桜の季節に 

こんばんは
花冷えの晩です。

大好きなお花の先生が、四月でおけいこをお辞めになるそうです。
突然のお話で、ビックリしました。

ご主人とお二人、伝道師になられるのだそうです。
先生のご一家は、敬虔なクリスチャンなのです。
私は、伝道師がどのような仕事をする人なのか、存じません。
うかがったのは、長い間打ち込んでこられたお花を、さっぱりお辞めになるということと、
遠くで、教会の活動をされるということだけでした。

先生、おめでとうって言わなくてはいけませんね。
ご自分で決めた道に進まれるのですから。

私はちょっとさびしくなります。
お花も面白くなり始めたところでしたし。
何より、先生とのおしゃべりがとても好きでした。

運転しながらぼんやりと、人を本当に動かしているのは、何なのだろうと考えました。
車の後ろには、娘を乗せていました。

今日、たまたま、大きな会社勤めをやめて、職人の世界に入った女性の話を耳にしたところでした。
そういえば、仲の良かった友人も、会社を辞めることにしたそうです。
私も、三年前、仕事を辞めて、学生になりました。

いつのまにか、私は娘を乗せて出かけることが日常になっています。
目的に向かっているようでもあり、流されているようでもあり。

桜もいつの間にか五分咲き。

先生、おめでとうございます。




[2009/03/25 22:45] 日記 | トラックバック(-) | CM(2)

<人を本当に動かしているのは、何なのだろう>・・良い言葉ですね。口にも、他人にも、言葉に出して言いはしませんが。何時も心の片隅にある言葉と疑問です。相談事を頼まれることが有って、質問と云うか感傷的な自問の言葉を口に出している様な相手には、曖昧模湖な相槌でかわす事にしています。
『人を本当に動かしているのは、何なのだろう』は、本来、その人が長い人生の局面局面で、自問自答の葛藤の中で、自分の心の安定を求め、見出すべき自分の哲学・生き様なのでしょう。心の安定とは、満足と意志です。
その満足には、客観的社会的満足も主観的満足も有るでしょうが、満足を見付け、安定するには、自己満足以外に、安定・安心する満足は無いのでしょう。何故なら、人間は感情と理性を対立・併せ持つ生き物なのですから、仕方のない事です。
願うらくは、狭い自己満足から、より広く深い客観性・理性を兼ね備えた自己満足の高みに、自己誘導するしかありませんよね。・・・柄にも無い事を打ってしまいました。これでは、合格点が取れませんね。遺憾いかん。
[2009/03/27 22:22] アガタ・リョウ [ 編集 ]

アガタ・リョウさん、こんばんは
「努力」と仰るのでなくて、「自己誘導」とおっしゃるところ、本当にそうだなあと思いました。
どんなに冷静に考えたとしても、そもそも考えてしまう自分をどうすることも出来ません。そういう意味で、自分でもしかと意識できないまま動いていく自分を、それでも制御・運転するとしたら、より有効なのは、たぶん努力より自己誘導なのだと思いました。
より広く深い自己満足の高みに向かうことを、せめて願っていたいと思います。
ありがとうございました。
[2009/03/28 01:00] ここ [ 編集 ]

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