同じ春の夕暮れ 

こんにちは。
家の前の小さな谷の春は、臘梅から紅梅へ、そして今は、黄色い山茱萸の花が咲いています。

学生時代に、一番お世話になった方が亡くなられました。
大学の大先輩です。
俳句会が出会いでした。

西荻の、それらしい気取らないお庭の中の広間に、私たち学生はよく集まっておりました。
句会の時はもちろん、ただのおしゃべりの時もたくさんありました。
学生時代の私ときたら、その方のお宅に、三日にあげずお邪魔しておりました。
私と同じ年のお嬢さんがいらしたのもあって、しょっちゅうご家族とお夕食をご一緒させていただいておりました。

あの頃が、ちょうど今の私と同じ年頃でいらしたと思います。
考えてみたら、何の遠慮もなくしょっちゅうやってきては、勝手なおしゃべりをして帰って行く若者に、嫌なお顔ひとつなさらず、ご飯を食べさせ続けてくださったのでした。
今ごろようやくそのことに気が付いて、今さらながらびっくりです。
だってそんなこと、今の私にはできそうもありません。

お知らせを聞いて、最後のお見送りに何とか行きたいと思いながら、仕事が重なって身動きのとれない自分の切れ味の悪さに、悔しい気持ちでいっぱいになっている時のことでした。
突然、
「いいのよう」って、
長い間忘れていた、あのお声が聞こえました。
わざとちょっと投げやりっぽくおっしゃるあの言い方です。
なつかしい、ちょっと苦笑いのお顔といっしょに。

結局、春休みになった先月下旬になって、ようやくお焼香に行ってまいりました。
お仏壇があるそのお部屋は、あの頃、お母様を送られた同じお部屋でした。
あの時も、静かな悲しみが伝わってきて胸が一杯になりましたが、でも学生の私は、何ひとつ慰めの言葉も言えませんでした。
私は今も結局変わっていません。

亡くなられたお母様は、佐渡のご出身でした。
お父様は、遠野の方で、遠野の不思議なお話もよく聞かせていただいておりました。
あんまりしょっちゅう行っていましたので、ご家族のいろんなお話を聞かせていただいていたのでした。
ご主人は、とても偉い方でしたが、面白いことばかりおっしゃるので、いらっしゃる時は大笑いしてばかり。

この度も盛岡の友人やら先輩やら後輩やら、仲良しだったお嬢さんも一緒に、懐かしい広間に集まって、またおしゃべりをいたしました。
私が一番かわいがられていたと思っていましたが、今考えると、きっとみんながそう思っていたのだとわかります。
ここにいる皆が、こうして集まっていることが、当たり前のようで、不思議なようで。
今もこうして私たちをつないでくださっていることの有り難さを、誰もが感じておりました。

それにしても、集まってくださった方々や、うわさ話に聞く友たちの消息が、みんなみんな立派で、頑張っていて、確かで。
ため息が出るほど。
ああ、それに引きかえ私ってば何やっているんだろう。
そう思ってふと思い出すと、これって学生時代の私そのものではありませんか。
そうそう、これが私だった。

思い出すのも恥ずかしい大風呂敷やら、失敗やら、情けなさやら。
それなのに、そんなダメ学生の私を、いつだって笑顔で迎えて、ダメだなんて全然思っていらっしゃらない様子で。

西荻駅までみんなで歩きながら、みんなすごいなあって思う、
こんな春の夕暮れが、ずっと前にもあったのだと思いました。

私はどうやら、大人になっても、何一つ変わってないみたいです。
また遠慮も無く、お宅に集まろうと思います。

ここにつながる皆の幸せを、あのころからずっと祈ってくださっていたこと、心から、心から、深く深く感謝しています。
本当に、ありがとうございました。

遠くから、ご冥福をお祈り申し上げております。



[2016/03/15 16:15] 日記 | トラックバック(-) | CM(2)

卒業論文集 あとがき 

こんにちは。
このごろは、文字通りの三寒四温ですね。
お元気でいらっしゃいますか?

昨日は、勤め先の大学の卒業式と謝恩会でした。
プライベートのいろいろで、気もそぞろの中、卒業生を送り出しました。
今年の学生さん達は特に、優しさと行動力を備えた、素敵な大人の方々でした。

毎年のことですけれど、卒業論文集のあとがきをここに。



あとがき

 卒業論文の完成おめでとうございます。
それぞれに、その人らしい良い論文が出来ましたことを、心から嬉しく思っています。
よく頑張りましたね。

 今年のゼミは4人でした。
研究室の大机に、4人という人数が何だか丁度良くて、毎週のゼミは、和やかで本当に楽しい時間でした。
特に、例年に比べて毎回の発表時間をゆったりとることができたのが何よりでした。
とりかかった題材の中から、少しずつご自身のテーマが姿を現してくる研究の醍醐味を、全員で共有できたことを喜んでいます。

 皆さんは、4人それぞれに個性豊かな方々でした。
 Nさんの研究はアンケートの活動があって大変でしたが、私はすっかり安心して見ておりました。人としての確かさを深く信頼していたからだと思います。
 YAさんは文章もおしゃべりの面白さも格別で、おかげで私たちは随分笑いました。貴女の本質的な明るさと強さをすがすがしく感じています。
 YYさんは、ご自分の問題に正面から取り組み、終始とても果敢でした。口数は少ないけれど、飄々として存在感がありました。
 YMさんは、次々新しく見えてくる問いに、気負わずこつこつ取り組んでゆかれることが印象的でした。他の人の研究にも関心を持って静かに皆を支えてくれました。ゼミ代表としての丁寧なお仕事にもとても感謝しています。ありがとうございました。

 全員が教職生でしたから、教育実習や採用試験、小学校実習にも行かれた方がお二人。
忙しい一年間であったことと思います。
そんな中、皆さんが有形無形に私をサポートして下さったことを心から感謝しています。
ほんとうにありがとうございました。

 学ぶこととは、答えを求めることではなくて、自分の本当の問いが何であるかを求めることだと思います。
そしてその学びは、つらいがんばりの中にではなく、温かくて楽しくて真面目な、そんな友人達との時間の中にあるのだと、そう思うようになりました。
 皆さん、毎週のゼミの良い時間をありがとう。
 皆さんのこれから先の長い時間の中にも、このゼミのような時間と空間を、ご自身のまわりに作って行って下さいね。
それぞれに研究テーマを持ちながら集まり、議論しながらも和やかに過ごす、そんな時間と友人こそが人生の宝物だと思います。
 この卒業論文の学びが、皆さんのこれからの糧になりますことを信じています。
 
 ご卒業、おめでとうございます。
 心よりお祝い申し上げます。

        2016年3月11日

                                ここ

                                                」

[2016/03/12 18:16] 教育 | トラックバック(-) | CM(0)

潮時 

こんにちは。
久しぶりに雨になりました。
ご祝婚のうたげ続きでお疲れの我が家のお雛さまも、一息ついておられるようにお見受けいたします。

少し前のお話で恐縮ですが、
母が、ながらく続けておりました茶道の先生のお役目を、昨年末で終わりといたしました。

12月のとある月曜日に、ふと思い立って久しぶりに実家を訪ねましたら、
今日が最後のお稽古日だったの、と聞かされたのでした。

そろそろという話を聞いてはおりましたが、今日がその日だったなんて。
何も言わずに、普段通りにしているところが、母らしいと思いました。
来年のお初釜に、お客様として生徒さん達をお招きするのを、本当の最後にするそうです。

もうお稽古が無い座敷を見ながら、言いようもなくさびしい気がいたします。
私のそんな気持ちを察してか、
母は、「しおどき」という言葉を何度も口にいたしました。

何か物事を決めなくてはならない時の、不思議なカンのようなものが、母にはあります。
幼い頃の、弟の病気の治療についての逸話。
娘に絵本を選んでくれた時も。
それはただ、本当のことにじっと耳を澄ますこと、なのだと思います。

母がそう言うなら、そうなのかもしれないなあと、諦めるしかありません。

潮時。
満ちてきて、また引いてゆく潮の変わり目。

見えない潮目に、耳を澄ますこと。






[2016/03/09 13:40] 家族 | トラックバック(-) | CM(0)