課題:好きなことだけして暮らす 

おはようございます。
やっぱり、昨日、ミモザの枝を買ってきました。
無人市ですから、100円。
今日はそれで、リースを作りたいと思います。

先日の卒業式の日は、学科の先生方との会食に始まり、嬉しいばかりの一日でした。
麗しい袴姿のゼミの学生さんたち、
私へのこまやかな心遣いが、今さらのように伝わってきて、本当に素晴らしい若者たちです。
謝恩会を途中退席した私を、最後まで見送ってくれて、本当に感激でした。

久しぶりにお目にかかった学科の先生方は、インフルエンザやら、風邪の高熱やら、ぎっくり腰など、卒業式がやっとという状況の方が数人。
文字通りの満身創痍です。お忙しいのでしょう。
どう見ても一番元気なのは私なのでした。

そんな中、ゆっくり好きなことだけして過ごしてねと、言って下さる学科の先生方。
希有なことと、しみじみありがたく存じました。

というわけで、私の目下の課題は、ゆっくり好きなことをして暮らすことです。

ん?私の好きなこと・・・。

あなたの好きなことって何ですか。
時間がたくさん出来たらなさりたいことは何ですか。

私は、先日から、結構真面目に考えているのですが、まだみつかっていません。
何だかそれも情けない。
そうこうするうちに、おやすみが終わってしまいそう。

或る方から、お金をいただかなくてもできること、を考えればいいと教えていただきました。
家事。
実は私は家事が好きです。
食いしん坊ですから、糖質制限中のお料理も、返って工夫が新鮮で楽しんでいます。
ちょっとイヤになった時は、夫が代わってくれます。
お仕事。
学生さんといると嬉しくなって、テンションが上がってしまうのが問題なくらい。
面倒なこともありますが、あれこれと助けられて、何とかなっています。
研究。
あんまり好きではないけれど、時々すごくやりたくなります。
それに、研究はもともと、直接お金にはなっていません。

結局、どれもお金がいただけなくても、関係ないような気がします。

そうです。
私はもともと、好きじゃないことは、ひとつもやっていなかったのです。

困りました。
好きなことだけやって過ごすというのは、大事な中心的治療行為です。
それが、今までと変わらない生活だとしたら、
大変!再発必至です。
私はどうしても、私が好きなことを探さなければなりません。

そうだ、反対に、好きでないことを止めればいいのです。
私があまり好きでないこと・・・。

髪洗い。
待ち合わせに時間どおりに行くこと。
メールのお返事。

生活に支障が出そうですが、命には代えられません。



[2017/03/15 10:15] 健康 | トラックバック(-) | CM(2)

直感に従う(4) 

おはようございます。
もの干し場の前のサンシュユの木が、黄色いつぼみをつけています。
この花は、私にとって、大事な春の合図の一つです。

明るい春が来ました。

病気治療に関わる不思議なお話の続きです。
これでおしまいになると思います。

*************

1月6日の面談の時、私は主治医の先生に、抗がん剤治療をもうしばらく待って下さるように伝えました。
その時先生は、抗がん剤治療をしなくても、その後の経過観察の定期検査はしてくださるとおっしゃってくださいました。

これはとてもとてもありがたいお話でした。
ビタミン・ケトン療法をして下さる心療内科の先生は、「自分はガンの専門では無いから、検査結果を診る力量は無い」と正直におっしゃって下さっていましたから。
多くの大病院では、治療方針に従わない患者には、それ以後関わらないとするところが多いと聞いています。
放り出された患者は、その後、いわゆる医師に見放されたガン難民になります。
たとえ民間施設で検査は出来ても、その検査結果を診る見識が無ければ、どうしようもないのです。
たくさんのがん患者を診てこられた先生に、経過観察をしていただくことは、何にも代えがたい安心です。
私は心の底からホッといたしました。
今も、先生に感謝の気持ちでいっぱいです。

1月13日、鳥取のお医者さまの待合室で目にして、購入した本。
『がんに負けないこころとからだのつくりかた』(浜口玲央 長谷川充子 和田洋巳)
この本は、イラストつきで、がんのしくみの説明がわかりやすく、かつ学術的でした。
がん三大療法を先頭に立って勧めてこられたがん治療の権威であった和田先生が、大学病院をご退官後、新たに治療を試みられている、その内容が、食事内容を含めて具体的に示されています。
その本は、ビタミンケトン療法とは異なる治療でしたが、やはり、がん治療を、今の医療の外から考えることの大きな可能性を伝えていました。

16日(月)に心療内科に行きました。
気持ちは、鳥取の先生の説明を受けて、ガイドラインどおりの抗がん剤治療を受けることに傾きつつありました。
迷っていると伝えました。
手術をしていただいた病院で、経過観察をしていただけることを伝えました。

先生は、もう一度、必要ないと思うよ。とおっしゃいました。
抗がん剤で治るわけではないからねえ。

先生とは、いつも短い面談です。
先生には、一般に想像する名医の重厚さといったイメージがあまりなくて、そんな重要なご意見でも、どこかさらっとした印象があります。
初めはそれが少し心配でした。

でも、何度か通ううち、そのお人柄やお力が伝わってきていました。
先生は、ただ、今までの医療の考え方の外、全く別のところにおられるのでした。
私は、治療について考える中で、エビデンスと言う言葉をたくさん聞きました。
くだんのガイドラインは、その立場の中でのエビデンスの集積です。
しかし、何が何ののエビデンスかということを考え始めると、全体は揺らぎます。

先生は、お薬の適用などに、とても慎重です。安全の保証の無い高価なお薬は出されません。
それから、一般に、自由診療の費用はとても高額ですが、
先生のところでの、混合ビタミンの点滴は、私のような者にも十分継続的に受診できるありがたい価格でしていただいています。
たくさんの論文もお書きになって居られ、心ある医療者の方々のグループが、果敢に新しい治療を試みられている、その中心に居られる様でした。
私たちが人とその仕事を見る上で、その人が何を大切だと考えているかは、重要な手がかりだと思います。

その帰り道、やっぱり抗がん剤は止めようと思いました。

1月19日、面談の前日。
私は、やっぱり迷っていました。
結局、その日にも、鳥取でのプロテオという検査結果の連絡はありませんでした。
私は、病状をはっきり受け止めるために、結果を待っていました。
手術後まもない私の場合は、C(血中にガンがある)という結果が殆ど自明のことなのでした。

明日の治療方針についての決断について、ずっと迷っていた私に、
夫が、「出来ることは全部やってくれ」と申しました。
私もそのとおりだと思いました。
抗がん剤治療もして、ビタミンケトン療法もする、ということです。
私たちは、結局、そうすることに決めました。

1月20日、面談の日の朝。
もう一度、抗がん剤治療を受けることを確認して、夫を仕事に送り出しました。
午後の面談には、一緒に来てくれることになっていましたから、
私は夫に、また病院でね、と言いました。

その後まもなく、朝の8時過ぎに電話がありました。
鳥取の病院からでした。
プロテオの検査結果についてでした。
診察開始の時間前にお電話を下さったのだと思います。
結果は、A(微量のガンもみつからない)というものでした。
先生にとっても、意外な結果でした。
間違いがあってはいけないので、確認していたため、知らせが遅くなったと言われました。

ただ、呆然といたしました。
どうやら、私の中で、がんは消えているようでした。

夫に急いでメールしました。
実家の両親に電話しました。
娘にも電話しました。
ずっと心配してくれていた友人にメールしました。

午後の面談で、検査のことを伝え、翌週もう一度面談することになりました。
検査は新しいもので、その信憑性についてが問題の様でしたが、私たちは全く分かりませんでした。
検査結果の連絡は、ぎりぎり間に合ったのだと思いました。
抗がん剤は、一旦始めることになると、なかなか止められないと聞いていましたから。

結局、抗がん剤治療をしないことに決めて、今に至ります。

あれから一ヶ月以上たちました。
気が抜けたようになったまま、あっという間に時間が過ぎました。
治ったという実感はあまりなく、再発の不安は今も残っています。

私は今も40グラム/日を目安にした糖質制限の毎日を送っています。
治療効果の目安になるケトン値は、400~900の間を行き来しています。

先生からは、
もう治ってると思うよ。今後は、不安の解消が目標だね。
と言っていただいています。
たぶん、治ったのだと思います。

ところで、初めに、悪いガンだと分かって、とてもうろたえていた時のことです。
私は、すでに学会発表を申し込んでいましたが、とても発表どころではない精神状態でしたので、発表を辞退することにしました。
しかし、ふと、病気のことばかり考えていても仕方がないと思い直し、頑張って学会発表に望むことにしました。
会場には、大学院の時の恩師が、わざわざ聴きに来て下さっていました。
久しぶりにお目にかかる先生のお姿でした。
私はまずい発表の言い訳のように、がんがみつかったことをお話ししました。
その時、先生は他の発表をふいにして、耳を傾けて下さり、私はとても慰められました。
その先生が、また偶然暮れにご連絡を下さいました。
先生はまたお電話口で熱心に励まして下さいました。
私は今、先生の励ましで、今の心療内科の先生に連絡を取る勇気が出たことを思い出しています。
めったにお目にかからない先生が、私を救う神さまのお使いになって、繰り返し現れて下さったのだと思われてなりません。

他にも、娘がもらってきてくれた大阪の神農さん(少彦名神社)のお守りを、一度落として失くしたのに、なぜか夫が拾ってくれていた事件。

まだまだここには書ききれない、たくさんの小さな偶然と、いろいろな方のお気持ちがありました。
そんなこんなが重なって、今の私の状況があります。

今、自分では、すっかり元気になっていると思っています。
相変わらず、これでよかったのか、この先どうなっていくのか、結局は全然わからないまま。
知識も何も無い素人のままで、根拠は自分の直感だけ。

こわいなあ。
でも、それしかないし。
まあ、大体人生ってそんなものかも。

私はこんな調子で、今日の晴れた日曜日を迎えています。

今までにご心配をお寄せ下さった皆さまに、本当に本当に感謝しています。
このたびの病気にかかわるいろいろは、そんなささやかなご縁が重なって今があるということが、身に染みて分かる体験でした。

ありがとうございました。
今後ともどうぞどうぞよろしくお願いいたします。


*************

長いこと、おつきあい下さって、ありがとうございました。
せっかくですので、ご参考までに、初めに挙げました
ケリー・ターナー『がんが自然に治る生き方』に記された、
「余命宣告から「劇的な寛解」に至った人たちが実践している9つのこと」
をここに記しておきますね。
先ほどご紹介した本の和田先生を初め、この本の研究に触発された医療者の方々も少なくないそうです。

1.抜本的に食事を変える
2.治療法は自分で決める
3.直感に従う
4.ハーブとサプリメントの力を借りる
5.抑圧された感情を解き放つ
6.より前向きに生きる
7.周囲の人の支えを受け入れる
8.自分の魂と深く繋がる
9.「どうしても生きたい理由」を持つ

では。
皆さまのご健康とご活躍をお祈り申し上げつつ。




[2017/03/12 11:54] 健康 | トラックバック(-) | CM(4)

卒業論文集 あとがき 

こんばんは。
昨日、今日と、よく晴れて、春らしい温かい日になりました。

昨日は、勤務校の卒業式でした。
久しぶりに大学に参りました。

卒業の日に、それぞれに卒業証書をお渡しするのは、ゼミの担当教員の仕事です。
なにより大切で、嬉しい仕事です。
しばらくお仕事をお休みしておりましたが、この日だぜひ出勤して、この佳きお仕事をしたいと願っておりました。

久しぶりにゼミ生の皆さんに会いました。
病休中、ずっと応援して下さった8人の学生さんたちが、今日は華やかな袴姿です。

毎年のことですが、今年も卒業論文集のあとがきをここに残します。
でも、今年はまだ文集ができあがっておりません。
文集係の方が奮闘してくださって、また印刷屋さんにも幾重にもありがたいお力添えをいただいて、なんとか3月中にはできあがりそうです。

卒業の日を記念して、今日、そのあとがきをここに。
心を込めて。


****************


あとがき

卒業論文、大変お疲れさまでした。
11月からの私の不在の中、それぞれ本当によく頑張られたと思います。
皆さん揃ってご提出の知らせに、ほっと深く安堵したのが、ずっと昔のことのように思われます。

大学の教員として、最も大切でやりがいのある仕事である、卒業論文のゼミ。
追い込み時期の不在については、今も本当に申し訳なく、残念に思っております。
病床から、卒業論文の本当の醍醐味を、味合わせて差し上げることが出来ないままになってしまったと思い、しみじみ、繰り返し、悔しく残念に思っておりました。

今年度のゼミ生は、揃って卒論への意欲が高いのが特徴でした。
しかしなかなか課題が決定しませんでした。
決定しても、研究が全く進まない場合もありました。
研究の舟になかなか乗り込めないのです。
(それについては、指導者としての私の今後の課題であると思っています。)

研究の舟は、いつだって頼りない笹舟のような小舟です。
それでも、そんな小舟に一人乗り込み、漕ぎ出して行くこと。
ただ一心に漕ぐ中で、到着点は不思議と見つかるものだということ。
そんな小さな航海の体感こそが、卒論研究の醍醐味の中心であると考えてきました。

だから私の仕事は、まず舟に乗せ、波間に押し出すことなのに。
今年はとうとう・・・。

その時に耳にしたのが、自主ゼミのことです。
「研究室で、いつも賑やかな声がしていますよ。」
そんなお声を耳にして、私はとたんに嬉しくなりました。

私の心配は何のその、皆さんは一緒に大きな船をこしらえ、漕ぎ出して行かれていたのですね。
おしゃべりや、お茶やお菓子、窓からの景色。
学生同士で行った自主ゼミの光景は、きっといつまでも残るこころの風景となるでしょう。
軽やかに、明るく、優しい風に吹かれての航海。
皆で見つけられた、卒業論文の別の醍醐味ですね。

それはきっと、なにより、これからのための佳き体験となってゆくと思います。
このたびの皆さんの姿に、何より私自身か深く学ばされました。

入院には、みなさんからの応援の色紙やプレゼントを持って行きました。
枕元の皆さんの温かい言葉が、本当に本当に心の支えでした。
今はただ感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます。

皆さん、どうぞこれからも、勇気を持って、明るく楽しく前に進んでいらしてください。
これから進まれる道が、佳きものであることを、心から信じています。

ご卒業おめでとうございます。
心から、お祝い申し上げます。

     2017年3月10日        ここ





[2017/03/11 22:35] 教育 | トラックバック(-) | CM(0)

直感に従う(3) 

こんばんは。
この頃はいかがお過ごしでいらっしゃいますか。

今日は、お野菜市場にミモザが出ていました。
あの黄色!
花の色に吸い寄せられる虫たちの気持ちが分かるような気がいたします。

私の治療の備忘録について、もっと具体的に書いておいたら、どなたかの参考にもなるよというご意見をいただきました。
なるほどそうかもしれません。
私も 他の方の体験談にずいぶん励まされましたから。

それで、もう少し具体的に書くことにいたしました。
よろしければ、おつきあい下さいませ。

************

暮れに、お電話して、診ていただいたのは、心療内科の先生でした。
先生は私に、「抗がん剤をしないほうがいい」とおっしゃって下さったのでした。

糖質制限と混合ビタミン点滴が、先生の治療方針でした。
鬱病や統合失調症が栄養で治ることのご経験から、がんなどの病気も栄養治療で治ることを発見されたばかりなのだそうでした。
私も糖質制限をすることになりました。
本を読んで下さいと言われました。
以下は勧められた4冊の本です。
 古川健司『ケトン食ががんを消す』(光文社新書)
 荒木裕『ガンを自宅の食事で治す法』(三笠書房)
 小林びんせい『がんになったら何を食べたらいいの?』
 野中秀訓『がんになって、止めたこと、やったこと』

あっというまに4冊読み終えました。
まずは古川先生の本で、ノートを取りながら勉強しました。
並行して、自分が食べているものを記録し、日々どのくらい糖質を取っているのか、確かめることにとりくみしました。
私が目指す日に40グラムの糖質摂取に抑えるには、野菜の糖質さえ計算しながら食事を取らなければなりません。
それでも、明らかながん治療のためのスーパー糖質制限 20g/日 よりはずいぶん楽です。
私の場合は、手術直後の見えないがんとの戦いでした。
私白いご飯が大好きですが、すっぱり諦めました。

1月4日。
宮島での皆さんの励ましのおかげで、すっかり元気になった私は、
その勢いで、本で読んだ小林びんせい先生の連絡先(東京)にお電話しました。
ご著書から、とても信頼できる気がしていたからです。
またまた今までの私にはないびっくり行動力です。

ご指示通りに、相談書を送ると、直ぐにお返事が来ました。
・抗がん剤治療を待って下さるように、主治医の先生に言うこと、
・広島から比較的近くて行きやすい病院を2軒紹介しますから、電話してみるように。

どちらの病院にするかは、電話の対応が自分に合うかどうかで決めるといいですよ。

それは、ちょっと聞くといいかげんなようで、実はとてもよいアドバイスでした。
大事なことを決める時って、そういう風な、自分の‘感じ’って、とても大切なのだと思います。

延期していただいた主治医の先生との次の面談日は20日でした。
どうしてもそれまでに、自分で納得できる治療方針を決めなければなりません。
結局、自分で決めなければならないのです。
私は早速お電話をし、13日に鳥取の病院を訪ねることになりました。

13日はよいお天気で、した。
新幹線で赤穂へ、そして智頭線に乗って、鳥取に向かいました。
大旅行です。
県境あたりから、突然、雪景色になりました。

予定を空けて診て下さることになった鳥取の病院の先生は、お若い先生でした。
先生はこれまでのことをいろいろ尋ねてくださいました。
私は主治医の先生や看護婦さんに言われたことなどいろいろお話しました。

執刀主治医の先生は、穏やかで明るい素敵な女性の先生。
手術後に、先生から言われた治療方針は、抗がん剤6クール。
その治療方針は、先生が広げて見せて下さった、Yes・Noでたどってすすんでいく占いのようなもので、たどりついたところに書かれいました。
先生のおっしゃるガイドラインです。
私の仕事や生活、家族のことなど、主治医の先生とはまだ何もお話していません。
今ここにいる私も、次に来るだれかも、このYes/No占いの少ないパターンによって分けられる、占い結果で治療が決まるのでしょうか。
私には、この占いが私にもあてはまるとおっしゃる理由がよくわかりませんでした。
ガイドラインは市販されているから購入してよく読んで下さいと言われ、帰りに紀伊國屋で購入しました。
結局、いまだに一度も開いていません。

鳥取のお若い先生は、いろいろと丁寧に説明して下さいました。
私はやはり抗がん剤治療を受けた方がいい状況であるということでした。
手術後にも、ガンは、血流やリンパに乗って体内を回っているとのこと。
それをたたくには、保険のきく範囲では、抗がん剤が効果的lだと言われました。

やっぱり結論は抗がん剤なのでした。
でもまあ、おかげでようやく納得することが出来ました。
よしとしようと思いました。
何だかやるせない気分でした。

せっかくここまで来ましたから、お土産がわりに、プロテオという新しい検査をしてみることにしました。
それは、ごく微量のガンも見つけ出す検査で、最近出来たばかりだということでした。
16日(月)に結果を知らせて下さるとのことでした。

それにしても、我ながら感心いたします。
よくもまあ、ある意味東京より遠い鳥取まで、それも雪の中をついて。

帰りは松江まわりで広島に戻ることにしていました。
雪の中を走る山陰本線。
車窓からずっと海岸線が見えていて、よい旅行だったと思いました。


20日の面談まで、あと1週間。

***********

長い間おつきあい下さったのに、やっぱりそれほど具体的になりませんでした。
やれやれです。
申し訳ありません。



入院の時に作った歌二首

繭玉のごと一人ずつカーテンの薄桃色に抱かれて眠る
自然治癒の書に9つの物語魔法と謎と9人の勝者         ここ




[2017/03/08 23:12] 健康 | トラックバック(-) | CM(0)

直感に従う(2) 

こんばんは。
昨日の続きです。
と申し上げたいところですが、前回からなんと20日が経っていました。
たった一夜が何年もという、おとぎ話のような毎日を送っております。

では、、前回の続き、
私に起こった小さいけれどたくさんの不思議についての備忘録です。
長いので、もしよろしければどうぞです。

************

おかげさまで、術後の私は、どんどん元気になりました。
2週間後、今後の治療方針についての面談にも、一人で電車に乗って病院に出かけました。
久しぶりの外出です。
よく晴れた日でした。

私の病状は、意外なことに、あまり良いものではありませんでした。

え?
それはどういうことですか?
抗がん剤なんて、身体に悪い…。

次の面談は、1月6日。
それまで、抗がん剤治療についての決定を待っていただくことになりました。

私は一日中こたつにいて、ネットサーフィンをして過ごしていました。
あいまいな記憶を頼りに、いつかFacebookで見た、「がんが治る」という記事を探したり。
考えることは、ただ堂々巡りするだけでした。

もう年の瀬が迫っていました。
偶然、そのいつか見た記事が見つかりました。
そしたら、いつもの私とは別の、何やら行動力ある私が現れて、その病院にお電話。
数日後には、また一人で電車に乗って出かけていました。

電車は、幼いころ住んでいた明るい海辺の町を通っていきました。

抗がん剤は必要ないと思うよ。

嬉しい先生の言葉でした。
でも、なぜかその言葉は、私の体をすり抜けてしまったように感じました。
結局は不安なままなのでした。

1月4日、面談の2日前。
ねたのさん(静岡)、まき衛門さん(大分)、マチコさん(長崎)が、なんと広島まで会いに来てくださいました。。
ブログがご縁で、今ではすっかり仲良しの私たち。
昨年は、珍道中「お伊勢参り福笑いの旅」、ご一緒いたしました。

みんなで宮島で会うことになりました。
乗船前に、早速ねたのさんが「うえの」のあなごめしを調達。

会えた瞬間から、わあわあおしゃべり。
海の見える桟橋近くの高台に上がって、お弁当です。
長い間いろんなことを話しました。

抗がん剤なんて、しなくていいわよ。
仕事もやめて、のんびり好きなことして暮らしたらいいじゃない。

風もなくて、温かい午後でした。
「凶」が出ることもある厳島神社のおみくじを、恐る恐るひきます。


  薬禁厭定兆(くすりまじないさだめのちょう)  (吉)
  
   病気 十が十治る    」

おみくじの文言は、私の悩みにズバリ答えてくださるものでした。
畏れを感じて、鳥肌が立ちました。

日が短い1月のはじめ、あたりは早くも夕方の気配になりました。
お忙しい中、遠方から駆けつけてくださって、
私のことばかりを一日ただ心配して、励ましてくださった皆さんは、日帰りのご予定。
無償のお気持ち。
私は、これは奇跡だと思いました。

皆さんの温かさに包まれて、私はすっかり元気を取り戻しました。
長らくとりついていた不安も、すっかりどこかに消えてしまって、なんだか爽やか絶好調です。
お調子者の私、いただいたたくさんのお土産を抱えて、意気揚々と帰宅の途に就いたのでございました。

***************

長くなりましたので、また続きは明日にいたします。

表題の「実感に従う」は、前回ご紹介申し上げたケリー・ターナー『がんが自然に治る生き方』に挙げられている、奇跡的寛解を遂げた人に共通する9つの要素のうちの一つです。
その別の一つには、「自分の魂と深くつながる」があります。
これは、信仰や祈りといった、霊的なものを感じるあり方を言っているようです。

あのおみくじの結果は、神様にでも何にでもすがりたい気持ちの私にとっては、十分治療方針についての一判断材料になるものでした。
でもしばらくして、気が付きました。
これは検査結果やいろんなお医者様の意見と同列の、何かの要素とは違う。
神様からの、それもかなりはっきりした、メッセージだと考えるべきではないか。

心配しないでいいよ。応援しているよ。大丈夫。
こんなに知らせているのに、まだ分からないのか。

2度がんになってわかったことは、がんはお医者様のおっしゃる通りの治療を黙って受ける病気ではないということです。
本当はきっと、どんな病気もおんなじですね。
もちろん、治療方針を決定しなければならないのは私だけれど、
注意深く耳をすませば、人の周りは応援のメッセージに満ち満ちているのです。
神様が、私の全体を、見守ってくださっているのです。

私は、とりあえずクヨクヨ心配するのをやめることにいたしました。
何もかもに感謝して、邁進です。

‘がんが自然に治る’という9つの要素のうちの一つ「自分の魂とつながる」は、私の中にこうして訪れました。

ここまで長いお話におつきあいくださってありがとうございます。
また明日、おめにかかります。




退院の後昼永き冬至来る
人日や治療方針決まらぬまま     ここ



[2017/02/19 23:08] 健康 | トラックバック(-) | CM(7)

直感に従う(1) 

こんにちは。
今日はいいお天気ですね。

ずいぶんとご無沙汰申し上げました。
お元気でいらっしゃいまたでしょうか。

私は、なんと昨秋、深刻な病気であると診断されて、手術を受けました。
おかげさまで、よい先生に手術をしていただき、体力もみるみる回復。
いまではすっかり元気です。

考えてみればわずか4ヶ月ですのに、今ではずいぶん昔のような気がいたします。
その間におこったたくさんの不思議なことを、書き留めておきたい気持ちになって、久しぶりにここに参りました。
長くなりそうですが、もしよろしければおつきあい下さい。



**********

10月。
診断は、初期のガンということでした。
ちょっとがっかりしましたが、初期だし、大丈夫だ、と思いました。
ガンは2回目です。
再発予防のためにといわれて、まじめに飲んでいた薬が、原因の一つだそうでした。

病院を出て、しばらく公園のベンチに座って、ぼんやり過ごした後、本屋さんに行きました。
天神のジュンク堂です。
福岡には、好きな本屋さんが多いですけれど、大きな本屋さんではここが好きです。

新聞広告か何かで見て、何となく気になっていた本を探して買い求めました。
ケリー・ターナー『がんが自然に治る生き方 余命宣告から「劇的な寛解」に至った人たちが実践している9つのこと』
という本です。

話し合って、広島で手術を受けることになりました。
広島の病院で、改めて診察を受けました。
11月末に手術を受けることに決まりました。
病院では、ぎっしりと詰まった予定の中に、無理に手術日を入れて下さったのでした。

お仕事もお休みすることになり、引き継ぎやらなにやらで、いつも以上にお仕事に追われました。
ああ、いつも何でも、締め切り間際にとりかかるようなことだから、こんな大変なことに、という反省しきり。

その間、懐かしいいろいろな方から、お久しぶりの連絡がありました。
こちらから連絡したわけでは全くありませんのに、不思議です。
もしや神様が、お別れをさせようとしておられるのかと、内心怖ろしくなってきたりしました。

高校や大学の同級生とか、高校勤めの時の教え子達、同僚、大学の卒業生、などなど。
電話でお話ししたり、会ったりいたしました。
たまたまでしたが、同僚でガン経験者の先生が、講習会にお誘い下さったりしました。
ガンは大変な病気なのだと、その時になって初めて知りました。

その後の検査の結果は、予想より悪いものでした。
これといった根拠も無く、なぜかまた、大丈夫だと思いました。

いろんな方の協力で、ようやく、面倒なお仕事をほぼ片付けて、無事に休みに入ることになりました。
いつもとても控えめな私のゼミの学生さんの一人が、ごく遠慮がちに、温熱療法がきくのだという話をしてくれました。

最終日には、別の経験者の先生が、チョコレートを持って、お話に来て下さいました。
明治製菓の「チョコレート効果 オレンジ&大豆パフ」です。
その方は、国内外を問わず、ネット上の医学論文を読みあさり、治療方針をご自身で決められたというお話でした。
一見かよわそうな雰囲気なのに、芯から研究者なんだなあって思いました。
ちなみに私は英語、全然ダメです。
日本語の論文もたぶんダメだろうと思いました。

この病気はきっと、病院での治療の他にも、治療がある世界なのでした。
藁にもすがる、という言葉がふと思い浮かびました。

広島に帰って、ぼんやりと電車を待っていたら、目の前の柱に、
「ガンと診断されたら、すぐにご相談下さい。高濃度ビタミン点滴・・・」
という広告。
神様のおしらせかもしれません。
その病院に行ってみることにしました。
今考えると、何もしないでじっと手術を待つ気持ちにはなれなかったのだと思います。

うわさに聞いた高濃度ビタミンの点滴です。
あれ?私ったらそのうわさ、どこで聞いたのでしょう。

その病院は、小さくな家のような病院で、周りの患者さん達が、なぜかみんな明るくて楽しそうでした。
娘にビタミン点滴のことを話したら、「モデルさんみたい!」
へええ。もしかして、キレイになるのか知らん。
うふふです。

娘に、また病気になったことをいうのが、私にとってはとても辛いことでしたが、
娘はちゃんと受け止めてくれました。
初めて涙が出ました。

手術の後のお話では、先生方が心配なさっていた転移は無かったというお話でした。
ビタミン注射の効果でしょうか。
嬉しくて、とても元気になりました。

入院中、病院の一階のドトール・カフェで、偶然友人の由紀子さんに出遭いました。
由紀子さんたら、手術を受けたばかりの私に、「おめでとうございます」って言っていらっしゃいましたよ。
きっと私が、とても嬉しそうだったせいだと思います。


******
長くなりました。
続きはまた明日書こうと思います。

梅の花が咲き始めました。
今年は少し早いみたいです。

今日は、お天気がよいので、この辺りを何度もぐるぐるお散歩しています。



お城より高き病室十二月
病棟に屋上庭園冬うらら
クリスマスの飾りナースステーション夜          ここ




[2017/01/31 15:47] 健康 | トラックバック(-) | CM(2)

落語会 

こんにちは。
今朝は青空がのぞいておりましたが、午後からは雨になるのだそうです。
ほんとうに、乙女心と・・・なんですね。
うふふ。

昨日は、落語会に参りました。
なんと、教え子が、立派な落語家になっておりまして。

「河豚鍋」
あつあつのナベの具のいろいろ。
湯気が見えるようでした。

帰り道、もう来年の手帳が売られているのに気がつきました。
びっくりです。
いつのまに、一年たったのでしょう。

過ぎて行く時間を、ゆっくり味わうような暮らしがしたいなあと思いました。




[2016/10/31 11:16] 日記 | トラックバック(-) | CM(0)

約束の花 

こんにちは。
今年も彼岸花があちらこちらに咲いています。
夏が暑くてもそうでなくても、毎年時期を違えず咲きはじめます。

去年の今頃、彼岸花が咲いてきれいだからって、キトリと一緒にたくさん写真を撮りました。
その時は、次の年にはキトリがいなくなっているなんて、思ってもおりませんでした。

先日、彼岸花が咲いたから、お散歩に行きましょうって夫を誘って、
山のお散歩道に。

二人は、少し離れて歩いていきます。
特に話すこともなく、ゆっくり歩きました。
何となくですが、夫が私に優しくしてくれているのかな、と思いました。

キトリですか?
たぶん私たちについて歩いておりました。



[2016/09/24 17:29] 家族 | トラックバック(-) | CM(2)

ほろ酔い 

こんばんは。
今日でようやく試験が終わりました。
長かった前期も終了です。
残務はまだまだありますが、大学は明日から遅い夏休みを迎えます。

思い立って、一人で祝杯をあげることにいたしました。
お疲れさまのごほうびです。
ご近所の小料理屋さんにまいります。

ささげ豆のお醤油あえ

ささげ豆は、九州に多い食べものかもしれません。
ご亭主とおかみさんの、ささげのお赤飯の思い出話などをうかがいながらいただきます。

冬瓜のそぼろ煮。

カウンターの向こうのケースの上に、青い冬瓜がゴロンと置かれています。

小さい方の生ビール、たった一杯で酔ってしまったのでしょうか。
少しご機嫌になって、箸袋に歌を書きつけて帰りました。

メゴチの天ぷらの歌。

角失ひ街の夜をゆく魚の尾鳥の尾羽のごとま直ぐなる    ここ

お店を出ると、夜はすっかり更けておりました。





[2016/08/04 22:10] 日記 | トラックバック(-) | CM(0)

梅雨晴れ間 

今日は、爽やかないいお天気になりました。

久しぶりにサンティーを作りました。
それから、毛糸をちょっとだけ洗いました。(今さらですが)

今は、溜まった学校のお仕事を片付けています。
何となく、キトリが外に出てひなたぼっこをしたいかなと思うので、一日網戸を開けています。

キトリは、いつものように、私の足下に居ます。



[2016/07/04 17:28] 家族 | トラックバック(-) | CM(0)

ずっと一緒 

おはようございます。
雨上がりの、湿り気の多い緑の朝です。
今年もリビングから見える合歓の木に、ほんのり赤く、花が咲き始めました。

キトリが逝きました。
一昨日のお昼間のことでした。

それから一日、いつものお部屋で、キトリは眠っていました。
物音がすると目を開けてちらりとこちらを見る、あのいつもの顔です。
ずっと姿勢が変わらないから、ちょっとおかしいなと思いましたが、起きたらお散歩に行くかもしれないなと思いました。
あえぐ様子もなくて、案外元気そうです。
でも朝から外は大雨で、お散歩は行けそうもありませんでした。

お昼になって、不思議に雨が上がりました。
キトリは晴れ犬なのでした。

娘も帰ってきてくれて、みんなで頑張って、最後のお別れをいたしました。
それぞれに、3月に倒れて以来のキトリのがんばりを言いました。
あれから家族で過ごした3ヶ月は、キトリからの最高の贈りものでした。

いつでもご機嫌のキトリちゃん。
苦しかったかもしれないのに、最後までずっとニコニコしていました。
ありがとう、キトちゃん。

ごはん用のお鍋とか、お風呂のお水場とか、もう要らないんだなあと思います。
玄関の扉を開ける時、この向こうにキトリはいないのだと、一旦心に思ってから開けました。

今朝は、いつものお散歩道を、パパと二人でお散歩しました。
たぶん、キトリも来ていたと思います。

キトリは、これからもこの家で、一緒に暮らすのだなと思いました。
一人になるパパのことが、少し心配でしたけれど、きっと大丈夫です。
キトリ、パパのこと、よろしくね。

キトちゃん、またママといっぱい遊ぼうね。
ね、キトちゃん。

そうだ、夜になったら、蛍を見に行こう。



 合歓の花レースのカーテンを揺らして            ここ







[2016/06/20 07:22] 家族 | トラックバック(-) | CM(2)

手紙 娘より 

こんにちは。
気の早い蝉たちの声が聞こえています。

娘から手紙が来ました。
少し前からレッスンに通っている、バレエ教室の発表会のチケットを送ってきたのです。
何でも電話やメールで事足りてしまうこの頃、手紙は珍しいことです。
ちょっと嬉しくて、ここに。


「 
  パパ、ママ、きとりちゃんへ

 大坂はまだ梅雨入りしないようで、夏のように暑い日が続いています。
広島や福岡はどうですか。
みんな元気で過ごしていますか。

 バレエの発表会のチケットをいただいたので送ります。
いつのまにか、憧れのお姉さんとして踊るようになっていました。
また、もう一度、華いっぱい輝く姿を見せられるように頑張ります。
期待してね。

 三年生になって、授業も専門的になってきて、
毎日毎日芸術を学べる、中学高校の頃の私が夢にまで見た生活を送っています。
でも、それはそれで大変だったようです。

 もうすぐ梅雨です。
恵みの雨の中で、また一日一日頑張ってゆこうと思います。
 
 また夏休みに帰ります。
みんなで楽しく遊びましょう。

                2016.6.1      さくら
                                     」

 
日付が少し前なのに気付いて、それもちょっと彼女らしくて。






[2016/06/11 11:02] 家族 | トラックバック(-) | CM(0)

旅日記 新潟 

こんにちは。
雨の休日になりました。

先週、お仕事で新潟に行って参りました。
新潟は初めてです。
海沿いの新潟空港、飛行機がまるで海の中に降りてゆくかのように降下。
お仕事とは言いながら、楽しい旅の始まりです。

早速、翌日の午後は、お仕事をさぼって観光いたします。

信濃川河口に広がる広々とした新潟平野。
そうだ、レンタサイクル!
われながら、素晴らしい思いつきです。

さっそくレンタサイクルにお電話いたします。
「もしもし、今三越のところにいるのですが、ここから一番近いステーションを教えて下さい。」
「では、古町商店街で検索して下さい。」
ええ?
確かそういわれたと思うけれど、検索は億劫なので、手元の小さな地図に頼ることに。

持っていた小さな地図に記されたステーションの位置はかなり曖昧。
道を尋ね尋ね、30分以上歩き回って、ようやく自転車を借りることが出来ました。

その後の観光は快適そのもの。
この頃の旅のマイブームは、作家の家探訪です。
平らな新潟平野が、唯一海に添って小高くなっているあたりの屋敷町を中心に廻りました。

会津八一晩年の家(北方文化博物館)
旧斎藤家別邸(国指定名勝)
坂口安吾 生誕碑(大きな神社の入口。このあたりに生家があったそう。)
安吾 風の館(旧市長公舎)

古い風情の路地を抜け、松林の中の静かな小道を超えて、海へ。
よく晴れた日でしたが、残念ながら佐渡島は見えず。
風が吹いて、良い気持ちでした。

さて、そろそろ時間です。
お借りした自転車をお返ししましょう。
またステーション探しです。
電話します。

「今、古町商店街の入り口にいるのですが。」
「○○神社わかりますか?」
「わかりません。」
大体、サイクルステーションが載っている地図には、目印になるものがほとんど書かれていません。
外来者の私は、もう一つの別の地図と照らし合わせながら見なければなりませんでした。
当然その神社も書かれていません。
「ではちょっと距離がありますが、パーク600に行って下さい。」

自転車で、言われたとおりに進みます。
パーク600、ありました!
ところが、レンタサイクルをやっている様子がありません。
ただの大きな立体駐車場の入口。
無人です。
見知らぬ土地の立体駐車場の前に立ち尽くす私。

仕方なくまたお電話いたします。
「すみません、パーク600の前にいるのですが、レンタサイクルをやっている様子が無いのですが。」
「ぐるりと廻って下さい。」

心細く思いながら、ビル沿いの路地を入ると、女性のいる受付がありました。
やれやれ。

「レンタサイクル返したいのですが。」
「ぐるりと廻って下さい。」
時間も無くなってきたせいもあって、だんだんイライラがこみ上げてきました。
もっと別の説明は無いのでしょうか?

他にどうしようもなく、また少し進みましたが、ありません。
もう一度お電話します。

「もしもし、自転車を返すところが見つからないのですが。」
「イタリア料理の○○というところを曲がって・・・・。」
だったら初めからそう言ってよっ。

本当にぐるっと回った、わかりにく~いところに、レンタサイクルのステーションはありました。
自転車を返しに来たと一目で分かる私に目もくれない受付のおじいさん。
こみ上げる怒りに堪えながら、自転車を奥の自転車置き場に並べます。
愛想の無いおじいさんに無言で鍵を返却して、怒りとともに外へ出ました。

何なの、このレンタサイクルの人々。
私は、怒った勢いで、大きく3歩、カツカツと歩き出しました。

ん?
突然、降ってくるように気がついてしまいました。
これって、「新潟県人」なのでは?!
もしかして、新潟の人って、聞かれたことだけにしか答えないのでは?

そういえば・・・。
「この乗り場は、新潟大学に行くバスが来ますか?」
「来ません。」
「どこから乗ればいいですか?」
「3つさきの乗り場です。」
知っているんだったら、最初から教えてよ、と思ったのでした。

そういえば・・・。
地図がわかりにくいせいで、街をさまよいながら、地図を見せては何度も「私はこの地図のどこにいるのでしょうか?」と尋ねました。
尋ねた人は皆さん、親切に立ち止まって地図を手にとって、「ここです。」と教えて下さいました。
親切なのです。
でもこれが福岡だったら?
「どこに行くの?」とか「どこから来たの?」とか。
もっと「近くに美味しいところがあるよ。」とか「あそこにも行ってみて。」とか。

旅ですねえ。
ここは新潟、異国の地なのです。
さっきまでのイライラは、一瞬で消え失せました。
私は確かに新潟を旅しました。

私は改めて、広々と見通しのよい市街地を歩き始めました。

バスが、信濃川河口にかかる萬代橋にさしかかりました。
萬代橋は、立派な石造り6連アーチの長い長い橋です。






[2016/06/05 12:56] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(0)

「 こころ旅 」 記憶の中の光景 

こんにちは。
若葉の美しい季節になりました。
お元気でいらっしゃいますか。

このところ、毎朝、7時半から、BSでNHKの朝ドラを見ています。
今は「とと姉ちゃん」です。
面白いですね。
それが終わると、次の「こころ旅」が始まります。
俳優の火野正平さんが、自転車で、視聴者の思い出の場所に行くという番組です。
出かける支度をしながら、見るともなく見ています。

番組の冒頭で、お手紙が一通読まれます。
お手紙の内容は、思い出の場所と、それにまつわる思い出についてです。

紹介される場所は、大抵、どうということのない普通の場所です。
小さなお寺であったり、高台からの眺めであったり、川辺の石や、松の木であったり。
それでも、その普通の場所が、とても輝いているように思われます。
特別の場所です。

ところが、火野正平さんが訪ねてみると、
その輝いているはずの場所が、もう無くなっていたり、すっかり様子が変わっていることがあります。
テレビの中には、すっかり変わってしまったその場所の光景が映し出されます。

私は、その映像を見ながら、とても残念な気持ちになります。
でも、きっとこのお手紙の方には、当時と同じ景色が、ありありと見えているに違いありません。

思い出の場所、見られてよかったですね。

この番組は、もう何年も続いていますから、
もう日本中、津々浦々、いろいろな方の、大切な思い出でいっぱいです。
番組では紹介されなかったお手紙もたくさんあるでしょう。
そして、お手紙を出さなかった私にも、大切な思い出の場所があります。

この世は、無数の輝く記憶で満ち満ちているのだと思います。

誰かの大事な記憶と隣り合わせの、私の今の暮らし。

風の匂い。
肌に触れる光。
そして、懐かしい人が、懐かしい人を呼ぶ声。




 学級写真の石段あたり鳥雲に        ここ(春の句ですみません)


[2016/05/16 11:33] 日記 | トラックバック(-) | CM(0)

花の午後 

こんにちは。
花の午後でございます。

我が家のリビングの、大きな窓いっぱいに、桜が見えています。
写真を撮ってゆく家族、老人ホームの車いすの方、車を止めて見てゆく人。
時間が止まった世界にいるような、花のひとときです。

キトリが先月の3月13日で11歳になりました。
ゴールデンレトリバーの女の子です。
食いしん坊は相変わらず。
時々お散歩も面倒になってきたこの頃ですが、途中のおやつ用にと「いりこ」を用意すると、てきぱきした様子でついてきます。

先月の3月10日のこと、本当に突然でしたが、キトリが倒れてしまいました。
あまりに突然で、お医者様の仰ることが、全然わかりませんでした。
昨日まで元気に走り回っていたのに。

せめてお誕生日を迎えたかったと思って泣きました。
娘はお誕生日の飾りを作りました。

一進一退の病状に涙するうち、お誕生日が過ぎ、わけの分からないような一週間が過ぎました。
私は毎日福岡から帰って、一緒に夜を過ごしました。
キトリはだんだん元気になってきました。

おとぼけ者のキトリ。
自分が重病だっていうことに気がつかなかったのでしょうか。
キトリは、奇跡の復活を遂げたミラクル犬になりました。

今思えば、たまたま娘が帰省して家にいてくれて、ほんとうに幸いでした。
もう一度、お散歩しながら一緒につくし採りをしたいと思った私の願いも叶えられました。
私がつくしを採っている間、キトリは好みの泥をせっせと食べていました。

ちょっとよたよたしていますから、ご近所の皆さんに心配されますけれど、前より元気なくらいです。
どんどん歩いて、この間はパパとママと三人?で、山の冒険道を一周しました。

またこれでしばらくキトリと一緒に遊べるなって喜んでいましたのに、
4月2日、また倒れてしまいました。
大好きな動物病院の先生と看護婦さんから、最敬礼されながら見送られて、キトリは家に帰りました。

今日は4月5日です。
奇跡のミラクル犬キトリは、再び復活を遂げようとしています。
少しずつ、ご飯が食べられるようになりました。
食いしん坊って、だいじなことですね。

大学は今日、入学式ですが、お仕事をお休みすることにしました。
でも、明日はどうしても行かなければなりません。

今までそうだったように、キトリは明日、長い昼を、家族の帰りを待って一人で過ごします。
寂しがりやのキトリ。

今、キトリは私の足下で、うつらうつらしています。
私はいつもの席にいて、お裁縫です。
せっかくのお昼寝を起こさないように、目が覚めたらすぐに私が見えるように。

キトリ、ママここにいるよ。
だっこしようね。

開け放った窓から、時々花びらが舞い込んできて、キトリの近くに落ちています。



 犬笑ふ私笑ふ山笑ふ     ここ




[2016/04/05 15:41] 家族 | トラックバック(-) | CM(4)

同じ春の夕暮れ 

こんにちは。
家の前の小さな谷の春は、臘梅から紅梅へ、そして今は、黄色い山茱萸の花が咲いています。

学生時代に、一番お世話になった方が亡くなられました。
大学の大先輩です。
俳句会が出会いでした。

西荻の、それらしい気取らないお庭の中の広間に、私たち学生はよく集まっておりました。
句会の時はもちろん、ただのおしゃべりの時もたくさんありました。
学生時代の私ときたら、その方のお宅に、三日にあげずお邪魔しておりました。
私と同じ年のお嬢さんがいらしたのもあって、しょっちゅうご家族とお夕食をご一緒させていただいておりました。

あの頃が、ちょうど今の私と同じ年頃でいらしたと思います。
考えてみたら、何の遠慮もなくしょっちゅうやってきては、勝手なおしゃべりをして帰って行く若者に、嫌なお顔ひとつなさらず、ご飯を食べさせ続けてくださったのでした。
今ごろようやくそのことに気が付いて、今さらながらびっくりです。
だってそんなこと、今の私にはできそうもありません。

お知らせを聞いて、最後のお見送りに何とか行きたいと思いながら、仕事が重なって身動きのとれない自分の切れ味の悪さに、悔しい気持ちでいっぱいになっている時のことでした。
突然、
「いいのよう」って、
長い間忘れていた、あのお声が聞こえました。
わざとちょっと投げやりっぽくおっしゃるあの言い方です。
なつかしい、ちょっと苦笑いのお顔といっしょに。

結局、春休みになった先月下旬になって、ようやくお焼香に行ってまいりました。
お仏壇があるそのお部屋は、あの頃、お母様を送られた同じお部屋でした。
あの時も、静かな悲しみが伝わってきて胸が一杯になりましたが、でも学生の私は、何ひとつ慰めの言葉も言えませんでした。
私は今も結局変わっていません。

亡くなられたお母様は、佐渡のご出身でした。
お父様は、遠野の方で、遠野の不思議なお話もよく聞かせていただいておりました。
あんまりしょっちゅう行っていましたので、ご家族のいろんなお話を聞かせていただいていたのでした。
ご主人は、とても偉い方でしたが、面白いことばかりおっしゃるので、いらっしゃる時は大笑いしてばかり。

この度も盛岡の友人やら先輩やら後輩やら、仲良しだったお嬢さんも一緒に、懐かしい広間に集まって、またおしゃべりをいたしました。
私が一番かわいがられていたと思っていましたが、今考えると、きっとみんながそう思っていたのだとわかります。
ここにいる皆が、こうして集まっていることが、当たり前のようで、不思議なようで。
今もこうして私たちをつないでくださっていることの有り難さを、誰もが感じておりました。

それにしても、集まってくださった方々や、うわさ話に聞く友たちの消息が、みんなみんな立派で、頑張っていて、確かで。
ため息が出るほど。
ああ、それに引きかえ私ってば何やっているんだろう。
そう思ってふと思い出すと、これって学生時代の私そのものではありませんか。
そうそう、これが私だった。

思い出すのも恥ずかしい大風呂敷やら、失敗やら、情けなさやら。
それなのに、そんなダメ学生の私を、いつだって笑顔で迎えて、ダメだなんて全然思っていらっしゃらない様子で。

西荻駅までみんなで歩きながら、みんなすごいなあって思う、
こんな春の夕暮れが、ずっと前にもあったのだと思いました。

私はどうやら、大人になっても、何一つ変わってないみたいです。
また遠慮も無く、お宅に集まろうと思います。

ここにつながる皆の幸せを、あのころからずっと祈ってくださっていたこと、心から、心から、深く深く感謝しています。
本当に、ありがとうございました。

遠くから、ご冥福をお祈り申し上げております。



[2016/03/15 16:15] 日記 | トラックバック(-) | CM(2)

卒業論文集 あとがき 

こんにちは。
このごろは、文字通りの三寒四温ですね。
お元気でいらっしゃいますか?

昨日は、勤め先の大学の卒業式と謝恩会でした。
プライベートのいろいろで、気もそぞろの中、卒業生を送り出しました。
今年の学生さん達は特に、優しさと行動力を備えた、素敵な大人の方々でした。

毎年のことですけれど、卒業論文集のあとがきをここに。



あとがき

 卒業論文の完成おめでとうございます。
それぞれに、その人らしい良い論文が出来ましたことを、心から嬉しく思っています。
よく頑張りましたね。

 今年のゼミは4人でした。
研究室の大机に、4人という人数が何だか丁度良くて、毎週のゼミは、和やかで本当に楽しい時間でした。
特に、例年に比べて毎回の発表時間をゆったりとることができたのが何よりでした。
とりかかった題材の中から、少しずつご自身のテーマが姿を現してくる研究の醍醐味を、全員で共有できたことを喜んでいます。

 皆さんは、4人それぞれに個性豊かな方々でした。
 Nさんの研究はアンケートの活動があって大変でしたが、私はすっかり安心して見ておりました。人としての確かさを深く信頼していたからだと思います。
 YAさんは文章もおしゃべりの面白さも格別で、おかげで私たちは随分笑いました。貴女の本質的な明るさと強さをすがすがしく感じています。
 YYさんは、ご自分の問題に正面から取り組み、終始とても果敢でした。口数は少ないけれど、飄々として存在感がありました。
 YMさんは、次々新しく見えてくる問いに、気負わずこつこつ取り組んでゆかれることが印象的でした。他の人の研究にも関心を持って静かに皆を支えてくれました。ゼミ代表としての丁寧なお仕事にもとても感謝しています。ありがとうございました。

 全員が教職生でしたから、教育実習や採用試験、小学校実習にも行かれた方がお二人。
忙しい一年間であったことと思います。
そんな中、皆さんが有形無形に私をサポートして下さったことを心から感謝しています。
ほんとうにありがとうございました。

 学ぶこととは、答えを求めることではなくて、自分の本当の問いが何であるかを求めることだと思います。
そしてその学びは、つらいがんばりの中にではなく、温かくて楽しくて真面目な、そんな友人達との時間の中にあるのだと、そう思うようになりました。
 皆さん、毎週のゼミの良い時間をありがとう。
 皆さんのこれから先の長い時間の中にも、このゼミのような時間と空間を、ご自身のまわりに作って行って下さいね。
それぞれに研究テーマを持ちながら集まり、議論しながらも和やかに過ごす、そんな時間と友人こそが人生の宝物だと思います。
 この卒業論文の学びが、皆さんのこれからの糧になりますことを信じています。
 
 ご卒業、おめでとうございます。
 心よりお祝い申し上げます。

        2016年3月11日

                                ここ

                                                」

[2016/03/12 18:16] 教育 | トラックバック(-) | CM(0)

潮時 

こんにちは。
久しぶりに雨になりました。
ご祝婚のうたげ続きでお疲れの我が家のお雛さまも、一息ついておられるようにお見受けいたします。

少し前のお話で恐縮ですが、
母が、ながらく続けておりました茶道の先生のお役目を、昨年末で終わりといたしました。

12月のとある月曜日に、ふと思い立って久しぶりに実家を訪ねましたら、
今日が最後のお稽古日だったの、と聞かされたのでした。

そろそろという話を聞いてはおりましたが、今日がその日だったなんて。
何も言わずに、普段通りにしているところが、母らしいと思いました。
来年のお初釜に、お客様として生徒さん達をお招きするのを、本当の最後にするそうです。

もうお稽古が無い座敷を見ながら、言いようもなくさびしい気がいたします。
私のそんな気持ちを察してか、
母は、「しおどき」という言葉を何度も口にいたしました。

何か物事を決めなくてはならない時の、不思議なカンのようなものが、母にはあります。
幼い頃の、弟の病気の治療についての逸話。
娘に絵本を選んでくれた時も。
それはただ、本当のことにじっと耳を澄ますこと、なのだと思います。

母がそう言うなら、そうなのかもしれないなあと、諦めるしかありません。

潮時。
満ちてきて、また引いてゆく潮の変わり目。

見えない潮目に、耳を澄ますこと。






[2016/03/09 13:40] 家族 | トラックバック(-) | CM(0)

二十歳の誕生日に 

新年、あけましておめでとうございます。
今年も、どうぞよろしくお願いいたします。

例年になく温かいお正月になりました。
いかがお過ごしでしたでしょうか。
私はと申しますと、何となく出遅れて、未だにお年賀状を書いています。
この一年が思いやられます。

昨日は、娘さくらの、二十歳の誕生日でした。
もう、大阪に戻っておりましたので、メールでお祝い。

「 
 さくらちゃん、二十歳のお誕生日おめでとう。
家族がみんな元気で、貴女の二十歳のお誕生日を迎えることができて、とてもうれしいです。

今日は、おばあちゃまとお電話で貴女が生まれた時のことを話したりしました。
さくらちゃんが、パパとママのところに来てくれたのが嬉しくて、嬉しくて、みんなで大喜びでした。
思い出したら今でも嬉しくなります。
退院の日もお宮参りの日も雪でしたね。

2960グラムの赤ちゃんが、いつの間にか大きくなって、
いつも自分でしっかり考える、楽しくて強い素敵な人になりました。

どんな風にでも、思った通りに頑張ってみてくださいね。
パパとママはいつも応援しています。

成人おめでとうございます。

      パパとママより
                        」


 メールありがとう♡
見た瞬間電話したけど、せっかくなら残った方がいいと思って、私もメールしました。

何歳になっても、我が強くてやんちゃなのと、行く先々で雨や雪が降るのは変わりません。
これからも、自分に自信と誇りをもって、頑張っていきます。

ありがとう。

そしてこれからもよろしくお願いいたします。

       さくら
                       」


一人暮らしやら勉強やらで精一杯。
この頃ともすると、自信を失いがちになっている彼女。
自己分析によれば、大人になりかけなのだそう。

離れている私には、だんだん大人になってゆくのを近くで見守ることも、タイミングよく声を掛けてあげることも出来ません。
ただ、こんなやりとりは離れているからこそと思って、感謝です。

だいじょうぶ。
その調子。
自信とか誇りとかって、きっと気付かないうちに身についてゆくものだと思う。

成人式、晴れるといいね。

おめでとう。



[2016/01/07 15:58] 家族 | トラックバック(-) | CM(0)

忘年会2 歌カード 

忘年会にちなんで、もう一つ。

私が所属する学科の先生方は、皆さんちょっぴり恥ずかしがり屋です。
幹事団としては、おもてなしの気持ちを表現したいのですけれど、歌ったりなんて絶対出来ません。
それで、皆なですごく考えて、歌カードを作ることにしたしました。
ご参加のお一人ずつにそれぞれ一枚お渡しするのです。

忘年会が行われましたのは、福岡の奥座敷、二日市温泉の由緒あるお宿。
和風のお宿に、よく合っていたと思います。

歌カードは、美しいはがき大のカードにいたしました。
それぞれのご専門領域から、この日にちなんだ歌を選び、印刷。
会場は、1テーブル6人の円卓でしたので、カードは全部で6種類作りました。

私はと申しますと、なんと自作の歌にいたしました。
今日の日を言祝ぐ余興です。
皆さまから勧められて作ることになったのですが、ちょっと楽しくなりました。
記念にここに。


   永遠(とこしへ)のしらぬひ筑紫に湧くお湯は
              過ぎゆく川の礫(れき)の床より


〈歌意〉
永遠の筑紫の地に湧くこのお湯は、流れる川の底の石の間から湧いているのです。
筑紫の地にある本学の素晴らしさも、教職員と学生との日々の時間が、流れる川の河床の石のように積もった中から、自然に湧き出ているのだと思います。

〈歌の説明〉
二日市温泉は、もともと川の石の間から湧いていたのだそうです。
「しらぬひ」は「筑紫」の枕詞です。
今日の日にちなんで「と・し・わ・す・れ」の折句の遊びとして作ってみました。

                               」

「年忘れ」って、何だかいい言葉ですね。



[2015/12/06 15:25] 日記 | トラックバック(-) | CM(0)

忘年会1 アンケート 

こんにちは。
昨日は職場の忘年会でした。
今年の忘年会は、所属する学科が幹事の当番でした。
皆で頑張って準備をしました。
とっても楽しかったです。

忘年会では、景品のあたるクイズをいたします。
クイズの問題作成のためのアンケートにも一生懸命答えました。
備忘録としてここに。
もちろん、当日のクイズ問題で使われたのは、この中のほんの一部でした。



  忘年会を盛り上げるためご協力お願いいたします。気軽にお答えください。

 お名前(  ここ  )

1.現在の趣味とマイブーム

現在の趣味:手芸
 布と縫うことが好きです。得意なのは刺繍です。
 これまで手作りキットなどを使うのは邪道だと思ってバカにしてきましたが、この頃2か月に一回届くキット付き手芸雑誌3000円の定期購読者になりました。もう3回分来ましたが、まだ一つも作れていません。
 最近、結婚以来愛用のミシンが壊れ、アンティークの職業用ミシンを買いました。
機能は直線縫いだけです。
 そのミシンは、いろいろな意味で私に似ています。

 マイブーム:鳥です。
 なぜか鳥に心惹かれるようになりました。洋服や持ち物も鳥がついているとつい買ってしまいます。
「久留米鳥類センター」は、大型の鳥のもつ滑稽さと悲しみが園全体に表れていて、私にとって一つの聖地です。
本格バードウオッチングの手ほどきを受けたいと思っています。
          
2.好きな芸能人(グループも)
岡田准一さん 
(本当は伊勢谷友介さんがいいのですが、大学生の娘から、遊び人ぽいからやめなさいと言われて、岡田准一さんにしています。)

3.最近読んだ本・見た映画で面白かったもの
 本:千葉聡『今日の放課後、短歌部へ』。
作者の千葉聡さんは、桜丘高校の先生で、新進気鋭の歌人です。みんなから「ちばさと」と呼ばれている作者の、先生としての日常が短歌とともに描かれているエッセイです。高校教師の日常がリアルに描かれていて、スピード感があって楽しめました。
 映画:「めぐりあわせのお弁当」(インド映画) インドのお弁当配達をめぐって描かれる、リアルで奥行のある人間ドラマです。それにしてもこの映画で見たインドのお弁当箱を、学内で見たときはびっくりしました。(宗教教育センターのI先生)さすがと思いました。

4.大学生のころ、趣味とマイブーム
茶道:よく知らないまま厳しい先生についてしまって、勉強そっちのけで茶道に明け暮れていました。
台風の時も、早朝先生から「お釜をかけましたからいらっしゃいませ」と電話がかかり、暴風雨の中お稽古に行きました。
お茶のお稽古の後は、自転車に両手放しでいくらでも乗れることに気が付いて、それを楽しみに苦しいお稽古に通っていました。今考えると体幹がしっかりするせいだと思います。今では難しいお点前はほとんど忘れてしまいました。
バブル期の東京での女子大生生活でしたが、結局ディスコに行ったこともないまま終わりました。

マイブーム 新幹線のグリーン車に乗ることです。
ポイントがたまるとグリーン車に乗れるのです。出張で遠くに行くとき使います。

5.大学生のころの夢
特にこれといった夢も目標もなく、ぼんやりと生きていました。今と同じです。

6.その他
 友人の平均年齢が高いです。最高齢のお友達は、11月23日で95歳。今では主に文通のおつきあいです。
こんなに年が離れていても、やっぱり仲良し友達なのです。
お手紙の話題は、最近買ったかわいいものとか、愚痴(友達がみんな先に死んでいくとか、夫が生前誕生日を祝ってくれたことがなかったとか)など、同年代のお友達と変わりません。

  ご協力ありがとうございました。
                                   」

忘年会は、とても楽しく終了いたしました。
いよいよ、文字どおり、師走の日々に突入です(^.^)





[2015/12/06 15:07] 日記 | トラックバック(-) | CM(0)

伝言板 

こんにちは。
11月も早や半ば。
小春日です。

もう随分前から、両親との掲示板を作っています。
名前は「つくつくぼうし伝言板」です。

コメントを入れるのは、ほとんど私です。
なかなかゆっくり電話も出来ない、慌ただしい暮らしの中で、
毎日ではありませんけれど、この掲示板を使って、ちょっとずつ様子を知らせています。

初めは、娘がずっと小さい頃の、孫の近況報告が始まりでした。
それが、娘が家にいなくなった今でも、何となく続いているのです。
きっと私は、こんな年になっても、両親に、私のことを見ていてほしいのだと思います。

先日電話で、「私ばかりが書いて、あんまりお返事がないからつまらない」と言いましたところ、父が慌てて入れてくれました。
父のコメントは久しぶりです。
いつもは皆からおじいちゃま おばあちゃまと呼ばれている父と母ですが、この掲示板の中では、パパとママです。
母は、この掲示板のことをメールと呼んでいます。
私は今でもやっぱり子どものようだと思います。



<備忘録として>

「 Yパパより      2015/11/11 (Wed) 18:40:06  

 今年最後の成人学級は、明治・大正当時の唱歌を、山の手の田中さんがギター演奏し、皆さんで歌うと言う催しで、大盛況でした。
日頃大声を出さないご婦人がたが、大合唱でみんな喜んでいました。
体にとっても良いようです。
時には発声してみては。
                   」


「 ここ        2015/11/11 (Wed) 19:46:33

 成人学級楽しそうでいいですね。
 パパも歌われましたか?
参加者はご婦人方が多いのでしょうか?
私は今年の忘年会の幹事になっていて、クイズとか景品とかを学科の皆さんと考えることになっています。
                     」



「 ここ       2015/11/14 (Sat) 06:12:47

 おはようございます。
今朝、宿泊中の鹿児島で地震がありました。
ご心配下さるといけませんので、ご連絡申し上げました。
私は大丈夫です。
すごく揺れたよ〜。
                     」


「 まま         2015/11/15 (Sun) 07:32:45

  朝もやがとてもすばらしくて 庭に出て大きく深呼吸を何度もしました。
 少し冷たさも感じます。
 空の雲もうっすら見え周りが 墨絵のようです。
 ただ今六時半です。

 昨日は五時ごろから寝間の中で、鹿児島の地しんのニュース聞いて、
 ここさんが行っているのではと心配していました。
 三時間くらい過ぎて解除になり、よかったでした。
 そしてメールも見ました。
 貴女の心配りに感心もいたしました。

 立冬に入りましたので、私はこれから炉の準備をしようと思っております。

 貴女はとても疲れているようなので、美味しいものを食べてよく休むことですよ。

 ではまたね。
                        」
 
[2015/11/16 15:32] 家族 | トラックバック(-) | CM(0)

花井茶屋 

こんにちは。
少し雨が続いております。
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。

先週末は、夫の里のお祭りでした。
お祭りは、毎年11月7日と決まっているのですが、今年はたまたま週末になりました。

お祭りには、家々が、お餅をついて、ご馳走をたくさんこしらえて、お客様を迎えます。
そんなお祭りの準備をして、姑母が迎えてくれました。

姑母は、あの時代にずっとお仕事をしていた人で、今もとてもしっかりしています。
昨年、ご近所の組の女性達(平均年齢を計算するのは憚られます)で、‘茶屋’を始めました。
月2回だけ開く喫茶店です。

場所は、お向かいの花井さんのお宅。
名前は「花井茶屋」です。
姑母と仲良しだった花井のおばちゃんが、数年前に亡くなられるまで、ここでずっと仕出しのお店をしておられました。

町に掛け合って、椅子などの援助を受けることになりました。
そのかわり町の行事になるのでお金はとれませんから、缶を置いて、100円くらい入れていただくことになったそうです。
これらは、昔取った杵柄での姑母の仕事です。

それぞれお得意の、ちょっとしたお茶請けを持ち寄って、いよいよ「花井茶屋」の開店です。
奥出雲のこの辺りは、お漬け物やら煮物やらのお茶請けの文化があるところなのです。

人が来てくれるかしらん。
しきりに心配しておりましたが、なんのなんの、たくさん来て下さったそうです。

在の方で、東京から来てみんながあんまり相手にもならんだった人が来てくれてねえ、
ずうっと話して行かれたよ。
それだけでも良かったと思うて。

人がちょっとつきあいにくく思う人にも、なんの分け隔ても無い、何とも姑母らしいところです。

それからも、「花井茶屋」は思いの外の大繁盛。
うきうきと、次の開店日のお茶請けの計画を話してくれる母の声も弾んで、聞いている私たちも何だかとても楽しみです。

この頃は、他の組の人が時折、お茶請けを作って持ってこられたり、
他の組の人も、やらせてほしいということで、月1回は、他の組の人がやってくれることになったそうです。
先日は、男の人たちが夜に「花井茶屋」を開けて、「男達の花井茶屋」もあったとか。

とうとう地元のテレビ局が取材に来たり、
近くの専門学校の生徒さんが、お手伝いに来られるようにもなりました。

お手伝いといっても、かえって大変なのだそうです。
せっかくだからと、巻き寿司の作り方を教えて差し上げたり、
作ってこられたお茶請けをみんなでいただいて、感想を言ったりしているそうです。

今年のお祭りの日、「花井茶屋」も臨時開店しておりました。
お店番は、私のお嫁入りの時からおられる、なじみの組の方々です。
「花井茶屋」の旗の前で、皆さんの集合写真を撮りました。

今年のお祭りの行列には、10年前には確かにあった大きな傘の花飾りがありませんでした。
それでも、長い長い囃し子のお行列でした。




 秋霖や黒板に文字書き積みぬ 
      
 夫と野をゆく赤まんま赤うて赤うて            ここ




[2015/11/10 11:21] 日記 | トラックバック(-) | CM(0)

旅日記 盛岡 

こんにちは。
秋晴れのよいお天気の日が続いています。
いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。

先週末、お仕事で盛岡に行ってきました。
盛岡は、緑が多くて、素敵な街です。
からりと乾いた気候のせいか、外国に来たような気がいたします。

訪れた岩手大学には、構内に農学部の広い植物園があって、
賢治も学んだという洋館を、大きな木々が静かに囲んでいました。
お昼休みには、池のほとりのベンチに腰掛けて、タクシーの運転手さんおすすめの「福田パン」を買っていただきました。

盛岡では、大学時代の友人に会う約束をして、楽しみにしておりました。
7、8年前に会って以来です。
その時は、二人で花巻の賢治ゆかりの地を車でめぐりました。
学生の頃は、のんびり朗らかでまあるいイメージだった彼女が、今はほっそりとしてとてもしっかりした感じ。
颯爽と運転する姿が、ちょっと意外で素敵でした。

今回はと申しますと、会うとさっそくあの時の続きのおしゃべりです。
お夕食をいただきながら、子ども達のその後のこと、友人達の消息、俳句のこと、夫や両親のこと、犬たちのこと、最近読んだ本のこと。
おしゃべりはつきません。

翌日、3時間ほど時間が出来たので、もう一度会うことに。
岩手県立美術館にまいりました。
舟越保武と松本峻介の作品が、帰ってきているということでした。
明るくて柔らかい手触りの石の壁が印象的な建物です。

雪の日の風景を描いた松本峻介の小さな絵の前に来た時、
「私が子どもの頃の盛岡って、雪の日は、ほんとにこんなだったの。」

一人っ子の彼女の、幸せな子ども時代のことを想像しました。
私が子どもの頃に知っていた街も、こんな風だった気がいたしました。
私が育ったのは、ほとんど雪が降らない街でしたのに。

時々そっと話してくれる作品についてのコメントは、控えめで、私に丁度よい内容でした。

「この山の稜線ね、父が入院している病院から見えるの。
今もやっぱりこんな風に田んぼがあって。」

入院して7年になられるお父様のところで、毎日1時間半を過ごすという彼女の日課。
お母様が亡くなられて3年近くでしょうか。

いつからか、館内にピアノの演奏が聞こえていました。
演奏はとても素晴らしくて、不思議なことに、少しも絵を見る妨げになりませんでした。
聞けば、夕方からのコンサートのリハーサルだということでした。

ピアノを聴くの、久しぶり。

彼女はピアノがとても上手だったことを思い出しました。
学生時代の彼女が、色々なコンサートに出かけていたことも。

この頃、ピアノ弾いてる?
ぜ~んぜん。

偶然こんなピアノコンサートが聴けて、
真面目にがんばってる私たちへのごほうびね~って、二人で自画自賛。

学生時代と全然変わらない。
朗らかで、無理なところが少しもない、やわらかい感じ。

いろんなことがあるはずの盛岡の暮らし。
それでも何だか幸せそうで、その風景は、からりと澄んだ空気を通して見える盛岡の景色みたいに、きれいで透明でした。

今度、ぜひ、福岡に遊びにいらしてね。
少しはご案内できるようになったと思うから。

私たちは、また近いうちに会う予定があるような様子で、別れました。

岩手大学の図書館前の桂の木が、すっかり黄葉しておりました。



[2015/10/18 16:29] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(0)

フライパン 

こんにちは。
本当に、ご無沙汰しております。
お元気でいらっしゃいましたでしょうか?
今日はまた特に秋らしい一日になりましたね。

今日、フライパンを買いました。
今まで使っていたフライパン、底の三角が一枚はがれてしまったのです。

電磁調理器用の重いフライパンでした。
今の家に来た時以来のですから、もう20年です。

20年って、案外あっという間ですね。
買った時のこともしっかり覚えていますし、保証書もあるんですよ。

テフロン加工でないので、焦げ付きがち。
とくまささんが、金たわしを買ってきてこすって下さったことも・・・。

今度はT-Falのにしました。
ほんとは外国製でない方がいいけれど、アイロンもT-Falにしてよかったし。
いつの間にか、すっかりお料理上手になった夫との共用です。

小さい方のフライパンは、日本製です。
黒くて重い鋳鉄のフライパン。
学生時代、自炊用に母が揃えてくれました。
これはまだ、びくともしなくて現役活躍中です。
お好み焼きやホットケーキが美味しくできます。

この頃少しだけお料理が上手になりました。
週の半分を福岡で過ごす生活になり、娘が大学のために家を出て、家族のためにお料理できる日が少なくなったこの頃になって。


小鳥来る戦前の書を置く窓辺       ここ




[2015/10/04 17:05] 日記 | トラックバック(-) | CM(6)

お昼寝 

こんにちは。
7月になりました。

今日は曇りです。
お昼寝をしております。
うつらうつら。
夢の中で、雨が降っています。

半分だけ覚めた頭の中で、
曇りなのに、夢の中で雨が降っているなんて、さすがは梅雨。
などと感心いたします。

まもなく覚めて、
すぐに窓の外を見ます。
さっきまでと同じ曇り空です。
あの雨は、やっぱり夢だったのでした。

どの位時間が経ったでしょうか。
ふと気がつくと、外でさあさあと雨の音がしております。
ちょうど、さっきの夢の中と同じような雨です。

さては、あれは、正夢であったのでした。




[2015/07/04 15:17] 日記 | トラックバック(-) | CM(2)

帽子 

今日も雨になりました。
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。

先日、帰省した娘。
帽子が欲しいと申しますので、古いのでよければと、私が娘の頃の帽子を出してきました。
白地に、紺のリボンがかかった、つばの広い帽子です。

船の上で、この帽子のつばを片手で押さえている、若い私の姿が浮かびました。
潮風と、瀬戸内の美しい島々と、海の光。

瀬戸内海遊覧の大きな船です。
父が勤めていた会社で、ご家族の皆さんもお招きして、大きな船を貸し切って。
瀬戸内海に次々と橋が架かって、珍しかった頃のことです。
大学から帰省した私も参加いたしました。
その時にこの帽子を被って行ったのでした。

会社の方やご家族の方々が、少し離れた向こうで、それぞれに楽しそうにしておられた情景を、妙にはっきりと覚えています。
いいお天気の気持ちの良い日でした。

あの時私は、時々話しかけて下さるどなたかと話す以外は、母と二人でおりました。
気取った帽子を被って、すましているワンピース姿の私。

今でしたらたぶん、こちらから打ち解けて、皆さんの中に入っていくことができると思います。
その方が、父にもよかったと、今でしたらわかります。

だいたいに好奇心旺盛の私です。
あの時だって本当は、一緒に船に乗っているいろんな方と話したかったのだと思います。
でもたぶん、自分がそう思っていることにさえ気づけなくて、最後まで、つんとすましていたのです。

ちょっぴりヘンで可笑しい私。
今見れば、ちょっと大げさなこの帽子にそっくりなのでした。

少し黄ばんだ白い帽子を、娘は喜んで被っていきました。
夏休みに美術部の合宿と称して出かける沖縄旅行に被っていくのだそうです。

私とは違う、現代っ子の娘のことを、少し頼もしく思います。
つばが広いから、日よけにいいと思います。




[2015/06/18 15:23] 日記 | トラックバック(-) | CM(2)

あたりまえの 

こんにちは。
ご無沙汰しております。

梅雨、いかがお過ごしでしょうか。
私は、近くの菖蒲園を見に行くのを、この頃の楽しみにしています。

先週末、娘が遊学先の大阪からひょっこり帰ってまいりました。
とめどないおしゃべり。
娘のいる週末は、いままでどおりと変わりなく、あたりまえに過ぎてゆきました。

娘のいない、夫と二人の週末も、もう一年以上になります。
特に口にはいたしませんが、私もたぶん夫も、
娘がいないことを胸の奥に感じながら、毎週末の時間を過ごしていたのだと思いました。

母に電話でそのことを話しました。
うん、うん、とうなずいて聞く電話口の母。

両親も同じ気持ちであったかと、思うことでした。

静かな午後です。





[2015/06/17 16:26] 家族 | トラックバック(-) | CM(0)

過ぎにし春に 

こんにちは。
夏になりました。
リビングの前の桜の木は、青々と葉が茂って、早くも夏の気配です。

いろんな鳥の声が聞こえます。
そうそう先日、朝方でしたか、桜の木の下に、キジが来ておりました。

ここにいると、世の中のことが、全然関係ないような気がして、とても幸せです。
もともと、世の中のこと、なんて無いのかもしれません。
季節だけが、確かにめぐっています。

少し前の、母からのメール。


 昨日はとても暖かくあつい位でしたのに、今日は少し肌寒い感じがします。
 うら庭の都わすれの花がいっせいに花開いて、それは可愛く綺麗です。
 我が家の小さい畑が、メダカのお宿とお花畑になりました。
 そのうちお野菜がプランターに植えられるかも

    プランター窮屈そうな夏野菜
                                        」


父のメダカは、ますます増えています。
植物を育てる才能を、みどりのゆびというそうですが、生きものを育てる才能のことは何ていうのでしょう。
緋メダカ、青メダカ、白メダカ(ふつうのメダカ)。
庭のあちこちに置かれた、いろいろな容れ物の中で、皆大いに生を謳歌しております。



父母の家にて朝の湯をつかふ都忘れの活けてあるなり

好物のおいなりさん六つお弁当父母に別るる辺りの夕暮        

新幹線座席番号書き留める乗る回数を数える往復

壇之浦浪の下にもさぶらふなる都の下を「さくら」号行く
                            

                                  ここ




[2015/05/08 14:34] 家族 | トラックバック(-) | CM(4)

甘くて苦いお話 

こんにちは。
連休、いかがお過ごしでいらっしゃいましたか。

我が家は、娘が大阪より帰省。
あたりがぱっと華やいだかと思うと、また嵐のように戻って行きました。

娘と言えば、ちょっと心配なことがありました。
昨秋から始めたケーキ屋さんのアルバイト。
初めこそ「モンブラン注文するやつ、帰ってよーし」なんて、電話口で元気に言っていたのです。
雑なところがある娘、繊細なケーキを扱うのは無理なんじゃないの?
みんなで笑い話にしていたはずでしたのに、
まもなく、休憩無しの長時間勤務や、担当者の執拗なだめ出しに、すっかりまいってしまっていました。

話を聞けば、どうやらこの頃評判のブラックバイトに違いありません。
一生懸命辞めなさいと言ってきかせても、なぜか辞めてはいけないと思い込んでいる様子。
一緒にアルバイトを始めたお友達のお母様と連絡を取り合って、ようやく二人とも辞めることが出来ました。

春休みに帰省したときには、本当にビックリ。
いつもの止まらないおしゃべりも、笑顔もありません。
ふっと涙ぐんだり、大好きなお洋服を買いに出かけても、あんまり欲しくなさそう。
ピンク色が大好きなおしゃれさんが、黒っぽい地味な服を着ているのです。

4月。
新学期の始まりです。
娘は、心配な様子のまま大学に戻ってゆきました。

5月。
ようやくのゴールデン・ウイーク。
オレンジ色のふわふわシフォンのスカートをはいた娘が、手を振りながら降りてきました。
広島駅に迎えに行った夫と私、何だか泣きそう。

若いっていいですね。
まだまだ完全回復とは言えないところもありますが、自分でも、またバレエを始めたり、いろいろ努力しているようです。

親は、ひたすら応援です。

さくらちゃん、がんばれ。





[2015/05/07 15:51] 家族 | トラックバック(-) | CM(2)