飛び立つ 

こんばんは。
今年のお正月、どちらでお迎えでしたか。
私は今年も、夫の里でお正月を迎えました。
今年のお正月はあたたかでした。

それでも、雪深い山里のこと、二日の朝にはうって変わっての寒さでした。
一夜にして深い雪に埋もれました。

にもかかわらず、私は積もった雪道の中を、山下さんのお宅へ。
山下さんは、夫の遠い親戚で、大戦中に、戦闘機の操縦士などをなさっていた方です。

昨年は、お正月もお盆も、お話をうかがう事ができませんでした。
ですから、今年こそという思いで、正月二日の朝の、まだ除雪もされていない雪道を、細い轍を頼りに、ポンコツ車で出かけたのでした。

誰も見かけない、物音一つしない雪の道を、よくもまあという感じの私。
それでも、山下さんは、いつもの穏やかなご様子で迎えてくださいました。

母艦への着艦のお話は、何度かうかがったことのあるお話です。
母艦には、ワイヤーが8本張ってあって、着艦時に、飛行機の後ろの下から出ているフックにワイヤーを引掛けて、機体を止めるのだそうです。

着艦は、とても難しいそうです。
飛行機がうまく止まれないと、勢いで操縦士が前にぶつかって、額に赤いあとがついて、しばらく消えないのだと、いたずらそうに話してくださるのです。

このたびは、その赤いマークのお話といたずら顔がありません。
その時になって初めて、今日は少しお元気がないかもと思いました。

私は、初めての着艦の時は、4本目のワイヤーに引っかけたですが、
それ以降はいつも3本目でした。

お嫁さんが、またお茶を汲みにきてくださいました。
私が戦前のことを研究していると言うのを聞いてすぐに、「家に古い本があります」といって、戦前の本を見せてくださいました。
広い縁の先に、小さな扉のついた箱が置かれていて、それが本棚でした。
師範学校を出られた方があると言われましたので、そこで勉強された本なのではないかと思いました。
中の本は、それは大切に保存されて、とてもきれいなものでした。

師範学校で、首席になるほどの良い成績だったもので、東大に行きたいと思うとったそうですけど、
こんな山の中の農家では、資金がありませんで。
来島の小学校の先生を3年やってお金をこさえようという話だったようです。
ところが、職員室で、向かいの席の人が結核だったそうで、
結局東京には行かれずじまいで亡くなりました。

広い座敷の、鴨居の上には、この家代々の方の遺影がならんでおります。
その中で、一つだけ小さい写真。
それがその方の写真なのでした。

あれだけが写真で、あとは絵ですけえ。

いかにも、いかにも聡明そうな、爽やかなお写真でした。

亡くなられた時と、飛行兵に志願された時と、10年も違わないのではないですか?
東京にも行かれて、アジア中を飛び回って、すごいことでしたね。

二人でじっと鴨居の小さな写真を見ました。

あの頃、東京に行くゆうたら、もう帰って来んということでした。
そのつもりだったと思います。

母艦への着艦には、4つのポイントがあるそうです。
一つは、センターを合わせること。
母艦に引かれているセンターラインに、操縦機のセンターを合わせるのだそうです。

母艦も尻を振るから、こっちもそれに合わせながら近づいていくです。

二つ目は、角度です。
赤い信号と、青い信号が、8メートル離れて点いとる。
ちょうどいい角度だと、それがちょうど板のように見えるです。
一枚の板のように見えたら、それが6度です。

三つ目?
機体の角度ですよ。
水平か、1度くらいで降りるです。

三つめと四つ目がわからない私に、少しだけ驚いておられたかとも感じました。
四つめはスピードなのでした。
着艦時のスピードは、130㎞だそうです。

母艦の大きさにかかわらず、幅16メートル、奥行き40メートルという広さは決まっていて、大きくても着艦の時は同じということでした。

狭いのは飛び立つ時も同なじです。
背もたれが倒れるかと思うくらいふかしながらブレーキを踏んでおって、一気に出るです。
それがうまくいかんと、下に落ちて、まあ、おしまいです。

時々、落ちていくヤツがおって、「ああ、こいつぁまくれてしもうた」思うとると、下からすうっと上がって来る。
助かったなと思うわけです。

甲板から海面までは、どのくらいあるんですか?

30メートルです。

青い海と空のあいだに聳え立つ、軍艦の先端が、見えたように思いました。






[2012/01/09 22:16] 山下さん | トラックバック(-) | CM(4)

ああ。

山下さん!
ここさんのところにお邪魔して、感動したのが山下さんのお話しと、その聞き書きのことでした。久しぶりに山下さんのお名前を見て、緊張しました。
もしかして・・・というあまり良くない予感もありました。しかし、まだご息災でいらっしゃるということに、とても安堵しました。と同時にお里に帰ったお正月休みの合間をぬって、山下さんを訪れたここさんにも、とても打たれるものを感じました。あ、いつぞや読ませていただいた通りの口調で、艦載機と空母のことをお話しになられている・・・。しかも淡々と。
嬉しいような胸をぐん!と掴まれたような気持ちになりました。
ただ、少しお元気がないように見受けられたとか・・・
とても気になりますが、こればかりは如何ともし難いことです。これからどのくらい山下さんとお会いできるか分かりませんが、当時の第一線の戦闘員のお話し、だんだん貴重な証言となってきました。お互い無理なく逢うことが続けられればと願うばかりです。
私も実は満州移民たちの終戦からの悲惨な足跡を追っています。膨大な資料に戸惑っていますが、叔父叔母の満州での酷い逃避行と抑留の話を祖母から聞いて、もっと
生身の証言を聞きたいと何度思ったかわかりません。

今日は、久しぶりに感激しました。
ありがとうございます。
[2012/01/09 23:23] NANTEI [ 編集 ]

NANTEIさん、こんばんは。

山下さんのところ、やっと行ってきました。
このたびも、他にもいろいろお話をうかがいました。もっとたくさん書けるはずですのに、なかなかです。
長い間、記録しておきたいと思いながら、記録といっても、軍事的な知識の乏しい私のような者が、どう書けばいいのやら、そんな記録に意味があるのやらと思ってきました。
ようやく、こんな私なりの形でもと思えるようになったところです。応援して下さって、ありがとうございます。とても嬉しいです。また、無理なくとおっしゃって下さったことに、ふっと楽になるような気持ちを覚えました。
NANTEIさんも、引き揚げの方の資料をお持ちとか。少しでも形にしなくてはとお思いになるお気持ち、いかほどかと存じます。「無理なく」、私たちの合い言葉にしてもいいでしょうか。(怠け者への誘いですね)。
貴重なお話、時折はどうぞ私などの分からない者にもお聞かせ下さいませ。


[2012/01/11 01:14] ここ [ 編集 ]

人知れずある実存ということ、こころが震えます。
いつも、"世界はひとつ"ということを書いてますが、
こうしてまだ見ぬ世界を見聞きするたびに、その深さに感動します。

淡々と言葉にされること、伝えられることの前で、言葉を失います。
また、伺います。
[2012/01/16 23:57] コスモスの夢 [ 編集 ]

コスモスの夢さん、こんばんは。

コメントありがとうございます。
どんなお話でも、人のお話を聞く機会を得るたびに、一人の人の中には、広い深い世界があるのだなあと思います。人って何だかすごいですよね。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。
[2012/01/17 21:03] ここ [ 編集 ]

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