街道を行く (やまなみサイクリングロード)  

こんばんは。
夜になって、雨が降り始めました。
この雨で、花のつぼみがまた膨らみそうです。

お彼岸で、夫の里にお墓参りに行ってまいりました。
のんびりできて、何よりの休日になりました。

昔の街道の面影も残る街並み。
遠く高いところに雪をいただく峰々。

山里の昼は、全体が春の陽に包まれて明るくて、しいんとして静かで。
雪の多いところで、中庭にはまだ雪がたくさん残っておりました。

それにしても、行き交う車の少ないこと。
車で往復したのですが、前後に車の姿はなく、すれ違う車も、時々という感じ。

島根県の雲南と呼ばれる地域です。
理由は分かっています。
高速道路、尾道松江線 の開通以来、広島と松江の通り道ではなくなり、すっかり車通りが絶えてしまったのです。
ドライブしながら、とても寂しい気がいたしました。

ところが、道の駅(布野)で一息入れた時、
ライダー達や、かっこいい自転車のサイクリストが、ちらほら。

あ、そうか。
どうやらこの道は、自転車に乗るには、もってこいの道になったのです。
車が少なくて、道は整備されていて、眺めも上々なんですもの。

坂道はいたってなだらか。
広々とした田畑に、島根県特有の赤瓦の家が点在しているのが遠くまで見えています。
時々、大きな川のそばを行ったり、山の間を行くこともご愛敬でしょう。
疲れれば温泉も所々に。

車がいなくなって、取り残されたように思えた道は、
昔のように、身の丈の速度で人が通う道に、再び戻っただけなのです。

国道54号線は、広島と宍道を結ぶ古い街道です。
昔の人たちも、この道を歩くのは、案外楽しかったのではないかしらん。

興味が湧いてきて、いろいろ調べてみますと・・・。

三次駅 ― 夫の里(頓原) 42㎞ 
夫の里 ― 宍道駅 これも調べるとちょうど50㎞。
40㎞は、昔で言えばちょうど10里。
江戸時代の人は、ゆっくり歩いて一日6里、急いで12、3里だったそうですから、
三次を出れば、雲南のあたりで一泊というところでしょうか。

では、自転車ですと、どのくらいかかるのでしょう。
根性が今ひとつでな私でも大丈夫でしょうか。

そうそう、赤来道の駅には、とってもおしゃれなレストラン・カフェがあります。
そもそも食べものがおいしいこの地域、他にも、ジビエのレストランや、薬膳レストランなどなど、
この頃は、こうした山間地域に、どこかで修行してこられた立派なシェフが開かれる、とてもよいお店があるのです。
食いしん坊の私が頑張れそうなご褒美です。

温泉も所々にいろいろです。
ラムネ温泉とか、平家の隠し湯とか。
それに、滝とか、キャンプ場とか、スキー場とか。
寄り道しながらのんびり行くのもいいですよね。

広島から来れば、到着は宍道湖。
宍道湖の夕陽の美しさはとても有名ですから、夕方着なら一層ドラマチックかも知れません。

自転車も、てくてく歩きも、とても楽しそうです。
これは大発見かも!

もうすぐ、藤の花、そして、合歓の花の季節がやってきます。



*今度、サイクリングに挑戦して見ようかな、と思って、ネットを見ると、
「やまなみサイクリングロード」とありました。
すでに知られているようです。さすがですね。

国道54号線、三次から宍道間が、特にお勧めです。
どうぞいらしてみて下さいね♪

☆やまなみサイクリングロード (島根県エリア)
http://www.pref.shimane.lg.jp/infra/road/joho/d_katuyo/kasseika/index.data/yamanamimap1.pdf
http://www.pref.shimane.lg.jp/infra/road/joho/d_katuyo/kasseika/index.data/yamanamimap2.pdf



[2017/03/21 23:17] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(0)

旅日記 新潟 

こんにちは。
雨の休日になりました。

先週、お仕事で新潟に行って参りました。
新潟は初めてです。
海沿いの新潟空港、飛行機がまるで海の中に降りてゆくかのように降下。
お仕事とは言いながら、楽しい旅の始まりです。

早速、翌日の午後は、お仕事をさぼって観光いたします。

信濃川河口に広がる広々とした新潟平野。
そうだ、レンタサイクル!
われながら、素晴らしい思いつきです。

さっそくレンタサイクルにお電話いたします。
「もしもし、今三越のところにいるのですが、ここから一番近いステーションを教えて下さい。」
「では、古町商店街で検索して下さい。」
ええ?
確かそういわれたと思うけれど、検索は億劫なので、手元の小さな地図に頼ることに。

持っていた小さな地図に記されたステーションの位置はかなり曖昧。
道を尋ね尋ね、30分以上歩き回って、ようやく自転車を借りることが出来ました。

その後の観光は快適そのもの。
この頃の旅のマイブームは、作家の家探訪です。
平らな新潟平野が、唯一海に添って小高くなっているあたりの屋敷町を中心に廻りました。

会津八一晩年の家(北方文化博物館)
旧斎藤家別邸(国指定名勝)
坂口安吾 生誕碑(大きな神社の入口。このあたりに生家があったそう。)
安吾 風の館(旧市長公舎)

古い風情の路地を抜け、松林の中の静かな小道を超えて、海へ。
よく晴れた日でしたが、残念ながら佐渡島は見えず。
風が吹いて、良い気持ちでした。

さて、そろそろ時間です。
お借りした自転車をお返ししましょう。
またステーション探しです。
電話します。

「今、古町商店街の入り口にいるのですが。」
「○○神社わかりますか?」
「わかりません。」
大体、サイクルステーションが載っている地図には、目印になるものがほとんど書かれていません。
外来者の私は、もう一つの別の地図と照らし合わせながら見なければなりませんでした。
当然その神社も書かれていません。
「ではちょっと距離がありますが、パーク600に行って下さい。」

自転車で、言われたとおりに進みます。
パーク600、ありました!
ところが、レンタサイクルをやっている様子がありません。
ただの大きな立体駐車場の入口。
無人です。
見知らぬ土地の立体駐車場の前に立ち尽くす私。

仕方なくまたお電話いたします。
「すみません、パーク600の前にいるのですが、レンタサイクルをやっている様子が無いのですが。」
「ぐるりと廻って下さい。」

心細く思いながら、ビル沿いの路地を入ると、女性のいる受付がありました。
やれやれ。

「レンタサイクル返したいのですが。」
「ぐるりと廻って下さい。」
時間も無くなってきたせいもあって、だんだんイライラがこみ上げてきました。
もっと別の説明は無いのでしょうか?

他にどうしようもなく、また少し進みましたが、ありません。
もう一度お電話します。

「もしもし、自転車を返すところが見つからないのですが。」
「イタリア料理の○○というところを曲がって・・・・。」
だったら初めからそう言ってよっ。

本当にぐるっと回った、わかりにく~いところに、レンタサイクルのステーションはありました。
自転車を返しに来たと一目で分かる私に目もくれない受付のおじいさん。
こみ上げる怒りに堪えながら、自転車を奥の自転車置き場に並べます。
愛想の無いおじいさんに無言で鍵を返却して、怒りとともに外へ出ました。

何なの、このレンタサイクルの人々。
私は、怒った勢いで、大きく3歩、カツカツと歩き出しました。

ん?
突然、降ってくるように気がついてしまいました。
これって、「新潟県人」なのでは?!
もしかして、新潟の人って、聞かれたことだけにしか答えないのでは?

そういえば・・・。
「この乗り場は、新潟大学に行くバスが来ますか?」
「来ません。」
「どこから乗ればいいですか?」
「3つさきの乗り場です。」
知っているんだったら、最初から教えてよ、と思ったのでした。

そういえば・・・。
地図がわかりにくいせいで、街をさまよいながら、地図を見せては何度も「私はこの地図のどこにいるのでしょうか?」と尋ねました。
尋ねた人は皆さん、親切に立ち止まって地図を手にとって、「ここです。」と教えて下さいました。
親切なのです。
でもこれが福岡だったら?
「どこに行くの?」とか「どこから来たの?」とか。
もっと「近くに美味しいところがあるよ。」とか「あそこにも行ってみて。」とか。

旅ですねえ。
ここは新潟、異国の地なのです。
さっきまでのイライラは、一瞬で消え失せました。
私は確かに新潟を旅しました。

私は改めて、広々と見通しのよい市街地を歩き始めました。

バスが、信濃川河口にかかる萬代橋にさしかかりました。
萬代橋は、立派な石造り6連アーチの長い長い橋です。






[2016/06/05 12:56] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(0)

旅日記 盛岡 

こんにちは。
秋晴れのよいお天気の日が続いています。
いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。

先週末、お仕事で盛岡に行ってきました。
盛岡は、緑が多くて、素敵な街です。
からりと乾いた気候のせいか、外国に来たような気がいたします。

訪れた岩手大学には、構内に農学部の広い植物園があって、
賢治も学んだという洋館を、大きな木々が静かに囲んでいました。
お昼休みには、池のほとりのベンチに腰掛けて、タクシーの運転手さんおすすめの「福田パン」を買っていただきました。

盛岡では、大学時代の友人に会う約束をして、楽しみにしておりました。
7、8年前に会って以来です。
その時は、二人で花巻の賢治ゆかりの地を車でめぐりました。
学生の頃は、のんびり朗らかでまあるいイメージだった彼女が、今はほっそりとしてとてもしっかりした感じ。
颯爽と運転する姿が、ちょっと意外で素敵でした。

今回はと申しますと、会うとさっそくあの時の続きのおしゃべりです。
お夕食をいただきながら、子ども達のその後のこと、友人達の消息、俳句のこと、夫や両親のこと、犬たちのこと、最近読んだ本のこと。
おしゃべりはつきません。

翌日、3時間ほど時間が出来たので、もう一度会うことに。
岩手県立美術館にまいりました。
舟越保武と松本峻介の作品が、帰ってきているということでした。
明るくて柔らかい手触りの石の壁が印象的な建物です。

雪の日の風景を描いた松本峻介の小さな絵の前に来た時、
「私が子どもの頃の盛岡って、雪の日は、ほんとにこんなだったの。」

一人っ子の彼女の、幸せな子ども時代のことを想像しました。
私が子どもの頃に知っていた街も、こんな風だった気がいたしました。
私が育ったのは、ほとんど雪が降らない街でしたのに。

時々そっと話してくれる作品についてのコメントは、控えめで、私に丁度よい内容でした。

「この山の稜線ね、父が入院している病院から見えるの。
今もやっぱりこんな風に田んぼがあって。」

入院して7年になられるお父様のところで、毎日1時間半を過ごすという彼女の日課。
お母様が亡くなられて3年近くでしょうか。

いつからか、館内にピアノの演奏が聞こえていました。
演奏はとても素晴らしくて、不思議なことに、少しも絵を見る妨げになりませんでした。
聞けば、夕方からのコンサートのリハーサルだということでした。

ピアノを聴くの、久しぶり。

彼女はピアノがとても上手だったことを思い出しました。
学生時代の彼女が、色々なコンサートに出かけていたことも。

この頃、ピアノ弾いてる?
ぜ~んぜん。

偶然こんなピアノコンサートが聴けて、
真面目にがんばってる私たちへのごほうびね~って、二人で自画自賛。

学生時代と全然変わらない。
朗らかで、無理なところが少しもない、やわらかい感じ。

いろんなことがあるはずの盛岡の暮らし。
それでも何だか幸せそうで、その風景は、からりと澄んだ空気を通して見える盛岡の景色みたいに、きれいで透明でした。

今度、ぜひ、福岡に遊びにいらしてね。
少しはご案内できるようになったと思うから。

私たちは、また近いうちに会う予定があるような様子で、別れました。

岩手大学の図書館前の桂の木が、すっかり黄葉しておりました。



[2015/10/18 16:29] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(0)

旅日記 弘前 時空をこえて 

こんにちは。
今朝、お洗濯ものを干している間じゅう、ホトトギスの声が聞こえていました。

先週、弘前に行ってまいりました。
そう、青森県の弘前です。

弘前は不思議なところでした。
最果ての地のようなイメージを持っておりましたが、行ってみると、全然違っておりました。
神戸のような立派な洋館が、街のあちこちにあります。
江戸時代、初めてコーヒーを飲んだのも弘前の藩士だったとか。

そのせいか、今も市中に喫茶店がたくさんあります。
(弘前の方には、お茶する時間がたくさんあるのかしらん。)
フランス料理のお店も日本で一番多いのだそうです。

お花屋さんが多いです。
そして、街の建物が、少しずつですが装飾的なのです。

街全体が、おとぎの国みたいな気がいたしました。

翌日もいいお天気でした。
お昼は、久しぶりに会った方々と、弘前城趾でお弁当をいただくことに。
大人のピクニックです。

お堀の周りには、ぎっしり並んだソメイヨシノ。
どれも黒々とした太い幹の古木です。
すっかり葉桜になった梢に、ちらほらと花が残っています。

なるほど。
これは、弘前の方々が皆さん、わずかな時期遅れを惜しんでくださるのも納得です。

お城に上がれば、なんと、敷地の奥の広場に、息をのむほどの、しだれ桜の群生。
100本以上はあるでしょう。
ちょうど今が満開です。

たくさんのしだれ桜が、しんとした中で風に揺れています。
近寄ってみると、一輪一輪は、とても小さい八重の花でした。
寒い国の、思いに満ちた春の花。

弘前の皆さん、お城の桜、見せていただきましたよ。
嬉しくて、なぜかとても切ないです。

その後、古い喫茶店の2階で、午後じゅうおしゃべりをして過ごしました。
どうやら皆さん、時間センサーが故障していたようでした。

弘前、おそるべし。




弘前の時計の針の遅きかな喫茶「ひまわり」の永き晩春      ここ



[2013/05/27 16:18] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(2)

旅日記 博多3 導かれるという不思議 

こんばんは。
今日は一日暖かでした。

普段の生活の中にも、小さい不思議っていっぱいありますね。
例えば今日。
10月末の、ねたのさんとまき右衛門さんとの博多の旅に関わるお話が、なぜか今日になって、全然関係のないお二た方から。
ね、不思議でしょ。

あの日も、本当に不思議がたくさんでした。

博多織の職人さんのところを辞した私たち。
雨も上がって、さてどこへ行きましょう。
ちょいと見渡しますと…
あらまあ、すぐそばに立派なお寺。

御門には「写経はいつでもできます」。
状況を生きるタイプの私たち。
やりますとも、写経。

広々とした境内に、立派な山門、お池。
写経するところを探して、年を経た木々の間を、おしゃべりしながら歩きます。
しかし奥の御門には、「無用の方の拝観お断り」。
それらしいところは全然ありません。

仕方なく、長く続く土塀に添って探しながら歩いていくと…。
どこから来たのか、突然痩せた男の人が目の前に。

ねたのさん「あなた、どこからいらしたんですか?」
単刀直入です。
男の人、やや気圧されつつ「仙厓さんのお墓にお参りに…」

「センガイさん?」
「仙厓さん、知らないんですか?」男の人、かなり意外そうです。
「申し訳ありませんが、私たち知らないんです。センガイさんて、どういう方なんでしょう。」
ねたのさんはいつも単刀直入です。
男の人、私たちを一瞥、「画家ですよ。出光のカレンダーとか。」

もちろん、さっそく仙厓さんのお墓に参ります。
だってあの男の人、私たちをそう導くために現れたとしか思えない怪しさでしたから。

「仙厓さんのお墓こちら」と札のある木戸には「犬の入場お断り」。
読める犬なんているのかしらん。
内田百間のお宅みたいで、ちょっと愉快。

お参りの後、木戸を出ると、さっき通ったはずの門に小さく「写経できます」。
何だあ、ここだったの。
さっきは気付きませんでした。

さあて、いよいよ写経初体験です。

案内されたお部屋には、机に、硯と筆と毛氈の下敷きがいくつも並んでいます。
ねたのさんと私は正座。
まき衛門さんは、椅子の席に。

上等の和紙に薄く書かれた般若心経の文字をたどってゆくのです。
お部屋には、私たち三人だけ。
お経の意味なんて全然わかりません。
しんとした部屋で、ただただ漢字を書いてゆきます。
時々手を止めておしゃべりもいたしました。

人の字をたどるのは、案外と難しくて、なぜかだんだん素直な気持ちになってくるものですね。
書いていると、忘れていたようないろんなことが、頭に浮かんでは消えてゆきます。
気が散っているのではありません。
私は、コンサートで、すばらしい演奏を聴いている時にも、こういう風になります。

気がつけば、ゆうに一時間以上が経っていました。
出来上がったのは、ねたのさんが早くて、私が一番最後でした。

最後に、自分の名前とお願いを書きました。
三人の書いたお経は、とても立派に見えました。
仏さまの後ろに納めてくださるそうです。

何一つ計画の無かったこの日。
私たちは、次々に何かに導かれるようにして、いろいろな体験が出来たのでした。

常々この時のことだけ書いていなかったのを気にかけておりましたところ、
なんと二ヶ月も経った今日になって、急にご縁がありましたので、今になって続きをここに記しました次第です。

それにしても、写経しながら居眠りしちゃうねたのさんって(笑)



*翌々日、美容室で髪を切っていただきながら、この日のお話をいたしました。
 すると、その若い美容師さん、写経をしてみたかったのだそうです。
 どうやら私は、この人を、そちらに導くお遣いになったようです。

来年は、脱皮しては大きくなるという巳年ですね。
皆さまが、よいお年をお迎えになられますよう、心より。

今年中は、本当にいろいろとありがとうございました。



数え日や大煙突は空の色   ここ





[2012/12/29 21:54] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(2)

旅日記 博多2 若い人を育てる 

こんにちは。
よく晴れて、今は、少し強めの風が吹いています。

ねたのさん、まき衛門さんをお迎えしての博多ノープランの旅、続きです。

さて、なりゆきまかせの状況を生きる私たち三人、早速くだんのお花やさんに向かいました。

そこは、金曜日と土曜日しか開いていないというお花屋さんです。
その日は金曜日でした。

福岡が都会だなあと感じる理由の一つに、若い方の、こだわりのお店が多いことです。
古いアパートの一角にある雑貨屋さんや洋服屋さん。
先日も、週末しか開いていない文具店に行って、来年の手帳を購入してきたところです。

見つけました。
目立たない場所に、小さな看板の掛かった、小さなお花屋さんです。

おや、お休みのようです。
中から人が出ていらして、結婚式のお仕事なのだそう。
残念。

仕方がありません。

街は静かな、昼下がりです。

おや、お隣は、博多織の工房でしょうか。

ここもおやすみかなあ。

三人が雁首を並べて、木枠のガラス戸をのぞき込みます。
中から背が高くて細い青年が出て見えましたよ。
ふふふ。

彼ご自身が、どうやら博多織の職人さんなのでした。
奥には大きな織機。
博多織は、力を入れて織るので、機は動かないように、天井や壁に固定されているのだとか。

彼が織ったという博多帯のいろいろ。
一瞬、息を呑むほどの素晴らしさです。

淡い色とつやの織り出す模様。
博多織の、昔からの決まりとか、柄とか。
それから新しく取り入れた部分や色について。

控え目ながらも、熱のある説明。
高価な品物ですから、とてもとても購入できるはずのない私たちですのに。

うかがいながら、次第に熱い気持ちになっていきました。

彼は、このところ、伝統工芸展に毎年出品しているのだそうです。
来年の工芸展では、きっと私たち、お名前を探すことになると思います。

すっかり応援者気分になって、小さな工房を出た私たち(財力は無し)でございました。


*博多織の工房を訪ねて、一流の職人さんのお話をうかがう。
はからずも、遠来のお客さまへの申し分のないおもてなしができたと、内心嬉しくなったのは、いうまでもありません。

この先も、もちろんなりゆきまかせ。



[2012/11/19 14:30] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(4)

旅日記 博多1 状況を生きる 

こんにちは。
いいお天気になりました。
ずっと聞こえていた鳥の声がやんで、気がつけばとても静かです。

先月の終わりのことです。
私の治療の終了にあわせたみたいに、お友だちのねたのさんとまき衛門さんが、なんと遠く福岡までお越し下さいました。
まき衛門さんは、大分から。
ねたのさんは、なんと静岡から飛行機で日帰り!です。

待ち合わせは、博多駅に11時。

お二人、発見!
そのあたりだけ陽だまりオーラが輝いていて、博多駅の雑踏もなんのそのです。

お久しぶり。

今年の春先、長崎の旅以来です。
遠いところをお越し下さって、本当に嬉しい。
何だか涙もろくなっていた、その頃の私。
泣き出してしまいそうな感激です。

そのくせ、私ときたら、実は、何の計画もありません。
遠来の友を迎えるというのに。
人生同様ノープランです。

さて、どこへ参りましょう。

まずは、積もるお話を、2階の「アンデルセン」で。
それから、私がネットで見かけた、素敵なお花屋さんに行ってみようということに。

ところが私、お二人をお誘いしながら、そのお店の正確な場所も連絡先も分かっていません。
なぜかスマホではホームページにアクセスできず。

どうしましょう。パソコンがあったらいいのに。

あった、あそこ。

と、お二人の指さす先。
折しも、博多駅1階広場では、ソニーの新しいモバイルパソコン?のキャンペーン。
ああ、そこだけが場違いな明るさで、背の高い美しい女性が手招きしています。

検索させてくれるかしらん。

しかし、ねたのさんとまき衛門さんに全く迷いはありません。
その賑わいの中へ突き進んで行く私たち。

状況を生きる…。

そう、年齢も、趣味も仕事も住んでいる街も、全然違う私たちの共通点って、これなのでした。

臼杵の蓮。
全国駅伝のスタート。
長崎眼鏡橋。

いつも、無言のウチに、状況を最大限に活かす方向?で歩み始めるのです。

はたして、3人は、新型?パソコンの説明たっぷりと、おみやげの懐中電灯を頂戴し、
ようやく目的のお花屋さんへと向かったのでありました…。


*この先はもっとなりゆきまかせ。



[2012/11/12 13:56] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(2)

旅日記 唐津 虹ノ松原 

こんにちは。
お彼岸ですね。
律儀者の彼岸花ですのに、今年は咲き始めたばかり。
いつもより少し遅めです。

佐賀県は唐津に行ってきました。
ゼミ合宿です。

唐津は初めて。
学生さんが決めてくれた行き先です。
お宿は、虹ノ松原にあるとか。
虹の松原、なんてロマンチックな名前でしょう。

それは、名前からは思いがけぬほど、広く深く繁る松の森でした。

お宿は、白い砂の海岸と、その松原との間にありました。

会議室の大きなガラス窓全体に広がる海。
波の音。
最高の環境です。

こんなところに来て、ゼミなんてやっていられません。
外に出たーい。

しかし、学生さんは誰も同意してくれません。
淡々と、タイムテーブルをホワイトボードに書いて、ゼミを続けようという雰囲気です。
卒論についてですから、みんな一生懸命なのです。

私のゼミの学生さんは14人。
一人来られなくなってしまって13人です。
一人30分として…。
みんな真面目だなあ。

夜中の12時前まで、お夕食とお風呂の間をのぞいて、結局ずっとがんばりました。
終わった時には全員ヘトヘト。
かなり無口になっておりました。

やれやれ、おやすみなさい。

あれ?先生も一緒におしゃべりしましょうよ。

資料作りで寝不足の学生さんがほとんどのはずなのに、やっぱり元気ですね。

ありがとう。
私は休ませていただきますね。

翌朝、一人で念願の砂浜へ。

遠浅の白い砂浜が、ずっと向こうまで続いている、絵のような海です。

涼しい風が吹いています。
貝殻をいくつか拾いました。

つい最近、リンドバーグの『海からの贈物』を読んで、深く感動したばかり。
女性の生活や人生についての、深い思索の文章です。

文章の中で、つめた貝は孤独、日の出貝は若いころの愛の象徴でした。
かき殻は、いびつに増殖した都市の生活。
たこぶねという珍しい貝のことは、大人になった個人としての愛。
それらが、ちょうど海辺で拾った貝を慈しむように、慈しみながら書かれていました。

私は、それらの貝に似ている貝を探して拾いました。

それから、裸足になりました。
貝は靴の中に入れて、離れた砂の上に置いておきました。
ゆっくり、波打ち際まで歩きました。

海は少し冷たいだけでした。

だんだん明るくなってきて、学生さんも海に出てきました。

私の娘と言ってよいくらいの年頃の彼女たち。
誰もみんな、それぞれに美しくて、時折はっとさせられるほど。

みんな楽しそうです。

砂を踏んで歩く感触。
私もとても楽しい。

足についた細かい砂を払って靴を履き、拾った貝を手に握って、部屋に戻りました。
学生さんは、まだみんな海に残っていました。




[2012/09/22 15:57] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(0)

旅日記 鹿児島 

こんにちは。
福岡は、梅雨入り発表の後、雨がありません。

先週、鹿児島に行ってきました。
一泊二日の小さな旅のご報告です。

ご存知でしたか。
新幹線さくらの車内放送、博多を過ぎると、なんと韓国語と中国語が加わるんですよ。
車中、早くも旅の風情です。
しかし、あっという間に鹿児島中央駅に到着。
何となく残念?

旅人の私、ホテルの位置が少々わかりにくくて、地図を開きながら道を尋ねました。

さらさらの長い髪、今時高校生のお二人。

一緒に行きますよ。ヒマですから。

さっとカバンを持ち直して、エスカレーターから小雨の中へサクサクと。

ここをまっすぐですから。

親切にご案内くださったのに、お礼にできるものが何にもなくて、少々残念です。
あ、そうだ、新幹線でいただくつもりだった「塩豆大福」がありました。
一つしかありませんけれど、お二人で分けて召し上がって下さいね。

鹿児島中央駅は、長らく西鹿児島駅と言われていたターミナル駅です。
駅舎も、駅から見える風景も何もかもが、新しくてピカピカになっていました。
駅舎の上には観覧車。


翌日も小雨。

地面には、雨に流された灰が、ところどころにあつまって固まっています。
音に聞く桜島の灰は、とても粒子が細かくて真っ黒なものでした。
晴れると風に舞い上がって、それもまた大変なのだとホテルの方からうかがいました。

困りものの桜島の灰。
それなのに皆さん、雨のせいで桜島が見えなくてと、とても残念そうにおっしゃいます。
本当に、すぐ近くにあるはずの桜島は、全く見えないのでした。

午前中でお仕事終了。
午後のわずかな時間、鹿児島市立美術館へ向かいました。

バスを降りると目の前に、西郷さんの銅像。
見上げれば、背景の城山を抜くほどの大きさです。
洋装の西郷さんは、犬も連れず、雨に濡れておられました。

美術館は大きな建物で、その中でしばらく過ごしました。
とても居心地のいいところでした。

西南の役その他、戦火の激しかった鹿児島。
郷土作家の作品の収集への熱意と、そのままならなさが伝わって、かえって歴史が感じられました。

美術館を出て、近くのかごしま文学館にも足を運びます。

文学館二階の小さな展示室。
そこでも、ゆかりの作家が精一杯取り上げられていました。
改めて、鹿児島は、都から遠く離れた場所なのだと感じました。

林芙美子の旅行鞄。
海音寺潮五郎晩年の書斎。
島尾敏雄の妻であったミホのコート。

無骨で、不器用な人たちの、精いっぱいの生の匂い。


文学館を出ると、雨はやんでおりました。

歩道の脇などところどころに、土嚢のような袋が積まれています。
中身はどうやら黒い灰。
袋の表には、大きく「克灰袋」と書かれていました。

そろそろ、ピカピカの鹿児島中央駅に戻らなければなりません。
結局、桜島は見えないままになりました。

桜島を見に、もう一度来るかもしれません。



噴火してのちにひねもす灰降らせ困らせまとわりつき桜島     ここ



*おみやげに、白くまアイスを買いました。





[2012/06/14 14:32] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(8)

旅日記 長崎3 

こんばんは。
夕方から雪になりました。
春の雪は重くて、早く落ちてくるような気がいたします。

長崎の旅の続きです。

福砂屋さんを出て、丸山町へ。
なだらかな坂になっているこのあたりは、遊郭のあった所だとか。
丸山公園では、大きなモチノキが、びっくりするほどたくさんの赤い実をつけておりました。

おや、ねたのさんが携帯の電池切れとかで、なにやら大あわてを始めました。
これがないと、長崎のお友だちとの待ち合わせもできない!(それは大変)
さっきのコンビニで買った充電池が合わない!
取り替えてもらってくるから待ってて!(えっ、取り替えてもらえるの?はぐれたらどうするの?あああー)。
私とまき衛門さんは、思案橋の交差点で待つことに。

二人、思案橋ってどこ?とか言いながら、交差点を渡ったり引き返したり。
なるほど思案橋かも。
それにしても、何が起ころうとも特に慌てる風でもないまき衛門さんは、やっぱり大物です。

ねたのさん、復活。
午後から中ずっと歩き続けた私たち、そろそろちょっとお茶でもと思っておりますと(1回も休憩してなかったんですよ、すごいでしょ)、
さあ、お友だちとの待ち合わせ場所まで歩きましょうとねたのさん。
ええそうしましょうとまき衛門さん。
ええーっ。
私は今まで、自分は結構歩ける方だと思っていました。でも、
ごめんなさい、もう歩けません。(二人は一体…?)

目の前にあった喫茶「富士男」にてしばし休憩。
その後タクシーで待ち合わせ場所の「山川荘」へ。
ごめんね、歩けなくて。

山川荘では、ねたのさんのご友人マチコさんとそのご家族のみなさまとご一緒いたしました。
卓袱料理をいただきました。
魚の尾のお汁、大きなお豆の煮物や、お野菜の炊き合わせ、お寿司、などなど。
それは、観光客向けのきらびやかなお料理ではなく、しっかり作った本当のお料理。
見知らぬ私たちも一緒に迎えてくださる、マチコさんご一家のあたたかいおもてなしのお気持ちが、お料理からしっかり伝わってまいりました。

長い一日も終わろうとする、いまだ浅き春の宵。
しかし、マチコさんご一家は、疾風怒濤のご家族だったのです。

この先の夜は長うございました。


もう少しお話は続きます。




[2012/03/11 22:50] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(0)

旅日記 長崎2 

こんばんは。
夜になると少し冷えますね。

長崎観光の続きです。

さっきお寺から見上げていた、急な坂道を上って、坂本龍馬の亀山社中へ。
道の両側には、立派なお墓が並んでいます。
お墓の文字は、みな金文字。
金の文字は、何かのために働いた短い命を、せめて永らえているのかもしれません。
亀山社中からは、ずっと下の方に、海が見えました。

坂を下り、また歩いて崇福寺へまいります。
山沿いに、大きなお寺の続く道です。

石屋さん、仏具やさんと、同業のお店が集まっては、少しずつ移っていきます。
古い町の形が残っているのだと思います。

途中「萬順製菓」という小さいお店で、月餅などなど中華菓子を買いました。
噂に聞く「よりより」は、3本買って歩き食べ。
食いしん坊かつお行儀の悪い3人のウォーキング・ヨリヨリです。

呑気に歩いて、到着した崇福寺。
興福寺以上に異国情緒たっぷりのお寺を見学していましたら、なんと、敷居に「豚返し」というしきりが。
うっ。
さっきも甘いお菓子を食べたばかり。
一瞬ひるんでしまいましたが、なんのこれしき。
3人で、ひゃあひゃあ言いながら、豚返しを越えました。
これは、お寺で豚を飼っていた名残なのだそうです。
面白いですね。

何の反省もなく、次は福砂屋さんの本店へ。
古い造りの大きな店構え。
店内右手には、作り付けの木枠のウインドーに、アンティークの硝子細工の品々が飾られた一角があります。

光るような黄色のカステラ。
奥の木枠の番台との、恭しいお金のやりとり。
丁寧な接客。

天井の低い、昔の建物のはずなのに、何だかうきうき嬉しくなるお買いものでした。
手にはずっしりとおみやげのお菓子の紙袋。


福砂屋に行く長崎の春の風  汀女




[2012/03/10 20:51] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(4)

旅日記 長崎1 

こんばんは。
日が永くなりました。

先月のことですが、ちょっと旅行に行ってまいりました。
ブログ仲間のねたのさん、まき衛門さんとの愉快な三人組の旅です。
春先の旅行もこれで3回目、恒例行事になってきました。

目的地は長崎。
今回の旅はねたのさんのお声かけ。
長崎在住のご友人と合流の計画です。

グズグズ者の私も、おかげさまで旅の空。
ねたのさんの周りは、いつも人と笑いでいっぱい。
私も、ねたのさんの周りになんとなく集う一人なのです。

博多駅に集合。
おしゃべりしている間に、もう長崎到着です。

さすがは長崎、観光都市。
駅で荷物を預けますと、宿泊予定のホテルまで運んでおいて下さるという、ありがたいサービスがあるとのこと。
早速お願いすることに。
おかげさまで、身も心も軽く、長崎観光に出発ー。

と、さすがはねたのさん。
荷物と一緒にお財布を預けてしまって、さあ大変。
大あわてで引き返します。
あわやトラックに積み込まれるところでした。
世の中に、自称あわて者の方はたくさんいらっしゃいますが、ねたのさんこそ、正真正銘のホンモノです。
何でも、ホンモノがいいなと思います。

観光、まずは、眼鏡橋。
何度も写真で見たことがあるのに、こうして実物を見ると、やはりなかなかの偉容です。
石って不思議ですね。
ただ見ているだけなのに、その、もともとの重さが、気持ちの奥まで伝わってきます。

橋。
ただ向こうに渡れるというだけでなくて、意匠を懲らして丁寧に作ること。
ふむふむ。
などと、ちょっとだけ哲学的気分。

おや?
橋のたもとに人が集まっています。
土手の石組みの中に、ハート型の石が一つ混じっているのだそうです。
台湾から来たという爽やかな恋人たちのために、シャッターを押して差し上げました。

そのあとは、私の希望で、興福寺と崇福寺に参りました。
昨年、九州国立博物館で、黄檗宗についての特別展がありました。
インゲン豆が有名ですけれど、食生活の他にも合理的な文化を伝えたという黄檗宗。
博物館の展示を見ながら、派手な色彩のあれこれ、剃髪もなくて、少しもストイックに見えないのに、同時にとても高い精神性を持った禅宗であることが、やっぱり不思議な気がして、興味を感じていたのです。

興福寺は、赤と金を基調とした、中国風の様式のお寺でした。
拝殿の柱も屋根も大きくて、堂々としています。
大きな額の書の文字が、ゆうゆうとしていて、見ていると、何だか気持ちがのびのびしてきます。

正面の建物で、三人しおらしく手を合わせます。
隣の建物を見ようとすると、その間の石で作られた溝が、少しだけ広いなあと思いました。
たいした幅ではないのですけれど、一足で越える時、心の中でえいっと言いました。
ここで学んだ学僧たちも、この溝をえいと越えていたのでしょうか。
それとも勉強に夢中になっていて、そんなことは考えず、日々何度もここを通っていたのでしょうか。

後ろの建物には、海運の守護神さま。
千里眼と順風耳という、赤鬼、青鬼がいました。
なぜかその赤鬼青鬼を、微に入り細に入り覗き込んで、耳が長いだの、色が違うだの、その様子について検討する三人。
お寺の後ろは、急な坂に沿って、たくさんのお墓が見えておりました。

境内にあるのは、いづれも中国風の珍しい建築様式の建物で、今はすこし古びて、静かでした。

結局のところ、金ぴかで合理的でも、精神的・学問的高みを目指せる黄檗宗の秘密は、全く分からず。

旅は続きます。




[2012/03/10 12:51] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(0)

旅日記:長崎 隠れキリシタンの里(2)  

こんばんは。
明日は十五やですね。

長いので二つに分けました。続きです。
一行は、隠れキリシタンの里、外海町へ。

車は黒崎教会へ。
レンガ作りの大きな教会です。
入っていいのか分かりませんでしたけれど、せっかくですから。
靴を脱いで、そろっと中に入っちゃいます。(一番オキテ破りなやつは、やっぱり私か?)
ふふ、学生さんが4人だけついてきました。

装飾のある木の柱と、木の長椅子、献金箱、正面にはマリア像。
しんとして誰もいませんでした。

車に戻ると、早速、今も信者がいるのかなあという学生さんの質問。
長崎県民の5人に一人はカトリック信者なのだと答えるKさん。
そういえば、途中の墓地にも十字架のお墓が見えました。

車の向きを変えるのに難儀する、細い坂道ばかりの地形。
長崎は水田が少ないというKさんのお話。
歴史の教科書に出て来る農民は多くありません。
隠れキリシタンといわれた人々が、こんな辺鄙なところの、ただの農民であったのだと実感いたします。

次は出津(しつ)教会。
こちらの教会は漆喰の白い建物です。
隠れキリシタンといわれた人々と、今のカトリックの信徒をどうつなげてよいものやら。
実は私も学生さんと同じ、心の中で困惑。
出津教会の中は、残念ながら見ることが出来ませんでした。

次に、やっと車が一台通る細い急坂を下って、ド・ロ神父記念館に着きました。
小さな木造瓦屋根のこの家は、この辺りの人々のために生涯尽くした神父さまの建てた救助院だそうです。

中にはいると、私たちのために、ちいさなおばあさんのシスターが、中央に置かれたオルガンで「いつくしみふかき」を弾き始められました。
学生さんたちが自然に歌い出しています。

先ほどの出津教会も、ド・ロ神父の設計なのだそう。
今でも「ド・ロさま」と呼ばれているとか、出津村が、フランスの彼の故郷と姉妹都市縁組みをしているとかいうことを、Kさんが歩きながら話してくださいます。

古びた木枠の展示ケースの中には、医療器具、手書きの本、大工道具、測量器具、編み機…。

しかしいったい、一人の人が、こんなにいろいろ教えられるものでしょうか?
それもたった一人、故郷から遠く離れた外国で、何の力もない農民たちに向かって。

人に何かを教える仕事の困難と徒労感だけは、実感として知っている私。
その仕事の途方のなさに、本当に途方に暮れてしまいました。

あ、
チケットと一緒に渡されたパンフレットの片隅に、「わが選める者の労や空しからず」(イザヤ書65-23)とあるのを発見。
ああやっぱり、ドロさまにだって、空しさを感じる日々があったに違いありません。
そうですよね、だからこそ、こんな言葉がここに書いてあるんですよね。

曲はいつのまにか「神ともにいまして」に代わっていました。

それにしても、こののどかな村の、何の野心も持たないただの農民たちが、隠れキリシタンと呼ばれて、弾圧を受けたことの恐ろしさを、今さらながらに感じます。

殉教って何でしょう。
例えば、生まれてからこの方信じていたこの世の中が、全然違って見える物語に出会うこと。
そして、その新しい物語を生き続けること?

でもね。
何もかもそれは物語であって、幸せはもっと、実感できるものとしてあるのではないかしらん。
温かくて涼しくて、柔らかくて、美味しい、そんなことを感じる瞬間にしか、幸せは存在しないのではないかしらん。

物語を生きることと、瞬間のただのつながりを生きることの、力くらべ。

私たちは、夕方になって、長崎市街に戻ってきました。
改めて見ると、なあんだ、ここもさっきまでいた隠れキリシタンの里と同なじ。
長崎は、市街地もまた、海がすぐそばに迫り、急な山が迫るという土地なのでした。

ここに昔、外国の、全く異なる物語を背負った人々と品々が、次々に押し寄せてきたのですね。
新しい物語が、実感を伴って次々にやってきた、長崎は、そういう場所だったのですね。

翌日は、台風のニュースをよそに、いいお天気。
予定どおりグラバー邸に行きました。
実はその後延々と続いた真面目なゼミで疲れ果ててはいましたけれど、さすがに学生さんは怒濤の体力です。
高台からは、青い海面が見えていました。

暑い中を歩いてやっと孔子廟の前まで来たら、入場料の高さに入るのを断念すると言い出す学生さんがいたりする珍道中。
初めてのゼミ旅行、おかげさまで、なんとか無事修了いたしました。
Kさん、ありがとうございました。



踏み絵てふ冷たき銅の母子かな      ここ   (季節外れ)






[2011/09/11 21:17] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(4)

旅日記:長崎 隠れキリシタンの里(1) 

おはようございます。
気持ちのいい秋の朝です。

長崎、行ってまいりました。
旅の一行は、女子大生6人と私です。
ゼミ合宿ではありますが、まずは観光。
長崎在住のKさんのご案内で外海町というところへ参りました。

外海町は、隠れキリシタンの里です。
長崎市から車で30分くらいのあたりでしょうか。
山が、海岸線ギリギリまで迫っています。
海が見えるたびに、きゃあきゃあと歓声。

まずは遠藤周作記念館。
展示室には、一つのテーマを追い続けた遠藤周作の仕事が順に示されていました。
「沈黙」
これは教科書にも出ていましたよ。
殉教の農民、棄教したフェレイラとロドリゴ神父の息詰まる場面。
そうそう、この沈黙とは、神の沈黙のことでした。
「深い河」なんて、最初の数ページで号泣できちゃう。
一冊かかって泣かせてくれるお涙頂戴小説なんて、鼻で笑いたくなるような始まりでしたね。

ノートにスタンプを押して、この小さな文学館を出ます。
キラキラの海の向こうには、東シナ海の水平線。

車を走らせながら、「長崎出身の作家は多いんですよ。」とKさん。
ロマンスグレーの彼は、古本屋さんなのです。素敵でしょう。
「井上光晴とか、知ってますか。」
学生さん、沈黙。
知ったかぶりの私「なるほど、これほど海が目の前に広がっていたのでは、アジア放浪もうなずけますね。」
Kさん沈黙。
あ、あれは金子光晴だったかな、失敗。
まいっか。(訂正せず)

車は海沿いの坂道を走っていきます。


旅は続く… (長いので二つに分けました。)



[2011/09/10 11:06] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(0)

旅日記 東京3 巣鴨駅前文川堂書店 

こんばんは。
空が高い一日でした。
近くの川の川底が、いつもより深い気がいたしました。

先月、東京の旅での思い出をもう一つ。

2日目。
私はその日のいろいろを無事終えて、ぼんやり駅に向かって歩いていました。
少々の疲れと解放感、といった気分だったと思います。

小さな本屋さんがありました。
なんだか懐かしい雰囲気のお店です。
惹かれるままに、中に入ってみました。

間口は一間半くらいでしょうか。
きっと、昔からここにある本屋さんに違いありません。

左手の壁には絵本。
どれも表紙の絵が見えるように、棚に立てかけられています。

作り付けの木の本棚は、黒光りしていて、ひと目見て年期ものです。

その向かい側の、中央の棚には文芸書。
見てゆくと、名前を聞いていた堀江敏幸さんの文庫本がありました。
そうだ、旅のつれづれに読むことにしましょう。

平台に小池龍之介「考えない練習」。
これもどこかで噂を聞いた本です。文庫でないので購入はちょっと躊躇。

棚には他にも、私が読みたい本がたくさんあります。

平積みや、表紙を向けての棚作りは、それだけで場所をとります。
ただでさえ小さいお店。
出来るだけいろんな本を置こうと思ったら、背表紙を並べてぎっしりとなるはずです。

本の数は多くないはずなのに、不思議。

中央の棚の裏側へ回ってみると、これは、若い人向けの文庫などが並んでました。
娘が好きそうな、アニメっぽいイラストの表紙の文庫が並んでいます。

表通りに向いた台には、雑誌がいろいろ。
私がゆっくい見ている間にも、雑誌を買っていく人がありました。

ああ、こんな本屋さんが近所にあったらなあ。

そしたらきっとね、
雑誌なんかをちょっと買って、あとは、時々、気分で読みたい本を買う。
お薦めの本を教えてもらったり。
歩いて行けるところだったらいいな。

広島もこの頃では次第に、大きな本屋さんばかりになりました。
でも、うちのような田舎に似合うのは、こんな、駄菓子屋さんみたいな本屋さん。
近所のおばさんたちも、ちょっと来て買って行ったりね。

迷ったけど、2冊共買うことにいたしました。
お店の人は、私と同じくらいの年齢の女性でした。

ブックカバーどうしますか。

普段はブックカバーはしてもらわないのですけど、記念になるかなと思ってお願いしました。
テキパキと、独特の折り方で、ブックカバーをつけて下さるのを見ながら、何となく話しかけます。

いいお店ですね。

手を止めて、にっこり。

毎日毎日、どんどん送られてくる本、ほとんど返してるんですよ。

そう言いながら、彼女はぐるっとお店の中を見渡しました。

小さなお店の中だけが明るくて、外は夜になっていました。

巣鴨駅前、文川堂書店。
また行きたいな。

9月20日購入
・堀江敏幸『めぐらし屋』
・小池龍之介『考えない練習』
[2010/10/10 21:14] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(8)

旅日記 東京2 巣鴨 とげ抜き地蔵商店街 

こんばんは。
今日、ススキをとってきて活けました。
十五夜は過ぎましたけど。

東京旅日記の続きです。
今回の東京は、本当によく歩きました。

まず、空いた時間に巣鴨に。
とげ抜き地蔵さまのおられるところです。

当日は、ちょうどこの辺りのお祭りでした。
あちこちでおみこしが出ています。

参道の商店街は、どこかで見たことあるような感じのお店がずっと並んでいます。
安い普段着とか、佃煮とか、おせんべいとか、これといって珍しくないメニューの食堂とか。

お店に入って品物を買おうとする年配の人達を見ていると、触ってみて、中を見たり、縫い目を見たり、しっかり選んで買っています。
長い間に鍛えられた目ですから、なかなか厳しい消費者ですよね。
誰にも気を遣わなくていい、のんびりして、自由な感じ。
私もゆっくり歩きます。

途中、庚申橋近くの「岡埜栄泉」という小さな和菓子屋さんで、「志ほがま」という棹の落雁をおみやげに買いました。
福の神のようなお店のおばさんにすすめられた「成光苑」という定食屋さんで、とっても美味しいお昼。

安くて着心地いいものとか、誰でも美味しいって思うものとか、そんなものばかりが売られている商店街。
レトロとか思い出とかでなくて、現実の、今の自分にちょうどいい、本当に必要なもの。

そういうお買いものが出来るようになるまで、きっといっぱい時間と経験がいるのだろうと思いながら歩く、巣鴨、とげ抜き地蔵商店街でした。

そうそう、肝心のとげぬき地蔵さまは、人が多くて断念。
だから、夜になってからの帰り道、もう一度、長い商店街を引き返しました。
お店はみんな閉まっていて、はっぴ姿の人たちが、ところどころで寄り合って、お酒を飲んでいました。

お地蔵様のところには、2,3人のご先客。
その人達に倣って、私もそこに置かれた布で、お地蔵様を洗いました。

父の胃とお腹がよくなりますように、母の耳と目がよくなりますように、
柄杓で水を掛けては洗います。
それから、夫の腰がよくなりますように、娘の頭?と、ついでに悩み多いお年頃の気持ちが少しでもさっぱりしますようにと胸もなでました。

ちょっと欲ばりだったかも。

これから夜が深くなってゆく時刻、
とげ抜き地蔵商店街は、すっかり静かになっていました。



[2010/09/25 19:41] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(2)

旅日記 東京1 飛行機はいつまで待ってくれるか 

こんにちは。
酔芙蓉がすっかり紅くなって、もう夕方だなって気がつきました。

連休、東京に行ってまいりました。

今回は、飛行機での往復です。
行きは、お昼頃の出発便というのもあって、大変珍しいことに、落ち着いて早目に家を出ました。
余裕です。

ところが、いきなり緊急事態発生!!

リムジンバスで、「空港まで、快適走行40分!」のはずが、
高速道路渋滞のため?
なんと私の乗ろうとした便から、突如「運休」の張り紙!

そんな理不尽な。
だって、私の航空チケットは、早割でお安く購入していましたから、予約の便に乗れない場合は、お金も戻ってこないのです。
間に合うからJRで行きなさいなんて、もし間に合わなかったらどうしてくれるんですかあ。

バス会社の人らしきおじさんに言われるままに、タクシーに。
ところが、この上運の悪いことに、私が乗ったタクシー、ガタガタのオンボロ、やけにのろのろ走るのです。
お願い、もっと早く行って、運転手さん。
駅まで30分もかかってしまいました。

あわてるあまり、切符を買う手も震えています。
とにかく急いで乗車。

はあ。
電車に乗ってしまえばこっちのもの。
のどかな車窓の風景に、やっと一息です。

ふと、バス停でもらった運休の場合の行き方のチラシを見ると、
なんと、空港の最寄り駅まで約45分、そこからバスで約15分、
と書いてあります。

ん?となると、空港に着くのは…、出発15分前ではありませんか。
搭乗手続は15分前までにと言われていたような。
どうしましょ。

そうだ、こうなったら…、
空港の電話番号を104で聞いて、電話。

「必ず行きますから、待っててください!」

最寄り駅到着は、すでに出発20分前。
バスに乗ってはいられませんから、またまたタクシーです。
忘れもしない、2400円也。

空港到着。
あと10分ありません。
急いでカウンターに行くと、「お電話くださった方ですね。こちらへどうぞ。」
大あわての私に比べて、カウンターのおにいさんは落ち着いています。

スマートに歩くおにいさんの後について、転がるように搭乗口まで。
出発時間まであと5分!
待っててね飛行機さん!

しかし、気のせいか、何だか周りはあんまりあわてていません。
見ると他にも乗ろうとしている人が何人かいます。

そこで、おそるおそる、
「あの、紅葉まんじゅう買ってくる時間ありますか?」
「急いでどうぞ」

目の前の売店でおみやげを購入。
出発時間まであと2分!

無事、機中の人となりました。
やれやれ。

気がつけば、私のあとに乗る人が二人も。

飛行機って結局、出発時間まで待ってくれるようです。

ゼイゼイはあはあ。


[2010/09/21 15:33] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(6)

旅日記 臼杵 花の宿  

こんばんは。
虫の声が聞こえています。
昼の蝉の声はどこに行ったのでしょうね。

では、臼杵の旅の続きです。

滅多にない、両親との三人旅。
私は、良い思い出になればいいなあという気持ちでいっぱいでした。

何より心配したのが暑さです。
ところが、臼杵滞在の2日間、ちょうど九州の西側を台風が通過。
おかげで大分方面には涼しい風がいつも吹いて、その上雨にもあいませんでした。

そして何より、一番よかったのは、泊ったお宿でした。
おかげさまで、思った以上の楽しい旅行になったと思います。

そのお宿は、着いてみると、予想通りの、ちょっと古くて小さいお宿でした。

門と玄関の間に、さしかけるように咲く合歓の花。
玄関に大きく活けられた椿の枝には、私たちがカタアシと呼ぶ堅い実が下がっています。

急な階段を上がって通されたお部屋は、意外にも広々として、いかにも気持のよいものでした。
そして、特に驚いたのは、お料理です。

どれもみんな、いただいたことのあるお料理ですのに、どれもみんなハッとするほどの美味しさ。

食堂には、青いいがをつけた栗の一枝。
古いミシンの上に置かれたパソコンから、今風の音楽がちょうどよい感じで流れて来ていました。

何もかも、さりげなく行き届いていて、
おかげさまで私たち3人は、とてもくつろいで過ごすことが出来たのでした。

翌朝、出がけになって、少しお話をいたしました。

お花は、奥さまが、ご自分で山に採りにいらっしゃるのだそう。
そして、食器はすべて、お嬢さまのお作なのだとか。
とても素晴らしいものでしたから、うかがってみたのです。
それから、なんとお料理は、時折応対して下さっていた息子さん。
あの穏やかそうな風貌の、どこにこれほどのお料理を作られる厳しさを秘めておられるのでしょう。

もう一度来たいと言う母に、
それなら今度は是非「宵宮」の時にいらしてください。

11月の最初の土曜日は、「宵宮」と言って、臼杵の街中が竹筒の明かりに包まれるお祭りなのだそうです。

ちょうどその頃、この家全体が、この黄色い花で覆われるんです。
亡くなった義母が、この花を見ると元気が出るって言っておりました。

飾られた写真を見ると、なるほどスマイリーというその花の名前のとおり、蔓に咲く黄色いくて小さな花の中に、小さな笑顔の形がありました。

真面目そうで、時々ちょっと面白いことをおっしゃるおかみさん。
石仏の里まで送って下さった、気のいいご主人。
優しそうな息子さん。

ご家族で営んでおられるこの宿の、静かな温かさに包まれて、私たちは、何だか感動に似た心地さえ覚えながら出発したのでした。

そしていよいよ石仏の里です。
しみじみとお参りをした、と申し上げたいところですが、そこは私たち親子。
やっぱりというべき、てんで勝手に感想を言ったり、先にどんどん歩いて行ったり。

今度も3人でお願い事を書きました。

さっさと先に書いて箱に入れる父。
字が分からないから教えてくれという母。
のぞき見ると、それぞれ、自分のことをお願いに書いておりました。
人間の出来た私は、お願いではなくて、お礼だけを書いて入れようとしましたが、ついでに、両親の健康もお願いしておきました。

ちょうど蓮の花が、おわりがけの時期でした。
花後の実と、今は盛りの花と、つぼみとが、台風の風に揺れておりました。

石仏の里は、きっとある種のパワースポットだと思います。
何だか愉快になって、しみじみなんてしないみたいです。
そして元気になります。
私たちときたら、すっかり元気になって、いくらでも歩けるような気がしていました。

帰りの電車に乗る前に、城下でおみやげを買いました。

臼杵の名産は、味噌・醤油といった麹のものです。
前夜いただいたお酒も大層美味しいものでした。
そこで、お宿で聞いたとおりに、お味噌はここ、お酒はここ、という具合に一軒ずつ訪ねて小さな瓶をいくつか買いました。

そういえば、あの小さな旅館の全体には、見えない麹の醸す、古い城下町の厚みのようなものが生きていたように思います。
私たちは、昔のままの町並みより何より、あの宿のそんなところに、臼杵の町を感じたように思います。

昨日のお昼ごろに出て、今日の午後には戻っているという短い旅。
私は、妻でも母でもない、ただの娘に戻って、両親と歩きました。

そうそう、あの玄関の合歓の花は、四季咲きなのだそうです。

時間が在るようで無い、不思議な街の、不思議な旅でした。





[2010/08/18 00:06] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(7)

旅日記 再度臼杵へ 

こんにちは。
お盆ですね。
皆さまいかがお過ごしでしょうか。

先日、臼杵に行ってきました。
春に行きましたので、二度目です。
今度は両親と一緒に参りました。

思えば春の臼杵行は、まき衛門さんとねたのさんとの、思い出すのも愉快な旅でございました。
そうです。
私たち三人は、最後の石仏さまのところで、それぞれにお願いごとを、紙に書いて投入いたしました。

私のお願いはね、「就職できますように」。
それなりに真面目な気持ちでお願いいたしました。

しかし、もともと私に、一つのことを強く願い続ける根性なんてありません。
ほどなくして、♪お仕事なんてしなくても、なんとかなるさ、ケセラセラ♪
お願いしたことも忘れ果て、それまで以上にくつろいだ人生を送っておりました。
なぜかいつも、知らず知らずにばちあたりな私でございます。

ところが、夏に入ったころでしたでしょうか。
あれよあれよという間に、来年度からの就職が決まりました。
もちろん、そうなったらなったで大喜びです。
なんと成り行きまかせな性格でしょう。

そういえば、何ごとも、強く求めすぎると叶わないとか。
その気がなくなったせいかしらん。
または、こんな私に神が試練を与え給うたのか。

などと不思議に思いつつ、ぼんやりと見る窓の外には入道雲。
相変わらずの、のんびり生活です。

しかし、それからしばらくたった頃、ふと、石仏にお願いしたことを思い出したのでございます。
大きな声では言えませんが、いたって不信心者の私。
もちろんこれといた宗教もありませんし、占いさえ信じないかわいげのない人間です。
それがなぜだか、だんだんと気になってまいりました。

そういえば、もともと春に臼杵に行ったのも、考えてみれば不思議な成り行きでした。

ある日電話で母から「臼杵の石仏の里というところがとても良いらしい」という話を聞きました。
その直後にあわてものさんのねたのさんから、まき衛門さんが御病気だというあわてたご連絡。
すわ、大分へ。
結局、まき衛門さんが元気に大分駅までお迎えにきてくださったわけなのですけれど。
それが珍道中の始まりなのでした。

せっかくですから、どこか行きたいところはありませんか?
私はとっさに、方角も距離も分からず「臼杵」とお答えしたのでした。
(快く賛成して下さったねたのさん、ご案内下さったまき衛門さん、ありがとうございました。)

よくよく思い出せば、御祈祷は確か、1月、5月、9月の3回とありました。
ふむ。5月の御祈祷が効いたのかもしれません。

それにしても、不信心者の私のはずが、以来何くれとなく石仏のことを思いだします。
気になり始めたら、しかたありません。
就職ってやっぱり人生の大事だし(2回目ではあるけれど)、こういうときって、お礼参りに行くものなのかしらん。

う~ん。
少々不思議な感じもしつつ、前期の授業も一段落したことですし、まあちょいと行ってくることにいたしました。

行きたいと言っていたとはいえ、この暑い中、年齢十分な父と母を誘っての旅行です。


思えば臼杵とは、不思議な御縁でございます。


<続きはまた>
[2010/08/15 23:07] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(0)

旅日記 東京・学生時代 

こんにちは。
6月になりました。
庭の隅に、真っ白い卯の花が咲きました。
リビングの前には、赤い一重のツルバラがたくさん咲いています。

東京に行ってきました。
今回は、卒業した大学の近くに宿をとりました。
そのあたりに出かけるのは、卒業以来です。

どんなに懐かしいことだろうと想像していました。
ところが、駅に着いてみると、懐かしいとか、思い出すとか、そういう感じが全然ありません。
私と来たら、何だか朝出て、夕方帰ってきたときのように、特になんという感慨もなく、改札口の方へ向かい、ホテルの方へ向かっているのです。
駅前の商店街のお店は、きっとすっかりかわっているのだろうと思うのですが、道筋は同じで、人の流れも同じ。
そんなものには目もくれず、まるでずっとここにいた人のように、早足で歩く私。

それはやっぱり変だろうと考えて、もっとしみじみした自分がいるはずだと思うのですけれど、わかりきった道筋をさっさか歩くわたくし。
ホテルに荷物を置いて、変な感じのするまま、また街に出ました。
前日になってから突然お電話して、学生時代にお世話になっていた方に会いに行くことになっていました。

少し時間がありましたから、思いついて、大学まで歩いて行ってみることにしました。
というのが、歩けると思っていたからです。
それが大きな間違いであったと気がつくのは、ずいぶん歩いてからのことで、あとの祭り。
方向的には合っていたのですが、思ったより距離がありました。
20年の間に、頭の中でデフォルメされて、都合のいい地図が出来上がっていたようです。
結局、少し迷ったりして、一時間近く歩いてしまいました。

あたりは、ひと筋中にはいると、昔と変わらない落ち着いた住宅地。
私はこのあたりを自転車で通っていました。

大学に着いたのは、もう5時前でした。
ヨーロッパ風の前庭を囲んで、古い校舎がそのまま。
教室には灯りが点いて、授業が行われている様子でした。
池には、相変わらず睡蓮の花が咲いていました。

校舎の後ろの林の方へ行ってみました。
学生の私は、明るくて少し薄暗い、キャンパスの林が好きでした。
昔の武蔵野の風情そのままの林です。
その中に、「宗教センター」と呼ばれていた小さな家があって、時々お邪魔しては、お茶を飲んだりしていました。
(学生がちょっと寄ってお茶を飲んだり出来るところがあるなんて、考えてみたら本当にのどかな大学ですよね。)

これといって訪ねるところもありませんでしたし、なんとなくそこへ行ってみました。
林の中の古い建物も、やっぱり全然変わっていませんでした。
中から声をかけられましたので、木の扉の、真鍮のドアノブを回して、中に入りました。

卒業生であること、ここによく来ていたこと。
でしたら、あの先生をご存じでしょう。
懐かしい先生の御消息。
ご講演が来月あること。

どうぞいらして。
いえ、今日は旅行できたのです。
そうでしたか。でしたら、あの先生はご存じ?

壁の古い木の本棚に並んだ本とか、中央のテーブル。
あの壁の向こうにはきっと今もピアノがあるだろうと思いました。

5分くらいも居たでしょうか、私はその家を出ました。
向こうに、学生時代には無かった建物が見えましたが、そういう風に変わっていくものだろうと思っているせいか、これといって何とも思いませんでした。

林の中には、学生時代お世話になった先生の句碑があるはずでした。
それは、すぐに見つかりました。
深い落ち葉に埋もれて、枯れた細い草の蔓がかかっていました。

私は、背の低い、その句碑の前にしゃがみました。
句碑に書かれた句は、卒業の時にくださった短冊の句と同じ句です。
知っているのに、改めて読んで、同じだなあと思いました。
卒業の時に、先生がその短冊を読み上げて、心を込めて励ましてくださったその句でした。

句碑には、先生のお名前も書かれていました。
先生ご自身の字です。
これは知らないと絶対読めないよね。
句会ではいつも、全然読めない先生の字を読み上げないといけなくて、難儀したり笑ったりしていました。
懐かしくて、懐かしくて、
私は、青い句碑の石を、手のひらで撫でました。
突然、少し涙が出そうになりました。
枯れた草の蔓が、私の手について落ちました。

草の蔓を、手で全部払ってしまうことも出来ましたけれど、
きっと先生は、こういう風に、草に埋もれて、草の蔓が付いたくらいの方が、お好みだったろうと思って、そのままにいたしました。

そこにも僅かの間しかいなくて、私は林をあとにしました。

そのあと、学生時代の後半に下宿していた家を探しました。
大学の近くだったのですが、すぐには見つからなくて、人に聞いたりしたあげく、結局見つけたのは、また思ったより大学から離れた場所でした。

古い大きな家は建て替わっていましたが、表札に書かれた名前は変わっていませんでした。
息子さんの代になっているのでしょう。
下宿でお世話になったお母さんは、数年前に亡くなられたことは知っていました。
もう一度お目にかかって、よくしてくださったお礼を申し上げたかったと思うとせつなくて、
せめて、仏さまにお参りをしたいと思って、実は少し準備もしていました。
でも結局、家の前にしばらく立っていただけでした。

今、私の机の上の箱の中にある、古めかしい形の玄関の鍵は、ここにあった家の鍵です。
家は無くなって、鍵だけが残りました。

それから、当時遠慮もなにもなく、しょっちゅうお邪魔していた家に行きました。
またしても、遠慮無くうかがうわけです。
懐かしい方も来てくださって、皆さんでお夕食。
久闊を叙すといった部分はすぐに終わって、後は昔ながらの雰囲気そのもの。

それぞれの子ども達の話をしているのに、学生時代もそんな話をしていたような気がします。
バイオリンの演奏とか、ちょっとした毒舌とか、ずっと前から、ずっとずっと前から。

帰りたくなくて、もう遅くなってしまって、帰らないといけなくて。
どこに帰るかというと、下宿に帰るのです。
送っていただいて、お別れして、ホテルの前まで来たら、急に、初めに下宿していた家を見に行きたくなって、私は夜道をぐんぐん歩き出しました。

商店街の賑わいがだんだん無くなっていく感じの帰り道。
となりの部屋の子と、自転車で二人乗りしてころんだあたり。
いつも一大決心しては買っていた、かわいい雑貨のお店が今もありました。
そして下宿も。
その家のおじいさんは、詩を書く人でした。

そうだ、お風呂屋さんに行ってみよう。
11時までやってるはず。
そうだ、ついでにお風呂に入っちゃおう。
素晴らしい思いつきにわくわく。
走るようにして、お風呂屋さんのあった辺りに行きました。

お風呂屋さんは、結局見つかりませんでした。
人に聞いたら、越してきたばかりなんですって、言われました。

ホテルに帰る途中、行きたいと思っていた古本屋さんに寄って、娘のおみやげに本を買いました。
この辺りに住んでいた学生の私に、娘がいて、いつのまにか仕事をすることも覚えたのだけれど、
やっぱり学生のままの私が、夜遅くまでやっている古本屋さんにいて、書架の前に立っていました。

「百年」という名の、その古本屋さんを出て、ぼんやりと歩きながら、
賑やかに店が建ち並んでいるけれど、ここはやっぱり、ずっと昔から武蔵野なのだなあと思いました。
街の灯りやら、小さな店の移り変わりなんぞは全く意にも介さず、10年や20年は、昨日と一昨日といったような、
そこは、相変わらずの、闇に沈む武蔵野なのでした。

闇の中に、私の知らない、ずっと前からの武蔵野が広がっていました。




追記

翌日、昨夜あれほど探した「亀の湯」の煙突が、電車の窓から見えました。
なぜ?
こんどこそ、絶対行く!








[2010/06/01 15:39] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(4)

旅日記 臼杵城下2 

こんにちは
雨の日曜日です。

旅日記の続きです。
大分の旅も、もう半月も前の話になりました。

私たちは、日暮れも近くなってから、臼杵城跡に登りました。
戦国時代のキリシタン大名、大友宗麟のお城です。

城跡は、町のはずれにあって、すごく大きなビル、ほどの大きさでした。
階段は急斜面。
城壁の大半は、石垣ではなく、岩。
階段の途中のソメイヨシノが、もう花をつけておりました。
大きい木枠のちょうちんが並んでいて、それには墨で「パーマ」とか「修理石工」とかの宣伝文句。
かなりレトロでしょう。
桜祭りの準備なのだそうです。

上に上がると、そこは思った以上に広くて平らでした。
公園、神社、奥にはグランド。
ジャングルジムとか、大きなクスノキ、銀杏の木、能舞台。
いろんな時代のいろんなものを乗せて、お城は町を見下ろしていました。

上からの眺めはそれはそれはみごとでした。

町を囲むようにある山なみ。
武家屋敷、寺町、商店街、漁師町。
向こうに子どもの頃から知っている「フンドウキン」のお醤油工場。
足下には、学校や教会の建物。
反対側には海と港。
赤くて安っぽい鳥居と、港町商店街という看板。

まるで絵本の中の街の絵のように、いろんなものが全部詰まって、本当の町が見えていました。

幼いころ、いつかお姫様になるかもしれないって、真面目に夢みていた私。
下々の暮らしを、こうして城山から見下ろす時くらい、ぜひともお姫様気分で、と秘かに気合いを入れてみました。

ところが哀しいかな、お姫様のはずの私が眼下の町に探しているのは、小さなわが家で暮らす庶民の私。
お城の山に登っても、少しもお国や町の行く末を案じたりしないのでした。
私の眼に見えているのは、長い長い時間繰り返されてきた、普通の人の暮らし。
もう、身分制度なんてすっかりなくなってしまったけれど、ちいさな毎日の出来事は、遠くそんなものがあった頃から、さして変わっていないのだろうと思いました。


少し日が暮れてきました。
私たちは、お城の山を下りて、車の所へと歩きました。
すっかりお腹をすかせた私たち3人、途中、名物「臼杵せんべい」のお店で、おみやげにおせんべいを買いました。

まき衛門さんが、「子どもの頃は、このおせんべいの缶の石仏の写真、首が下に落ちている写真だったんですよ」なんていうお話。
それってやっぱりちょっと気味が悪いかも。

お腹がすいた私たちの、歩きながらの話題は、ねたのさん家の桜えびの掻き揚げのお話。
おせんべいをかじりながら歩きます。

まもなく飲み屋街に入りました。
まだお店が開くには少し間があるようすでしたが、お店の数も多くて、灯が入ればかなり賑やかそうでした。
ふぐの肝が名物なのだそうです。
ふぐの肝って、食べたら死んでしまうのではなかったかしらん。

そうそうこのあたり、どこかに似てると思ったら、「千と千尋」の、お父さんとお母さんが夢中になってごちそうを食べてしまったあの不思議な町。
そういえばさっきから、何となく時間がねじれてる。

大丈夫。
信用金庫の前に駐めてあったまき衛門さんの車には、千尋の家の車みたいに葉っぱが積もったりしていませんでした。

その夜の楽しいお食事の後、まき衛門さんと、送って下さった弟さんと別れました。
翌朝は、何だかバタバタとねたのさんと別れました。
初対面とも、昔からよく知っているともつかない、懐かしいお二人でした。

何だかね、時間とか場所とかそんなこと、あんまり気にしなくていいことなのかもしれません。
こんな風に思うのは、臼杵の町のせいでしょうかね。

帰りの電車の窓から、菜の花が見えました。
私は、少しうとうとしながら、ずっと昔行った、祖母のお里のことを思い出していました。


廃線の草の堤のトンネルの向こうは一本道と菜の花  ここ




 
< 大分の旅より >


菜の花や石の仏に石の衣

ここもまた落人の里諸葛菜

案内せむ従者の声ありまむし草

旅なれば借るもの多し山桜

椿活けて人の少なき城下町     



[2010/04/12 01:38] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(2)

旅日記・臼杵城下 

こんにちは。
リビングの前の桜、七分咲きで文字通り凍結中です。
それでも、今日の夕方になる頃には、春らしい夕暮れの陽射しが戻っていました。

旅日記の続きです。

石仏の里を後にした私たちは、続いて臼杵の城下町に参りました。
もう4時は回っていたと思います。
九州の春は、本当に日が永くて、あたりはやけに明るいのでした。

町外れの信用金庫の駐車場に車を止めて、私たちは商店街を歩き始めました。

商店街には、古い木造の風情あるお店構えが並んでいます。

歩きながら、呉服屋さんが多いなあと思いました。
それほど歩いたわけではないのに、今までに確か3軒はあったと思います。
子供の七五三の着物を飾ったお店。
淡い色の訪問着を飾るお店。
どの着物も、私の町の小さな呉服店にあるものよりも、上等で素敵でした。

仏具屋さんの前に来ました。
そこでまき衛門さんのガイドが入ります。
「ここは、ご主人以外はみんなクリスチャンという仏具屋さんです。」
・・・・・・
何とかガイド役を務めようとして下さっているまき衛門さんのガイドは、実はとてもディープなのでした。

天井が低くて、奥行きのあるお店の中の、きらびやかな仏具たち。
そういえば以前、古い形の神事を継承している天皇家に、クリスチャンの美智子妃というのは、実は「祈る」ということをご存じだという点でふさわしかったのだという話を誰かに聞いたのを思い出しました。
この仏具屋さんのご家族も、教義はちがっても、きっとみなさん「祈る人々」なのでしょう。
私は脳裏に「祈る家族」をイメージしつつ、その仏具屋さんの前を通り過ぎました。

私たちは、商店街の途中を右に折れて、小さな路地に入りました。
その小路には誰もいなくて、しんとしています。
両側には、古い家の白壁が迫っていました。
そこで再びまき衛門さんのガイドです。
「実は臼杵は妖怪の町でもあって、ぬりかべ(だったかな?)の発祥の地なんです。」

へえ~。
なるほどです。

私は今度は、自分が知っている妖怪の町、三次市のことを思い出しました。
それから、駅前の妖怪に深い関係のある神社のこととかを思い出しました。
あの神社、京極夏彦さん寄進の幟もあったよなあ。
私が心の中で、負けじと妖怪の話を出すべきかどうか迷っているうちに、その短い小路は終わりました。

妖怪小路を抜けたそこはもう、本当に江戸時代そのものの町並み。
わあっと驚きの声をあげた私たち。
ゆるい坂道を登ります。

途中の立派な家には、今も人が住んでおられるようです。
観光用の紹介を読んでみます。
そこには、その家の修理の歴史が綿々と。
そういうわけで、この家は元々はどういう家なのかはよく分かりませんでした。

しばらく歩いて、私たちは、「無料休憩所」と書かれたところに入りました。
そこもとても立派な建物でした。
ここは、入ったところに、「旧真光寺」と小さく書かれていました。

時刻はちょうど5時。
もうおしまいの時刻です。

それでも入口におられた上品な女性が、どうぞと言って入れてくださいました。
私たちは、いろいろとお言葉に甘えて、2階にも上がりました。
すでに閉めてあった障子を、また開けてくださって、ほの暗い家の、立派な木組みに光がさしました。

床の間にも、家のあちらこちらにも、椿やレンギョウが活けてあります。
お花の先生が、ボランティアで活けてくださっているんですよ。
その上品な女性のかたが、嬉しそうに教えてくださいました。

私たちは、2階の窓から、今登ってきた夕暮れの坂道を見下ろしました。
坂の途中にあった、ひときわ立派な門へ続く高い階段が見えました。
聞いてみると、今ではその家には、子孫ではない別の人が、買って住んでおられるのだそう。

あ、これと同じ話、ずっと昔、子どもの頃聞いたことがある。
それは、少し小声で話される、家移りにまつわる噂話なのでした。

休憩所の黒い木戸を出ると、さすがに少し夕暮れが来ていました。

入口に、墨で書かれた「無料休憩所」の文字。
そういえば、京都のお寺が拝観料を取ることが話題になったた昔もあったなあと思い出したりしました。
そういえばこの町は、観光地だというのに、おみやげ物やさんも全然ありません。

昨日まで自分が身を置いていた、些細なことにお金を取って憚らないところ。
もしかしたら、私は、遠いところに来てるのかもしれません。

ともあれ愉快な3人の私たちご一行は、おしゃべりしながらまた商店街の方へ歩いて行きました。

そういえば、この町に来てから、あんまり人を見かけないねー。

だけど、街のあちこちに、誰かがいるような気配はしていました。
どの道も、少しずつ曲がっていて、遠くまでは見えないのです。

美しい着物を着て、立派な家を買い、悪気のない噂話をする、そんな人々の、結構楽しそうな気配。
もしかするとそれは、ずうっとずうっと昔からこの町で暮らしている人々の気配だったのかもしれません。

石畳の坂道を、車が一台通っていきました。



〈旅はもう少しだけ続きます〉




[2010/03/31 00:03] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(0)

旅日記・臼杵石仏 

こんばんは。
家の前の大きな桜が五分咲きです。
この頃は日が永いので、今日はカーテンをみんな開けて、花を見ながらお夕食をいただきました。

旅日記の続きです。
その後私たち3人は、臼杵に参りました。

ところで、臼杵のお話に入ります前に、ここでちょっとお断りしておかなければならないことがあります。
前回、ねたのさんがコインロッカーの鍵を無くされたお話など申し上げましたが、実は私は私で、上着を家に忘れてきてしまっていたのでした。
気がついたときには、もう取りに帰る時間もなくて、そのまま出かけたのです。
まあ、ちょっとした大失敗です。
人の失敗をあげつらい、自分の失敗は隠そうとする卑怯な輩だと思われてはいけませんから、ここで白状しておきます、はい。

ただ、言い訳いたしますと、私は、その失敗を隠そうとしたのではなく、すっかり忘れていたのです。

昼の大分は暖かく、日なたにいれば大丈夫、かな、というくらいの気温。
春の風は少々冷たかったかもしれません。

それなのになぜ忘れていたかって?
私は、初対面のまき衛門さんに、なかなか素敵な上着をお借りし、上機嫌で、まるで我が物の如く、一日中着ていたからですよん。

そういうわけで、結局全然困らなくて、のど元過ぎれば(使い方違う?)。
電話で、家人が、上着がないことを心配してくれた時も、一瞬、なんのことか分からなかったくらいです。
いやあ、自分の失敗だけ都合良く忘れられる、何と便利な頭の構造。
もう、構造そのものが卑怯だとも言えますね。
ははははは。
ついでに申し上げると、私は、ついに翌日それを着たまま家に帰ったのでした。


というわけで、臼杵です。

臼杵は私の希望で参りました。
特に下調べをしていたわけではありません。
たまたま、母がどなたかから臼杵のことをうかがったという話を聞かせてくれたのがその理由でした。

着いてみると、そこはぐるり山に囲まれた小さなお里で、そのぐるりには、普通の農家らしき家々が点在しています。
お寺もあるようでした。
観光客はちらほら、とても静かなところでした。
そして石仏は、その手前の山に添った岩肌におられるのでした。

大きな仏さまと、そのそばにおられる小さな仏さまと。

近づいてみると、どなたも、少しずつお顔や身体のどこかが欠けていました。
まき衛門さんのお話によると、以前、一番大きな仏さまのお首は下に落ちていて、それを元に戻すかどうかで議論があったのだそうです。

私は、仏さまのお首が下に落ちてしまっているところを想像しました。
それは少し、痛々しい感じがする想像でした。

議論があったということは、お首を元に戻すのに反対した方が、少なからずあったということ。
その議論の時、私ならどういう意見を持っただろうかと、ふっとそんなことを考えました。
議論の結果、今では、目の前の大きな仏さまの首は、元の位置に戻されてありました。

この地の石仏群は、平安時代末期から鎌倉時代のものだそうです。
石仏は、一箇所ではなく、数カ所に分かれて、その小さな里に点在しています。

手が欠けた仏さま、頬がそげてしまった仏さま。

それらの仏さまの、何を元に戻し、何をそのままにするのか。
私たちが何の疑いもなく抱いている「あるべき姿」って、結構ご都合主義なのかもしれません。

手を加えることに躊躇した人々があったこと、そして、それを真面目に議論したこの地の人々。
私は、ここにきてよかったなあと思いました。

実際にはおしゃべりの絶えない私たち、30円のお線香の束を買っては、いちいち風よけの着いたライターという発明に感心しつつ火を灯して、石仏群を廻りました。

石仏を巡る小さな坂道に、山桜が満開に咲いて枝を伸ばしておりました。

愉快なご一行という体の私たちは、この先に五輪の塔があるという小さな立て札を見つけました。
行ってみようよ。
行ってみよう。

その道は、日本中どこにでもあるような、今ではどこにもなくなってしまったような、懐かしい気のする山の道でした。
10分ほど歩いたでしょうか、諸葛菜や菜の花、つくしんぼまでお供えされて、その五輪の塔はありました。
愉快で幸せな私たち。
いつ誰が、誰の供養のためにたてたのか、理由も何も分からないその塔に手を合わせて、また山道を引き返しました。

さて、最後の仏さまの前には、なんと、お願い事を備え付けの紙に書いて入れておけば、ご祈祷下さるという木箱が置いてありました。
もちろん、現世御利益希望の私たち、真面目にお願い事を書いて投入です。
すぐにも満願成就間違いなしと大喜び。
ところがよく見ると、ご祈祷は1月・5月・9月とあります。
お願いごとがかなうのは、少し先になりそうだけど、それでもオッケー。
やっぱり大喜びの私たちなのでした。

少し休みたいなとか、ちょっとお腹がすいたなと思いましたが、おみやげ屋さんも喫茶店も一軒とて無い、静かな石仏の里、
菜の花だけがいっぱいに咲いておりました。


<旅はまだまだ続きます>



傾きて空輪風輪火輪かな水輪地輪土に埋れて   ここ



[2010/03/26 22:46] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(2)

旅日記・大分 

おはようございます。
昨日に続いて、今朝も静かな雨がふっています。

一泊旅行に行ってきました。
出かける前に、白木蓮の花が一斉に咲いたのを、今生の見送りのように感じながら、その不思議な旅に出かけたのでした。

向かったのは大分。
九州の中で唯一行ったことのない県といえば、大分!と誰もが言う(本当かな)その大分です。
この旅の一番の目的は、人に会うことでした。
ブログ上で長らくおつきあいのある方々に、会いに出かけたのです。

何が不思議って?
私がこれから会おうとしているのは、今まで会ったことがない方々だということですよ。
出会いはいつだって、先に身体がそこにあって、それから、その存在に気づくもの。
会ったことがない人に会うことを目指すなんて、見えない山に登ろうとするような、空をつかもうとするような。
今度の私の旅は初めっから、見えないけれどあるはずの山を確かめに行く、そういう冒険の旅なのでした。
私の中の、行っちゃえ行っちゃえ的素質が、時々、こうして私を冒険に連れ出すんだなあ。
いざ、出発です。

それにしても、目指しているものが何だか分からない旅ですから、心のどこかには、宙に投げ出されたようなハハハな気持ち。
それって人生と同じかも、などと考えてみたりするのがいかにも旅。
まあこうなったら途中を味わうしかありません。

以前から乗りたかったソニック号に意気揚々と乗車。
仮面ライダーのような座席に座ってご機嫌です。
お昼は車内販売の鯖寿司。
音に聞く「関さば」って、大分の名物だったのですね。
車窓からの景色はさすが南国、山辺の桜はすでに満開、あちこちで菜の花が揺れています。
だんだん楽しくなってきましたよ。

あっという間に大分到着。
大分駅で、第一遭遇ねたのさん。
コインロッカーの鍵が見つからなくて探してるあわて者な彼女。
太陽のように明るくて暖かい彼女といるだけで、気持ちがほかほかしてきました。

第二遭遇、大分在住まき衛門さん。
可憐な少女のような彼女の運転で、彼女のお店へ。
車はカーブのたびに、私が思っているラインよりずっと内側をきゅうっと回ります。

お店は、一見、小さな、何の変哲もない園芸店でした。
九州の春の陽を浴びながら、しばらく見ていると、素人の私にもだんだん、売られている苗が、その辺りのホームセンターに売られている物とは全然違っているのが分かってきました。
いくつも並んだ寄せ植えの鉢。
なんと、それらの寄せ植えには、どれも題がついていました。
少しずつ違う葉色と花色を重ねて作られたそれらの寄せ植えの向こうには、それぞれに物語と世界があるのでした。
まき衛門さんたら。
形を変え、枯れて果ててしまう植物を素材にしながら、こんなにもいろいろな思いを込めてしまうことの切なさ。

彼女がご家族と一緒に形づくっているこの場所の空気。
「うちは、お店は大したこと無いけれど、お客さんは皆さんすごいんです。」とおっしゃっていたのが、なるほどそうだろうと納得でした。
大分市の片隅にあって、きっと知る人ぞ知る発信型のお店になっているのでしょう。

お店の中央には、花梨の木と、もう一つ背の高い木(名前を聞きそびれたままになりました)が、いっぱいに芽吹いていました。

その後、なんだか楽しげな私達3人は、車に乗ってお店を出ました。

大分市は、広々とした平野で、海が近くに、山が遠くに見えていました。
車内では、遠路静岡から見えたねたのさんの楽しいおしゃべり。
ねたのさんもまた、こういう広くて、海に向かって開かれたところでお育ちなのだろうと想像しました。

人の持つスケールとか、別の人間の存在を受け入れてゆく深さとか。
会ったことのなかった人たちに、少しずつ出会ってゆく時間。

南の国の春の陽射しは思いの外強くて、自分の影が、黒くくっきりと地面にうつっているのに気がつきました。

<旅は続きます>

                      100321_1335_01トリミング1

                                    
うずくまる獣のごとく息潜め工場の群湾に向かへり   ここ   




[2010/03/24 11:09] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(14)

旅日記 松山 本当のこと 

こんばんは
今夜は十三夜でした。
それに気がついて、夕方見た月を思い出したりしています。

もう二週間も前になりますが、松山に行きました。
松山では、電車が、次から次に来て、さほど待たずに乗れます。
道後の子規記念博物館に行きました。

終点の広場では、大勢の人が、からくり時計が動くのを待っていました。
腕時計を見ると、11時の5分前。
旅行に来て、自由に時間を過ごせる人たちだったのでしょう。
私も、通りの反対側に立ちどまりました。

ずっと前、学生時代に、母と銀座のどこかのからくり時計を、立ち止まって見たことがあります。
その時母は、時計が開くのを待っているたくさんの人たちを見て、「都会の人は時間があるのね」と言いました。
ん?都会の人は忙しいものなのではないかしらん。
その時以来、私は、都会の人が忙しいかどうか、分からずにいます。

母は今でも、私が東京の大学に行ったことを嬉しそうに話します。
成績がよかったとか、しっかりした子だったからとか、そういう風に。
でもね、私は最近になって、母が都会に憧れた女の子の一人だったということに気がつきました。
母は、入学の時と、卒業の時しか東京に来ませんでした。

そうそう、子規記念博物館。
一人でしたし、ゆっくり見て回りました。
博物館の解説によると、子規が勤めた「日本新聞」は、政党に偏らず、本当のことを言おうとした新聞だったのだそうです。

本当のこと。

本当のことを言うのは、今では難しいのではないかと思います。
当時も難しかったと思います。
だって、全体を見回して中間値を採るというのとは違いますし、隠された本音を暴くというのとも違いますし。

子規にとって、「日本新聞」の仕事は、本当のことを言うことだったのかもしれません。

従軍記者。
古い歌や句の膨大な資料整理の作業。

墓碑銘
「日本新聞社員月給四十円」



三人にちょうどよき家十三夜     ここ




[2009/10/31 00:47] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(2)

紙人形 

こんにちは
秋晴れです。
本当に雲一つありません。

先週末、松山に行ってきました。
子規記念博物館で、子規が描いた絵の絵はがきを幾葉か買い求めました。

一人旅は、いろいろな人のことを思い出しながら歩く旅です。
道後の商店街の中にある、ちょっと懐かしい感じのお店で、
ランチをいただきながら、買ったばかりの絵はがきを書きました。

両親宛の葉書は、紙の姉さま人形の絵の葉書にしました。
娘のさくらを母に預けると、よく紙のお人形を作って、二人で楽しそうに遊んでいました。
母は、お人形が好きなのだと思います。

今朝、母からメールでお返事。


「紙人形

 おはがき有難う
 幼い頃に折り紙で良く遊びました。
 何と懐かしいこと。
 そういえば、丁度今時分、田んぼの畔に茣蓙を敷いて遊んだり、絵本を沢山読んだりもして、
 母の一休みの時を楽しみに待ってたようにも思います。
 …                                  」


紙人形。
母親を待つ幸せな時間の記憶。


[2009/10/22 14:30] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(2)

旅日記 角館 

こんばんは。
いよいよ梅雨入り。
散歩道の途中の田んぼに、花菖蒲が咲きそろって見事です。

先月末、秋田へ行ってきました。
出かける前はとても億劫な旅も、行ってしまえばなんのその。
楽しい旅となりました。

最終日は、ちょっと足を伸ばして角館へ行きました。
秋田から新幹線で45分。
角館の駅を下りると、雨が降り出していました。

駅前に、あんまり人の気配はありません。
観光案内所で聞いてみると、見どころだという武家屋敷群のあるところまで、15分ほどだということでした。

駅前の通りは、お店がところどころ。
でも、雨のせいか、ほとんど人を見かけません。
ちょっと雰囲気のよいお店もありましたが、人影がないせいで、かえってちぐはぐな感じがいたします。
物音もあまりなくて、しんとして静かでした。

突然道幅が広くなって、広い道に出ました。
どうやらこのあたりからが観光の中心部のようです。
武家屋敷といえば、長府や萩、鹿児島の知覧など、土塀のいかめしい感じを想像しますけれど、
角館の武家町は、両側に高い黒い板塀。
道幅は30メートルもあるそうです。
気分も少し広くなった感じです。

人の姿もちらほら。
それでも、傘をさしているせいか、話し声は聞こえません。
私は、しんとしたその広い道を歩いて行きました。

家々の門は木の門です。
初めに入った武家屋敷は、建具は全部開け放たれていて、庭から家の中が大体見渡せるようになっていました。
無料でした。

玄関の間、床の間、控えの間、囲炉裏、狭い廊下。

庭続きの隣の家も公開されています。
そこも無料。

ぼーっとして、何となく、見るとは無しに見ているだけなのに、
だんだんと、そこに暮らしていた家族の、その暮らしぶりが感じられてきます。
静かで、だけど楽しげです。
子どもの時、遠い親戚の家を訪ねた時のような、少し緊張して、でもくつろいだような、そんな気分を思い出しました。

この家で暮らしている父親と母親と、子どもたち。
勉強しなさいって言われています。
もういないはずの武士の家族。
廊下の突き当たりには、都忘れが一輪。
角館に来て初めて、人の気配のようなものを感じた気がいたしました。

庭は、どこも作り込んだ庭園などではなくて、
大きな木や、灌木、草花が植えられていて、ちょっと林のような風情です。
新緑のとても美しい時分。
雨は、激しくなったりおさまったりしながら、降り続いています。

ひときわ大きな家が、有料で、座敷に上がって見られるようになっていました。
雨が沁みて靴下が濡れているのを気にしつつ、土間から上へ上がりました。

ここには小さな囲炉裏があって、あそこは煤抜きの窓。

蛍光色のジャンパーを着た女性が説明をしてくれます。

おみやげ物で有名な樺細工は、角館の武家の内職が始まりなのだそうです。
座敷には、売り物の樺細工が並べられていました。

黒塀の両側の家々にしだれ桜が植えられているのが、桜の時期には見事に咲いて、
今ではその時期が観光の中心になっているようです。
あとで駅に貼られた写真を見ると、それはそれは見事なものでした。

樺細工。
目を惹く派手さはないけれど、見るうちに、作り手の誠実さやら、桜の華やかさやらが、静かに伝わってくるような、精巧な細工ものです。
邸内に木を植えて、その加工を内職にして、一つ一つ丁寧に生活の品物を作っていたのでしょう。
この町に暮らした武家の人々の、つつましくて、誇り高いあり方が、しんと身に沁みて来るのでした。

その家の庭隅の樅の木は、樹齢300年なのだそうです。
庭に大きな木があることをよしとするのは、寒い国ゆえでしょうか。
踏み石を踏みながら、庭を進みます。
母屋の裏手には、石積みの崩れかけた井戸やいくつかの蔵がありました。

ふと見ると、足元に都忘れの花。

角館は、中央のごたごたなど届いてこないような山中。
本当に、都も忘れてしまうだろうと思いました。

蔵の中には、他の品々に混じって、毛筆の「解体新書」や「大日本史」などの書物も展示されていました。
それでもやはり、時代の風は届いていたのでしょう。

外に出ると、雨は少し小やみになっていました。

黒塀の一角は、小学校の跡地でした。
今は更地になってしまった跡地を見ながら、
明治になって、武家町に小学校ができて、町民の子どもたちもここへ通って来るようになったのだと思いました。
そして、それでも、この辺りの武家の人々は、それまでとさほど変わらぬ暮らしを続けていたのではないかと想像しました。

気がつくと、広い道にはあちこちに、たくさんの人がいました。
バスでやってきた人たちです。
おしゃべりしたり、写真を撮ったりしています。
みんな、せわしくて、ふわふわして、宙に浮いているように見えます。

そういえば、私はここに来てから、蛍光色の人や、樺細工の実演の人、入場受付の人など、何人かの人と言葉も交わしました。
その人たちもみんな、薄く蜃気楼のように漂っていました。

黒塀の内側で、本を読み、ごはんを炊き、子どもを育ててきた人々。
細々と樺細工を作り、ここで明治維新を迎えた人々の、気配や息遣い、静かな心意気。
人の世に対する確信のようなもの。

私は、誰かとすっかり話し込んでしまった時のように、
少しあわてて、夕方の飛行機に乗るために、角館を後にしました。



角館に黒塀高し五月盡

大いなる樅の一木夏館

薄絹に金糸の刺繍蔵の夏

角館涼し「解体新書」かな

角館都忘れの緋色かな





[2009/06/13 23:16] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(5)

旅日記 本を作る  

こんばんは
雨上がりの涼しい晩です。
虫の音が聞こえています。

今日、机の上をかたづけていたら、大阪に行ったときにもらった、チラシや、パンフレットなどの束を見つけました。

秋ふかき頃~漆とガラスのコラボレーション~(絵はがき)
おみくじ(大吉)
中之島図書館 利用のごあんない
モディリアーニ展
猿山洋食器展(絵はがき)
大原美術館とマティス(チラシ)
2ヶ月間限定の「本の場」オープン!(葉書大の厚紙)

そうそう、この厚い紙、国立美術館の前のお店の1階の。
ガラス張りで、中が見えているのに、どこが入り口かわからなくて。

そのgrafというお店は、全体に無機質な感じで、
まるで、はにかんでいるせいで、とっつきにくい若い人のようなところでした。
いろんな大きさの、いろんな形の、きれいな色の本が並べられていました。

重いガラス戸を開けて入ってみます。
本が並べられている奥は、作業場になっていましたが、何の作業も行われていませんでした。

本をいくつか手に取ってみました。
書かれていることは、いろいろで、写真中心のものもたくさんありました。
それらは、売りものではないようでした。
どの本も、自分に大事なことやものを載せて作られた本でした。

でも、どうして私は、それらが、書き手にとって、とても大事なことなのだと、分かるのでしょう。

奥の作業場は、大きな机がほとんどを占めていました。
部屋の隅には、紙の見本が置かれていました。

少し前に郵便で送られてきた、小さな本のことを思い出しました。
ホチキス止めの、手のひらほどの、白い本。

あそこが、2ヶ月間だけの、本作りについての展示の場だったこと、今日になって気付きました。

私は、よい研究の本の持つ真摯さがとても好きです。
生涯をかけて、考えたことや、追い求めたことを、渾身の力を込めて書き込んだ一冊。
たくさん本を出しながら、どの本でも、同じことを何度も何度も繰り返して必死で叫んでいる本たち。

でもそこで、私が手に取ったのは、見かけも、中身も、そういうのともまた違う本たちでした。
リトルプレス

そうそう、あのお店の2階で食べたお昼、とってもおいしかった。
私はスープを飲みながら、大阪には、きれいな女の人がたくさんいるなあ。
隣の席の真っ赤な縁のメガネの男の子がずっとしゃべってて。
留学から帰ってきたばかりみたいでした。

色とか、形とか、手触りとか?
目に見えなくて、いつのまにか通り過ぎる、風のような。



[2008/08/22 21:55] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(0)

旅日記 鳥取家族旅行 

こんばんは
暦は秋になりました。
その気持ちで、涼しさを探しています。

今度は鳥取に行ってきました。
大阪から、中4日の登板で、2泊3日。
さすがにもうボロボロ。

もとはといえば、旅行好きの夫が提案した家族旅行。
論文でそれどころじゃない気がしたけれど、これも主婦のお仕事、なんちゃって。

夫「どこ行きたい?」
私「う~ん、だったら鳥取。ついでに見ておきたい場所があるから。」

夫は、私が行きたい場所を入れて、日程を考えてくれました。
互いを思いやる、うるわしい家族です。

ところが、何でも思いつきで行動する私の悪いところがつい出てしまって。
2日前になって、どうせ行くならと、地元の公文書館にちょっと質問のメール。
そうしたところ、あれよあれよ。
話はどんどん広がって、見たかった資料など、見せてもらえそうになってきました。
私、研究の神様に祝福されてるかも。


1日目
紹介された郷土史研究家の田村さんと、米子駅で12時に待ち合わせです。
もうこうなったら家族はそっちのけ、まな板の鯉。
案の定、田村さんが全部計画下さっていました。
一行は田村さんの他に、治安維持法違反者の研究をしてる方とか、町並み保存のNPOの方、お孫さんと、合わせて5人。
家族と一緒に回りたいなあと思ったけど、夫と娘は海水浴に行く気まんまん。
米子駅で別れました。

米子市立図書館など3ヶ所訪ねたあげく、ようやく私が研究している人の住んでいた家へ。
蔵の二階からダンボール10箱以上を一緒に降ろしたところでタイムオーバー。
続きは翌日になりました。

2日目
私の宿に近い駅で8:40分に待ち合わせです。
ちょっと早いなあと思ったら、やっぱりちょっと遅刻。

家族とはまた駅で別れました。
もう、二人がどこへ行くのかも知りません。

私は、再び田村さんのご案内で、ゆかりの地を巡ります。
この日の予定ももう決まっているみたいです。
今度は昨日のお孫さんの他に、その妹さんとで、4人です。

目的の小学校を訪ねます。
校長先生の御案内で、昭和初期当時の小学校校舎が、ついこの間までそのまま倉庫として使われていたという、ただの跡地を見てたたずむ一行。
もちろん炎天下。

ここでお孫さんお二人と別れて、田村さんの車で、美しい海沿いを鳥取へ。
海岸沿いに並ぶ大きな風車。
水平線。
今なら分かるけど、細長ーい鳥取県、西の米子と東の鳥取の間が約100㎞。
歴史に詳しい田村さんのお話を聞きながらのドライブでした。

目的地は鳥取県立図書館。
ここで田村さんと別れて一人に。
田村さん、本当に本当にありがとうございました。

しばらく図書館で資料探しをしていると、夫から電話。

終わった?
まだ…。

明治42年から大正4年までが調べきれずに残っています。
ここで諦めたら、もう一度来ない限り分からないままになっちゃう。

鳥取砂丘、二人で行っちゃうよ。
うん。
じゃあ、がんばってね。
……

もしもし、今どこ?やっぱり私も行く。
わかった。

いろいろお世話をして下さった司書さんに御礼を言って、急いで図書館を出ました。

突然、雷が鳴り始めました。
さっきまでかんかん照りだったのに、図書館前はものすごい土砂降り。
図書館前につけてくれた車に乗るまでのほんの1メートルで、びしょ濡れです。
研究の神様が怒ったのかなあ。

砂丘に着いたら雨は降っていませんでした。
娘が乗りたいと言っていた鳥取砂丘のラクダはもう営業終了。
3人で向こうの砂丘のてっぺんを目指して歩きます。
靴の中に砂がたくさん入って、とうとう裸足になりました。
さっきの雨のおかげで涼しくて、砂だけがほんのり温か。

海だー。海に触りたい。
行こ。

娘と二人で走って降りたものの、上がってくるのに大往生。
砂の山は歩いても歩いても登れません。
でもね、それ、いつまでも楽しいことが続きますようにっていう私の気持ちに何となくぴったりだったよ。

3日目 も結局別行動。
帰り道、大山のブナ林の風が涼しくて、爽やかでした。

ヘンな家族旅行になっちゃって、ごめんね。
また一緒に旅行に行こうね。

[2008/08/10 22:19] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(8)

旅日記 国立国際美術館 

こんばんは。
夜中になると、涼しい風が吹き始めます。

大阪の旅の続きです。

今回の私の観光テーマはいつのまにか建物。
翌朝、せっかくですからあと1ヶ所と思いましたがこの暑さです。
涼しくて、建物がいいところというので、国立国際美術館に行くことにしました。

大阪駅に荷物を預けてバスにのりました。

バスの中で、白髪の女性が、岩波文庫を開いていました。
麻の白っぽい服に幅広の皮のベルト、編み地のバッグ。
あれは何の本だったのでしょう。

行ってみると国立国際美術館は全て地下でした。
入り口だけが地上に出ています。
建物がいい?
地上にあるのは、角のような高いシンボルだけ。
催しの案内板も外に置かれていました。

「塩田千春 精神の呼吸」
「モジリアニ展」

誰もがみんな、入り口を入ってすぐに、ガラスのエスカレーターに乗って降りていきます。
私も黙ってエスカレーターに乗りました。

降りてゆくその先は、明るくて広い空間でした。
あちこちの椅子にてんでに人が休んでいて、糸のからんだ塩田さんの作品にかがみ込んでいて、案内の男の人が声をあげていて、
それが上からみんな見えます。

私も、その全体がよく見える位置から、次第に降りてゆきました。

かがんでいる人は、作品である数知れぬ靴の一つ一つにつけられたメモを読んでいるのでした。
メモはそれぞれの靴の説明でした。
ただ、どんなふうに履かれた靴かを書いたメモなのに、自然にそこにかがみこみます。

次に、私は白い壁の広い展示空間を茫然と歩きます。
初めは確かに、モジリアニの作品を見ていたはずなのに、気付いてみると私は、いつの間にか、そこに描かれた見知らぬ人物の人間性について批評しようとしていました。

茫然としたまま、私は再びエスカレータに乗りました。
ふり返ると、下の方に、かがんだ私や茫然と歩く私が小さく見えています。

エスカレーターは透明めいて、それがあらかじめ決められた道筋であることに気付かなかったけれど、
私は、さっきからずっと、誰かの描いたとおりの動線を動いていたのでした。

外から見える形はないけれど、これはやはり「建物」なんだなあ。
私は、茫然としたまま、また、全体が見える位置に来ていました。

ただ導かれて行くばかりの我が身。

真夏の道を行くバスの中、岩波文庫を開く私。






[2008/08/06 01:10] 旅日記 | トラックバック(-) | CM(4)