旅日記:長崎 隠れキリシタンの里(2)  

こんばんは。
明日は十五やですね。

長いので二つに分けました。続きです。
一行は、隠れキリシタンの里、外海町へ。

車は黒崎教会へ。
レンガ作りの大きな教会です。
入っていいのか分かりませんでしたけれど、せっかくですから。
靴を脱いで、そろっと中に入っちゃいます。(一番オキテ破りなやつは、やっぱり私か?)
ふふ、学生さんが4人だけついてきました。

装飾のある木の柱と、木の長椅子、献金箱、正面にはマリア像。
しんとして誰もいませんでした。

車に戻ると、早速、今も信者がいるのかなあという学生さんの質問。
長崎県民の5人に一人はカトリック信者なのだと答えるKさん。
そういえば、途中の墓地にも十字架のお墓が見えました。

車の向きを変えるのに難儀する、細い坂道ばかりの地形。
長崎は水田が少ないというKさんのお話。
歴史の教科書に出て来る農民は多くありません。
隠れキリシタンといわれた人々が、こんな辺鄙なところの、ただの農民であったのだと実感いたします。

次は出津(しつ)教会。
こちらの教会は漆喰の白い建物です。
隠れキリシタンといわれた人々と、今のカトリックの信徒をどうつなげてよいものやら。
実は私も学生さんと同じ、心の中で困惑。
出津教会の中は、残念ながら見ることが出来ませんでした。

次に、やっと車が一台通る細い急坂を下って、ド・ロ神父記念館に着きました。
小さな木造瓦屋根のこの家は、この辺りの人々のために生涯尽くした神父さまの建てた救助院だそうです。

中にはいると、私たちのために、ちいさなおばあさんのシスターが、中央に置かれたオルガンで「いつくしみふかき」を弾き始められました。
学生さんたちが自然に歌い出しています。

先ほどの出津教会も、ド・ロ神父の設計なのだそう。
今でも「ド・ロさま」と呼ばれているとか、出津村が、フランスの彼の故郷と姉妹都市縁組みをしているとかいうことを、Kさんが歩きながら話してくださいます。

古びた木枠の展示ケースの中には、医療器具、手書きの本、大工道具、測量器具、編み機…。

しかしいったい、一人の人が、こんなにいろいろ教えられるものでしょうか?
それもたった一人、故郷から遠く離れた外国で、何の力もない農民たちに向かって。

人に何かを教える仕事の困難と徒労感だけは、実感として知っている私。
その仕事の途方のなさに、本当に途方に暮れてしまいました。

あ、
チケットと一緒に渡されたパンフレットの片隅に、「わが選める者の労や空しからず」(イザヤ書65-23)とあるのを発見。
ああやっぱり、ドロさまにだって、空しさを感じる日々があったに違いありません。
そうですよね、だからこそ、こんな言葉がここに書いてあるんですよね。

曲はいつのまにか「神ともにいまして」に代わっていました。

それにしても、こののどかな村の、何の野心も持たないただの農民たちが、隠れキリシタンと呼ばれて、弾圧を受けたことの恐ろしさを、今さらながらに感じます。

殉教って何でしょう。
例えば、生まれてからこの方信じていたこの世の中が、全然違って見える物語に出会うこと。
そして、その新しい物語を生き続けること?

でもね。
何もかもそれは物語であって、幸せはもっと、実感できるものとしてあるのではないかしらん。
温かくて涼しくて、柔らかくて、美味しい、そんなことを感じる瞬間にしか、幸せは存在しないのではないかしらん。

物語を生きることと、瞬間のただのつながりを生きることの、力くらべ。

私たちは、夕方になって、長崎市街に戻ってきました。
改めて見ると、なあんだ、ここもさっきまでいた隠れキリシタンの里と同なじ。
長崎は、市街地もまた、海がすぐそばに迫り、急な山が迫るという土地なのでした。

ここに昔、外国の、全く異なる物語を背負った人々と品々が、次々に押し寄せてきたのですね。
新しい物語が、実感を伴って次々にやってきた、長崎は、そういう場所だったのですね。

翌日は、台風のニュースをよそに、いいお天気。
予定どおりグラバー邸に行きました。
実はその後延々と続いた真面目なゼミで疲れ果ててはいましたけれど、さすがに学生さんは怒濤の体力です。
高台からは、青い海面が見えていました。

暑い中を歩いてやっと孔子廟の前まで来たら、入場料の高さに入るのを断念すると言い出す学生さんがいたりする珍道中。
初めてのゼミ旅行、おかげさまで、なんとか無事修了いたしました。
Kさん、ありがとうございました。



踏み絵てふ冷たき銅の母子かな      ここ   (季節外れ)






[2011/09/11 21:17] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(4)

ながさきの旅日記を静かに読ませていただきました。

僕の家は、キリシタン弾圧の烈しかった浦上の地、原爆投下の地でもあります。
外海町のちいさなシスターとも歌ったことがあります。
今でも”ドロさまそうめん””ドロさまうどん”を食べてるんですよ。
>その仕事の途方のなさに、本当に途方に暮れてしまいました。
と、ここさんが表されたことに共感、です。

いろんな思いが交錯しますが・・・今日は9・11ですね。
ちょうど地球の裏側に位置する3・11も含んで
「ふうーーっ」と永い息をついてしまいます。
とくべつな意図はありませんが、この日の記事を描きました。
よろしければ、こちらの”ながさき”にもお立ち寄りください。
[2011/09/11 22:37] コスモスの夢 [ 編集 ]

コスモスの夢さん、おはようございます。

浦上にお住まいでしたか。
ドロさまそうめん!途中看板にそう書いてあるのを見ました。あの日は、おみやげを買うこともなく歩きましたので、実物を目にしないままになりました。地元の方も召し上がるとなると、美味しいのですね。残念。
3.11、9.11。為すすべもなく無力な私にとって、毎日の生活を良くすることに取り組んでゆかれたドロ神父さまの人生に触れられたことは、何より今回の大きな収穫だったなあとしみじみ感謝しています。
コスモスの夢さんの‘ながさき’、のぞいてみますね。
ありがとうございました。


[2011/09/12 08:12] ここ [ 編集 ]

こんばんは。

中身の濃い旅だったようですね。
宗教はキリスト教だけではなく、その時々の為政者から危険視されていました。為政者よりも教祖やその教えを
崇拝するのですから、当然ですよね。近代の一番の悲劇は明治維新直後の廃仏毀釈という、信じられないような政策でした。そのために、抵抗を見せた寺院はことごとく壊され、幾多の国宝的な仏像、美術を失ってしまいました。顕著なのは琵琶湖周辺の名刹です。見事な十一面観音が何体も壊されたといいいます。今残っている十一面観音は身の危険を承知で、檀家のひとびとが隠して守り続けたと聞きました。信仰はいかなる権力であれ根絶することは出来ないという例ですね。あ、余計な話で長くなってしまいました。

改宗を拒み 五島の百合と化す 

お恥ずかしいですが、大村天主堂を見たあとで作った拙句です。
ここさんの句のほうが、もっと切ないです。
[2011/09/12 20:20] NANTEI [ 編集 ]

NANTEIさん、こんばんは。

今ごろ月を見ておられるのでしょうか。
いつの時代も為政者は、支配しようとして却って背かれてしまうことの繰り返しなのですねえ。
たくさんのキリシタンが、追われて五島へ渡ったと聞きました。御句「五島の百合」、とても美しいと思いました。

[2011/09/12 23:48] ここ [ 編集 ]

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