尾道にて 

こんばんは
家の前の大きな桜が、あと少しで満開です。

先日、とうとう、念願の「マルタのやさしい刺繍」見てきました。
近くで公開された時、ちょうど論文に追われて行けなかったので、尾道まで足を伸ばして、ようやくです。

映画は、80歳のマルタが、ランジェリーショップを開くという若いころの夢を実現させるという、分かりやすいストーリーです。
マルタは、友人たちの協力を得て、いろんな障害を乗り越えます。
スイスの美しい村や街並み。
最後は結局、マルタの夢の実現を、村の人全体が喜んでいました。

映画は、想像したよりもやや暗いトーンで描かれていました。

批判する村人、友人、息子。
友人の家族問題。
ホームに暮らす友人の孤独。

映画は、まあまあでした。

上映館の「シネマ尾道」は、いかにも手作りの映画館で、温かでした。
たくさんのボランティアの人たちが力を貸したそうです。
見終わって、この映画を見たいという願いが叶った幸せが、じんわりとありました。

尾道は、何年かぶり。
坂と家々はそのままでしたが、 駅前はすっかりきれいになっていました。

ずいぶん昔、大切な人とこの街を歩いたときのことを思い出しました。
ふらっと入った小さいお店で、お酒を飲んだような気がします。
新しい魚を肴に、いくら飲んでもそんなに高くない、そういうお店が何軒もありそうな、そんな駅前でした。

きれいになった駅前を歩きながら、変わっていくのは仕方ないことだなあって、諦めている私を見つけました。
ただ映画を見るために、尾道までやって来たことが自分でも珍しくて、
あまり変わらない向島の風景と、海の風がとても気持ちのいい午後でした。

太宰治の小説の冒頭を、ふと思い出しました。

「  ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。  」
     
海の風を受けながら、マルタのランジェリーショップは、実現してもしなくてもいい小さな夢の一つだったのではないかと思いました。




[2009/03/29 21:35] 日記 | トラックバック(-) | CM(6)

好い文章ですね。女性の持つ柔らかさ、奥ゆかしさで綴られた文章空間ですね。流石に、この春、大学院を卒業された方ですね。旦那さんを誘導する茶目っ気のある文章を、頭の片方に置いて読んでいました。出来の悪いロートル男ですが、還暦の手習いで、ここさんに弟子入りして見たくなりました。
[2009/03/30 16:04] アガタ・リョウ [ 編集 ]

尾道ですか。
私の生まれ故郷も尾道に併合されてしまいました。

東京へ行くときも帰郷するときも 尾道で
夜行列車に乗ったものです。
途中からは 新幹線に変わりましたが。

もう30年、訪れていません。

懐かしくもあり、心痛む場所でもあります。
尾道に嫁ぎ、亡くなった姉の墓があります。
もう50年前の出来事です。

[2009/03/30 20:50] ひかるの [ 編集 ]

アガタ・リョウさん、こんばんは
お褒め下さって、ありがとうございます!「文章空間」という言葉を嬉しくうかがいました。
私は何でもすぐ額面通り受け取るところがあるので、「弟子入り」なんてとんでもない、私の方こそとあたふたしてしまいました。いたづらですね。
ところで、学問と文章って、関係あるのでしょうか?(無いみたいな気がします。)

[2009/03/30 23:30] ここ [ 編集 ]

ひかるのさん、こんばんは
コメントをいただいて、とても感激しています。ありがとうございます。
広島県のご出身でいらしたのですね。おつらいこと思い出させてしまいました。あの辺りは本当に、海も山も風情のあるところですね。
どこかが懐かしい場所になるまでには、たくさんの時間とか気持ちがかかりますけれど、ひかるのさんの御ブログの深い色のお写真と文章、きっといろいろな所に、お懐かしい場所をたくさんお持ちのことと存じます。
またいろいろなお話を楽しみにしています。

どうぞまたお越し下さいませ。
[2009/03/30 23:47] ここ [ 編集 ]

  いやいや、私は口下手の部類に属しますから、額面通りに、お収め下さい。
 
 質問に私見を申しますと、多分にあると思います。情緒的な散文形式の文章には、その人の感性が色濃く出て、散文の至宝とも云うべき詩・歌・俳句の分野では、感性の有無・優劣が表に出ると考えています。この分野・領域では、学問と文章には、余り相関関係は無いと考えます。

 一方、正確さ、有効な説明、比較と云った論理的文章を書く時は、文章相互に齟齬が生まれない様に、論理的、且つ反対意見を予想して、その突っ込みを未然に阻止しようとする利とか、その布石を敷きながら文章を進めて行くと云う遣り方が、一般的だと思われます。そこら辺の配慮に基づく文章は、学問の影響下にあるんじゃないでしょうか?

 私は、直情的な体育会系の心情の持ち主なので、文字による説得性には欠けると思います。
    以上、無い頭を捻って考えを纏めて見ました。添削の段、宜しくお願いします。
[2009/03/31 00:58] アガタ・リョウ [ 編集 ]

アガタ・リョウさん、こんばんは
お返事下さってありがとうございました。
なるほどです。これだと、理系の人の方が頭がいいということになりますね。

そういえば私は論文を何回書いても論理性が今一つ、反対意見の予想とか、布石とか、全然意識もしない無邪気な論文を書いております。(それでいいわけではないと思いますけれど)
文脈を読むとか、空気を読むとかも全然です。

自分の体験から言いますと、学問より、やっぱり、現実世界で鍛えられた脳が一番役に立ちそうに思います。
[2009/03/31 20:41] ここ [ 編集 ]

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