筑紫 

こんばんは。
窓に月が見えています。
冬の月です。

大切な友から手紙が届きました。
美しい手紙でしたので、そのままここに。


「 
  

  筑紫       岡部隆一

上古こゝに太宰府正聽があった

草原に埋もれ遺る礎石(いし)の

ひとつに仰臥すると

遠い地下の泉から

かすかな奴婢の嘆息と

笑ひさゞめく令吏らの

若い声が昇ってくる

椎の木に望郷の箜候(ハープ)を

懸けておいたから

いまも秋風に二十五の絃は

さわやかに鳴っている

萱の根にかくれるエンマコホロギよ

屋根越ゆる雲よ

紅葉の美しい谷よ

漂ふ鳥よ

斑の牛よ

いつか僕の幻想の柱廊に

ほろ酔いの大伴旅人が立ってゐた
                      』

昭和十七年、この詩を「山河」という詩誌で読んで、筑紫へ行きたくなりました。福岡市の天神町のアパートに学生時代からの友人が住んでいるので、その友人のところへリュックいっぱいの「さつまいも」と少しの米を背負ってゆき、泊めてもらい、翌日太宰府に行きました。
国鉄の「水城」の駅で降り、駅員の人が都府楼址まで案内してくれました。その頃の国鉄はのんびりしたものでした。その頃の都府楼址は草が茂り、大きな礎石が草の中にありました。礎石に腰をかけ、ほろ酔の旅人を思いました。
「水城」の長い堤は駅のすぐ裏です。その頃はまだ堤だけで少し草が生えている位、水城の全長が見渡せました。
それから何度もゆくたび、水城には木が生え大木にまでなって水城をかくしています。
何故木を伐らないのかと思いましたが、今はどうなっているのでせうか。
何度目かに行ったのは、仲秋の名月の夕方、朝家で新聞を見ると、けふが名月だとあったので、俄かに思い立ち、都府楼へ行くことにしました。その頃の私は旅支度をするのが早くて、一分の後にはタクシーの中でした。
やはり水城の駅で降り、タクシーで都府楼へ。十二時には着いていました。おにぎりを一個食べ、又礎石の上に腰掛けて旅人の歌など口ずさみながら、夕方になるのを待ちました。月はまだ夕方のほの明るいときに昇って来ました。しばらく月を眺め、草の中にすだく虫の声を聞き、又、水城の駅に帰りました。水城駅のホームの傍に白芙蓉が咲いていました。
旅人が都府楼にいたとき、旅人の愛した「児島」という、今で言へばクラブのママみたいな女性はこんな花のような楚々とした美人ではなかったかと思いました。
そのうち都府楼址は整備されて風情がなくなったようです。礎石が野の草の中に埋もれていた時の方がよかった。
最後に見たときは少年たちがサッカーをしていました。
立派な資料館も建って。

(中略)

あなたは福岡と広島でのお仕事大変ですね。よくなさると感心しています。男性なら仕事だけでいゝのに、女性は家事のこといろいろあって男性の倍も三倍も働かねばなりません。
お体大丈夫ですか。
どうかご無理をなさらぬよう 手が抜けるところは手を抜いて、お疲れにならぬようになさってください。
又書きます。

                              冬子            」


                           
[2011/11/16 00:21] お友達 | トラックバック(-) | CM(0)

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