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先生を育てる 8 : 未だ見ぬ生徒のために 

こんばんは。

今日は、冬至ですね。
冬至の夜は、家族で静かに過ごすのが似合う気がいたします。


新聞掲載記事の最後、第8回です。
ここまでおつきあい下さって、ありがとうございました。




 いい先生になるために、大学ではどんなことを勉強しておくのがよいだろう。
大学時代の学びは、何といっても教員生活の原資である。
だから自分の授業では、これからの長い教員生活を支えられる学びをと思う。

 たとえば「教育課程・方法論」の授業では、学習指導要領の変遷を扱う。
学習指導要領が、政治や社会の要請を反映しながら移り変わってきたことを知っていれば、現場に出ても、学習指導要領を絶対視することはないはずだ。
だからこれは必要な勉強である。

 とはいえ、心地よい午後の教室。
学生の今の生活には何の関係もない学習指導要領の歴史。
眠くなるのも当然といえば当然だろう。
「ごめんなさいね、眠い授業をして。でも、起きて頑張って」

 教職課程の学生達には、しっかり勉強して欲しい。
将来先生になった時、今学んだことも、学ばずに通り過ぎたことも、みんな必ず、生徒たちに返ってゆくことになる。
『源氏物語』を読んだことがある先生の授業と、教科書にある場面しか知らない先生の授業とでは、おのずと違いがあるだろう。
自分が持っているものしか、生徒に伝えることは出来ないのである。

 先生になりたいと考えている皆さん、これからあなたたちは、自分のために勉強するのではありません。
未だ見ぬ生徒たちのために勉強するのです。
選べないであなたのクラスに来る生徒たちのために、いろんなことに頑張りなさい。

                           」

11月19日 掲載分


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[2013/12/22 18:36] 日記 | トラックバック(-) | CM(5)

先生を育てる 7 : 先生「である」こと 

こんにちは。
ここ何日か雨が続いていましたが、ようやく晴れてきました。

テレビの天気予報、
このごろになってようやく、違和感なく福岡県の予報を見られるように。



新聞掲載の第7回分です。



 「現代文」の有名な教材に、丸山真男「であることすること」というのがあるけれど、学校の先生の仕事は、先生「である」ことだと思う。
帰宅しても、退職しても先生である。
うんと立派になった卒業生からも先生と呼ばれる。
どうやら何かを「する」から先生というわけでもないらしい。

授業以外の教師の仕事に、校務分掌がある。
進路指導部、生活指導部といった、学校運営の仕事である。
分掌は何年かごとに交代する。
(ご記憶の生活指導部の怖い先生もお仕事だったのですよ)。
私の場合は、教務、進路、生徒会、図書などを経験した。

 もし学校の運営が目的なら、交代なんかしないで専門家を作るのが効率的。
だが、そうはなっていない。
さまざまな分掌を経験した先生の方が、生徒理解が深い。
うまく「できる」ことよりも、深くあること。
学校も先生を育てている。 

 学校の根幹はやはり授業である。
教職志望の学生には、教科に繋がる学問内容を、在学中にできるだけ深めてほしい。
ただ、教師として一番重要な資質は、その教科が好き「である」ことだ。
誰だって、その教科が好きな先生に習いたい。

 授業でもそのほかの場面でも、ベテランの先生になるほど、いろんな生徒にいろんな形で対応できる。
ただしどんなに優れた先生も、生徒がいて初めて先生「である」。
先生の力量。
それは、生徒それぞれにとっての物語を支える力なのかもしれない。

             」

11月16日掲載分
[2013/12/19 13:22] 教育 | トラックバック(-) | CM(0)

先生を育てる 6 : 新米先生 

こんにちは。
小春日和の休日です。

受験生の娘、なかなか思うような成績になりません。
「行くとこなかったらどうしよう…」などと言ってはしょんぼりしています。
母親の私も、この頃ではかなり弱気になってきました。

そして昨日。
「私、何だか出来るようになった気がする。」

わっはっは。
楽天的な性格に、家族みんなが救われています。


引き続き、新聞掲載記事の第6回です。



 高校教員時代、新卒2年目で担任になった。
私がしっかりしないと、クラスの生徒がみんな困るんだということに気づき、がくぜんとしたのを覚えている。
実際は、私が時々失敗するのを見越して、生徒が助けてくれるようになり、だんだん生徒の方がしっかりしてきた。
理想的な教育である。

 初めて担任として教壇に立つと、まだよくは知らない生徒なのに、何だかかわいい気がした。
クラスにはもちろん、意地悪な子とかわがままな子とかもいるのだけれど、みんなかわいい。
教職課程の学生にもいつも「教壇に立ってごらん、みんなかわいく見えるから。不思議だね。」と話している。

 この夏の同窓会は、その時担任した代の卒業生が集まるというので初めて出席させていただいた。
皆すっかり立派になって、社会を支える中堅の年齢である。
同窓会では、誰もが若い頃に戻る。
当然私も新米の頼りない先生に戻っていた。

思い出話も、今聞けば赤面することばかり。
授業も下手、教員として何にも分かってない。
それなのに「先生のおかげで古典が好きになったよ」とか、「先生のこと今でも家で話すことがある」とか言ってくれる。
そんな彼らに、私もあれから少しは立派になったのよと言いたい。
でも生徒は、教師を授業が上手とか、仕事にそつがないといったこととは別の部分で評価してくれていたのだろう。

 先生になりたいという学生たちに、教えなければならない一番大切なことは何だろう。
ますます分からなくなる。

                」


11月15日掲載分




[2013/12/15 12:01] 教育 | トラックバック(-) | CM(4)

先生を育てる 5 : 教育実習 

こんにちは。
広島の自宅で過ごしています。

種子島ご出身の先生からいただいた、安寧芋というサツマイモに似たお芋をストーブで焼き芋にしています。
とっても甘いそうです。
ふふふ。
楽しみ楽しみ。


引き続き、新聞掲載記事の第5回です。




 教師になるための勉強として一番に思いつくのは教育実習かもしれない。
現在の実習期間は、昔より少し延びて、小学校4週間、中学校3週間、高校2週間。
多くの場合、母校にお世話になる。

 実習生を迎えて下さる現場の先生方は、全くのボランティアである。
期間中、学生の指導案を一緒に何度も練り直し、授業のたびに反省会。

生徒も協力的である。
実習生の授業では、いつになく手を挙げてくれる。
実は、そうした雰囲気も、大抵は担任の先生が実習前に作って下さっている。

 実習の最後には、査定授業を行う。
校長先生を初め、校内の先生方が見に来られる。
これも担当の先生が一緒になって作戦を練って下さることが多いようである。

 今年の実習の小さな事件。
実習生が生徒から受けた悩み相談に自分の判断で対応し、担任への報告が後になってしまった。
もちろん大いに叱られたようだ。
 
 私の中では、学校という組織のイメージはアメーバーである。
全体が一つの有機体で、新たな問題が生じると、必要なところがにょきっと突出して対応する感じ。
一部が独自に動いたりしないし、もちろん命令系統やマニュアルで動くのでもない。
様子を聞けば、今回は、実習生の学びも含めて対処をお考え下さったのだと分かる。
ありがとうございました。

 最終日、学生は生徒たちから励ましの言葉をたくさんもらって実習を終える。
そのおかげか、自信に満ち、一回り大きくなって帰ってくる。
ここからがスタートである。

                   」


11月14日掲載分



[2013/12/10 13:45] 教育 | トラックバック(-) | CM(2)

先生を育てる 4 : 授業を生きる 

おはようございます。

昨日はお庭にバラを植えました。
娘が、ママ、バラ育てるの上手よね。と言ってくれたので、嬉しくなって、とても丁寧に植えました。

今日は、新聞掲載記事、第4回です。
もう飽きてしまわれたかと存じますが、始めてしまいましたので続けます。
私にはそういうところがあるなあと思います(苦笑)。




 学生が初めて作ってくる学習指導案には、授業への夢がいっぱい詰まっている。
その中には今年も、「自由に意見を出し合う」と書かれたものがたくさんあった。
で、先生の意見は?と聞くと、「いろんな意見を出して欲しいから、先生の意見は言わない」のだそうだ。
そんな涼しい所にいる先生に、本当に自由に意見を言ってくれる生徒なんていません。

 あなたの今まで20年の人生かけた、これは譲れないと思う考えを持って教室に行って、一生懸命問いかける。
それで初めて、生徒だって譲れない何かを聞かせてくれると思うよ。

 教科教育法の授業内容として推奨されている「模擬授業」。
生徒役の学生を相手に授業をやってみるものだが、違和感がぬぐえない。
相手の入れ替えOKな授業なんてあるだろうか。
授業の核心は方法や技術ではない。
生徒と先生。
授業は、その人間同士の関係の中で毎回新しく起こる一つ一つの出来事なのだ。
模擬授業、まあ一回ならいいけど、何度もやると、教師として大切なものが見失われてしまいそうで怖い。

 「国語科教育法」の今年最初の課題は、川上弘美『花野』を読んで、何でもいいから自分の思いを書いてくること。
(去年は村上春樹『レキシントンの幽霊』。一昨年はよしもとばなな『みどりのゆび』。どれも教科書採録の作品。)
そしてみんなで読み合う。

 今いるところに自分を開いて立つこと。
それが先生になるための第一歩だと思う。

                    」


11月13日 掲載分






[2013/12/09 09:14] 教育 | トラックバック(-) | CM(2)

先生を育てる 3 :新聞レビュー  

こんばんは。
いよいよ師走ですね。

昨夜は、勤務先の大学の、全体の忘年会でした。

先月の新聞掲載記事の第3回です。


 「学校」に関心のある方は多い。
 「学校」の話題はしばしば白熱する。
 結構真面目な教育論が、いつのまにか懐かしい(あるいは悪い)記憶を材料に、子どもの時の気持を一生懸命語っていたり。
 
 それは若い学生も同じ。
 教師を目指す学生には、まず現場から何かを感じたり考えたりして欲しい。
 ただ、実践現場を持たない学生には酷な要求である。
 
 3年生の授業で、教育に関する新聞記事のレビューをした。
 レビューには、教育に関する記事を一つ選んで「紹介」▽調べてその記事を「評価」▽そして自分の「感想」―の三つを書く。
 記事は裏に貼付する。

 毎回の授業の初めに、担当の学生が一人ずつ前へ出て発表する。
 発表者の中には、手元を見てばかりの学生も結構いる。
 そんな彼女たちが「教師を目指しているのに、これではいけないから頑張ろうと思った」などと反省のコメントを書いている。
 頑張ってね。きっとすぐに慣れるよ。
 
 体罰・教育委員会・道徳の教科化・小学校の英語・大学生による勉強サポートNPO、障害のある生徒…。
 いろんな話題にみんなで詳しくなってゆくのが楽しい。
 学生が選ぶ記事は地方紙からが多い。
 同じ問題でも、身近な内容として語られてようやく現実味を帯びるのかもしれない。
 
 選んだ問題は、自分の問題になる。
 この発表が、学生にとって、外野席からの脱出宣言になればいいなと思っている。
                         」

11月12日掲載分


[2013/12/07 20:38] 教育 | トラックバック(-) | CM(0)

先生を育てる 2 :国語教官室 

こんにちは。
小春日和です。

山のイノシシ罠に、若いイノシシが捕まっていました。
見たのは初めてのことです。
ケージに何度も体当たりしていました。
ああ。


新聞掲載記事の第2回です。



私が赴任した時、基町高(広島市中区)の国語の部屋には「国語教官室」という札がかかっていた。
広さは一般教室の半分くらい。
10人の国語教員と、天井までぎっしりの本がひしめいていた。

 狭いので、特に見ようとしなくても、誰が何をしているのか何となく分かる。
新米教師の私の悪戦苦闘も、先生方には手に取るようだったと思う。
夜遅くまで頑張っても授業準備が間に合わない。
試験までに試験範囲の授業が全部終わらないかも…。

先生方は、さりげなくプリントを見せて下さったり、ご自分の授業の様子をちょっと聞かせて下さったり。
そのまま使えればいいのだけれど、不思議なもので、自分用に作り替えないとうまく授業できない。
誰がやってもうまくいくやり方など、結局どこにもないのだと思う。

 生徒がみんなそっぽを向いているような気がした時は、「全員に好かれなくていい。こっちを向いてくれるたった一人の生徒のために頑張ればいい」と言っていただいた。

 身体も声も大きくて恐れられていた先生の、小さな字でびっしり生徒のことを記録したノート。
いつも面白くて楽しい先生が、実はいろんな生徒の相談に乗っておられた。

 どんな先生になるかは、自分にはわからない。
先生は、いろんなものを身につけて一人前になるのではなく、同僚の教師と自分の教室の生徒の中でだんだん削られて、その人らしく出来上がっていくものかもしれない。

                       」

 2013.11.9 掲載分
[2013/12/01 12:16] 教育 | トラックバック(-) | CM(0)
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