての逸話。 娘に絵本を選んでくれた時も。 それはただ、本当のことにじっと耳を澄ますこと、なのだと思います。 母がそう言うなら、そうなのかもしれないなあと、諦めるしかありません。 潮時。 満ちてきて、また引いてゆく潮の変わり目。 見えない潮目に、耳を澄ますこと。
[2016/03/09 13:40]
家族 |
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新年、あけましておめでとうございます。 今年も、どうぞよろしくお願いいたします。 例年になく温かいお正月になりました。 いかがお過ごしでしたでしょうか。 私はと申しますと、何となく出遅れて、未だにお年賀状を書いています。 この一年が思いやられます。 昨日は、娘さくらの、二十歳の誕生日でした。 もう、大阪に戻っておりましたので、メールでお祝い。 「 さくらちゃん、二十歳のお誕生日おめでとう。 家族がみんな元気で、貴女の二十歳のお誕生日を迎えることができて、とてもうれしいです。 今日は、おばあちゃまとお電話で貴女が生まれた時のことを話したりしました。 さくらちゃんが、パパとママのところに来てくれたのが嬉しくて、嬉しくて、みんなで大喜びでした。 思い出したら今でも嬉しくなります。 退院の日もお宮参りの日も雪でしたね。 2960グラムの赤ちゃんが、いつの間にか大きくなって、 いつも自分でしっかり考える、楽しくて強い素敵な人になりました。 どんな風にでも、思った通りに頑張ってみてくださいね。 パパとママはいつも応援しています。 成人おめでとうございます。 パパとママより 」 「 メールありがとう♡ 見た瞬間電話したけど、せっかくなら残った方がいいと思って、私もメールしました。 何歳になっても、我が強くてやんちゃなのと、行く先々で雨や雪が降るのは変わりません。 これからも、自分に自信と誇りをもって、頑張っていきます。 ありがとう。 そしてこれからもよろしくお願いいたします。 さくら 」 一人暮らしやら勉強やらで精一杯。 この頃ともすると、自信を失いがちになっている彼女。 自己分析によれば、大人になりかけなのだそう。 離れている私には、だんだん大人になってゆくのを近くで見守ることも、タイミングよく声を掛けてあげることも出来ません。 ただ、こんなやりとりは離れているからこそと思って、感謝です。 だいじょうぶ。 その調子。 自信とか誇りとかって、きっと気付かないうちに身についてゆくものだと思う。 成人式、晴れるといいね。 おめでとう。
[2016/01/07 15:58]
家族 |
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忘年会にちなんで、もう一つ。 私が所属する学科の先生方は、皆さんちょっぴり恥ずかしがり屋です。 幹事団としては、おもてなしの気持ちを表現したいのですけれど、歌ったりなんて絶対出来ません。 それで、皆なですごく考えて、歌カードを作ることにしたしました。 ご参加のお一人ずつにそれぞれ一枚お渡しするのです。 忘年会が行われましたのは、福岡の奥座敷、二日市温泉の由緒あるお宿。 和風のお宿に、よく合っていたと思います。 歌カードは、美しいはがき大のカードにいたしました。 それぞれのご専門領域から、この日にちなんだ歌を選び、印刷。 会場は、1テーブル6人の円卓でしたので、カードは全部で6種類作りました。 私はと申しますと、なんと自作の歌にいたしました。 今日の日を言祝ぐ余興です。 皆さまから勧められて作ることになったのですが、ちょっと楽しくなりました。 記念にここに。 「 永遠(とこしへ)のしらぬひ筑紫に湧くお湯は 過ぎゆく川の礫(れき)の床より 〈歌意〉 永遠の筑紫の地に湧くこのお湯は、流れる川の底の石の間から湧いているのです。 筑紫の地にある本学の素晴らしさも、教職員と学生との日々の時間が、流れる川の河床の石のように積もった中から、自然に湧き出ているのだと思います。 〈歌の説明〉 二日市温泉は、もともと川の石の間から湧いていたのだそうです。 「しらぬひ」は「筑紫」の枕詞です。 今日の日にちなんで「と・し・わ・す・れ」の折句の遊びとして作ってみました。 」 「年忘れ」って、何だかいい言葉ですね。
[2015/12/06 15:25]
日記 |
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こんにちは。 昨日は職場の忘年会でした。 今年の忘年会は、所属する学科が幹事の当番でした。 皆で頑張って準備をしました。 とっても楽しかったです。 忘年会では、景品のあたるクイズをいたします。 クイズの問題作成のためのアンケートにも一生懸命答えました。 備忘録としてここに。 もちろん、当日のクイズ問題で使われたのは、この中のほんの一部でした。 「 忘年会を盛り上げるためご協力お願いいたします。気軽にお答えください。 お名前( ここ )1.現在の趣味とマイブーム現在の趣味:手芸 布と縫うことが好きです。得意なのは刺繍です。 これまで手作りキットなどを使うのは邪道だと思ってバカにしてきましたが、この頃2か月に一回届くキット付き手芸雑誌3000円の定期購読者になりました。もう3回分来ましたが、まだ一つも作れていません。 最近、結婚以来愛用のミシンが壊れ、アンティークの職業用ミシンを買いました。 機能は直線縫いだけです。 そのミシンは、いろいろな意味で私に似ています。 マイブーム:鳥です。 なぜか鳥に心惹かれるようになりました。洋服や持ち物も鳥がついているとつい買ってしまいます。 「久留米鳥類センター」は、大型の鳥のもつ滑稽さと悲しみが園全体に表れていて、私にとって一つの聖地です。 本格バードウオッチングの手ほどきを受けたいと思っています。 2.好きな芸能人(グループも)岡田准一さん (本当は伊勢谷友介さんがいいのですが、大学生の娘から、遊び人ぽいからやめなさいと言われて、岡田准一さんにしています。) 3.最近読んだ本・見た映画で面白かったもの 本:千葉聡『今日の放課後、短歌部へ』。 作者の千葉聡さんは、桜丘高校の先生で、新進気鋭の歌人です。みんなから「ちばさと」と呼ばれている作者の、先生としての日常が短歌とともに描かれているエッセイです。高校教師の日常がリアルに描かれていて、スピード感があって楽しめました。 映画:「めぐりあわせのお弁当」(インド映画) インドのお弁当配達をめぐって描かれる、リアルで奥行のある人間ドラマです。それにしてもこの映画で見たインドのお弁当箱を、学内で見たときはびっくりしました。(宗教教育センターのI先生)さすがと思いました。 4.大学生のころ、趣味とマイブーム茶道:よく知らないまま厳しい先生についてしまって、勉強そっちのけで茶道に明け暮れていました。 台風の時も、早朝先生から「お釜をかけましたからいらっしゃいませ」と電話がかかり、暴風雨の中お稽古に行きました。 お茶のお稽古の後は、自転車に両手放しでいくらでも乗れることに気が付いて、それを楽しみに苦しいお稽古に通っていました。今考えると体幹がしっかりするせいだと思います。今では難しいお点前はほとんど忘れてしまいました。 バブル期の東京での女子大生生活でしたが、結局ディスコに行ったこともないまま終わりました。 マイブーム 新幹線のグリーン車に乗ることです。 ポイントがたまるとグリーン車に乗れるのです。出張で遠くに行くとき使います。 5.大学生のころの夢特にこれといった夢も目標もなく、ぼんやりと生きていました。今と同じです。 6.その他 友人の平均年齢が高いです。最高齢のお友達は、11月23日で95歳。今では主に文通のおつきあいです。 こんなに年が離れていても、やっぱり仲良し友達なのです。 お手紙の話題は、最近買ったかわいいものとか、愚痴(友達がみんな先に死んでいくとか、夫が生前誕生日を祝ってくれたことがなかったとか)など、同年代のお友達と変わりません。 ご協力ありがとうございました。 」 忘年会は、とても楽しく終了いたしました。 いよいよ、文字どおり、師走の日々に突入です(^.^)
[2015/12/06 15:07]
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こんにちは。 11月も早や半ば。 小春日です。 もう随分前から、両親との掲示板を作っています。 名前は「つくつくぼうし伝言板」です。 コメントを入れるのは、ほとんど私です。 なかなかゆっくり電話も出来ない、慌ただしい暮らしの中で、 毎日ではありませんけれど、この掲示板を使って、ちょっとずつ様子を知らせています。 初めは、娘がずっと小さい頃の、孫の近況報告が始まりでした。 それが、娘が家にいなくなった今でも、何となく続いているのです。 きっと私は、こんな年になっても、両親に、私のことを見ていてほしいのだと思います。 先日電話で、「私ばかりが書いて、あんまりお返事がないからつまらない」と言いましたところ、父が慌てて入れてくれました。 父のコメントは久しぶりです。 いつもは皆からおじいちゃま おばあちゃまと呼ばれている父と母ですが、この掲示板の中では、パパとママです。 母は、この掲示板のことをメールと呼んでいます。 私は今でもやっぱり子どものようだと思います。 <備忘録として> 「 Yパパより 2015/11/11 (Wed) 18:40:06 今年最後の成人学級は、明治・大正当時の唱歌を、山の手の田中さんがギター演奏し、皆さんで歌うと言う催しで、大盛況でした。 日頃大声を出さないご婦人がたが、大合唱でみんな喜んでいました。 体にとっても良いようです。 時には発声してみては。 」 「 ここ 2015/11/11 (Wed) 19:46:33 成人学級楽しそうでいいですね。 パパも歌われましたか? 参加者はご婦人方が多いのでしょうか? 私は今年の忘年会の幹事になっていて、クイズとか景品とかを学科の皆さんと考えることになっています。 」 「 ここ 2015/11/14 (Sat) 06:12:47 おはようございます。 今朝、宿泊中の鹿児島で地震がありました。 ご心配下さるといけませんので、ご連絡申し上げました。 私は大丈夫です。 すごく揺れたよ〜。 」 「 まま 2015/11/15 (Sun) 07:32:45 朝もやがとてもすばらしくて 庭に出て大きく深呼吸を何度もしました。 少し冷たさも感じます。 空の雲もうっすら見え周りが 墨絵のようです。 ただ今六時半です。 昨日は五時ごろから寝間の中で、鹿児島の地しんのニュース聞いて、 ここさんが行っているのではと心配していました。 三時間くらい過ぎて解除になり、よかったでした。 そしてメールも見ました。 貴女の心配りに感心もいたしました。 立冬に入りましたので、私はこれから炉の準備をしようと思っております。 貴女はとても疲れているようなので、美味しいものを食べてよく休むことですよ。 ではまたね。 」
[2015/11/16 15:32]
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