永訣の朝 

明日は冷えるそうです。
風花が舞うかも知れません。

父親を亡くしたばかりの子がいる教室で、宮沢賢治「永訣の朝」の授業をすること。

その子は、耐えきれない悲しみを背負っていて、誰も代わってやれないので、時間がたつのを待つしかないと思う。
でも、どうして時間がたつと悲しみが薄らぐのでしょう。
薄らぐのではなくて、自分の中で何度も反芻するうち、形を変えて自分の中に沈殿してゆくのではないかと思ったりします。

家族を亡くした悲しみを、深く悲しむこと。
その子の中でも、それは繰り返し、繰り返し悲しまれるのではないかと思います。
ある日の、そのきっかけが、たとえば「永訣の朝」であったなら、
その子の中に、より純度の高い悲しみが押し寄せているのではないか、と心配し、また喜びます。
今日「永訣の朝」に触れたことで、より深く悲しみ、より深く沈殿されてゆく。

文学の授業の、それは本望であるという気もいたします。

[2007/01/31 13:19] 教育 | TB(0) | CM(2)

はじめまして♪

さっそくお伺いしました。
ステキなブログですね~!

大切な人を亡くす・・・。
ちゃんと受け止める事が出来なかったような気がします。
今は少し冷静に考えられるかな・・・。

去年は大切な人との別れがあったので、なんだか自分の事の様に思えてしまいました。
[2007/02/01 10:02] green [ 編集 ]

greenさん、ようこそ!

いただいたコメントの中にあふれている、greenさんの大切な方へのお気持ち、少しだけ分けていただいた気がして、静かに悲しく、またあたたかいです。

そんなこともいろいろ含みつつ、お互い、今日も楽しく過ごせるといいですね!
またどうぞお気軽にお立ち寄り下さいませね。
ありがとうございました。

[2007/02/01 11:53] ここ [ 編集 ]

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