毎日のお食事、どうしていらっしゃいますか? 

こんにちは。
4月になりましたね。

話題の本を読みましたので、ご紹介です。

土井善晴『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社 2016.10)

筆者は、和食の第一人者です。
そんな方に、料理は「一汁一菜でよい」なんて言われると、何だか私の毎日の料理の、申し上げにくいあれやらこれやらの免罪符をいただいたような気がして、それだけで少しホッといたします。

しかし、その上「おいしくなくてよい」とまでおっしゃっていると聞きますと、
我が家の料理責任者としては、
ホントにそんなのでいいんでしょうか、
とお訊ねしたくなります。

そうではないのです。
この本の「一汁一菜」は、お料理を、モノ=できあがった作品としてでなく、作り手、食べ手、状況などをひっくるめて捉える、家庭料理のあり方全体のこと。

この本の問いは、「家庭料理はどうあるべきか」につきます。
そしてその答えとしての。「一汁一菜」なのです。


「 どうも脳というのは、身体と反対の方向を向いていることがあるように思います。この頃は、「脳に騙されるな」、あまり脳を信じてはいけないと思っています。

・・・若い人が、「普通においしい」という言葉使いをするのを聞いたことがありますが、それは正しいと思います。普通のおいしさとは暮らしの安心につながる静かな味です。

・・・人間の「食べる」は、表層的なおいしさだけを求めているのではない。無意識の身体はそれをすでに知っており、穏やかな心地よさとしてゆっくりと脳へメッセージを伝えています。

・・・おいしい・おいしくないも、そのとき次第でよいのです。

・・・その変化を自分で感じていればよいのです。」

(p.18「自分の身体を信じる」より)



筆者の奥様は、仕事でできた料理を、帰宅した子どものために取り置いて、食べさせることを一切なさらなかった
のだそうです。そんな奥様への感謝とともに。

「仕事でできたご馳走と妻がその場で作ったお料理は、食べ物として同じでしょうか。

・・・それがご馳走であるとか簡単なものであるとか、味つけなんてことも問題ではありません。妻がその場で娘のために作る料理の音を、娘は制服を着替えるあいだに聞いたでしょう。匂いを嗅いだでしょう。母親が台所で料理をする気配を感じているのです。」

(p.40「台所が作る安心」より)


 この本は、母親が家庭で手作りの料理を食べさせるべきだとか、身体に良い自然素材をとか、そういった教条的なことを仰っておられるのでしたらうんざりですが、そうではありません。
よくある、そんなに頑張らなくて良い、というたぐいのものでもありません。

人が料理をし、それを食するという、日常として繰り返されること。
そこに深く目を凝らし、そこで人の中に何が起きているのかに思いをいたし、何が大切で、何がそうでないのかを考えようとした本だと思います。


「二〇一三年十二月、和食(日本人の伝統的な食文化)がユネスコの世界無形文化遺産に登録されました。その理由には、日本の豊かな自然を背景として、

一、素材の持ち味を尊重する(旬を楽しむ)

一、栄養バランスに優れた健康的な食生活(動物性油脂をあまり使わない)

一、暮らしの行事とともにある(節句のちらし寿司やおせち料理)

一、自然の移ろいを表現する(美しいプレゼンテーション)

があります。これはまさに、日本の国民の健康とくらしの情緒に関わる家庭料理のことだとわかります。にも関わらず、メディアは、名のある和食の料理人ばかりに、マイクを向けるのはなぜでしょう。どうして、日本の家庭料理を担ってきたおばあちゃんや母親のもとに、行かないのでしょうか。」

(p.104 「和食の感性 考えるよりも、感じること」より)



 もちろんですが、本書は随所に、具体的なお料理の提案や写真がちりばめられています。
後半は、日本の食の歴史や文化について、現在の食の変化、食の周辺、食の楽しみなどについて、いずれも身近な親しみやすいことを例に取り上げながらのお話。
そこにも写真が多数添えられています。
そして、その控えめな写真の中にあるのは、私たちの美しい日常なのでした。

JR九州 特急かもめ 車内にて
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[2017/04/02 15:50] 家事 | トラックバック(-) | CM(0)

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