先生を育てる 7 : 先生「である」こと 

こんにちは。
ここ何日か雨が続いていましたが、ようやく晴れてきました。

テレビの天気予報、
このごろになってようやく、違和感なく福岡県の予報を見られるように。



新聞掲載の第7回分です。



 「現代文」の有名な教材に、丸山真男「であることすること」というのがあるけれど、学校の先生の仕事は、先生「である」ことだと思う。
帰宅しても、退職しても先生である。
うんと立派になった卒業生からも先生と呼ばれる。
どうやら何かを「する」から先生というわけでもないらしい。

授業以外の教師の仕事に、校務分掌がある。
進路指導部、生活指導部といった、学校運営の仕事である。
分掌は何年かごとに交代する。
(ご記憶の生活指導部の怖い先生もお仕事だったのですよ)。
私の場合は、教務、進路、生徒会、図書などを経験した。

 もし学校の運営が目的なら、交代なんかしないで専門家を作るのが効率的。
だが、そうはなっていない。
さまざまな分掌を経験した先生の方が、生徒理解が深い。
うまく「できる」ことよりも、深くあること。
学校も先生を育てている。 

 学校の根幹はやはり授業である。
教職志望の学生には、教科に繋がる学問内容を、在学中にできるだけ深めてほしい。
ただ、教師として一番重要な資質は、その教科が好き「である」ことだ。
誰だって、その教科が好きな先生に習いたい。

 授業でもそのほかの場面でも、ベテランの先生になるほど、いろんな生徒にいろんな形で対応できる。
ただしどんなに優れた先生も、生徒がいて初めて先生「である」。
先生の力量。
それは、生徒それぞれにとっての物語を支える力なのかもしれない。

             」

11月16日掲載分
[2013/12/19 13:22] 教育 | トラックバック(-) | CM(0)

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