お迎え 

こんばんは。
リビングの前の桜、すっかり蘂になっていました。

夕方になってから、雨が降り始めました。

傘を持って、駅まで娘を迎えに行きました。

駅に着くと、娘がちょうど階段から下りてきているところでした。

二人でにっこり。

優しい春の雨の中、おしゃべりしながら、並んで歩いて帰りました。





[2012/04/21 21:22] 日記 | トラックバック(-) | CM(4)

春の夕暮 

こんにちは。
今は、長い春の夕暮れの中です。

上の田んぼに水が入りました。
畦の草もきれいに刈られて、いよいよ長い田植えの季節の始まりです。
斜面の山つつじがきれいです。

リビングの前の桜は終わって、
今は下の畑の小さな八重桜が満開です。

つくし野原だったところの造成が、いよいよ始まりました。
季節が変わっていくみたいに、このあたりも、少しずつ景色が変わっていきます。

変わっていくものを、幼いときから、何度も、何度も、見てきました。
だからそれは仕方がないことなんだって、大人になったから、分かっています。

全然なんともありません。
やっぱりね、です。

造成地の端っこに残っていた菜の花を、黙って少しだけもらってきました。

この花が散ってしまった時、いよいよもう、何にも残っていないなって思うかもしれません。
その時、もしかしたら、少し泣きそうになるかもしれません。

今は、永い永い、春の夕暮れです。




[2012/04/21 18:11] 日記 | トラックバック(-) | CM(0)

車窓より 

こんにちは。
春たけなわ、でございます。

今朝、広島から福岡にまいりました。
また一週間の始まりです。

列車の旅は、いつだって佳いものですけれど、
春のこの時節は、特に佳いと思います。

車窓から、ところどころに菜の花の黄色が見えて、
ああ、あそこにも生活があるのだなあ、なんて思ったりいたします。

菜の花。

いろいろなことがたくさんある、人の暮らし。
それが、ここにもありますよって、知らせてくれます。

それなのに、近づけば、その香りの清冽。

車窓から、遠く、黄色い花の群れを見ながら、
ああ、菜の花のようであれたらなあ、などと、ぼんやり思ったりいたします。



[2012/04/17 14:50] 日記 | トラックバック(-) | CM(0)

駅まで 

こんばんは。
福岡の桜は、すっかり散ってしまいました。

図書館の隣の小さな公園の前は、タクシーの待機場所になっています。
私の住んでいる小さなマンションは、その公園の向かいにあります。

駅に行くときは、タクシーに乗ります。
荷物を持って、止まっている先頭のクルマに声をかけるのです。

「乗せていただけますか。」

休んでいた運転手さんが気がついて、大抵すぐに扉を開けてもらえます。

クルマは静かに走り出します。
「寒くないですか。陽射しは温かいけど、風は冷たいですから。」
「大丈夫です。」

まもなく坂道に入ります。

「あれ、桃の花でしょうかね。きれいですよね。」
見ると、満開の八重桜です。
公園に一列に並んでいて、濃い色がとてもきれいです。

「八重桜だと思います。ほんとに、きれいですね。」

クルマは住宅街を進みます。

「寒くないですか。窓閉めましょうね。」
ご自分がちょっと咳き込んだりして、「すみません」っておろおろする感じの運転手さん。
どうやら私に優しくして下さっているのです。

クルマは九電工の研修所の横にさしかかります。
「あの中にね、たくさん電柱が立っててねえ、ある時間に通るとね、一斉に人が登っているんですよ。」
「それはすごい眺めですね。」って言って笑ったら、運転手さんもそうなんですって言って笑いました。

間もなく、夕方の駅に着きました。

何一つ特別なことのない、運転手さんと乗客。
それなのに、気のせいでしょうか。
降りる頃には、運転手さんの優しさが、私の中にいっぱいになっていました。

「ありがとうございました。」

いつもと同じようにお礼を言って、車から降りました。
ただ、降りてから、なぜかちょっと涙が出そうになりました。
可笑しいですね。
きっと、春のせいなのでしょう。

春は、要注意です。
優しくされると、かえってちょっぴり哀しくなったりすることがございます。




[2012/04/15 23:15] 日記 | トラックバック(-) | CM(2)

速達と諸葛菜 

おはようございます。
夜明けも早くなって、もう空には青い色が見えています。

一昨日、郵便局に行きました。
夕方の6時半ころのことです。
そこは、夜8時まで開いている郵便局です。

出来るだけ早く送りたいと思ったものを手に持っていました。
速達になるそうですので、500円のレターパックにすることにしました。

「お預かりしますが、明日の便になります。最終のトラックは6時半ですから。」

時計を見ると、6時34分でした。

「広島に、いつ届きますか」

明日には届けたいと思っていましたけれど、どうやら明後日になるのだそうです。
悲しいけれど、どうしようもありません。
小さな声で「お願いします」と言って、夕暮れの道に出ました。

レターパックには、インターネットによる「追跡サービス」があるのをご存じですか。
その夜、何とはなしに「追跡」をクリックしました。
当然のことですが、夕刻お願いした郵便局の名前の横に「18:38 引き受け」とだけ出ているのを、少し恨めしく見たりいたしました。

翌朝、またぼんやりと「追跡」を見ました。
すると、広島の郵便局に、「5:52 到着」とあります。
夜の間に運ばれたことに間違いありません。
一体どうして。

私のレターパックを手にして顔を見あわせていらした局員さんたちを思い出しました。
どなたかが、どういうことかわかりませんけれど、何とかして下さったのだと思いました。

今日、いつも行くスーパーの、農家の方が品物を出されるコーナーの隅っこに、
諸葛菜とドイツスズランの花束が出ていました。
150円。
庭先に咲いた花を採って、ここに並べて下さったのでしょう。
広島の自宅の周りの景色が思い浮かびました。

優しい諸葛菜の紫色。
お客さんのような気持ちでこの町にいる私に、その色が、静かに染みこんでくるように思いました。




[2012/04/12 08:53] 日記 | トラックバック(-) | CM(4)

花はさかりに 

こんにちは。
部屋の前の桜が散り始めました。
岸辺の桜並木の花が、一斉に散っています。

徒然草の第百三十七段を思い出しました。

「花はさかりに、月は隈なきをのみ見るものかは」
(花は盛りだけ、月は欠けることの無い満月だけを見るものだろうか)

よく知られた箇所で、高校の古典の教科書にも採録されています。
授業では、完全なものより、少し欠けたものを愛でる美意識…とかなんとか、説明いたします。

ただし教科書にあるのは、この章段の初めの部分だけなのです。

花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨にむかひて月を戀ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情ふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころおほけれ。歌の詞書(ことばがき)にも、「花見に罷りけるに、はやく散り過ぎにければ」とも、「さはることありて罷らで」なども書けるは、「花を見て」といへるに劣れる事かは。花の散り、月の傾くを慕ふ習ひはさる事なれど、殊に頑なる人ぞ、「この枝かの枝散りにけり。今は見所なし」などはいふめる。
(花は盛りだけ、月は欠けることの無い満月だけを見るものだろうか。雨に向かって見えない月を恋しく思い、閉じこもって春が去るのも分からずにいるのも、やはりしみじみと趣深いものである。今にも咲きそうな梢、散り萎れてしまった庭などこそ見所が多いものである。歌の詞書きにも、「花見に行ったが、すでに散ってしまっていたので」とも、「差し支えがあって行けなくて」などとも書いているのは、「花を見て」というのに劣るだろうか。花が散り、月が傾くのを慕う傾向はなるほどではあるが、特に頭の固い人は「この枝もあの枝も散ってしまった。今は見所はない。」など言うようである。)


面白いのはこの続き。

「男女の情(なさけ)も、偏に逢ひ見るをばいふものかは」
(男女の情も、ただ結び合うことばかりをいうものだろうか)

「男女の情」などとありますので、教科書には不向きなのでしょう。
「花の散り、月の傾くを慕ふ習ひ」は、実は、より切ない恋のありようにつながっていくのです。

結ばれなかった恋、果たされなかった約束、一人の夜、昔の恋の思い出
ああ、それこそ恋の神髄。


 萬の事も、始め終りこそをかしけれ。男女の情(なさけ)も、偏に逢ひ見るをばいふものかは。逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとり明し、遠き雲居を思ひやり、淺茅が宿に昔を忍ぶこそ、色好むとはいはめ。
(すべてのことも、初めと終わりが趣深いもの。男女の情も、ただ結び合うことばかりをいうものだろうか。逢わないままになってしまった辛さを思い、果たされなかった約束を恨み、長い夜を一人で明かして、遙か遠い所に思いを馳せ、草の生い茂る庭に昔を思い出すことこそ、恋の趣を愛すると言えるだろう。)


そしてまた、話は月を見るということに戻ってゆきます。
夜明け近くの青い月に心打たれる時、この良さを分かる友のことが否応なく思出されるせつなさ。

「心あらむ友もがなと、都こひしう覺ゆれ」
(良さを分かり合える友がいたらなあと、都が恋しく思われる)

「花はさかりに、月は隈なきをのみみるものかは」

この章は一面、せつない人恋の章段だと思うのです。

 望月の隈なきを、千里(ちさと)の外まで眺めたるよりも、曉近くなりて待ちいでたるが、いと心ぶかう、青みたる樣にて、深き山の杉の梢に見えたる木の間の影、うちしぐれたるむら雲がくれのほど、またなくあはれなり。椎柴・白樫などの濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて、心あらむ友もがなと、都こひしう覺ゆれ。
(満月が曇りなく照っていて、千里の彼方まで眺めているよりも、夜明け近くなってようやく待っていた月が出てきたのが、大層趣ある感じに、青味がかった様子で、深い山の杉の梢に見えている木の間の光や、雨が降ってきて雲に隠れた時など、これ以上ないほどしみじみしている。椎柴や白樫などの濡れたような葉の上に光っているのは、心に沁みて、この良さを分かり合える友がいたらなあと、都が恋しく思われるのである。)


「すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いと頼もしう、をかしけれ。」
(おおよそ月や花は、目だけでみるものだろうか。春は家から出かけなくても、月の夜は寝室の中にいても思っているのこそ、とても確かで風情があるのである。)

明日は、満月です。


*この章段には、このあとも愉快な続きがあります。



[2012/04/06 23:32] 日記 | トラックバック(-) | CM(4)