近況報告 

こんにちは
「夜から雨」の予報がはずれ。
朝、出かけてまもなく降り出しました。

雨続きのこの頃、皆様いかがお過ごしですか。

梅雨はじめじめしてキライって、みんなが言うけど、私は、そうでもありません。
実のところ、雨が降ると、なんとなく嬉しい。

まずは深呼吸。
湿った空気のおかげで、肺がひと休み。
天然、全体的の吸入です。

薄暗くて、シンとした家の中にじっとしていると、
はだしの足の裏とか、半袖になっている腕とか、いろんなところから、水分がカラダの中に入ってくる感じ。
体中で息をしている感じです。

それから、家具も、本も、食器も、形や手ざわりがいつもより確かに感じられます。
よし、みんな私と一緒にここにいるねって、再確認。

知らないうちに、疲れていたかな。
しばらく晴れた日が続いていたからなあ。

湿った空気が、少しずつカラダの奥の方まで届いて、私は静かに回復してゆきます。


雨続きのこの頃、皆様いかがお過ごしですか。

私は、深呼吸をしています。


[2010/06/25 16:31] 日記 | トラックバック(-) | CM(10)

実るキャンパス 

こんにちは。
曇っているのに、明るくて晴れ。
ちょっとだけ暑い午後です。

明日、非常勤で行く大学のキャンパスには、昔のままの裏山が少し残されています。
私の教室は、3階です。

先週、教室のベランダに出てみると、目の前の斜面に、枇杷の実がたくさん実っていました。
わあ、枇杷だ…。

ふと見ると、右には、大きな栗の木。
白い花房がたくさんついています。

真下を見ると、朱い石榴の花。

果物がいっぱいなる大学。
いいでしょ。



[2010/06/23 16:22] 日記 | トラックバック(-) | CM(2)

ピアノ発表会顛末 

こんにちは。
庭の額あじさいが、青むらさきに色づきました。
また雨になりました。

一昨日の夕方は、娘のピアノの発表会でした。
ささやかな会ですが、今年は、義母と私の両親が来てくれることになっていました。

ところが、私ときたら、始まりの時間を間違えていて、これは大変!
何だか慌ただしいことに。

出演順を一番最後に回してもらって、
足が悪いとか、腰が悪いとか言っている老人たちを、文字通り走らせて、あげくホールの前は長い階段。
早く、早く。

ぎりぎりセーフ…。

娘が舞台に上がりました。
ハプニングがあったというのに、まぶしいライトの下をピアノに向かう娘は、堂々として、落ち着いて見えました。

おじいちゃま達、間に合ったよ、見える?

演奏が始まりました。
私ときたら、まだ気が動転していて、ピアノの音が、どこか遠くから聞こえてくるような気がします。

バッハのインベンション

楽しいような、哀しいような不思議な曲。
ちょうど庭のあじさいのような。
 
ハイドンのソナタ

小柄な娘の、小さな指が奏でるピアノの音は、見かけに似合わず、太くてしっかりしています。
軽やかに弾いていても、どこか不器用で、無骨な雰囲気です。

 せっかくだから、衣装買ってあげようか。
 制服で出るからいいよ。

 間違えてもいいんだからね。
 今集中してるから話しかけないで。

長い曲が、いつの間にか終わりにきていました。

娘は、最後までちゃんと弾きました。
落ち着いた、いい演奏でした。
おじぎをする娘の、いつもの制服姿が、どんな衣装より素敵に見えました。


それにしても、遠くからわざわざこのために来てもらって、演奏に間に合わなかったらと思うと、今でも冷や汗が出ます。
ごたごたのせいで、娘がちゃんと弾けなかったとしても、とても残念だったと思います。

梅雨時の小川に架かる、危ない橋を渡るような、泣きたくなるような、笑いたくなるような。

まあ、終わりよければすべてよし、かな。






[2010/06/20 11:42] 日記 | トラックバック(-) | CM(6)

ごびゆく 

こんばんは。
暑くなってきましたね。

母から。


 ごびゆくに沢山の水が勢いよく流れ始めたと思ったら、綺麗にしてある田んぼにどんどん水が流れ込んで、あっと言うまに田植えが始まり、いまではすっかり青田になりました。

 昔と違って何だか寂しい田植え風景でもあります。
 老いも若きも田んぼに出て、お休みになるといっせいに上がり、御座の上でおはぎとお茶等いただいて、一休みがあったものでした。
                                  」

 
「ごびゆく」?


父から。

「 
 御撫育用水路は、厚東川下流域から田んぼに水を引くと塩分がまざるため、毛利藩の撫育局の指導で厚東川上流から水を引く用水路を造ったもので、御撫育と言われています。
うちの近くの串の道路沿いの水路がこれです。
こんどおいでの時に見てください。
小学校では勉強の一つのようです。
                        」


ごびゆく。

幼い日に覚えたままの呼び名。
過ぎし日々の、田植えの情景。



[2010/06/17 21:43] 家族 | トラックバック(-) | CM(6)

水戸黄門的SF的 

こんにちは。
梅雨の晴れ間です。
家の中にいると、とても気持ちがいい風が吹いてきます。

我が家から、約50メートル下がったところにあるお宅。
間に家はないから、お隣と言えば言えなくもないその家の庭で、ボーリングが行われております。

それはいいのですが、その音が、なんとも奇妙。
ひゅ~う~、ひゅ~う~、という音です。
一時期、長い棒状の風船を頭上で回して音を出すものが流行りましたが、あれによく似た音なんです。

ボーリングの機械は、小さなショベルカーくらいの大きさで、背の高い棒を立てたような形をしています。
その機械に、男の人が一人だけ乗っかって、汗だくで動かしています。
今どき井戸でも掘っているのかしらん。
機械でやってるのにもかかわらず、醸し出す雰囲気は完全に手動です。

リビングから見えている、ピカピカに明るい外の景色。
木々の葉は青々と茂り、畑は陽をいっぱいに浴びています。
そこへ、この景色にぜーんぜん似合わない、ひゅ~う~、ひゅ~う~という奇妙な音です。

あやしい。
いかにもあやしい。

穏やかな里山地帯。
もしかしてこの辺りには、他と違う何か計り知れない価値があるのでは?
ああ、いち早くそれに気づいたあの男が、たった一人で、この里の秘密をどこか宇宙に知らせているのでは?
やがて、あたりにまぶしい光が注ぎ、神(=UFO)が降り立つ…。

あの家のご主人は、郵便局に勤めています。
奥さんは、有名なお菓子屋さんのトレードマークの女の子にとてもよく似ています。
善良を絵に描いたようなあのご夫婦が、選ばれたのです。

思えば、人には計り知れない奇妙なことが、まず初めに起こるのは、いつも必ずこんな田園地帯。
そして、人々(私を含む)はまだ、目の前におこりつつある事態の重要性に、全く気づいていない…。

ひゅ~う~、ひゅ~う~という奇妙な音が、風に流れて、この辺り全部を覆っています。

SF映画の、水戸黄門的に強固なパターンが、恐ろしいほどあてはまっちゃう、
田園地帯の、のんびりした午後でございます。




[2010/06/16 16:27] 日記 | トラックバック(-) | CM(8)

閉門 

こんばんは。
今日も雨になりました。
梅雨時って、案外好きです。
静かに力を蓄える期間っていう感じがするから。

近所の高校の裏門から入って、山に上がると、大きな楠の下にお地蔵様があります。
キトリを連れてお散歩がてらお参りして、その後は、家のある、山の向こう側へ下りて帰るのが、お散歩の一番楽しいコースです。

ところが、先日、その裏門に鍵がかかって、入れなくなりました。
以来、いつ見ても、門は閉まったままです。

広いその学校の敷地の裏側は、なんとなく境界のあいまいな一帯でした。
閉まってしまった裏門の、もう一つ奥にも門があって、そこから先ははっきり校内という雰囲気。
だから、この2つの門の間の部分は、曖昧地帯、生徒さんもいれば、地域の人もいるような、そういう場所でした。

桜の時期には、お花見。子供達の蝉とり。
生徒さんもよく挨拶してくれて、生物部の畑を見せてくれたり。
寮の給食のおばさんは、ゴールデンが大好きだそうで、キトリもよくなついています。

この高校の野球部が、いざ甲子園に出場するということにもなると、町内に寄付の募集が回ります。
なんと、2000円也。
ちょっとお高いでしょう。
それでも、どの家にも町内の班長さんが回ってこられますから、大抵寄付をいたします。
この町内会と来たら、応援バスを仕立てて甲子園までいっちゃうほどなのです。
ま、我が家も、いつもお散歩をさせてもらっているし、地域の学校だし、ご祝儀ご祝儀。

ところが先日、寄付金の収支報告とともに、お礼として、ネクタイピンが送られてきました。
いままでにないことです。
余ったのかなあ、寄付金。
学校や、生徒さんの勉強のために使ってくださったらよかったのに。

甲子園出場のためにいただいた寄付は、このように正しく使いました。
学校の敷地ですから、どなたも入らないでください。

野いばら、桑の木、合歓の木、栗、楽しいお散歩道は、厳しい柵の向こう側。
あれ以来、お地蔵様にもお目にかかっていません。

学校の敷地内で事故があると、世間が厳しく学校の責任を追求するのが最近の流行りですから、自衛策も仕方がありませんよね。
近所のお節介たちが応援なんてしなくても、学校は学校で、ちゃんと身を守る。

食卓に、安っぽいネクタイピンが乗ったままになっています。



[2010/06/15 23:58] 日記 | トラックバック(-) | CM(4)

赤い車に乗って 

こんばんは
梅雨入り。
庭のミニトマトに、小さな青い実が2つつきました。

昨日は雨でした。
私の車、廃車にすることになりました。

私の車は、赤い軽自動車です。
夫が、余分の仕事をして、買ってくれました。
軽自動車の中では最高級車だって、いつも恩着せがましく言っていました。

自分の車を持ってから、まず、保育園の送り迎えと通勤が、とっても楽になりました。
どこにだってすぐに行けます。
もちろんお買いものも、それから郊外の素敵なレストランとか、出かけるときは必ず車になりました。
CDもついてて、車の中で、音楽を聴くようになりました。

運転もだんだん上手になって、軽自動車だし、小さな近道をすいすい。
お気に入りの音楽を聴きながら、気分はいつだって最高です。
私はたぶん、この赤い車に乗るようになってからようやく、何でも一人で出来る、どこにだって行ける、一人前の大人になったのだと思います。

車は事故以来、修理屋さんに預かっていただいています。
もう一ヶ月半になりました。

そういうわけで、この間から、車のない生活を始めています。
遠くて、車でしか行けないと思っていた非常勤先の大学も、図書館のある大学も、電車に乗れば案外楽に着くことがわかりました。
気持ちのいい季節です。
歩く生活もいいものですね。

車両保険に入っていなかったので、修理に随分お金がかかること。
その上、長らく乗ったので、修理代より車の値打ちが低いのだそうです。
車検が来月だということ。
そして、来年の4月から、車が必要でなくなること。

いろんなことを言い聞かせるけど、あの車がいなくなるということが、どうしても想像できません。

まだまだとってもきれいで、エンジンだって好調です。
あの日まで、一緒に仲良く暮らしていたのに、
あの事故の日以来、別々になって、きっと今ごろは修理屋さんの隅っこで、ホコリまみれになってると思う。

たまらない気持ちになって、急いで修理屋さんに電話して、
まだダメにしないで、最後に一目会いに行きたいからって、お願いしました。

昨日は雨で、修理屋さんの工場はちょっと遠い山の中。
助手席に乗って、あの車が我が家に来てくれたのはいつのことだったのか、思い出そうとしていました。

子どもを預けて仕事を始めた直後は、あんまりにも忙しくて、車を物色する元気もなくて、何年かしてようやく買えたのでした。
それが、いつだったか、なぜかはっきりわかりません。
10年乗っていれば、申し訳が立つような気がして、
いつ買ったのか、何年間乗ったのか、10年以上たっていたらいいなあと、途中そればかりを考えていました。

今度、締め切りまぎわに真夜中に郵便局に行く時は、どうしたらいいんでしょう。
夫にお買いものを頼むと、無駄遣いばっかりするし。

雨がだんだん激しくなってきて、修理屋さんについたときには、かなり降っていました。
私の赤い車は、想像した工場の隅っこでなくて、屋外の目立つところで雨にぬれておりました。

雨のおかげで、赤い色がきれいでした。
事故であたったところも、外からはさほどの傷には見えません。

ドアをあけると、いつもの私の車でした。
ふっと、いつも車に乗る時と同じ気持ちになりました。
どうやら車の方も私のこと、覚えててくれたみたいです。
実は、車が、私のことがすぐ分かるように、しょっちゅう着ている服に、普段のデッキシューズを履いて行っていましたしね。

もう、車内の荷物はまとめてもらっていたけど、時間をかけて、ゆっくり細かく色々車内を見て、残った小さなものを集めながら、シートを撫でたりいたしました。
ちょっとだけハンドルを握ってみました。

私は、取り返しのつかないことをしてしまいました。
こんな形で、まだ十分乗れる車を駄目にしてしまうなんて、自分の不注意が情けなくて、じっと力をいれていないと、子どものようにしゃくり上げて泣いてしまいそうでした。

昔、飼っていたカナリアを、エサをやるのを忘れて、死なせてしまった日のことを急に思い出しました。

ごめんね。
もっともっとオンボロになるまで、エンジンの音も変わって、少しも走れなくなるまで、一緒にいるつもりだったよ。
傘をさしているから、泣き顔は誰にも見えないだろうと思いました。

小さな花束を、フロントグラスの中にそっと置きました。
本当は、声に出して、「いままでありがとう」って言うつもりでここに来たのに、どうしても声が出ませんでした。
お花、持ってきてよかった。
せめて、私の気持ちを伝えなきゃって、そう思って来たのだから。

それは、いつもの車の場所から、よく見えるところに咲いている花の花束でした。
あの空き地のこと、思いだしたかな。
あそこ、もう、この黄色い花がいっぱい咲いているんだよ。

本当に、本当にごめんね。

楽しかったね。
今まで、ありがとう。




[2010/06/14 22:00] 家族 | トラックバック(-) | CM(3)

毎日の仕事 

こんにちは。
お昼近くになって、少し風が出てきました。
あたり一面緑です。

田植えも一段落して、このあたりは静かになりました。
それぞれの家で、庭木の剪定をしたり、ものを干したり、静かな時間が流れています。
稲の実りまでの、長い時間の始まりです。

それは、無事に実りの日を迎えることを祈りながらの、待つ時間でもあります。
暑い夏の草取りや、畑や、その他の農作業は、この長い待ち時間の中にあります。
私は、最近になって、ようやくそのことに気がつきました。

だからかな。
この時期の仕事はみんな、どこか祈ることにも似ているような気がします。

私の家は、農作業が全然ありません。
それでも、影響されやすい質の私、辺りの雰囲気にすっかり影響されて、この頃一人前に、家を整える仕事などなどしております。

穴の開いたホースにテープを巻いたり、
本棚の埃を払ったり、
時計の電池も替えました。

ところで、私は一体何を待っているのでしょう。
もっと他に、やらなければいけない用事がいくらでもあるのに。

窓から見える、畑や山の、止まったような昼。
昼の陽射しが思ったより厳しくて、真夏の暑さを思い出します。

今日は、下駄箱の新聞紙を敷き替えました。
それから、枕カバーも替えました。

私はたぶん、そうすることで、なぜか何かが足りないような、そういう気持ちを満たそうとしているのだと思います。
充分満ちたりているはずなのに。

ふと、待つというのは、そういうことかもしれないなと思いました。

何を待っているのかは分からなくても、家の小さなほころびを、せっせと繕いながら過ごすこと。

祈りによく似た、毎日の仕事。



[2010/06/11 13:05] 未分類 | トラックバック(-) | CM(5)

やしゃご 

こんばんは。
気持ちのいい季節ですね。
夕方、通り雨がありました。

先月のことですが、ご近所のおばあさんが亡くなられました。
94歳だったそうです。
喪主のおじいさんの愉快なごあいさつのせいもあって、何だか明るいご葬儀でした。
このおじいさんを慕って、ご近所の方が皆さんかけつけて、大層な人でした。

喪主のおじいさんのご挨拶。
ゆっくりと進み出て、大きな声で、ひと言ずつしっかりと。

おかあちゃんは、19でワシの嫁になりました。
ワシは21でした。
子どもが6人。
みんな自慢のエエ子です。

ワシは子どもをこさえる係、お母ちゃんが育てる係。
おかげさまで、孫が18人、ひ孫が何人でしたか、やしゃごが2人。
……。

道理で。
広い葬儀場の椅子が、親族で全部埋まっているはずです。

みんな知ってることですが、おじいさんはこの家の養子さんです。
2代続いての御養子さんなのだと、この日、誰かから聞きました。
おばあさんは、初めは母親に、あとはお嫁さんにで、結局食事の支度をすることはなかったそうです。
いつまでも、きれいなおばあさんでした。

家に帰ってから早速報告。
やしゃごが2人なんですって。

やしゃごって?

おばあちゃまにとって、さくらちゃんは孫でしょ。
さくらちゃんの子どもが、おあばあちゃまのひ孫。
やしゃごは、さくらちゃんの孫だね。

え~!!!
さくらちゃんのマゴ!

家族みんなでビックリ。

この先の、遠ーい遠ーい、長い時間の先。
見てはいけない未来を、少しだけのぞき見するような、奇妙な気持ちがいたしました。


[2010/06/09 00:36] 未分類 | トラックバック(-) | CM(4)

旅日記 東京・学生時代 

こんにちは。
6月になりました。
庭の隅に、真っ白い卯の花が咲きました。
リビングの前には、赤い一重のツルバラがたくさん咲いています。

東京に行ってきました。
今回は、卒業した大学の近くに宿をとりました。
そのあたりに出かけるのは、卒業以来です。

どんなに懐かしいことだろうと想像していました。
ところが、駅に着いてみると、懐かしいとか、思い出すとか、そういう感じが全然ありません。
私と来たら、何だか朝出て、夕方帰ってきたときのように、特になんという感慨もなく、改札口の方へ向かい、ホテルの方へ向かっているのです。
駅前の商店街のお店は、きっとすっかりかわっているのだろうと思うのですが、道筋は同じで、人の流れも同じ。
そんなものには目もくれず、まるでずっとここにいた人のように、早足で歩く私。

それはやっぱり変だろうと考えて、もっとしみじみした自分がいるはずだと思うのですけれど、わかりきった道筋をさっさか歩くわたくし。
ホテルに荷物を置いて、変な感じのするまま、また街に出ました。
前日になってから突然お電話して、学生時代にお世話になっていた方に会いに行くことになっていました。

少し時間がありましたから、思いついて、大学まで歩いて行ってみることにしました。
というのが、歩けると思っていたからです。
それが大きな間違いであったと気がつくのは、ずいぶん歩いてからのことで、あとの祭り。
方向的には合っていたのですが、思ったより距離がありました。
20年の間に、頭の中でデフォルメされて、都合のいい地図が出来上がっていたようです。
結局、少し迷ったりして、一時間近く歩いてしまいました。

あたりは、ひと筋中にはいると、昔と変わらない落ち着いた住宅地。
私はこのあたりを自転車で通っていました。

大学に着いたのは、もう5時前でした。
ヨーロッパ風の前庭を囲んで、古い校舎がそのまま。
教室には灯りが点いて、授業が行われている様子でした。
池には、相変わらず睡蓮の花が咲いていました。

校舎の後ろの林の方へ行ってみました。
学生の私は、明るくて少し薄暗い、キャンパスの林が好きでした。
昔の武蔵野の風情そのままの林です。
その中に、「宗教センター」と呼ばれていた小さな家があって、時々お邪魔しては、お茶を飲んだりしていました。
(学生がちょっと寄ってお茶を飲んだり出来るところがあるなんて、考えてみたら本当にのどかな大学ですよね。)

これといって訪ねるところもありませんでしたし、なんとなくそこへ行ってみました。
林の中の古い建物も、やっぱり全然変わっていませんでした。
中から声をかけられましたので、木の扉の、真鍮のドアノブを回して、中に入りました。

卒業生であること、ここによく来ていたこと。
でしたら、あの先生をご存じでしょう。
懐かしい先生の御消息。
ご講演が来月あること。

どうぞいらして。
いえ、今日は旅行できたのです。
そうでしたか。でしたら、あの先生はご存じ?

壁の古い木の本棚に並んだ本とか、中央のテーブル。
あの壁の向こうにはきっと今もピアノがあるだろうと思いました。

5分くらいも居たでしょうか、私はその家を出ました。
向こうに、学生時代には無かった建物が見えましたが、そういう風に変わっていくものだろうと思っているせいか、これといって何とも思いませんでした。

林の中には、学生時代お世話になった先生の句碑があるはずでした。
それは、すぐに見つかりました。
深い落ち葉に埋もれて、枯れた細い草の蔓がかかっていました。

私は、背の低い、その句碑の前にしゃがみました。
句碑に書かれた句は、卒業の時にくださった短冊の句と同じ句です。
知っているのに、改めて読んで、同じだなあと思いました。
卒業の時に、先生がその短冊を読み上げて、心を込めて励ましてくださったその句でした。

句碑には、先生のお名前も書かれていました。
先生ご自身の字です。
これは知らないと絶対読めないよね。
句会ではいつも、全然読めない先生の字を読み上げないといけなくて、難儀したり笑ったりしていました。
懐かしくて、懐かしくて、
私は、青い句碑の石を、手のひらで撫でました。
突然、少し涙が出そうになりました。
枯れた草の蔓が、私の手について落ちました。

草の蔓を、手で全部払ってしまうことも出来ましたけれど、
きっと先生は、こういう風に、草に埋もれて、草の蔓が付いたくらいの方が、お好みだったろうと思って、そのままにいたしました。

そこにも僅かの間しかいなくて、私は林をあとにしました。

そのあと、学生時代の後半に下宿していた家を探しました。
大学の近くだったのですが、すぐには見つからなくて、人に聞いたりしたあげく、結局見つけたのは、また思ったより大学から離れた場所でした。

古い大きな家は建て替わっていましたが、表札に書かれた名前は変わっていませんでした。
息子さんの代になっているのでしょう。
下宿でお世話になったお母さんは、数年前に亡くなられたことは知っていました。
もう一度お目にかかって、よくしてくださったお礼を申し上げたかったと思うとせつなくて、
せめて、仏さまにお参りをしたいと思って、実は少し準備もしていました。
でも結局、家の前にしばらく立っていただけでした。

今、私の机の上の箱の中にある、古めかしい形の玄関の鍵は、ここにあった家の鍵です。
家は無くなって、鍵だけが残りました。

それから、当時遠慮もなにもなく、しょっちゅうお邪魔していた家に行きました。
またしても、遠慮無くうかがうわけです。
懐かしい方も来てくださって、皆さんでお夕食。
久闊を叙すといった部分はすぐに終わって、後は昔ながらの雰囲気そのもの。

それぞれの子ども達の話をしているのに、学生時代もそんな話をしていたような気がします。
バイオリンの演奏とか、ちょっとした毒舌とか、ずっと前から、ずっとずっと前から。

帰りたくなくて、もう遅くなってしまって、帰らないといけなくて。
どこに帰るかというと、下宿に帰るのです。
送っていただいて、お別れして、ホテルの前まで来たら、急に、初めに下宿していた家を見に行きたくなって、私は夜道をぐんぐん歩き出しました。

商店街の賑わいがだんだん無くなっていく感じの帰り道。
となりの部屋の子と、自転車で二人乗りしてころんだあたり。
いつも一大決心しては買っていた、かわいい雑貨のお店が今もありました。
そして下宿も。
その家のおじいさんは、詩を書く人でした。

そうだ、お風呂屋さんに行ってみよう。
11時までやってるはず。
そうだ、ついでにお風呂に入っちゃおう。
素晴らしい思いつきにわくわく。
走るようにして、お風呂屋さんのあった辺りに行きました。

お風呂屋さんは、結局見つかりませんでした。
人に聞いたら、越してきたばかりなんですって、言われました。

ホテルに帰る途中、行きたいと思っていた古本屋さんに寄って、娘のおみやげに本を買いました。
この辺りに住んでいた学生の私に、娘がいて、いつのまにか仕事をすることも覚えたのだけれど、
やっぱり学生のままの私が、夜遅くまでやっている古本屋さんにいて、書架の前に立っていました。

「百年」という名の、その古本屋さんを出て、ぼんやりと歩きながら、
賑やかに店が建ち並んでいるけれど、ここはやっぱり、ずっと昔から武蔵野なのだなあと思いました。
街の灯りやら、小さな店の移り変わりなんぞは全く意にも介さず、10年や20年は、昨日と一昨日といったような、
そこは、相変わらずの、闇に沈む武蔵野なのでした。

闇の中に、私の知らない、ずっと前からの武蔵野が広がっていました。




追記

翌日、昨夜あれほど探した「亀の湯」の煙突が、電車の窓から見えました。
なぜ?
こんどこそ、絶対行く!








[2010/06/01 15:39] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(4)