原爆忌 

こんばんは
今朝、強い雨が降りました。

8月6日は晴れる、という誰かの話を思い出して、怪訝な気持ちでおりましたら、8時前にはもうすっかり雨は上がっておりました。
娘は登校日で、制服を着て学校へ行きました。

8時15分。
今朝私はテレビで祈念式典を見ていました。
二年前には、私は仕事としてあの式典の、熱い大理石の上にいたことを、遠く思い出していました。

今年は特に暑いと毎年言うけれど、あの年もやっぱり暑くて、
きっと、8時過ぎにはもう、十分暑かったのだろうと思います。
今、あのようなことが起こったら、私はすぐに娘の小学校に走って行くだろうと思いながら、窓の外を見ました。

小学校は遠くて、家から2キロ以上あります。
坂道や道路を取り乱して駈けて行く私が見えるようでした。
娘を抱きしめてやりたいとだけ思って、私は走って行くのだと思いました。
あるいは、私ももういけなくなっているかもしれません。

資料館には、原爆を落とした飛行機、エノラ・ゲイについての展示があります。
そして、その落とした人物への人々のこだわりを感じます。
私は以前からそのことが少し不思議でした。
何という飛行機か、誰が爆弾を落としたかは、問題ではないはず。
そこに至ったいろいろな原因や状況が重要であって、実行者そのものを責めてはならないのではないか。

今年になって私はその理由が分かるような気がしてきました。
人柄とか、生活とか、痛いとか、夢だとか、そんなものは何も存在しないかのように、虫のように焼かれる経験をした人々は、
その後どうしても、自分が大切な存在だという気持ちになれなくなってしまったのではないか。
ふと、そう思ったからです。
あの出来事のあと、そこにいた人々は、何を誇りとして生きてきたのでしょう。

こんな目にあっても、それでも自分の中に残っている、思いやりとか、やさしさとか、誠実さとか、そんな気持ち。
それを誇りにする以外、どうしようも無かったのではないか。
こんなひどいことがあっても、人間は、やっぱり信じられるものなのだって。

そうすると、その飛行機に乗っていたその人が、なぜこんなことができたのか、それを問いたくなるのです。
どんな状況になっても、その人が、その爆弾を落とせなかったなら。
人間は、そういう最後のところで、そんなにひどいことはできないものなのではないか。
人間を信じることでしか自分を支えられない。
そう思うしか、生きてゆけない、そういう追い詰められた気持ち。

私も、今年、決して責めるのではなく、ただ、聞いてみたく思うようになりました。

なぜ、どんな気持ちでその瞬間の行動を起こしたのか。

昼を過ぎて、子どもが、汗をいっぱいかいて、学校から帰ってきました。











[2007/08/07 00:53] 日記 | TB(0) | CM(2)

「夕凪の街 桜の国」、読み終えました。
原爆を落とされ被爆してもなお生き残った人。
いちど「死ねばいい」と思われたのに生きている。
どういう気持ちでしょうか。わたしにはきっとたどり着けないところにある気持ちなんでしょう。

原爆が落とされた、何万人が死んだ、その数字の裏にある
人々の生活、夢、希望、まで奪ってしまった原爆。そして戦争。
忘れてはいけないことだと思います。
[2007/08/07 02:17] ほんだますよ [ 編集 ]

ほんだますよさん、こんばんは。
家族旅行に出ていて、お返事が遅くなりました。ごめんなさい。
暑いですけど、お元気ですか?
私は、年々年を重ねるにつれて、次第に戦争の悲しさが分かるようになりました。少し遅いなあと思います。ほんだますよさんのような、気持ちのきれいな方には、お若くてもいろいろなことが分かるのだろうと想像しています。
「夕凪の街 桜の国」、映画化されていますね。娘と一緒に見に行きたいと思っていますが、娘は、小さい頃、宮沢りえ主演の「父と暮らせば」を見に行って懲りたらしく、原爆の映画は行かないと言われました。
[2007/08/09 22:10] ここ [ 編集 ]

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://coco104.blog91.fc2.com/tb.php/149-02fc99ab