雷撃隊出動 

こんにちは。
寒いですね。
今日は快晴。
冬のやわらかい陽射しが届いています。

今年のお正月には、久しぶりに、戦闘機操縦員の山下さんのお宅を訪問することができました。

お変わりなく、朗らかな山下さん。
墨絵の襖絵のある、広い仏間でお話をうかがいます。

東宝映画がね、映画を撮りに、私らの部隊に来たことがあるです。
「雷撃隊出動」という映画です。
その護衛戦闘機隊ということで。
山田五十鈴が来て。

大分の基地におる時です。
一週間くらい、飛行場へ撮影に来たり、女優連中が来て、皆でワヤワヤしよったです。

儂が零戦で離陸したり着陸したりするところを写すですよ。

飛行場に映写機を置いて、写す。
それが、ええい、じゃまになるのうと思うて。

着陸して、ゴロゴロ帰ってくるでしょう。
そうすると、飛行場の格納庫のところで整備員がこうやって(手を広げて)待っとるですよ。
ははあ、あそこへ戻れっていうことか、と思って、ゴロゴロそっちへ行きよったら、ちょっと待てって合図する。

そしたら整備員が翼の上にやって来るですよ。
俳優さんとエンジン止めずにかわってくれという。
それで、格納庫の前で飛行機を止めると、灰田勝彦が乗ってくるです。

ははははは。

何だかとっても可笑しくて。
冬の、広い座敷に向かい合って、二人しばらく笑い合いました。

灰田勝彦が乗ってきて、こう、飛行機の胴体を叩くですよ。
機銃の弾が無くなったので、早く弾をもって来て機銃に詰めろ、いうことです。

それを映画で観るとね、
そこで整備員が機銃の弾を肩がけにしてタタタと走ってきて、飛行機へ上がって弾をつめるです。

整備員が下りたら、儂と灰田勝彦が入れ替わらんといけんです。
儂が戻ってきて、飛行機を動かすです。

ははは。

ああ、はい。
顔は出んがね、飛行機を見ると、あれは儂だって分かるですよ。

飛行機を離陸地点へ持っていって、すうっと上がるのは儂です。

基地訓練は、朝ま8時半ごろから訓練するわけですが、あれらが来るのは10時頃です。
ワイワイしとると、午前中は訓練にならずに、一緒になってワイワイしとるです。

山田五十鈴さんはきれいでしたか?
いやあ、あのごろはお粗末。普通のねえ。

十九年の7月の終わりから8月の始めにかけてでした。

大勢来て、歌を歌いよる。
山田五十鈴がね、婦系図の歌を歌い出したら、私が飛行場で汗を拭いたりしたタオルをひょいと取って、そのお蔦の役を踊り出す。
すると力の役をやるもう一つのもんが出来てきて…。

ある日ね、山田五十鈴と手下の女優さんがねえ、七、八人来て、兵隊さん、一緒に歌を歌おうと言うです。
あの頃は、炭坑節がちょうど流行りよる頃でね。
歌うと、兵隊さんそれは何の歌か、ということで、
山田五十鈴やらが、兵隊さんそれを教えろということで、皆が習うて歌うです。
すると兵隊がみんな輪になって炭坑節を踊るでしょう。
そうすると、今度は踊りを教えろいうことで、踊りも教えたり。

その踊るのが、今の映画に。
内地の報道で写したのを戦地で報道で出す映画で、九州編といって、炭坑節を女優さんたち女が踊るのが出て来る。
みんなが教えた踊りが出て来る。

ははははは。

そろそろ日が暮れてきました。
大晦日から降った雪が、深く積もって、しいんと静かです。

山田五十鈴も死ぬるし…。

山下さんは、以前のように炭焼きもなさらず、前にいた子牛もいないようです。
以前より、少しお元気ではないのかも知れません。

最後に、海部政権の時に贈られたという、懐中時計や香炉を見せていただきました。

菊の御紋が入っていました。




[2013/01/20 14:23] 山下さん | トラックバック(-) | CM(2)

こんばんは。

久しぶりに山下さんの声を、聞かせてもらいました。
戦争に駆り出された人と、駆り出した人との天と地ほどの乖離。
でも山下さんは恨むでもなし、淡々とそして愉快に戦闘機乗りだったことを語ってらっしゃる。
本当は、本当の心の内はどうなんだろうと、思ってしまいます。
多分、上官、同僚、部下の何人かが散っていったことでしょう。
けれども、そのことに決して触れないということに、触れてはならないものがあったのでしょうか。
これは私一人のうがった考え方なのでしょうか。

そのことはともかく、山下さんの話を聞けてよかったです。
少しずつ元気が無くなるのは、仕方のないことですが、
どうかお互いに無理のないように、訪れ訪れられる時間がこれからも持てますように。



[2013/01/22 21:54] NANTEI [ 編集 ]

Re: こんばんは。

NANTEIさん、こんばんは。

コメントを大変ありがとうございました。
高校教員として現場におります当時より、刻々と軍靴の音が近づいてきているような感じがありましたが、ここに至っての事態の急展開に、ただただ恐怖を覚えているこの頃です。

私たちが、「今の平和な毎日」と思っているこの今は、本当に‘戦時’ではないのでしょうか?
足下の揺らぎを感じております。

戦争については、戦後の混乱と食糧難の印象が強いのですが、戦時中は、物資不足とはいえ生活は生活として、概ねそれまでと変わらぬ秩序の中で行われていたように思われます(例えば絵画展や演奏会や雑誌の発行なども一応有り)。
世の中全てが次第に戦争へと傾斜していく中で、いつかもっと苦しい本当の戦時が来るだろうと思っているうちに、とうに戦時下にあって気づかなかったのではないかということです。

山下さんとの長いおつきあいの中で意外に思ったことの一つは、山下さんは、決して嫌々でなく、ご自分の‘仕事’として戦争をしていらしたということです。
今回の記事は一九年のことです。
戦争まっただ中の一コマですが、とてものどかに思われます。
うまく表せてはおりませんが、戦時とは何か、という私たちの概念を揺さぶるものとしての、山下さんのお話の一つのつもりでもあります。

これまでお話いただいた山下さんのお話の中には、散って行かれた方々のお話もたくさんあります。これから少しずつでも書いてゆければと思っております。

発言を続けておられるNANTEIさんを心から尊敬しております。


[2013/01/23 00:17] ここ [ 編集 ]

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