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自転車に乗って 

おはようございます。
彼岸花の花盛りです。

娘が、自転車を買いました。
お盆におばあちゃま達からいただいたお小遣いと、足りない分は親が補っての購入です。

近所の小さい自転車屋さんで購入ですから、カタログを見て注文でした。
その自転車が、昨日我が家にやって来ました。

アイボリーの車体、今どきの、ちょっとおしゃれなスタイルの自転車です。
今までのピンクの子ども自転車があったところに、今度はこの自転車を置きます。

新しい自転車。
娘の自転車なのに、私も夫も、何だか嬉しくなって、ちょっとだけ乗ってみました。

私も今まで、こうして自転車を買ってもらって来たんだなあって思います。

一番初めは、16インチの赤い自転車。
小学校一年生の頃でしたでしょうか。
父に乗り方を教えてもらいました。
その時の情景、父の大きな声、今でもはっきり覚えています。

同じ頃、近所のお友達もいっせいに自転車を買って、ある日、みんなで写真を撮ろうということになりました。

私の赤い自転車は、しっかり足が届かないと危ないからというので、お友達のに比べると小さい自転車でした。
私と来たら、買ってもらったときは大喜びだったのに、自転車がみんなより小さいのが、何だか恥ずかしい気がして、
じらを言って(方言ですね)みんなを困らせたあげく、結局お友達の大きな青い自転車にまたがって、写真に写っています。
まだ、写真が、一枚一枚大事な時代でした。

私は、だめな子だったのだなあと思います。
きっと今だって大して成長していません。
自分から代わってあげるって申し出て、自転車を交換してくれたしほみちゃん、今はどうしているでしょう。
きっと、賢くて優しい、素敵な大人になっていると思います。

あの赤い自転車が、私の身体にしっかり合っていたおかげだと思います。
お転婆小学生の私は、草むらも、どぶ川そばの小さい道も、どんなところだって自転車で出かけて、いつも得意満面でした。

そのまま中学生になって、祖母の家に住んだときも、炭坑町の広い広い道を、どこまでも自転車で行きました。
町までも、無人駅のある浜までも、クラスの不良の男の子が住んでいた港までも。
あの時も、自転車通学のために、自転車を買ってもらったのだと思います。

高校の時は駅まで、そして大学も、考えてみたらずっと自転車通学でした。
そのたびに、両親は、今の私たちのような気持ちで、自転車を買ってくれていたのでしょうか。

大学の時、とうとう自分で、当時は珍しい外国の絵はがきに出て来るようなスタイルの、青い自転車を買いました。
籐の籠がついていて、とてもお気に入りでした。
先生になったばかりの頃は、東京から持って帰ったその青い自転車に乗って、まっ赤な革の鞄を斜めに掛けて、川沿いの道を出勤していました。
頭の中は、毎日の授業のことでいっぱいでした。

母が、カーディガンの背中に、その自転車の模様を編み込んでくれました。
そのカーディガンを着て授業に行くと、黒板を書くとき背中の模様が見えて、生徒たちが、ざわざわっていたします。
そしたら生徒達に向かって、思いっきり自慢そうに、
私の自転車の絵なの。母が編んでくれたの。と言うのです。

自転車のことを思い出すと、普段は都合よく忘れている、情けない私のことが、一緒に次々と思い出されます。
転んだり、遅刻しそうだったり、笑われていたり、泣いてたり。

そういえば、思い出の中の自転車の車輪。
どれもみんな、紡ぎ車とおんなじかたち。

紡ぎ糸のように、思い出が、あとからあとから。



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[2010/09/27 09:44] 日記 | トラックバック(-) | CM(6)

旅日記 東京2 巣鴨 とげ抜き地蔵商店街 

こんばんは。
今日、ススキをとってきて活けました。
十五夜は過ぎましたけど。

東京旅日記の続きです。
今回の東京は、本当によく歩きました。

まず、空いた時間に巣鴨に。
とげ抜き地蔵さまのおられるところです。

当日は、ちょうどこの辺りのお祭りでした。
あちこちでおみこしが出ています。

参道の商店街は、どこかで見たことあるような感じのお店がずっと並んでいます。
安い普段着とか、佃煮とか、おせんべいとか、これといって珍しくないメニューの食堂とか。

お店に入って品物を買おうとする年配の人達を見ていると、触ってみて、中を見たり、縫い目を見たり、しっかり選んで買っています。
長い間に鍛えられた目ですから、なかなか厳しい消費者ですよね。
誰にも気を遣わなくていい、のんびりして、自由な感じ。
私もゆっくり歩きます。

途中、庚申橋近くの「岡埜栄泉」という小さな和菓子屋さんで、「志ほがま」という棹の落雁をおみやげに買いました。
福の神のようなお店のおばさんにすすめられた「成光苑」という定食屋さんで、とっても美味しいお昼。

安くて着心地いいものとか、誰でも美味しいって思うものとか、そんなものばかりが売られている商店街。
レトロとか思い出とかでなくて、現実の、今の自分にちょうどいい、本当に必要なもの。

そういうお買いものが出来るようになるまで、きっといっぱい時間と経験がいるのだろうと思いながら歩く、巣鴨、とげ抜き地蔵商店街でした。

そうそう、肝心のとげぬき地蔵さまは、人が多くて断念。
だから、夜になってからの帰り道、もう一度、長い商店街を引き返しました。
お店はみんな閉まっていて、はっぴ姿の人たちが、ところどころで寄り合って、お酒を飲んでいました。

お地蔵様のところには、2,3人のご先客。
その人達に倣って、私もそこに置かれた布で、お地蔵様を洗いました。

父の胃とお腹がよくなりますように、母の耳と目がよくなりますように、
柄杓で水を掛けては洗います。
それから、夫の腰がよくなりますように、娘の頭?と、ついでに悩み多いお年頃の気持ちが少しでもさっぱりしますようにと胸もなでました。

ちょっと欲ばりだったかも。

これから夜が深くなってゆく時刻、
とげ抜き地蔵商店街は、すっかり静かになっていました。



[2010/09/25 19:41] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(2)

旅日記 東京1 飛行機はいつまで待ってくれるか 

こんにちは。
酔芙蓉がすっかり紅くなって、もう夕方だなって気がつきました。

連休、東京に行ってまいりました。

今回は、飛行機での往復です。
行きは、お昼頃の出発便というのもあって、大変珍しいことに、落ち着いて早目に家を出ました。
余裕です。

ところが、いきなり緊急事態発生!!

リムジンバスで、「空港まで、快適走行40分!」のはずが、
高速道路渋滞のため?
なんと私の乗ろうとした便から、突如「運休」の張り紙!

そんな理不尽な。
だって、私の航空チケットは、早割でお安く購入していましたから、予約の便に乗れない場合は、お金も戻ってこないのです。
間に合うからJRで行きなさいなんて、もし間に合わなかったらどうしてくれるんですかあ。

バス会社の人らしきおじさんに言われるままに、タクシーに。
ところが、この上運の悪いことに、私が乗ったタクシー、ガタガタのオンボロ、やけにのろのろ走るのです。
お願い、もっと早く行って、運転手さん。
駅まで30分もかかってしまいました。

あわてるあまり、切符を買う手も震えています。
とにかく急いで乗車。

はあ。
電車に乗ってしまえばこっちのもの。
のどかな車窓の風景に、やっと一息です。

ふと、バス停でもらった運休の場合の行き方のチラシを見ると、
なんと、空港の最寄り駅まで約45分、そこからバスで約15分、
と書いてあります。

ん?となると、空港に着くのは…、出発15分前ではありませんか。
搭乗手続は15分前までにと言われていたような。
どうしましょ。

そうだ、こうなったら…、
空港の電話番号を104で聞いて、電話。

「必ず行きますから、待っててください!」

最寄り駅到着は、すでに出発20分前。
バスに乗ってはいられませんから、またまたタクシーです。
忘れもしない、2400円也。

空港到着。
あと10分ありません。
急いでカウンターに行くと、「お電話くださった方ですね。こちらへどうぞ。」
大あわての私に比べて、カウンターのおにいさんは落ち着いています。

スマートに歩くおにいさんの後について、転がるように搭乗口まで。
出発時間まであと5分!
待っててね飛行機さん!

しかし、気のせいか、何だか周りはあんまりあわてていません。
見ると他にも乗ろうとしている人が何人かいます。

そこで、おそるおそる、
「あの、紅葉まんじゅう買ってくる時間ありますか?」
「急いでどうぞ」

目の前の売店でおみやげを購入。
出発時間まであと2分!

無事、機中の人となりました。
やれやれ。

気がつけば、私のあとに乗る人が二人も。

飛行機って結局、出発時間まで待ってくれるようです。

ゼイゼイはあはあ。


[2010/09/21 15:33] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(6)

一日の始まり 

おはようございます。
朝はすっかり涼しくなりました。
頭の中で、靴下を履こうかしらと考えたりしています。

お宅では、一番の早起きさんはどなたでしょうか。
我が家で、朝一番に起きるのは夫です。
5時前には起きて、一人の時間を過ごしているようです。
人には、一人の時間が必要ですよね。
だから私はいつも、出来るだけ遅くまで寝ていて、せっかくの時間の邪魔をしないように努めております。

このごろのキトリの朝のお散歩は6時前。
どんな季節でも、朝のお散歩は本当に気持ちがいいものですね。
長い間、これを知らないでいたのは、もったいなかったと思っています。
それなのに、その貴重なお散歩のひとときを、時々気がつくと夫とキトリが独占していることがあります。

台所にいると、娘が起きてきます。
娘は毎朝、二階から降りてくると、ちょっと大きめの声で、「おはよ~っす」と言います。
これを聞くたび、娘にとってこの家は、運動部の合宿所のようなものなのかもと思います。

朝ご飯を食べている娘に、夫が「行くよー」と声をかけます。
この頃、夫が少し遅く家を出るようになったので、娘は途中まで車に乗せてもらっているのです。
反抗期というのでしょうか、日頃失礼なことをいっぱい言っているのに、ちゃっかりです。
誰に似たのでしょう。
もしかすると夫は、このたった3分のドライブのために、遅く出かけているのかも知れません。

私とキトリは、玄関に出てお見送りです。
今までは、キトリはお行儀良くお座り、私もポーチに並んで座ってお見送りしておりました。
しかし最近は、二人とも仁王立ちです。
西郷さんのポーズなのです。
名犬ぽいので、かなり気に入っています。

ちなみにキトリは、「オスワリ」しかできません。
理解できる言葉は、「おさんぽ」「おやつ」など、自分に都合のいいものに限られています。

ところで、西郷さんの犬の名前って、何でしたっけ。

さて、私は、家族を見送ってから、ミルクティーを淹れます。
ミルクも温めて、濃いめに紅茶を出して、ゆっくり淹れます。

これから夕方まで、全部私の時間です。



[2010/09/14 09:21] 家族 | トラックバック(-) | CM(4)

九月 

こんにちは。
秋らしい青い空を背景に、酔芙蓉が咲いています。

七月に、素敵な葉書を送ってくれた友人から、また葉書が届きました。
嬉しいので、お知らせいたしますね。

「 九月になりました。
  お元気でいらっしゃいましたでせうか。

  一昨年の初秋 奥出雲の銅剣の出土した谷に行きました。
  銅剣の出土の岡の下は、蓮田になっていて、白い古代蓮が咲いていました。
  そこの資料館で蓮茶を飲み、赤米の土用の餅を食べました。

  蓮田を渡る風が涼しく、蓮茶もいゝ味でした。
  とても暑い日でしたが。
                          」

官製葉書に、蓮の植物画の切り抜きが貼ってあります。
細密画で、葉は葉脈の様子まで、実の鞘はくろぐろと、詳しく描かれています。
細密画は、描いた方の細部への集中力が伝わってくるような気がするので好きです。

それから、いつか行った彼女の家に、印刷の賢治の詩が、立派なものらしく掛けられていたのを思い出しました。

九月になりましたね。
お元気そうで何よりです。
私も元気にしています。

何もかもが、とても楽しく思われます。
これをまた、玄関の小さな書棚の上に飾ることにしました。







  

[2010/09/09 11:58] お友達 | トラックバック(-) | CM(4)

ご案内 

こんばんは。
虫の声が聞こえています。

母から、お茶会のご案内をいただきました。


 お葉書ありがとう。
 野生の鈴虫が、力強く鳴いています。
 暑さはまだ続くようですね。

 本を読んでも、良いものを見ても聞いても、さほど頭に残らなくなり、
 どんなお茶会になることやらではございますが、
 来てくださった方に喜んでいただけたらと思っています。

 ここさんも、ご都合がつくようでしたら、是非おでかけくださいませ。
 お待ちいたしております。    
                      母

  日時 十月十八日(月) 十時 
                            」

 
葉書は、父の描いた絵の絵はがきです。
お盆に会ったとき、絵はがきにするのなら、私の家の窓からの風景を描いてくれた絵で作ってねって、それとなーく頼んでおいたら、こんなところで。


 はい。
 よろこんで、伺わせていただきます。


         
[2010/09/06 23:51] 家族 | トラックバック(-) | CM(6)

星語り 

こんばんは
星月夜です。

今日は、夜8時頃になってからキトリのお散歩に出ました。
そしたらあんまり星がきれいなので、ああ、家にいる娘にも見せたいなあと思いました。
北極星ってあんなにも小さいんだよねって、夜空を指さす私を想像しながら、長い間星を見ていました。

今日は、星にちなんで、
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』から、星になったさそりのお話などしてみることにいたします。
もしよろしければ、おつきあい下さいませ。

さそりは、ある日、いたちに食べられそうになりました。
一生懸命逃げているうちに、とうとう井戸に落ちてしまいます。
その時さそりは、溺れながら、こう言って祈ったのだそうです。

「 あゝ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、
そしてその私がこんどいたちにとられやうとしたときはあんなに一生けん命にげた。
それでもたうたうこんなになってしまった。
あゝなんにもあてにならない。
どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉れてやらなかったらう。
そしたらいたちも一日生きのびたらうに。
どうか神さま、私の心をごらん下さい。
こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかひ下さい。」                                          
(筑摩書房 【新】校本宮沢賢治全集第十巻p.22 『銀河鉄道の夜』初期形一 より 本文は改行なし)


かわいそうなさそり。
でも、その尊い「犠牲」の気持ちは本当に立派です。
子どもたちは案外、こんな道徳的な?お話が好きです。

では、大人の私は?
残念ながら、子どもたちほど立派ではありません。
だから、せめてそっと、さそりの切ない祈りに身を寄せてみます。


「どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉れてやらなかったらう。」
そう言って歎くさそり。

おや?
さそりは、自分の一生を立派なものとして、初めからきれいにやり直したいのではないようです。
たったさっき、井戸に落ちた、その直前からだけやり直したいというのです。
そしてそのことを一生懸命祈っているのです。

そう。
さそりは、最後の最後になって、今まで気がつかなかった大切なことに気がつきました。
それは、さそりにとっては、きっと世界が変わって見えてくるほどの大きな気づきです。

ほんの少しの間でいい、この新しく見えてきた世界を生きたい。

私は、さそりが、そう願ったのではないかと思うのです。
それが、「わたしのからだをだまっていたちに呉れてやる」ことであったのだと思います。

かわいそうなさそり。
そんなささやかな願いさえ、今や叶わぬ願いです。
さそりは、そのまま溺れてゆくしかありませんでした。

私たちの生活は、毎日のあれやこれやにまみれて過ぎてゆきます。
でも、もし、さそりのように、ある日何かとても大切なことに「気づい」てしまったら。
そうしたらきっと、私たちは、その「気づき」を生きずにはいられないと思います。
ほんのわずかの間でもいいから、生まれ変わって新しく生きたいと、切に願うのだと思います。


宮沢賢治の童話や詩に描かれた、たくさんの「生まれ変わり」。
こうしてみると、それらは、いわゆる、死んだ後の生まれ変わり、ではないのだという気がいたします。

自分をとりまく世界がすっかり変わって見えるほどの「気づき」に出会うこと。
そして、その「気づき」を生きること。
たとえそれが、人生の最後の一瞬にあったとしても、それはきっと大きな喜びだろうと、うれしく想像するのです。


最後までおつきあい下さって、ありがとうございました。

さて、『銀河鉄道の夜』の中の、この小さなお話の終わりです。


「いつか蠍はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしてゐるのを見たって。」



おやすみなさい。






[2010/09/04 01:16] 日記 | トラックバック(-) | CM(7)
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