旅日記・臼杵城下 

こんにちは。
リビングの前の桜、七分咲きで文字通り凍結中です。
それでも、今日の夕方になる頃には、春らしい夕暮れの陽射しが戻っていました。

旅日記の続きです。

石仏の里を後にした私たちは、続いて臼杵の城下町に参りました。
もう4時は回っていたと思います。
九州の春は、本当に日が永くて、あたりはやけに明るいのでした。

町外れの信用金庫の駐車場に車を止めて、私たちは商店街を歩き始めました。

商店街には、古い木造の風情あるお店構えが並んでいます。

歩きながら、呉服屋さんが多いなあと思いました。
それほど歩いたわけではないのに、今までに確か3軒はあったと思います。
子供の七五三の着物を飾ったお店。
淡い色の訪問着を飾るお店。
どの着物も、私の町の小さな呉服店にあるものよりも、上等で素敵でした。

仏具屋さんの前に来ました。
そこでまき衛門さんのガイドが入ります。
「ここは、ご主人以外はみんなクリスチャンという仏具屋さんです。」
・・・・・・
何とかガイド役を務めようとして下さっているまき衛門さんのガイドは、実はとてもディープなのでした。

天井が低くて、奥行きのあるお店の中の、きらびやかな仏具たち。
そういえば以前、古い形の神事を継承している天皇家に、クリスチャンの美智子妃というのは、実は「祈る」ということをご存じだという点でふさわしかったのだという話を誰かに聞いたのを思い出しました。
この仏具屋さんのご家族も、教義はちがっても、きっとみなさん「祈る人々」なのでしょう。
私は脳裏に「祈る家族」をイメージしつつ、その仏具屋さんの前を通り過ぎました。

私たちは、商店街の途中を右に折れて、小さな路地に入りました。
その小路には誰もいなくて、しんとしています。
両側には、古い家の白壁が迫っていました。
そこで再びまき衛門さんのガイドです。
「実は臼杵は妖怪の町でもあって、ぬりかべ(だったかな?)の発祥の地なんです。」

へえ~。
なるほどです。

私は今度は、自分が知っている妖怪の町、三次市のことを思い出しました。
それから、駅前の妖怪に深い関係のある神社のこととかを思い出しました。
あの神社、京極夏彦さん寄進の幟もあったよなあ。
私が心の中で、負けじと妖怪の話を出すべきかどうか迷っているうちに、その短い小路は終わりました。

妖怪小路を抜けたそこはもう、本当に江戸時代そのものの町並み。
わあっと驚きの声をあげた私たち。
ゆるい坂道を登ります。

途中の立派な家には、今も人が住んでおられるようです。
観光用の紹介を読んでみます。
そこには、その家の修理の歴史が綿々と。
そういうわけで、この家は元々はどういう家なのかはよく分かりませんでした。

しばらく歩いて、私たちは、「無料休憩所」と書かれたところに入りました。
そこもとても立派な建物でした。
ここは、入ったところに、「旧真光寺」と小さく書かれていました。

時刻はちょうど5時。
もうおしまいの時刻です。

それでも入口におられた上品な女性が、どうぞと言って入れてくださいました。
私たちは、いろいろとお言葉に甘えて、2階にも上がりました。
すでに閉めてあった障子を、また開けてくださって、ほの暗い家の、立派な木組みに光がさしました。

床の間にも、家のあちらこちらにも、椿やレンギョウが活けてあります。
お花の先生が、ボランティアで活けてくださっているんですよ。
その上品な女性のかたが、嬉しそうに教えてくださいました。

私たちは、2階の窓から、今登ってきた夕暮れの坂道を見下ろしました。
坂の途中にあった、ひときわ立派な門へ続く高い階段が見えました。
聞いてみると、今ではその家には、子孫ではない別の人が、買って住んでおられるのだそう。

あ、これと同じ話、ずっと昔、子どもの頃聞いたことがある。
それは、少し小声で話される、家移りにまつわる噂話なのでした。

休憩所の黒い木戸を出ると、さすがに少し夕暮れが来ていました。

入口に、墨で書かれた「無料休憩所」の文字。
そういえば、京都のお寺が拝観料を取ることが話題になったた昔もあったなあと思い出したりしました。
そういえばこの町は、観光地だというのに、おみやげ物やさんも全然ありません。

昨日まで自分が身を置いていた、些細なことにお金を取って憚らないところ。
もしかしたら、私は、遠いところに来てるのかもしれません。

ともあれ愉快な3人の私たちご一行は、おしゃべりしながらまた商店街の方へ歩いて行きました。

そういえば、この町に来てから、あんまり人を見かけないねー。

だけど、街のあちこちに、誰かがいるような気配はしていました。
どの道も、少しずつ曲がっていて、遠くまでは見えないのです。

美しい着物を着て、立派な家を買い、悪気のない噂話をする、そんな人々の、結構楽しそうな気配。
もしかするとそれは、ずうっとずうっと昔からこの町で暮らしている人々の気配だったのかもしれません。

石畳の坂道を、車が一台通っていきました。



〈旅はもう少しだけ続きます〉




[2010/03/31 00:03] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(0)

雪および桜 

こんばんは。
今日は、みぞれが降ったり雪が舞ったりの一日でした。
冷たい風が吹きました。
そうそう、春にはこんな日もあるのでした。

今日の午後、娘が京都の義弟のところに遊びに出かけました。
同い年のいとこがいるのです。
子どもが4人、おじいさんおばあさんもご一緒の大家族です。

娘は、一人で行きたいと言って、交渉もして、列車を決めたり、おみやげを買ったり、全部自分で準備。
さっさと荷造りを済ませ、喜んで出かけてゆきました。

私はといえば、娘を駅まで送っていった帰り道、急に何だか寂しくなってしまいました。
たった2泊なのに、可笑しい。

それから、何となく駅前のパン屋さんによりました。
ちょっと素敵なパン屋さんです。

アップルパイとか、シナモンパンとか、甘いパンをいくつか買いました。

いつかくる子離れの時期が、いろんな意味で心配です。

先ほど電話があって、京都は雪だそうです。
ちょうど御所の桜が良い時期だろうと思います。


〈大分旅日記はまた〉




[2010/03/29 23:15] 日記 | トラックバック(-) | CM(4)

旅日記・臼杵石仏 

こんばんは。
家の前の大きな桜が五分咲きです。
この頃は日が永いので、今日はカーテンをみんな開けて、花を見ながらお夕食をいただきました。

旅日記の続きです。
その後私たち3人は、臼杵に参りました。

ところで、臼杵のお話に入ります前に、ここでちょっとお断りしておかなければならないことがあります。
前回、ねたのさんがコインロッカーの鍵を無くされたお話など申し上げましたが、実は私は私で、上着を家に忘れてきてしまっていたのでした。
気がついたときには、もう取りに帰る時間もなくて、そのまま出かけたのです。
まあ、ちょっとした大失敗です。
人の失敗をあげつらい、自分の失敗は隠そうとする卑怯な輩だと思われてはいけませんから、ここで白状しておきます、はい。

ただ、言い訳いたしますと、私は、その失敗を隠そうとしたのではなく、すっかり忘れていたのです。

昼の大分は暖かく、日なたにいれば大丈夫、かな、というくらいの気温。
春の風は少々冷たかったかもしれません。

それなのになぜ忘れていたかって?
私は、初対面のまき衛門さんに、なかなか素敵な上着をお借りし、上機嫌で、まるで我が物の如く、一日中着ていたからですよん。

そういうわけで、結局全然困らなくて、のど元過ぎれば(使い方違う?)。
電話で、家人が、上着がないことを心配してくれた時も、一瞬、なんのことか分からなかったくらいです。
いやあ、自分の失敗だけ都合良く忘れられる、何と便利な頭の構造。
もう、構造そのものが卑怯だとも言えますね。
ははははは。
ついでに申し上げると、私は、ついに翌日それを着たまま家に帰ったのでした。


というわけで、臼杵です。

臼杵は私の希望で参りました。
特に下調べをしていたわけではありません。
たまたま、母がどなたかから臼杵のことをうかがったという話を聞かせてくれたのがその理由でした。

着いてみると、そこはぐるり山に囲まれた小さなお里で、そのぐるりには、普通の農家らしき家々が点在しています。
お寺もあるようでした。
観光客はちらほら、とても静かなところでした。
そして石仏は、その手前の山に添った岩肌におられるのでした。

大きな仏さまと、そのそばにおられる小さな仏さまと。

近づいてみると、どなたも、少しずつお顔や身体のどこかが欠けていました。
まき衛門さんのお話によると、以前、一番大きな仏さまのお首は下に落ちていて、それを元に戻すかどうかで議論があったのだそうです。

私は、仏さまのお首が下に落ちてしまっているところを想像しました。
それは少し、痛々しい感じがする想像でした。

議論があったということは、お首を元に戻すのに反対した方が、少なからずあったということ。
その議論の時、私ならどういう意見を持っただろうかと、ふっとそんなことを考えました。
議論の結果、今では、目の前の大きな仏さまの首は、元の位置に戻されてありました。

この地の石仏群は、平安時代末期から鎌倉時代のものだそうです。
石仏は、一箇所ではなく、数カ所に分かれて、その小さな里に点在しています。

手が欠けた仏さま、頬がそげてしまった仏さま。

それらの仏さまの、何を元に戻し、何をそのままにするのか。
私たちが何の疑いもなく抱いている「あるべき姿」って、結構ご都合主義なのかもしれません。

手を加えることに躊躇した人々があったこと、そして、それを真面目に議論したこの地の人々。
私は、ここにきてよかったなあと思いました。

実際にはおしゃべりの絶えない私たち、30円のお線香の束を買っては、いちいち風よけの着いたライターという発明に感心しつつ火を灯して、石仏群を廻りました。

石仏を巡る小さな坂道に、山桜が満開に咲いて枝を伸ばしておりました。

愉快なご一行という体の私たちは、この先に五輪の塔があるという小さな立て札を見つけました。
行ってみようよ。
行ってみよう。

その道は、日本中どこにでもあるような、今ではどこにもなくなってしまったような、懐かしい気のする山の道でした。
10分ほど歩いたでしょうか、諸葛菜や菜の花、つくしんぼまでお供えされて、その五輪の塔はありました。
愉快で幸せな私たち。
いつ誰が、誰の供養のためにたてたのか、理由も何も分からないその塔に手を合わせて、また山道を引き返しました。

さて、最後の仏さまの前には、なんと、お願い事を備え付けの紙に書いて入れておけば、ご祈祷下さるという木箱が置いてありました。
もちろん、現世御利益希望の私たち、真面目にお願い事を書いて投入です。
すぐにも満願成就間違いなしと大喜び。
ところがよく見ると、ご祈祷は1月・5月・9月とあります。
お願いごとがかなうのは、少し先になりそうだけど、それでもオッケー。
やっぱり大喜びの私たちなのでした。

少し休みたいなとか、ちょっとお腹がすいたなと思いましたが、おみやげ屋さんも喫茶店も一軒とて無い、静かな石仏の里、
菜の花だけがいっぱいに咲いておりました。


<旅はまだまだ続きます>



傾きて空輪風輪火輪かな水輪地輪土に埋れて   ここ



[2010/03/26 22:46] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(2)

旅日記・大分 

おはようございます。
昨日に続いて、今朝も静かな雨がふっています。

一泊旅行に行ってきました。
出かける前に、白木蓮の花が一斉に咲いたのを、今生の見送りのように感じながら、その不思議な旅に出かけたのでした。

向かったのは大分。
九州の中で唯一行ったことのない県といえば、大分!と誰もが言う(本当かな)その大分です。
この旅の一番の目的は、人に会うことでした。
ブログ上で長らくおつきあいのある方々に、会いに出かけたのです。

何が不思議って?
私がこれから会おうとしているのは、今まで会ったことがない方々だということですよ。
出会いはいつだって、先に身体がそこにあって、それから、その存在に気づくもの。
会ったことがない人に会うことを目指すなんて、見えない山に登ろうとするような、空をつかもうとするような。
今度の私の旅は初めっから、見えないけれどあるはずの山を確かめに行く、そういう冒険の旅なのでした。
私の中の、行っちゃえ行っちゃえ的素質が、時々、こうして私を冒険に連れ出すんだなあ。
いざ、出発です。

それにしても、目指しているものが何だか分からない旅ですから、心のどこかには、宙に投げ出されたようなハハハな気持ち。
それって人生と同じかも、などと考えてみたりするのがいかにも旅。
まあこうなったら途中を味わうしかありません。

以前から乗りたかったソニック号に意気揚々と乗車。
仮面ライダーのような座席に座ってご機嫌です。
お昼は車内販売の鯖寿司。
音に聞く「関さば」って、大分の名物だったのですね。
車窓からの景色はさすが南国、山辺の桜はすでに満開、あちこちで菜の花が揺れています。
だんだん楽しくなってきましたよ。

あっという間に大分到着。
大分駅で、第一遭遇ねたのさん。
コインロッカーの鍵が見つからなくて探してるあわて者な彼女。
太陽のように明るくて暖かい彼女といるだけで、気持ちがほかほかしてきました。

第二遭遇、大分在住まき衛門さん。
可憐な少女のような彼女の運転で、彼女のお店へ。
車はカーブのたびに、私が思っているラインよりずっと内側をきゅうっと回ります。

お店は、一見、小さな、何の変哲もない園芸店でした。
九州の春の陽を浴びながら、しばらく見ていると、素人の私にもだんだん、売られている苗が、その辺りのホームセンターに売られている物とは全然違っているのが分かってきました。
いくつも並んだ寄せ植えの鉢。
なんと、それらの寄せ植えには、どれも題がついていました。
少しずつ違う葉色と花色を重ねて作られたそれらの寄せ植えの向こうには、それぞれに物語と世界があるのでした。
まき衛門さんたら。
形を変え、枯れて果ててしまう植物を素材にしながら、こんなにもいろいろな思いを込めてしまうことの切なさ。

彼女がご家族と一緒に形づくっているこの場所の空気。
「うちは、お店は大したこと無いけれど、お客さんは皆さんすごいんです。」とおっしゃっていたのが、なるほどそうだろうと納得でした。
大分市の片隅にあって、きっと知る人ぞ知る発信型のお店になっているのでしょう。

お店の中央には、花梨の木と、もう一つ背の高い木(名前を聞きそびれたままになりました)が、いっぱいに芽吹いていました。

その後、なんだか楽しげな私達3人は、車に乗ってお店を出ました。

大分市は、広々とした平野で、海が近くに、山が遠くに見えていました。
車内では、遠路静岡から見えたねたのさんの楽しいおしゃべり。
ねたのさんもまた、こういう広くて、海に向かって開かれたところでお育ちなのだろうと想像しました。

人の持つスケールとか、別の人間の存在を受け入れてゆく深さとか。
会ったことのなかった人たちに、少しずつ出会ってゆく時間。

南の国の春の陽射しは思いの外強くて、自分の影が、黒くくっきりと地面にうつっているのに気がつきました。

<旅は続きます>

                      100321_1335_01トリミング1

                                    
うずくまる獣のごとく息潜め工場の群湾に向かへり   ここ   




[2010/03/24 11:09] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(14)

里帰り・春 

おはようございます。
今日は一週間の始まり、月曜日ですね。
雪柳がきれいに白い花をつけました。

金曜日の午後、突然思い立って、娘と二人、里帰りをしました。
おみやげを買いに行く時間もありません。

これも突然思いついて、つくしを採りに行きました。

春のものをいただくと、元気が出ます。
それに、今年のつくしは、背が高くて、しっかりしていて、とても立派なのです。
だから、おみやげにしようって思ったのです。

もう一つのおみやげは『野菊の墓』。
そう、あの、伊藤左千夫の小説です。

文庫本を見開きで印刷して、非常勤の授業のたびに、毎時間1枚ずつ、配っていました。
「朝のテレビ小説みたいでしょ。」って言って。
古い小説を読み慣れない生徒たちです。
こんなもの要らない、って言うかなと思ったけれど、案外みんな喜んで集めているようでした。
ただし、読んでいたかどうかは、かなり疑問。

授業も終わる頃、奥付も含めて、ちょうど全部渡し終わりました。
生徒たちの手元に、印刷の『野菊の墓』ができあがりました。
せつない恋の物語。
いつか読んでくれるといいな。

そして、私の手元にも、印刷元のコピーがちょうど一冊分できあがりました。
菊の絵のついた表紙を一番上にしたコピーの束。
少し拡大してコピーしていましたので、両親にも読みやすいかもしれません。

ありあわせのおみやげ。
古い春コートを着て、娘が欲しがっている花の絵のついたカバンを持って、一泊だけの里帰りです。

この頃すっかり私の話し相手になってくれるようになった娘と、駆け込むように新幹線に乗って。



[2010/03/15 10:33] 日記 | トラックバック(-) | CM(6)

本を読む楽しみ 

こんにちは
今朝からみぞれ。
あたり一面、白いけれど透明のみぞれに覆われて、木は木の形に、草は草の形に、白くて透明です。

最近読んだ雑誌『婦人之友』2月号の記事より、感想です。
読んだのは、長谷川宏さんという方の「私の本棚」というちいさなコラムです。

長谷川さんは、解体修理にかかる以前は、毎年春、唐招提寺を訪ねておられたのだそう。
ここでとりあげられていたのは、東野治之『鑑真』という新書です。
受戒の役割を担う僧として日本にやってきた鑑真について述べた本だそうです。

受戒を、通過すべき儀式としてでなく、儀式ののちそれがどう受けとめられ、どう実行されるかを、生き方の根幹にかかわる重大な事柄と考えた鑑真は、それをみずから実行し、人々に伝えようとした。その行動のありさまが、史実に即して丁寧に追われている本であると、紹介されています。
そして、その紹介部分のあとには、こう付け加えられています。

「鑑真の戒の思想は日本には定着しなかった、とするのが著者の結論だが、奈良の大寺のなかでは珍しく求道のしめやかな雰囲気をもつ唐招提寺が、この本を読んだあとにどう見えてくるのか。そんなことを考える。」

長谷川さんは、昨年11月に解体修理を終えた唐招提寺を、きっとこの春また見に行かれるのでしょう。

この本の中では、その思想は結局定着しなかったとされている鑑真の、唐招提寺。
苦労して海を越えてきた鑑真の、しかし根付かなかった思想の形としての、唐招提寺です。

鑑真の思想は、今やすっかり言葉を失って、ただ唐招提寺の「しめやかな雰囲気」となってそこにあると言えるのかもしれません。

「本を読んだあとにどう見えてくるのか。」

長谷川さんの文章を読みながら私達は、きっと今年の唐招提寺は、長谷川さんにとって、今まで毎年見てきたのとは違って見えるだろうと想像いたします。
そしておそらく、もう元のようには見えることはないだろうということも、わかります。

それが、本を読む楽しみ。
長谷川さんのコラムから、そんな声を聞いたように思いました。

考えてみたら、本の中の「物語」は、いつもモノ語りです。
私達を取り囲む、本当にいろいろなモノたちがそれぞれに持っている、見えない世界のお話。
そしてもしも、その面白い、優しい、楽しい話を一度聞いてしまったら、もうけっして、そのモノが元のように見えることはありません。

本を読むことの、なんと危ない楽しみ。
けっして後戻りできない一歩通行の道行きを、まるでゲームの駒のように、私自身の全部が進んでゆきます。




[2010/03/09 13:34] 日記 | トラックバック(-) | CM(4)

目薬 

こんばんは。
朝からのんびり、風もなくて、いいお天気の一日でした。

ちょっと花粉症なので、かゆみ止めの目薬をいただきに、今年も眼科に行きました。
カルテによると、去年もちょうどこの時期だったそうです。
大規模眼科なので、ベルトコンベヤー式に次々検査して診察、看護婦さんが目を洗ってくれて、終了です。

ところで、目を洗うって、どうするかご存じですか?

小さな漏斗みたいなのを手に持たされて、目の下につけます。
すると看護婦さんがちょっと目を押さえて、あっという間にお水をチューです。
そのあと目薬も。

ね、ちょっとこわいと思いません?
瞬間的にギュっと目をつぶってしまいます。

あら、しみましたかあ。
慣れてないとね、子どもさんもみなさんね。

どうやら子ども並みだったらしいです。

ずいぶん昔、子どもの頃に見た目薬のコマーシャル。
すーっと落ちていった目薬のしずくが、大きく見開いた眼の中で、ぴちょんと落ちて跳ね返ります。

あれにはびっくりしました。
すごいなあ。

子どもの私が、畳にあおむけになって、そっと目を閉じています。
母が、目頭に目薬を落としてくれるのを待っているのです。

ふっと目頭に、目薬の冷たさ。

目、パチパチして。

覚悟を決めて、一瞬だけパチ、すぐにギュー。
せっかくの目薬が顔を伝って流れてゆきます。

もう一回ね。

母がすぐそばにいます。


今も、目薬をさす時は、目を閉じて、目頭にそっとのせます。


[2010/03/05 20:28] 日記 | トラックバック(-) | CM(3)

晴れの日 

こんにちは
10時頃から、雨になりました。

今日は3月1日。
夫の勤める高校の卒業式です。
夫の晴れの日でもあります。
3年生の担任だからです。

今日、3年間、手塩に掛けた子どもたちが巣立って行きます。
夫は、このところずっと、国公立大学の二次試験のために、小論文などの指導を持ち帰り、寝たり起きたりの不規則な生活をしていました。
それと並行して答辞の指導。

毎年、答辞を読むのは生徒会長の生徒です。
そして、その文章指導は、3年生担当の国語の教員が担当します。

今年の生徒会長さんは、少々不安定な生徒のようでした。
他の生徒に代えた方がいいのではないかと、管理職も他の先生も言われたそうです。
結局、指導してみて様子を見ようということになりました。

皆さんは、答辞なんて、紋切り型で、毎年同じようなことを言うものとお思いかもしれません。
でも実際はそうではありません。
答辞を読む生徒にとっての、本当の答辞を、読ませてやりたいと願います。
学校の思い出、友達や先生への気持ち。
みんなを代表して、自分の思いを述べ、それを答辞とするのです。

今回の、答辞の準備は、とても大変そうでした。

学校にいい思い出なんか全然ない。
誰にも感謝してない。

友達とか、学校とかへの感謝なんて、誰でも言えるようなことを言わなくていいんだ。
そういうのは意味無い。
自分の本当に言いたいことを言えばいい。
それを探そう。

いろいろなことを思い出せるように、少しずつ、彼女の高校生活の話を聞いてゆきます。
その面談にも、約束の時間に来ないこともあるようでした。

彼女は、他のクラスの生徒です。
文章指導が出来るところまで持っていくのは担任の仕事だよなあ、とこぼすこともありましたが、案外楽しそうでした。
そして、自分のクラスの文化委員長の子に、もしあいつがダメなら、お前が答辞をやってくれと言ってあるのだそうでした。
そんなのOKなの?
自分のクラスの生徒は、そういうことが分かるように育ててある、と得意そう。

夫は、面談のあるたびに、少々憔悴して帰ってきていました。
若い生徒の屈折した情熱を、正面から受け止めるとしたら、それは大変だろうと想像します。

答辞、なんとかなりそうだ。

何度も繰り返された長い面談を経て、彼女の気持ちもほぐれて来たのでしょうか。
それから間もなく、文章も出来たようでした。

ところが、たった一度の卒業式の予行演習の時、彼女が来なかった、のだそうです。
一時間以上遅れて、親が連れてきたと言っていました。

今朝、夫は、いつも通りの時間に、慣れない礼服を着て、出かけていきました。

問題は、あいつが当日ちゃんと来るかどうかだ。
ついこの間そう言っていたのに、今朝はもう、何の心配もしていないようでした。


3月1日、卒業式。
この辺りでは、高校の卒業式はいつもこの日です。

担任が、クラスの子どもの名前を読み上げます。
一人一人、ただその名前を呼ぶだけなのに、いろんな思いがこみ上げてきて、声が詰まってしまう先生もあります。
珍しいことに、夫も家で、1回だけ名前を読む練習をしていました。

ははは、こいつらの名前、こうやって順番に呼ぶのは初めてだ。
最初で最後だな。

夫は晴れ男のはずなのに、さっき、ちょうど式の始まる時間のころから、雨になりました。
式の後は、教室で最後のHRです。
一人一人に卒業証書を渡して、最後の話をいたします。

卒業おめでとう。

34人の子どもたち一人一人に、「おめでとう」の言葉を贈りながら、3年間の担任の仕事が幕を閉じてゆきます。

それが仕事であることが、ただ自分にしかわからない毎日。
その仕事の結果も達成も、それとしてすぐ表れることも、その結果を見ることもありません。
人を誉めてばかりで、誰からも誉められない、教師という仕事。


パパ、おめでとう。
3年間お疲れさま。

今日は、夫の一番の晴れの日です。



[2010/03/01 11:37] 教育 | トラックバック(-) | CM(3)