神様のお遣い 

おはようございます。
急にあたたかくなりました。

いつものキトリのお散歩道。
S字の曲がり道にきました。
広くなっているところです。
私たちは、ここから右へ入って山の方にいきます。

向こう側を、見慣れない人が、見慣れないチワワとお散歩してます。
早速いつもの道を、ほんのちょっとずれて、近くへ行きました。
行き当たりばったりの二人です。

ちっちゃくてかわいいですね。
息子が連れてきたんです。

銀色ぶちの眼鏡をかけた60年配の男の人。
優しく撫でてもらって、キトリったら気持ちよさそう。

私もこの犬を12年飼いました。
12年ですか。よかったですね。

どこをみてるのかわからないカーブミラーの下。
ここはいつもいろんな人に会うところです。
野菜のおじさん。
モモちゃんとかコロちゃん。
生物生産部の元気な高校生たち。
今日はまだ誰も通りません。
風もなくて、いつもよりとてもあったかい春の夕方です。

この犬は、よく腫瘍ができるそうですよ。
そうなんです。

キトリの背中は、この間のできものの治療で刈った毛が、まだ生えそろっていません。
やっぱり目立つのかなあ。

向こうの方に車が来る気配がしました。

ああ、久しぶりに撫でた。
優しくしてくださって、ありがとうございました。チワワちゃん、また遊んでね。

それから、私たちは、いつもの山の方にのんびりお散歩の続きをいたしました。
いっぱい遊んだ帰り道、またカーブミラーのところに来ました。

12年。よかったですね。

あ、それ、違ってた…。
もっともっとだったに決まってます。15年とか、20年とか、100年とか。

ああ久しぶりに撫でたって、長ーい息を吐くみたいに。

ねえキトリ、あの人、自分のかわいい犬に会いに来たんだね。
誰かが言っていました。
神様は、一生懸命お願いすると、必ず願いを叶えてくださるって。
キトリはキトリじゃなくて、あの人のかわいいわんちゃんだったんだね。
ふふ、私たち、神様のお遣いのお散歩だったみたい。

会えてよかった。

いつも、少しも気づかないけど、
私がここに、ただこうしていることも、誰かのせつない願いにこたえているのかもしれません。

また会えるといいね。



[2008/03/11 09:55] 日記 | TB(0) | CM(2)

>いつも、少しも気づかないけど、
私がここに、ただこうしていることも、誰かのせつない願いにこたえているのかもしれません。

ここさんの言葉が、自分を一生懸命、けなげに肯定しようとするとき、何かが揺さぶられます。

うーん、なんだろう?
うまくいえないかなー?

あのね。おれたちって大抵、「こんなもんじゃないの?」ってところで生きてます。「こんなので、いいんじゃないの?」って。そんなの続けてると、だんだんここが肯定も否定もない世界になってきます。「そんな程度」の世界にね、昨日も明日も。おきまりの日常・・・。

でね。重要なところは、自分を強烈に肯定したり否定したりが見失われるってことじゃないのかな。だれも肯定しないけど、否定もしない、何もかもが「そこそこ」の世界。
おいしくもなく、まずくもないチョコレートみたい。この商品、買って損したのか得したのかもわからない。あいまい。人だっておんなじ。

「標準化」とかいうのかな。人間も「標準化」。きみも私も、おれも、あの子も。この世は極彩色、じゃなくて灰色一色に見えてくる。東京のファッションを思い出してよ。黒とかグレイばっかりだぜ。それを望んでいるんだ。アスファルト、コンクリート、鉄筋のビル・・・。

そこで、ここさんの言葉に出会うと、ドキッとします。ここさんの挨拶のやりかたは全然「マニュアル化」されてませんし。

やっぱり、うまくは表現できませんけど。
叫び。祈り。あなたの、そしておれ自身の。
それが普通なのに、ぜんぜん普通じゃない。

ではまた!
[2008/03/15 11:07] wor わど [ 編集 ]

わどさん、こんにちは
いつも来てくださって、丁寧にコメントを下さってありがとうございます。
ああそうかあ、私は「自分を一生懸命、けなげに肯定しようと」しているんですね。なるほどと思いました。自分でも気づかない埋められないものがあるのかもしれません。
私の目にわどさんが不器用に映るように、わどさんの目に私が不器用に映っているのでしょうね。遊園地にある、変わり鏡みたい。「叫び」とか「祈り」が映る鏡です。
[2008/03/15 17:30] ここ [ 編集 ]

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://coco104.blog91.fc2.com/tb.php/259-06a95c37