自分が誰であるかが分かるような  (子ども達に伝えたいこと) 

こんにちは。
新学期ですね。
何か新しいことをお始めでしょうか。


FaceBookでフォローしている雲井雅人さんというサキソホンの演奏家の方の記事に、こんな言葉を見つけました。

「一番大事なことは、音符をたくさん吹くとか指が速く動くとかそんなことではなく、自分が誰であるかが分かるような演奏をするということです。」(雲井雅人さんfb 師の言葉 より)

「自分が誰であるかが分かるような演奏」

私が、国語の先生として、子ども達に伝えたいこと、これです!
嬉しくて、手帳に書き留めました。

もちろん、音楽のお話ではありませんよ。
念のため音楽を、言葉に置き換えてみました。

「一番大事なことは、難しい言葉が分かるとか、知識があるとかそんなことでなく、自分が誰であるかが分かるような言葉を使うということ。」

言葉を通して、自分が誰であるかを、知ることも、伝えることも、大きな喜びです。
(これは音楽の喜びもきっと同じですね。)

この喜びを子ども達に伝えられたら・・・
教師としての本望です。
そして、その第一の方法は、もちろん、
教師自身の、その喜びを見せてゆくことですよね。

となると、
まずは、先生の私が、子どもたちから見ても、喜んだり悩んだりする生身の人間でなくては。
おほほ、お恥ずかしい。
先生だって、大事な家族がいますし、楽しいこといっぱいしたいし、もう大人ですけど、みんなとおんなじように勉強して成長したいのです。

それでね、この物語の中でね、先生の好きなところ言うとね、
ねえ、聞いて聞いて。

う~ん。先生としては、少々頼りないかも。

一人の人である私の言葉を、子ども達に届けたい。
一人の人として、子ども達の言葉を聴きたい。

どうやら、私が頑張ってきたと胸を張って言えるのは、ただこのことだけのようです。
それなのに、自分では、結構頑張ってきたような気がしています。
それはきっと、私は、にわか知識をかっこよく披露してケムに巻いたり、
格好いい先生の自分が嬉しくなってしまったり、というところがあるからです。
でもそうすると、とたんに、私たちの間には、言葉の行き来がなくなってしまうのです。

子どもたちは、思った以上にいろんなことを感じ、いつも理解しようとしています。

私自身の言葉の喜びを見せてゆくこと。

まあ、今までも、これからも、国語の先生として私が頑張りますと自信持って言えるとしたら、このくらいかなと思います。

「言葉を通して、自分が誰であるかを分かることや、それを伝えることの喜びを子どもたちに。」

国語の先生になるための勉強をしている学生さん達に、
私が目指してきたのは、ただこんな風なことなのだと、
これだけでも結構精いっぱいだったのだと。
私が話して差し上げられることと言えば、そのくらいだなあと思います。



[2017/04/04 23:24] 教育 | トラックバック(-) | CM(0)

卒業論文集 あとがき 

こんばんは。
昨日、今日と、よく晴れて、春らしい温かい日になりました。

昨日は、勤務校の卒業式でした。
久しぶりに大学に参りました。

卒業の日に、それぞれに卒業証書をお渡しするのは、ゼミの担当教員の仕事です。
なにより大切で、嬉しい仕事です。
しばらくお仕事をお休みしておりましたが、この日だぜひ出勤して、この佳きお仕事をしたいと願っておりました。

久しぶりにゼミ生の皆さんに会いました。
病休中、ずっと応援して下さった8人の学生さんたちが、今日は華やかな袴姿です。

毎年のことですが、今年も卒業論文集のあとがきをここに残します。
でも、今年はまだ文集ができあがっておりません。
文集係の方が奮闘してくださって、また印刷屋さんにも幾重にもありがたいお力添えをいただいて、なんとか3月中にはできあがりそうです。

卒業の日を記念して、今日、そのあとがきをここに。
心を込めて。


****************


あとがき

卒業論文、大変お疲れさまでした。
11月からの私の不在の中、それぞれ本当によく頑張られたと思います。
皆さん揃ってご提出の知らせに、ほっと深く安堵したのが、ずっと昔のことのように思われます。

大学の教員として、最も大切でやりがいのある仕事である、卒業論文のゼミ。
追い込み時期の不在については、今も本当に申し訳なく、残念に思っております。
病床から、卒業論文の本当の醍醐味を、味合わせて差し上げることが出来ないままになってしまったと思い、しみじみ、繰り返し、悔しく残念に思っておりました。

今年度のゼミ生は、揃って卒論への意欲が高いのが特徴でした。
しかしなかなか課題が決定しませんでした。
決定しても、研究が全く進まない場合もありました。
研究の舟になかなか乗り込めないのです。
(それについては、指導者としての私の今後の課題であると思っています。)

研究の舟は、いつだって頼りない笹舟のような小舟です。
それでも、そんな小舟に一人乗り込み、漕ぎ出して行くこと。
ただ一心に漕ぐ中で、到着点は不思議と見つかるものだということ。
そんな小さな航海の体感こそが、卒論研究の醍醐味の中心であると考えてきました。

だから私の仕事は、まず舟に乗せ、波間に押し出すことなのに。
今年はとうとう・・・。

その時に耳にしたのが、自主ゼミのことです。
「研究室で、いつも賑やかな声がしていますよ。」
そんなお声を耳にして、私はとたんに嬉しくなりました。

私の心配は何のその、皆さんは一緒に大きな船をこしらえ、漕ぎ出して行かれていたのですね。
おしゃべりや、お茶やお菓子、窓からの景色。
学生同士で行った自主ゼミの光景は、きっといつまでも残るこころの風景となるでしょう。
軽やかに、明るく、優しい風に吹かれての航海。
皆で見つけられた、卒業論文の別の醍醐味ですね。

それはきっと、なにより、これからのための佳き体験となってゆくと思います。
このたびの皆さんの姿に、何より私自身か深く学ばされました。

入院には、みなさんからの応援の色紙やプレゼントを持って行きました。
枕元の皆さんの温かい言葉が、本当に本当に心の支えでした。
今はただ感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます。

皆さん、どうぞこれからも、勇気を持って、明るく楽しく前に進んでいらしてください。
これから進まれる道が、佳きものであることを、心から信じています。

ご卒業おめでとうございます。
心から、お祝い申し上げます。

     2017年3月10日        ここ





[2017/03/11 22:35] 教育 | トラックバック(-) | CM(0)

卒業論文集 あとがき 

こんにちは。
このごろは、文字通りの三寒四温ですね。
お元気でいらっしゃいますか?

昨日は、勤め先の大学の卒業式と謝恩会でした。
プライベートのいろいろで、気もそぞろの中、卒業生を送り出しました。
今年の学生さん達は特に、優しさと行動力を備えた、素敵な大人の方々でした。

毎年のことですけれど、卒業論文集のあとがきをここに。



あとがき

 卒業論文の完成おめでとうございます。
それぞれに、その人らしい良い論文が出来ましたことを、心から嬉しく思っています。
よく頑張りましたね。

 今年のゼミは4人でした。
研究室の大机に、4人という人数が何だか丁度良くて、毎週のゼミは、和やかで本当に楽しい時間でした。
特に、例年に比べて毎回の発表時間をゆったりとることができたのが何よりでした。
とりかかった題材の中から、少しずつご自身のテーマが姿を現してくる研究の醍醐味を、全員で共有できたことを喜んでいます。

 皆さんは、4人それぞれに個性豊かな方々でした。
 Nさんの研究はアンケートの活動があって大変でしたが、私はすっかり安心して見ておりました。人としての確かさを深く信頼していたからだと思います。
 YAさんは文章もおしゃべりの面白さも格別で、おかげで私たちは随分笑いました。貴女の本質的な明るさと強さをすがすがしく感じています。
 YYさんは、ご自分の問題に正面から取り組み、終始とても果敢でした。口数は少ないけれど、飄々として存在感がありました。
 YMさんは、次々新しく見えてくる問いに、気負わずこつこつ取り組んでゆかれることが印象的でした。他の人の研究にも関心を持って静かに皆を支えてくれました。ゼミ代表としての丁寧なお仕事にもとても感謝しています。ありがとうございました。

 全員が教職生でしたから、教育実習や採用試験、小学校実習にも行かれた方がお二人。
忙しい一年間であったことと思います。
そんな中、皆さんが有形無形に私をサポートして下さったことを心から感謝しています。
ほんとうにありがとうございました。

 学ぶこととは、答えを求めることではなくて、自分の本当の問いが何であるかを求めることだと思います。
そしてその学びは、つらいがんばりの中にではなく、温かくて楽しくて真面目な、そんな友人達との時間の中にあるのだと、そう思うようになりました。
 皆さん、毎週のゼミの良い時間をありがとう。
 皆さんのこれから先の長い時間の中にも、このゼミのような時間と空間を、ご自身のまわりに作って行って下さいね。
それぞれに研究テーマを持ちながら集まり、議論しながらも和やかに過ごす、そんな時間と友人こそが人生の宝物だと思います。
 この卒業論文の学びが、皆さんのこれからの糧になりますことを信じています。
 
 ご卒業、おめでとうございます。
 心よりお祝い申し上げます。

        2016年3月11日

                                ここ

                                                」

[2016/03/12 18:16] 教育 | トラックバック(-) | CM(0)

卒業論文集 あとがき 

おはようございます。
卒業式や謝恩会といったにぎやかな行事を経て、ゼミ生達が卒業していったのは、もう、一ヶ月も前のことになります。
私は巣立っていった彼女たちとの日々の余韻を感じながら、新学期の慌ただしさの中にいます。
今頃になって、毎年、卒業論文集のあとがきをここに載せていたことを思い出しました。
今年も。




               あとがき

 皆さん、卒業論文、大変お疲れさまでした。
今年も無事、皆さん揃って卒業を迎えることができますことを、こころから喜んでいます。

 今年は、テーマが多岐にわたっていて、私も楽しませていただきました。
 今年の卒業論文の特徴の一つは、学校現場の見学や研究授業など、外部の方にご協力をお願いしての研究が多かったことがあります。
何か自分の目的のために、誰かに協力をお願いすることは、一人で全部やることより、難しいことのように思います。
自分の目的をはっきりさせることが必要ですし、連絡を取ったり、説明してわかっていただいたりと、事前準備がなかなか大変です。
その上期待通りの内容に巡り会うかどうかも分かりません。
一生懸命準備はするのですけれど、やっぱりそれは‘出たとこ勝負’です。

 外部への協力をお願いしなかった研究も、やっぱり出たとこ勝負な論文が多かったと思います。
結論が見えないまま、がんばり続けて、最後のぎりぎりになって、何かが見えてくると言った具合でしたから。
途中では、本当にはらはらいたしました。
ご自身でもはらはらなさっていたことと思います。

 考えてみたら、そのはらはらドキドキこそが、生きて行くことだと思います。
 今は、今までの人たちが歩いて来た道を、そのとおり歩いて行けば幸せになれる時代ではなくなりました。
いろんな選択肢の中から、えいっと思い切って進む道を選ぶこと、間違っていたと思ったら、引き返してまたがんばること、これから何度もそういうことを繰り返すことになるでしょう。

 この卒業論文の学びが、皆さんのこれからの糧になりますことを信じています。

 卒業論文、書き終えたらようやく、卒業論文ってどういうものなのかが分かったと言ってくれた方がありました。
毎日取り組んでいたのに、不思議ですよね。
私たちの日々も、その仕事をしているときでなく、自分が何をしていたのか分かった時にようやく、それを全うできているといった、不思議なパラドクスに満ちています。

 今年のゼミの皆さんは、そんな不思議な世界のご自身の人生の歩みを、この卒業論文の時のように、ドキドキしながらもたくましく進んでいかれることと、楽しく想像いたします。

どうぞ、ご自分を信じて、がんばってくださいね。
いつも応援しています。
 
ご卒業、おめでとうございます。
心よりお祝い申し上げます。

                  2015年3月13日

                                   ここ

                                         」

        
[2015/04/12 08:05] 教育 | トラックバック(-) | CM(2)

卒業論文集 あとがき 

おはようございます。
よいお天気になりました。
寒かった昨夜が嘘のように、今朝はとても温かです。

昨日は勤務先の大学の卒業式でした。
夜には謝恩会もありました。

今年も卒業論文集を作りました。
喜びを記すことに代えて、あとがきをここに。




皆さん、卒業論文、お疲れさまでした。
最後まで、よく頑張りました。
(特に、12月になってからの追い込みには、本当に感心いたしました。)

今年のゼミ生は、10人。
4年生らしい落ち着きの感じられる、ちょっと大人のゼミでした。

そして今年も、卒論のテーマは文字通り、十人十色でした。
ただ、そこには共通項がありました。
新しく厳しい「個」としての人間の位置から、これまでを問い直そうとする姿勢とでも申しましょうか。

今は、若者に厳しい時代だとつくづくそう思います。
女性が社会に出て働くことが普通となる一方で、就職を含むいろいろな面で、大人に余裕がありません。
既得権益を持たない若い人には、きっと、新しい秩序こそが希望となってゆくでしょう。

そこでは、当然のこととして、一人一人がそれぞれ、自分の生を、自分自身として生きてゆくという、
一層厳しい「個」としてのあり方が求められているのだと思います。
皆さんがそれぞれ選ばれたテーマが、無意識にも、底辺にそういう共通項を持つものであったことは当然なのかもしれません。

それぞれのテーマを、自分のテーマと同様大切なものとして一緒に考えてゆくゼミの風景。
厳しい「個」を生きていたとしても、そこは思いの外、温かく楽しいところだとも想像いたします。

夏合宿の、急斜面に立つ古いホテル。
揺れるエレベーターは不安でしたけれど、広い畳敷きのお部屋を惜しげも無くお貸し下さったり、
展望台に連れて行っていただいたり、ひととき、古き良き時代を過ごしたように感じました。
古い時代も、これからも、人の世は、やっぱり人の気持ちで出来ているのだと、今年は皆さんと過ごしながら、そう思えることが多くありました。

思えば、今年度のゼミは、新入生歓迎行事の企画から始まりました。
今年度の歓迎会は、大学でも初めての試みでしたが、皆さんのご尽力のおかげで大好評でした。
十人全員が、無償の活動を喜んでお引き受け下さり、精一杯の力を使って、楽しみながらあたって下さったこと、
何より皆さんの人生が開かれてゆくのを見るようで、とても嬉しく感じたのを覚えています。

ここに集められた卒業論文に、皆さんお一人お一人の、前向きで淡々としたよき表情を思い出します。
取り組まれた経験が、これから、未だ見ぬものを切り開き、作ってゆかれる皆さんの、力になりますよう。

ご卒業、おめでとうございます。
心より、お祝い申し上げます。


          2014年3月14日
                                」




おとめ子ら微笑みながらやはらかき種の綿毛のごと風に乗る          ここ





[2014/03/15 11:10] 教育 | トラックバック(-) | CM(0)

先生を育てる 7 : 先生「である」こと 

こんにちは。
ここ何日か雨が続いていましたが、ようやく晴れてきました。

テレビの天気予報、
このごろになってようやく、違和感なく福岡県の予報を見られるように。



新聞掲載の第7回分です。



 「現代文」の有名な教材に、丸山真男「であることすること」というのがあるけれど、学校の先生の仕事は、先生「である」ことだと思う。
帰宅しても、退職しても先生である。
うんと立派になった卒業生からも先生と呼ばれる。
どうやら何かを「する」から先生というわけでもないらしい。

授業以外の教師の仕事に、校務分掌がある。
進路指導部、生活指導部といった、学校運営の仕事である。
分掌は何年かごとに交代する。
(ご記憶の生活指導部の怖い先生もお仕事だったのですよ)。
私の場合は、教務、進路、生徒会、図書などを経験した。

 もし学校の運営が目的なら、交代なんかしないで専門家を作るのが効率的。
だが、そうはなっていない。
さまざまな分掌を経験した先生の方が、生徒理解が深い。
うまく「できる」ことよりも、深くあること。
学校も先生を育てている。 

 学校の根幹はやはり授業である。
教職志望の学生には、教科に繋がる学問内容を、在学中にできるだけ深めてほしい。
ただ、教師として一番重要な資質は、その教科が好き「である」ことだ。
誰だって、その教科が好きな先生に習いたい。

 授業でもそのほかの場面でも、ベテランの先生になるほど、いろんな生徒にいろんな形で対応できる。
ただしどんなに優れた先生も、生徒がいて初めて先生「である」。
先生の力量。
それは、生徒それぞれにとっての物語を支える力なのかもしれない。

             」

11月16日掲載分
[2013/12/19 13:22] 教育 | トラックバック(-) | CM(0)

先生を育てる 6 : 新米先生 

こんにちは。
小春日和の休日です。

受験生の娘、なかなか思うような成績になりません。
「行くとこなかったらどうしよう…」などと言ってはしょんぼりしています。
母親の私も、この頃ではかなり弱気になってきました。

そして昨日。
「私、何だか出来るようになった気がする。」

わっはっは。
楽天的な性格に、家族みんなが救われています。


引き続き、新聞掲載記事の第6回です。



 高校教員時代、新卒2年目で担任になった。
私がしっかりしないと、クラスの生徒がみんな困るんだということに気づき、がくぜんとしたのを覚えている。
実際は、私が時々失敗するのを見越して、生徒が助けてくれるようになり、だんだん生徒の方がしっかりしてきた。
理想的な教育である。

 初めて担任として教壇に立つと、まだよくは知らない生徒なのに、何だかかわいい気がした。
クラスにはもちろん、意地悪な子とかわがままな子とかもいるのだけれど、みんなかわいい。
教職課程の学生にもいつも「教壇に立ってごらん、みんなかわいく見えるから。不思議だね。」と話している。

 この夏の同窓会は、その時担任した代の卒業生が集まるというので初めて出席させていただいた。
皆すっかり立派になって、社会を支える中堅の年齢である。
同窓会では、誰もが若い頃に戻る。
当然私も新米の頼りない先生に戻っていた。

思い出話も、今聞けば赤面することばかり。
授業も下手、教員として何にも分かってない。
それなのに「先生のおかげで古典が好きになったよ」とか、「先生のこと今でも家で話すことがある」とか言ってくれる。
そんな彼らに、私もあれから少しは立派になったのよと言いたい。
でも生徒は、教師を授業が上手とか、仕事にそつがないといったこととは別の部分で評価してくれていたのだろう。

 先生になりたいという学生たちに、教えなければならない一番大切なことは何だろう。
ますます分からなくなる。

                」


11月15日掲載分




[2013/12/15 12:01] 教育 | トラックバック(-) | CM(4)

先生を育てる 5 : 教育実習 

こんにちは。
広島の自宅で過ごしています。

種子島ご出身の先生からいただいた、安寧芋というサツマイモに似たお芋をストーブで焼き芋にしています。
とっても甘いそうです。
ふふふ。
楽しみ楽しみ。


引き続き、新聞掲載記事の第5回です。




 教師になるための勉強として一番に思いつくのは教育実習かもしれない。
現在の実習期間は、昔より少し延びて、小学校4週間、中学校3週間、高校2週間。
多くの場合、母校にお世話になる。

 実習生を迎えて下さる現場の先生方は、全くのボランティアである。
期間中、学生の指導案を一緒に何度も練り直し、授業のたびに反省会。

生徒も協力的である。
実習生の授業では、いつになく手を挙げてくれる。
実は、そうした雰囲気も、大抵は担任の先生が実習前に作って下さっている。

 実習の最後には、査定授業を行う。
校長先生を初め、校内の先生方が見に来られる。
これも担当の先生が一緒になって作戦を練って下さることが多いようである。

 今年の実習の小さな事件。
実習生が生徒から受けた悩み相談に自分の判断で対応し、担任への報告が後になってしまった。
もちろん大いに叱られたようだ。
 
 私の中では、学校という組織のイメージはアメーバーである。
全体が一つの有機体で、新たな問題が生じると、必要なところがにょきっと突出して対応する感じ。
一部が独自に動いたりしないし、もちろん命令系統やマニュアルで動くのでもない。
様子を聞けば、今回は、実習生の学びも含めて対処をお考え下さったのだと分かる。
ありがとうございました。

 最終日、学生は生徒たちから励ましの言葉をたくさんもらって実習を終える。
そのおかげか、自信に満ち、一回り大きくなって帰ってくる。
ここからがスタートである。

                   」


11月14日掲載分



[2013/12/10 13:45] 教育 | トラックバック(-) | CM(2)

先生を育てる 4 : 授業を生きる 

おはようございます。

昨日はお庭にバラを植えました。
娘が、ママ、バラ育てるの上手よね。と言ってくれたので、嬉しくなって、とても丁寧に植えました。

今日は、新聞掲載記事、第4回です。
もう飽きてしまわれたかと存じますが、始めてしまいましたので続けます。
私にはそういうところがあるなあと思います(苦笑)。




 学生が初めて作ってくる学習指導案には、授業への夢がいっぱい詰まっている。
その中には今年も、「自由に意見を出し合う」と書かれたものがたくさんあった。
で、先生の意見は?と聞くと、「いろんな意見を出して欲しいから、先生の意見は言わない」のだそうだ。
そんな涼しい所にいる先生に、本当に自由に意見を言ってくれる生徒なんていません。

 あなたの今まで20年の人生かけた、これは譲れないと思う考えを持って教室に行って、一生懸命問いかける。
それで初めて、生徒だって譲れない何かを聞かせてくれると思うよ。

 教科教育法の授業内容として推奨されている「模擬授業」。
生徒役の学生を相手に授業をやってみるものだが、違和感がぬぐえない。
相手の入れ替えOKな授業なんてあるだろうか。
授業の核心は方法や技術ではない。
生徒と先生。
授業は、その人間同士の関係の中で毎回新しく起こる一つ一つの出来事なのだ。
模擬授業、まあ一回ならいいけど、何度もやると、教師として大切なものが見失われてしまいそうで怖い。

 「国語科教育法」の今年最初の課題は、川上弘美『花野』を読んで、何でもいいから自分の思いを書いてくること。
(去年は村上春樹『レキシントンの幽霊』。一昨年はよしもとばなな『みどりのゆび』。どれも教科書採録の作品。)
そしてみんなで読み合う。

 今いるところに自分を開いて立つこと。
それが先生になるための第一歩だと思う。

                    」


11月13日 掲載分






[2013/12/09 09:14] 教育 | トラックバック(-) | CM(2)

先生を育てる 3 :新聞レビュー  

こんばんは。
いよいよ師走ですね。

昨夜は、勤務先の大学の、全体の忘年会でした。

先月の新聞掲載記事の第3回です。


 「学校」に関心のある方は多い。
 「学校」の話題はしばしば白熱する。
 結構真面目な教育論が、いつのまにか懐かしい(あるいは悪い)記憶を材料に、子どもの時の気持を一生懸命語っていたり。
 
 それは若い学生も同じ。
 教師を目指す学生には、まず現場から何かを感じたり考えたりして欲しい。
 ただ、実践現場を持たない学生には酷な要求である。
 
 3年生の授業で、教育に関する新聞記事のレビューをした。
 レビューには、教育に関する記事を一つ選んで「紹介」▽調べてその記事を「評価」▽そして自分の「感想」―の三つを書く。
 記事は裏に貼付する。

 毎回の授業の初めに、担当の学生が一人ずつ前へ出て発表する。
 発表者の中には、手元を見てばかりの学生も結構いる。
 そんな彼女たちが「教師を目指しているのに、これではいけないから頑張ろうと思った」などと反省のコメントを書いている。
 頑張ってね。きっとすぐに慣れるよ。
 
 体罰・教育委員会・道徳の教科化・小学校の英語・大学生による勉強サポートNPO、障害のある生徒…。
 いろんな話題にみんなで詳しくなってゆくのが楽しい。
 学生が選ぶ記事は地方紙からが多い。
 同じ問題でも、身近な内容として語られてようやく現実味を帯びるのかもしれない。
 
 選んだ問題は、自分の問題になる。
 この発表が、学生にとって、外野席からの脱出宣言になればいいなと思っている。
                         」

11月12日掲載分


[2013/12/07 20:38] 教育 | トラックバック(-) | CM(0)

先生を育てる 2 :国語教官室 

こんにちは。
小春日和です。

山のイノシシ罠に、若いイノシシが捕まっていました。
見たのは初めてのことです。
ケージに何度も体当たりしていました。
ああ。


新聞掲載記事の第2回です。



私が赴任した時、基町高(広島市中区)の国語の部屋には「国語教官室」という札がかかっていた。
広さは一般教室の半分くらい。
10人の国語教員と、天井までぎっしりの本がひしめいていた。

 狭いので、特に見ようとしなくても、誰が何をしているのか何となく分かる。
新米教師の私の悪戦苦闘も、先生方には手に取るようだったと思う。
夜遅くまで頑張っても授業準備が間に合わない。
試験までに試験範囲の授業が全部終わらないかも…。

先生方は、さりげなくプリントを見せて下さったり、ご自分の授業の様子をちょっと聞かせて下さったり。
そのまま使えればいいのだけれど、不思議なもので、自分用に作り替えないとうまく授業できない。
誰がやってもうまくいくやり方など、結局どこにもないのだと思う。

 生徒がみんなそっぽを向いているような気がした時は、「全員に好かれなくていい。こっちを向いてくれるたった一人の生徒のために頑張ればいい」と言っていただいた。

 身体も声も大きくて恐れられていた先生の、小さな字でびっしり生徒のことを記録したノート。
いつも面白くて楽しい先生が、実はいろんな生徒の相談に乗っておられた。

 どんな先生になるかは、自分にはわからない。
先生は、いろんなものを身につけて一人前になるのではなく、同僚の教師と自分の教室の生徒の中でだんだん削られて、その人らしく出来上がっていくものかもしれない。

                       」

 2013.11.9 掲載分
[2013/12/01 12:16] 教育 | トラックバック(-) | CM(0)

先生を育てる 1 : 先生になるには 

こんにちは。
とってもご無沙汰申し上げております。
お元気でいらっしゃいましたでしょうか。

小春日和。
ちょっと温かい一日でした。

郵便が届いていないかななどと思って、外へ出てみると、玄関に、柿とおみかん。
イノシシの悪さがひどすぎるというのが、この頃この辺りのもっぱらの話題です。

今月に入ってから、地元の新聞の文化欄に、小さなエッセイを載せていただきました。
私の仕事の周辺について、ということでしたので、
「先生を育てる」という題で書きました。

全部で8回。
掲載は、先週終わりました。

保存をかねて、ここに。
まずは、一回目から。




 
 学校の先生は、いつ、どうやって先生になるのだろうか。

 まずは大学で教員免許を取り、首尾良く採用試験に合格すれば、次の春にはどこかの学校の教壇に立つ。
そうなれば先生である。
しかし、それではまだ一人前の先生とはいえない気がする。

教育学部以外の学部の学生も、中学・高校の教員免許を取ることができる。
これは専門分野の学びを活かそうという制度。
私は大学で、そのためのコースである教職課程の運営や教育に関する授業を行っている。
いわば先生を育てる仕事だ。

先生になる人は、大学でどんなことを学ぶべきなのだろう。

 近年、大学の教職課程での勉強が、教育現場で必要となる教師としての力量形成にうまくつながっていないらしいということで、教職課程に関する規定は、マイナーチェンジとも言うべき小さな改訂を繰り返している。
良い教師を育てる方法については、現在お国も模索中なのである。
当然私も模索中である。

 「学校の先生になりたい」という学生は多くて、相変わらず狭き門だ。
そのせいか、今の教職志望の学生は、学校ボランティアに出かけるなど、本当に熱心である。
よくよく考えてみれば、私は“でもしか教員”(今の学生さんはこんな言葉は当然ご存じない)だった。
何の覚悟も無く突入した学校世界。
あれから20余年、今では自分のことを、良くも悪くも“学校の先生”だと思っている。
                                      
                                        」    

                     2013.11.8掲載分



[2013/11/26 17:28] 教育 | トラックバック(-) | CM(2)

誕生日のこと 備忘録 

おはようございます。
十薬が咲き始めました。

先週は、私のお誕生日でした。

ゼミの時間、いつもどおり教室に行ってみると、
え?
私の席に、大きなケーキ。

振り返れば、黒板いっぱいに、ハッピーバースデイと、それからいろんな絵。
小学校の入学式の日の黒板みたいです。

ええ~!!!

おっと泣きそうです。
かろうじて、体勢を立て直します。

学生さんたち大笑い。
サプライズ・パーティーなのでした。

学生さんは、こんなことが大好きですから、
先生のお誕生日は、格好の理由なのです。

どおりで。
モリさんとサトウさんに廊下で会ったとき、私を見て、ものすごく驚いていました。
もっとちゃんと準備が出来るまで、私を引き留める係(失敗)だったらしいです。

おきまりの歌を歌ってくれて、
ろうそくの火をふうっとしました。

やっぱり嬉しかったです。

10分の休み時間では準備しきれなかったのでしょう。
それからあわてて飲みものを自動販売機まで買いに。
お皿はコピーの裏紙。
フォークがなくて、今度は学食に取りに行きます。

それにしても、こんな大きなケーキ、よく持ってこられましたねえ。

結局ナイフがなくて(今度買っておきます)、私がなんと、紙で切りました。
年の功で何でも出来ます。

でも、大きさがまちまちになってしまって、
けんかしないでね、なんて冗談を言いながら、お母さんみたいな気持ち。

ああ、私のかわいい10人のお嬢さんたち。

ありがとう。

卒論と就職、大変ですけど、がんばってくださいね。

これから先ずっと、大学は、あなたたちの帰る第二の家です。



[2013/05/27 10:13] 教育 | トラックバック(-) | CM(2)

卒業してゆく皆さんへ 

こんにちは。
例年になく早い桜の開花宣言。
温かい日が続いております。

14日は、大学の卒業式でした。
学校の、一番のおめでたい日です。

今年も、ゼミで、卒業論文集を作りました。
上製本の立派なものです。

今年のゼミは、私にとって、とても感慨深く、思いもたくさんあります。
書ききれない思いを、記す代わりに、
文集のあとがきを、今日の日の備忘録として、ここに。




 皆さん、卒業論文、お疲れさまでした。
 本当によく頑張りましたね。
 今日、皆さんのこの立派な卒業論文集の終わりに、こうして文章を書くことができることを、心から嬉しく思っています。

 今年のゼミは、14人という大所帯のゼミでした。初めは、ずいぶん多く思われましたが、14人がそれぞれに個性豊かで、その分豊穣なゼミとなりました。
 人数が多いため、毎週の発表時間はとても貴重でした。それがかえって、それぞれの研究について皆で真剣に議論する、よいゼミの風景を作っていたと思います。
 皆さんのお名前と論題を記した目次を見ていると、この一年間、皆さんと過ごしたいろいろな場面が目に浮かんでまいります。
 唐津の合宿は特に思い出深いものでした。大きな窓からの白砂青松と絵のような海の眺めを背に、北川さんが淡々と、タイムテーブルをホワイトボードに書いて。ゼミを続けようとする皆さんの真剣な雰囲気。結局夜中の12時前までがんばりましたね。
 翌朝、裸足で歩いた砂浜の感触を今も覚えています。

 人はたぶん、誰でも、何かの「問い」を抱えているのだと思います。でもその「問い」は、自分自身にも見えてはいません。未だ見ぬ「問い」を見つけようとする時には、ちょうど暗闇を手探りする時のように、手が触れたものから、それが何かを確かめ始めます。私は、それが研究の始まりなのだと思っています。
 テーマ探し、ずいぶん時間がかかってしまいましたね。でもそれでよかったのですよ。研究は、答えではなく、「問い」を探すことなのですから。
 ここにある卒業論文のテーマは、あなたがようやく見つけ出した自分の「問い」への手がかりです。そして、あなたが書いた卒業論文は、14人みんなで書いた卒業論文でもあります。
 こうして卒業論文に取り組んだことが、皆さんのこれから先の長い時間の中で、ささやかにでも意味があるものになればと、夢見ています。

 大学は、なかなか一言では説明できない不思議なところだと、このごろつくづくそう思います。私は、この一年の間に何度か、大学の、豊かで深い水底を垣間見たような気がいたしました。途中、病気治療の間を皆さんが温かく支えて下さったこと、本当に感謝しています。この場をお借りして御礼を申し上げます。ありがとうございました。

 人は、いつ、どうやって大人になってゆくのでしょうか。
昨春、私のゼミに来て下さった14人の皆さんを、私は今、とても眩しく感じています。
 ご卒業おめでとうございます。
 心よりお祝い申し上げます。 

 2013年 春
                              ここ
                                       」

[2013/03/16 12:51] 教育 | トラックバック(-) | CM(0)

一隅を照らす 

こんばんは。
暦は雨水。
その日に合わせたように、雨になりましたね。

日曜日、親しくしていただいていた音楽の先生の、退官記念コンサートに出かけました。
昨春のご定年を機会に、彼がこれまで勤めた3校の吹奏楽部の教え子たちが集まって、コンサートを開くことになったのです。
退官記念コンサート。
世の中に、高校の音楽の先生はたくさんいらっしゃいますが、そんなコンサートを開くことが出来る方は、数少ないのではないでしょうか。
とても嬉しくて、何とかお祝いの気持ちを伝えたくて、出張から帰ったそのまま駆けつけました。

会場に着いて見ると、ステージには、思いのほかたくさんの椅子が用意されていました。
人がたくさん集まったことに、ちょっぴりホッといたします。

先生は、指揮を勉強なさった方です。
朗らかで、愉快で、折り目正しくて、気むずかしい、
音楽のことしか頭にない、子供のような先生。
私は退職前の2年間、吹奏楽部の顧問をご一緒しました。
その高校現場を離れて7年。
今ではもう、その頃のことも遠い記憶めいてきています。

席に着いてからも、私の頭の中は、仕事のことや、留守がちな家のあれこれでいっぱい。
演奏を聞くというよりも、ただお祝いをという思いばかり。
これから始まるのは、私にとって、知らない人がほとんどの、にわか結成の、素人のバンドの演奏でした。

まもなく開演です。
集まった演奏者は75人。
受付にも、見覚えある教え子たちの顔が見えていました。

いよいよ指揮者の彼の登場。
しばらく見ぬ間の白髪が、とても音楽家らしくて似合っています。

一曲目、「ナブッコ」序曲。
吹奏楽の定番です。
大事な金管楽器の第一音が、少しゆがんで始まりました。

その音を聞いた瞬間、私の中に、先生の、教師としての長い時間の扉が開きました。

楽器を始めて間もない生徒たち。
この子たちと一緒に、自分の音楽を作ること。
少し出来るようになると卒業してゆく。
それは、先生にとって、“賽の河原”だったのでは。

演奏は、すぐに厚みのある和音になってゆきました。
ああ、これ。
懐かしい先生の音です。

二曲目、喜歌劇「こうもり」序曲。

私の中に、当時の風景が大きな波のように押し寄せてきました。
音楽室の木の床。
隅っこの打楽器群。
グランドピアノ。
それから、赴任後まもなく、足りない楽器を買い集め、練習時間を増やそうとなさった先生の周りの不協和音とか。

それも聞こえなくなった頃からでしょうか。
いつのまにか、先生の音楽室には、市内の至る所から、音楽をやるいろんな方たちが訪れるようになっていました。
楽器の修理屋さん、昔の教え子、調律の方。
たいていは、一家言ある、ちょっと変わり者な感じの方々でした。
中には教え子でもなんでもない、一流の演奏者の方もありました。
生徒たちに教えるために、ただ話をするために。

商業高校というところは、その頃もすでに、お金第一の風土があるところでした。
生徒たちの多くは、家族から、高校卒業後の稼ぎを大いに期待されていて、
以前いた普通科の生徒たちとは、背負っているものが随分違っていました。

この先もたぶん、楽器なんて到底買えない子供たち。
先生、先生と私らは住んでる世界が違うんよ。

でもあの頃、私たちは、本当に一生懸命になって、放課後の時間を過ごしましたよね。
自分に向かって確実に届いてくる先生の指揮。
一度でも演奏者として席に着いた者なら、誰だって忘れられません。
先生が演奏者に求めるものは、とても高くて。
ただ、いつも言われていた、「自分の音楽」の表現がしたくて。

先生の楽団にいる限り、私たちは一人一人が立派な音楽家でした。

そう忘れていました。
先生にとって、自分に与えられた演奏者が一流かどうかは問題ではないのでした。

たとえそれがウイーンフィルであっても、高校生の吹奏楽部であっても、先生はきっと少しも変わらないという確信のようなもの。
先生が見せてくれる、そしてみんなで一緒に作り上げる、広くて深い音楽の世界。

そんな音楽の日々があることが、
この先の、歯を食いしばるようにして生きなければならない生徒たちの、
これからの人生をどれほど支えてゆくでしょう。

3曲目は、バッハ無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータより パルティータ第二番ニ短調「シャコンヌ」。
吹奏楽版があったのですね。
先生が、学生時代からぜひ演奏したいと思っておられた曲なのだそうです。

音楽の無限を見せてくれるといわれるこの曲。
教え子たちが、先生の長い間の願いを叶えているコンサートの時間。

それにしても、にわか結成の、素人のバンドの演奏なのに、どうしてこんなにも感動するのでしょう。
会場全体が、大きな音楽の海となって、全ての人を包んでいました。

そして愉快な第二部。
最後の曲は、思い出の「アルメニアンダンス PARTⅠ」。
私にとっても思い出の曲です。
司会の女の子が、怖かったという先生の思い出話など。
どの曲も、元気なのに格調高い、先生の音楽です。

アンコール。
終わりは行進曲で。

愉快で、朗らかで、折り目正しくて、気むずかしい。

先生の音楽の、コンサートが終わりました。




[2013/02/18 21:52] 教育 | トラックバック(-) | CM(2)

ではみなさん 

こんにちは。
青い青い空の下、蝉の声がずっと聞こえています。

先日のゼミの時に、学生さんがみんなに紹介してくれた詩。
とてもよかったので、ここにご紹介いたしますね。



   黒板          高見順


 病室の窓の
 
 白いカーテンに
 
 午後の陽がさして

 教室のようだ

 中学生の時分

 私の好きだった若い英語の教師が

 黒板消しでチョークの字を

 きれいに消して 

 リーダーを小脇に

 午後の陽を肩さきに受けて

 じゃ諸君と教室を出て行った

 ちょうどあのように

 私も人生を去りたい

 すべてをさっと消して

 じゃ諸君といって 



これは、高見順さん最後の詩集『死の淵より』に収録されている作品です。
当然この詩には、死に向かう作者の気持ちを読みとるべきところなのでしょう。

でも、学校の先生である私にとって、印象の強いのは、
陽のあたる午後の教室の風景や、この若い英語の先生の姿でした。

満足できる内容の授業を、よい時間にちょうど終わらせて、本をパタンと閉じ、学生さんを見渡して、

じゃあ諸君、

なんて言いながら教室を後にすること。

そんなことは、なかなか出来るものではありません。

私なんぞは大体、授業の終わり頃になって、言い忘れたことなどをあくせく早口でしゃべったり、(ひどいときには少々延長)、
もっと情けないことには、時折内容の浅~い授業をしてしまいます。
その上そういうときに限って、知ったかぶりなセリフを口にしてしまったり。
ああ、穴があったら入りたい。

日々こんな思いをする人も、世の中には必要なのだと言い聞かせつゝの先生稼業。
毎日の生活だって、バタバタやらいいかげんやらばかりです。

じゃあ諸君、

この言葉には、
そして、黒板の字をご自身で消してから教室を出られるところにも、
授業を聞いてくれた生徒たちに、人として対等に接しようとなさる、この若き先生のご姿勢が表れているように思います。

ああ、いつの日か私も、

黒板消しでチョークの字をきれいに消して、

午後の陽を肩先に受けながら、颯爽と教室を出て行く、

そんな風になりたいなあと思います。


ではみなさん、ごきげんよう。

なんて言いながら。








[2012/07/28 13:20] 教育 | トラックバック(-) | CM(4)

サウイフモノニ 

こんばんは。
台風が近づいているとかで、風が吹いています。

土曜日、広島大手町の長遠寺というところで、宮沢賢治の弟の清六さんのお孫さんという方が来られての講演会がありました。
お世話になっている方がお誘い下さったということもあって、出不精の私が、なぜか出かけたのでした。

行ってみるとそこは鈴木三重吉の菩提寺でした。
(全然存じませんでした。)
その上、なんとその会は、鈴木三重吉さんの76回目の法要を兼ねた会でした。

私は鈴木三重吉の綴方について、小さな論文を書いたことがあります。
三重吉さんとのご縁を感じました。
不思議で、嬉しく思いました。

この日私は、遺族の方々とご一緒に、お墓参りまでいたしました。

鈴木三重吉さんは、大正時代、子どもたちのために『赤い鳥』という雑誌を作った方です。
三重吉さんが、あの時代の子どもたちに与えようとなさったものを、
私も、せめて私が出会える子どもたちに贈りたいなと思っています。

この世には、目に見えないご縁というものがあって、私たちはいつも、知らず導かれているのだと、時々そう思います。
年を取ったせいなのかも知れません。

その日の、賢治さんについてのお話も、よいお話でした。
「雨ニモマケズ」を書き留めた手帳を復刻した小さな手帳を、2500円で買いました。




雨ニモマケズ   
 宮 澤 賢 治


雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジヨウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病氣ノコドモアレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ツテソノ稻ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハ
ナリタイ








[2011/06/26 23:53] 教育 | トラックバック(-) | CM(6)

卒業間近 

こんにちは。
梅が咲きました。
白梅も紅梅も。
朝は三分咲き、午後はもう五分咲きです。

今日は、非常勤先で仲良くなった先生に会いに行きました。
まずは近所のケーキ屋さんに寄って、おみやげを購入。
と思ったら。

先生っ、、。
え?

目の前の、かわいいケーキ屋さんの制服を着た女の子。
見覚えがあります。
思わず、

えー、かわいいじゃん。

研修中の名札をつけて、ほんとにとってもかわいいのです。

(うーん、誰だっけ?)
いい子だったなっていう印象だけはあるけれど、どこの学校で会ったのだったか、いつごろ一緒だったのか、とっさには思い出しません。
思い出せないまま、お花のついた小籠に入ったクッキーをもらってお店を出ます。

先生、さよならー。
あなたもがんばってねー。

手を振りながら扉を後にした瞬間、思い出しました!

去年行っていた高校の三年生だ。
卒業式前のアルバイトかあ。

あの子、そうそう。
提出物がちゃんと出せなくて、のらくらと、聞いてると笑いたくなるような言い訳なんかしてばっかりだったな、そういえば。
ははは。

思いだしたら、楽しくなりました。
てきばきしてて、明るくて、きっとお店の役に立つと思います。

そのあとの私は、非常勤先で仲良くなった先生と、たっぷり2時間もお話。
先生とは、お仕事上では、この春でもうお別れです。
「ぜひ仕事を離れてゆっくりお話を」って、初めて時間を作ってお目にかかったのに、私たちが話したことと言えば、結局仕事のことばっかり。

その大学で私が出会った学生たち。
人としてのちょっとした奥行きのようなものやら気持ちやらはあるのに、我慢や方法が未熟なのが特徴です。
いわゆる「惜しい」子どもたちが集まっています。
そういう学生を、どうしたら上手く育てていけるのか、などなど。
途中加わった先生も一緒に3人、教育談義に熱くなりました。

別れ際には、こんどこそ、プライベートで遊びましょうとお約束して、3人ともすっかり元気になっていました。

その帰り道、いいご機嫌で立ち寄ったスーパーのレジ。
また!

先生、覚えてますか?

今度は、エプロンをした背の高い男の子です。

覚えてますとも!
(さっき会った女の子のクラスの子です。)

いよいよ卒業だねー。(今度はすぐに言えました。)
あ、卒業できるの?

はい、なんとか。
大学も決まりました。(嬉しそうです)

怖~い先生と私とでは180度態度が違う、ナマケモノの彼。
授業も全然聞いてないふりして。
でも、娘のことを話した時、妹の場合を一生懸命私に説明してくれたよね。

よかったねー。

話ながらもちゃんとレジを打っています。
ほんとにもう、みんなに心配かけて。

勉強、がんばってね。

買ったものを手提げ袋にぎっしり詰め込んで、スーパーの外に出ました。
駐車場にも、春の陽射しがいっぱいです。
ガラス越しに、レジを打つ彼が見えています。

二人とも、ちょっとの間しか行ってない先生なのに、覚えてて、話しかけてくれて。
ありがと。
みんな、もうすぐ卒業なんだね。

卒業おめでとう。

がんばってね。

ずっとずっと応援してるね。





[2011/02/24 15:52] 教育 | トラックバック(-) | CM(2)

窓の雪 

こんにちは。
ストーブの上のお鍋から、湯気がたちのぼっています。

今日は、ちょっと冷えます。
一コマ目の授業中に、雪が降ってきました。

教室は、高い教壇と小さな教卓がある、ちょっと昔風の部屋です。
広いガラス窓に、ブラインドがかかっています。
気がつくと、窓の外を、雪がスローモーションみたいに、ゆっくり光ながら舞い落ちていました。

雪になりましたね。

ブラインドを透かして見る雪は、まるで、物語の中に降る雪のようでした。
みんなしばらく黙って教室の外を眺めておりました。

ねえ、私たちの脳ってね、見たものや聞いたもの何でも、全部覚えているんですって。
私たちがすっかり忘れてしまったものも、みんな覚えていてくれてるらしいですよ。
ほら、何かの拍子に、忘れていたこと、パッと思い出すことってあるでしょ。

またいつか、ずーっと先になって、こんな風に降る雪を見ることがあったら、この教室のこと、急に思い出すかも知れませんね。
学生時代、こんな雪を窓から見たことがあったなあって。

私もきっと思い出すと思います。
後期一コマだけ授業に来たこの大学に、こんなきれいな雪が降っていた日のこと。
みんなのこと。




[2011/01/07 15:37] 教育 | トラックバック(-) | CM(0)

文集「私の好きなもの」 

こんばんは。

お正月もいよいよ終わりですね。
私も明日から授業。
天気予報は雪です。

昨年末、授業でささやかな文集を作りました。
学生さんの原稿はもう集まっています。
その最後に、「おわりに」として載せる文章を、さっきあわてて書いたところです。
今年も先が思いやられます。



        おわりに

 毎週木曜日、日本語表現Ⅰの授業が行われる3階の教室は、裏山の斜面に面しています。窓からは、いろんな小鳥や、それから、石榴や、栗、今なら枇杷の花など、実のなる木々も見えます。私は、毎週ここに来るのが楽しみでした。

 ここに集められた文章は、「私の好きなもの」というテーマで自由に書かれた、授業時間の課題作文です。その時の条件は一つだけ、自分は、そのどこが好きなのか、どう好きなのかを書いて下さいということでした。
 興味のない社会問題や、あまり詳しくない事柄について書くのではなく、自分の好きなものについて書くのですから、そんなの簡単だと思われるでしょうか。しかしそれは、実際には案外難しいことだと思います。
 まず第一に、自分が本当に好きだと思うものについて、それが好きだと宣言することは、やはり少々勇気が要ります。誰もが良いと認めてくれそうなものならまだしも、もしそうでなければ一層です。
 次に、書いているうちに、こういう風に思うのは自分だけではないかという気がしてきて、少々不安になります。興味を持ってもらえるなんて思えないし、良さを分かってくれるはずがないという気がしてきます…。

 私たちは、毎週木曜日、同じ場所に集まって、同じように授業を受け、時々は窓の外を見たりしていました。でも、その授業や景色の記憶は、きっとそれぞれ少しずつ違うものだろうと想像します。人は、同じものを見て、同じものを好きだと思っていても、その思いはそれぞれに違うのです。だから、自分の眼で見て自分で感じたことを言葉にすることは、私が、他の誰でもない私であるということの表明です。
 私は、独り立ちするということの初めの一歩は、誰かの眼を通して周囲を見るのでなく、自分自身で、自分の今いる世界を感じることだと思います。そして私たちは、自分を取り巻く世界が、自分にどう見えているのかを表現することを通してしか、他とつながることはできないのだと考えます。
 
 誰でもない、あなたの眼で見て、あなた自身が感じたことが、いつも初めの一歩です。この先、もしも何かに迷った気がした時には、「自分の好きなもの」についてちょっとだけ勇気を出して話してくれたこの教室の風景を思い出して下さい。何かの役に立つかもしれません。
 
 あなたの好きなものは何ですか?
 あなたの好きなものについて、私に話して聞かせてください。


                           2010年12月  ここ   
                                               」



[2011/01/06 00:21] 教育 | トラックバック(-) | CM(2)

晴れの日 

こんにちは
10時頃から、雨になりました。

今日は3月1日。
夫の勤める高校の卒業式です。
夫の晴れの日でもあります。
3年生の担任だからです。

今日、3年間、手塩に掛けた子どもたちが巣立って行きます。
夫は、このところずっと、国公立大学の二次試験のために、小論文などの指導を持ち帰り、寝たり起きたりの不規則な生活をしていました。
それと並行して答辞の指導。

毎年、答辞を読むのは生徒会長の生徒です。
そして、その文章指導は、3年生担当の国語の教員が担当します。

今年の生徒会長さんは、少々不安定な生徒のようでした。
他の生徒に代えた方がいいのではないかと、管理職も他の先生も言われたそうです。
結局、指導してみて様子を見ようということになりました。

皆さんは、答辞なんて、紋切り型で、毎年同じようなことを言うものとお思いかもしれません。
でも実際はそうではありません。
答辞を読む生徒にとっての、本当の答辞を、読ませてやりたいと願います。
学校の思い出、友達や先生への気持ち。
みんなを代表して、自分の思いを述べ、それを答辞とするのです。

今回の、答辞の準備は、とても大変そうでした。

学校にいい思い出なんか全然ない。
誰にも感謝してない。

友達とか、学校とかへの感謝なんて、誰でも言えるようなことを言わなくていいんだ。
そういうのは意味無い。
自分の本当に言いたいことを言えばいい。
それを探そう。

いろいろなことを思い出せるように、少しずつ、彼女の高校生活の話を聞いてゆきます。
その面談にも、約束の時間に来ないこともあるようでした。

彼女は、他のクラスの生徒です。
文章指導が出来るところまで持っていくのは担任の仕事だよなあ、とこぼすこともありましたが、案外楽しそうでした。
そして、自分のクラスの文化委員長の子に、もしあいつがダメなら、お前が答辞をやってくれと言ってあるのだそうでした。
そんなのOKなの?
自分のクラスの生徒は、そういうことが分かるように育ててある、と得意そう。

夫は、面談のあるたびに、少々憔悴して帰ってきていました。
若い生徒の屈折した情熱を、正面から受け止めるとしたら、それは大変だろうと想像します。

答辞、なんとかなりそうだ。

何度も繰り返された長い面談を経て、彼女の気持ちもほぐれて来たのでしょうか。
それから間もなく、文章も出来たようでした。

ところが、たった一度の卒業式の予行演習の時、彼女が来なかった、のだそうです。
一時間以上遅れて、親が連れてきたと言っていました。

今朝、夫は、いつも通りの時間に、慣れない礼服を着て、出かけていきました。

問題は、あいつが当日ちゃんと来るかどうかだ。
ついこの間そう言っていたのに、今朝はもう、何の心配もしていないようでした。


3月1日、卒業式。
この辺りでは、高校の卒業式はいつもこの日です。

担任が、クラスの子どもの名前を読み上げます。
一人一人、ただその名前を呼ぶだけなのに、いろんな思いがこみ上げてきて、声が詰まってしまう先生もあります。
珍しいことに、夫も家で、1回だけ名前を読む練習をしていました。

ははは、こいつらの名前、こうやって順番に呼ぶのは初めてだ。
最初で最後だな。

夫は晴れ男のはずなのに、さっき、ちょうど式の始まる時間のころから、雨になりました。
式の後は、教室で最後のHRです。
一人一人に卒業証書を渡して、最後の話をいたします。

卒業おめでとう。

34人の子どもたち一人一人に、「おめでとう」の言葉を贈りながら、3年間の担任の仕事が幕を閉じてゆきます。

それが仕事であることが、ただ自分にしかわからない毎日。
その仕事の結果も達成も、それとしてすぐ表れることも、その結果を見ることもありません。
人を誉めてばかりで、誰からも誉められない、教師という仕事。


パパ、おめでとう。
3年間お疲れさま。

今日は、夫の一番の晴れの日です。



[2010/03/01 11:37] 教育 | トラックバック(-) | CM(3)

合唱祭 

こんばんは
雪が舞っています。
その向こうに、満開の紅梅が見えています。

昨日は非常勤先の高校が、合唱コンクールの日でした。
午前中はいつも通りの授業でした。

少し前から黒板の上には、模造紙に大きく書いた歌詞が貼られていました。
放課後に練習していたのでしょう。
ところどころに、「丁寧に」とか「ここから大きく」とか注意があります。
余白には、担任の先生の名前や、生徒たちのあだ名が書かれています。

足の手術で入院していたイガサキさんが、今日は来ています。
伴奏は、幻のピアニスト木村君です。
不登校がちの彼ですが、この季節には毎日ちゃんとやってきて、伴奏者を務めるのです。
みんなで曲を決めて、楽譜を選んで、表現をいろいろ工夫して。

先生、僕らの歌、今から歌ってあげる。
先生に聞いてほしいんよ。
木村君の前奏聴いただけで、感動するよ先生。

本気で何かをやることは、怖いことでもあります。
がんばって練習して、これでいいと思うけれど、自信もあるけど、やっぱり不安。
だから、誰かに見て、聞いてほしくなるのだと思います。

そういう切ない経験。
たった一人だと怖いけれど、クラスみんなで、消えて残らない合唱という形で、これからその孤独に挑みます。

先生に、歌ってあげたい。
先生絶対泣くと思うよ。

私だって本当は、そう言ってもらっただけで嬉しくて、もう授業なんてやめて歌を聴きたいけれど、
お隣のクラスも授業中だし、何より本当はどのクラスも練習したくて仕方がないのだから、そんなわけにはいきません。

ありがと。
でも、授業は授業でがんばろう。

古い評論文を読む授業は、時代感覚を失いそうになりながらも、あっという間に終わりました。
気をつけ、礼。

先生、今日の午後忙しいん?

一番前の席の寡黙なミカミ君が、ぼそっと言いました。

とうとう午後の小さな用事は諦めて、聴きに行くことにしました。

頑張ってね。隅っこで聴いてるからね。

やったー。
聴いてね。
聴いてね。


講堂で聴く合唱は、どのクラスも驚くほど上手でした。

もっと遠くへ

HOWEVER

聴きながら、私の耳の奥は、これまで出会った子どもたちの歌声の記憶で満たされていきます。

卒業式の日に、担任した子どもたちが歌ってくれた「ホールニューワールド」。
最後に担任したクラスの「栄光への架け橋」。

私の宝ものの歌たち。

子どもたちの合唱は続いています。
複雑な構成の合唱曲。
みんな、どうしてこんなにも一生懸命になるのか、わけがわからなくて、何だか泣けてきます。

いつのまにか、全てのクラスの合唱が終わっていました。


さあ、これからいよいよ表彰です。
可笑しいくらい、どのクラスも金賞になるつもりです。
不確かな生徒審査員たちの投票。
音楽の先生の講評。
審査結果を、声の小さい文化委員長さんが読み上げていきます。

大歓声とか、泣いたりとか。
金賞になったクラスのアンコール演奏。
木村君の優しくて激しいピアノ。

この先、長い時間の波が、少しずついろいろなものを洗い流して、
ただ、今日歌った歌が、磨かれた宝石のように、子どもたち一人一人の大事な宝ものになってゆきます。
そして、その光は、それぞれの一生をずっと照らし続けます。

みんなの合唱、すごくよかったよ。
よくがんばったね。




[2010/02/19 10:26] 教育 | トラックバック(-) | CM(8)

今日から春 

こんにちは
立春ですね。
今日から春になりました。


今日は、高校の授業の日でした。

授業の始めに、小さい声で言いました。

今日から春になったよ。

ほんと?
もう春なんだってー。
やったー。

女の子たちが、何だか嬉しそう。
近くの席の子と、なにやらおしゃべりして笑っています。
本当に、箸が転んでも可笑しいお年頃の女の子たちです。
つられて私まで何だか嬉しくなります。

昨日豆まきした人ー。

一番後ろの方、背の高い男の子たちの一団から、たくさん手が上がっています。
自慢そうです。

春になって、よかったね。

教室にも、春が来ました。



[2010/02/04 14:00] 教育 | トラックバック(-) | CM(2)

高校非常勤点景 

こんにちは
お天気雨です。

今日は高校の非常勤の日でした。
夏目漱石『こころ』

わかりにくいところを解説したり、小さな問いを出しては本文を読んでいくという丁寧な授業をする気になれなくて、ただ、ずっと本文を読むだけの授業。
「こころ」の授業に入ってから、もう4時間目くらい。
自分で読んだり、付属CDの朗読を聴かせたり。
そんなことしながら、どういう風に授業しようか考えてる。
前回の授業は、模試の過去問をやってくれと言われて、模試の解説。

授業の前に、手っ取り早く点を取る方法を教えてやってね、って言われました。
授業で、そう言われたよと生徒に言う。
それで仕方ないから、あさっての模試には間に合わないけど、その次の模試くらいに間に合う話をしようかって言った。
非常勤の先生は、言われたとおりやらないとね。

漢字テストを毎週やるのはいいとして、6割以下の者はペナルティー。範囲のページ全部を3回書く。
他にも細かく課題を出して、提出しない生徒を厳しく追跡する。逃れられる者はいませんよ。
それでもって、いのこりとかペナルティー。
学年で動いているので、調子を合わせるしかありません。
これだとたぶん、漢字もやらされてる感いっぱいだろうなあ。
問題集も、要約も、ほぼ全員答え丸写し。
中には真面目にやったらしい生徒がいるのにちょっと驚かされたり。

4月の頃、私の解説をひたすら待っていた生徒たち。
しょっちゅう「答え教えて」と言っていました。
ノートして、それを試験の答案に書くのです。

このごろになってようやく諦めたみたい。
この間の雪の日。
授業の始めに「雪の中、よく来たねー」って言ったら、「先生ぜったい雪の話すると思ってたー」と言って、女の子たちが喜んでいました。
この雪の日に、雪の話をしない先生っているのかなあ。

廊下ですれ違うと、「せんせー」とただ呼んでくれる。
答え教えない先生なのに。

「こころ」は、急に思いついて、グループ研究にすることにしました。
好きな者どおし4,5人のグループで、
「Kはなぜ自殺したのか」とか、「自殺の夜に襖を開けていたのはなぜか」とか、考えるわけです。

以前勤めてた学校で、「私とKが通った道」というのをテーマにして、研究してくれた男の子がいたよ、という話をしました。
当時の地図を探したり、無いところは自分の絵で補ったりしてね。

字も絵も汚かったけど、最高によかったなあ。

この学年は、やたら教材をつっこむので、のんびり一つの教材に時間をかけられない。
このグループ研究もたぶん4時間しかかけられない。

うん、架空の話を研究して何になるのだろうね。
でも、面白いよ。

この学年の国語を取り仕切っている先生は、答えを教える先生。
授業ノートのまま試験にだす。
自分が教えたところは、少しはずして試験に出すのが、現代文の教員の暗黙のルールなんだけど。

で、当然、彼女のクラスだけが平均点がよい。
彼女自身、自分が優秀なせいだと思っているらしいから、つける薬がない。
その平均点のおかげで、管理職のおぼえもめでたい。
管理職は、国語出身の人だけれど、これもまた政治にしか興味がない上に、たぶん頭が悪い。
彼女と学年を組んでいる先生は、ストレスですっかり弱っている。
彼女は、弱っているその先生を、ダメなヤツだと思っているのが誰の目にも分かる。

生徒も点がいいと、自分ができるようになったと思うらしくて不憫。
あの先生の方がいいとか、平気で言うからなあ。

彼女が作った試験問題を見たら、問題として成り立ってない問題がいくつかあったので、直してもらった。
問題として成立させてくれれば、そのまま出してもまあいいよ。

久しぶりに読んだ『こころ』は、「私」の気持ちやら状況の説明がやたら長くて、なかなかクライマックスまで行かない気がしました。
私も、結果が全ての人間になってきてるのかも。

いっしょにグループ研究っぽいもの、やってみようね。
架空の話の研究だけど、
たぶん、面白いよ。



[2010/01/25 15:52] 教育 | トラックバック(-) | CM(2)

永訣の朝 

こんばんは。
今日は、11月の最後の日でした。
ニシムクサムライ。

非常勤の授業日なのに、なんの準備もしないまま朝を迎えてしまいました。
今日は、宮沢賢治の「永訣の朝」の授業だからと、話してあります。
こまったなー。
追い詰められて、古い、自分のノートを探しました。

あった。
ルーズリーフに3枚。
見ると、詩の本文のコピーが貼られていて、昔の私の字で、丁寧な授業計画が書き込まれています。
セーフ。
そのルーズリーフをカバンに投げ込んで、急いで家を出ました。

信号を待つ間、そのルーズリーフを出して、とにかく詩を読むことにしました。
車の中なので、誰にも聞こえませんから、大きな声で、読みました。
どんな詩だったか、思い出そうとして、ただ読んでいました。

   あめゆじゅとてちてけんじゃ

ただ読んでいるだけなのに、
あれ?
あきれたことに、私の声が泣いています。

青いじゅんさい模様の茶碗の中の、白くて透明なみぞれ雪。

信号がかわって、私は車を発進し、右折のための車線変更をします。

信号待ち。
続きを読みます。

   Ora Orade Shitori egumo

いかにも東北なまり風に読む自分をクスッと笑いながら、泣けてきて、泣けてきて。

高校までは、車でたった10分ほど。
泣きながら、正門を入ってゆく私。
あやしうこそものぐるほしけれ。

授業は、3階の教室。
何食わぬ顔で授業を始めました。

えー、先生、泣いてるー。
詩を読んで泣く先生って、初めて見たー。

そう?よくある話だと思うよ。(なんてね)

どうやら、声を出して読むのはまずいらしいです。




 永訣の朝
                     宮沢賢治

けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりで
    くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

[2009/12/01 00:10] 教育 | トラックバック(-) | CM(2)

野の教室 

こんにちは
今日は涼しい一日でした。

いつものお散歩コースの途中に、造園学校の実習園があります。
樹や花、藤棚や野菜畑、垣根、温室、木の家。
いろいろなものが狭い敷地にいい具合に集まっています。

先日、ここに突然、教室が現れました。

…教室!

建物は、畑の中の大きな道具小屋といった感じ。
木の板壁が3方を囲んでいて、上半分が、ちょうど大きな窓のように空いています。
パイプ椅子がきれいに4列に並んでいます。
低い教卓。
黒板は大きな釘で吊られていました。
誰もいなくて、廊下も戸もなくて、だけどそれは、間違いなく教室でした。

一番後ろの端っこの席に、そっと腰かけました。

見上げると、屋根は塩ビの波板。
空いているこちら側には、ぶどう棚のひさし。
棚の下には木賊がやけに繁っています。

ここで、誰かと一緒に過ごしたいなあ。
今教えてる生徒たちでも、研究仲間でもいいなあ。
近所の人でもいい。

窓ごしに、直ぐ上の畑で、モグラおどしがからからと廻っているのが見えました。
この間植えたばかりだと思っていた隣の田んぼが、もう立派に青くなっています。

なんだか泣きたくなってきました。
泣き笑いのような気持ちだと思いました。

ただ、誰かとここで過ごす時の様子を思い描こうとすると、なぜだかはっきりしなくて、
その想像の中で、自分が生徒なのか、先生なのかも分かりませんでした。

私は、教室の一番後ろに座ったまま、ずっと空を見ていました。

教室に、風が吹いています。


[2009/07/17 00:00] 教育 | トラックバック(-) | CM(0)

仕事 

こんばんは
時計草がひとつ、ぽつんと咲いているのを見つけました。

今日、娘は、カバンの中で水筒のお茶が漏れてしまったそうです。
部屋中に、濡れてしまった教科書やノート、たくさんのプリントが広げられています。

プリントの中に、採点された小テストがたくさん。
地図の入った地理のプリント。
赤で書き込まれた、数学のプリント。

数学がたくさん。
そのうちの一枚をふと見ると、右下に「→裏読め」

裏読め?

裏を見ると、


 途中式の書き方、しっかり書けていますね。
 もう計算力については心配いりません。
 あとは不注意なミスに気をつけていこう。
 ⑬は式の扱い方について、しっかり理解して下さい。

  x-y -x+4y
  7
              →さくら君のやりかた x-yー7(x+4y)
                                7
    正しいやり方←
  =x-yー7x+28y
       7

  =-6x+27y
       7

  よく比べてみて、正しい方法を納得してください。

練習① 2xーy ーyー2x
       3


   ② 2x-y +yー2x
        3


   ③2xーy +y+2x
      3


                   ①ー4xー4y
                        3
                   ②ー4y+2x
                       3
                   ③8x+2y
                       3           」


すごーい、練習問題まで作ってあります。それも答えつき。

興味を持ったので、他のプリントも見てみると、
「裏を見よ」シリーズ、他にもありました。

「ミスが多すぎる→原因は?裏を見よ」 

見てみると…

「ミスの原因は、まあ、注意力不足なんだけど、途中の式の書き方にも問題ありです。
○×-○ なんて平気で書いているうちは、絶対にミスはなくならないよ。
例えば6×-3 ←これどう読むの?どう計算するの?
    6×(-3)と( )をして、はじめてこの式の意味が通じ、計算できるのです。」

って書いてありました。
面白いのでどんどん見ていくと、どれも単なる計算問題ですが、
間違ったところは、間違った時点に赤で印がされています。

「符号注意」とか、「ここでbが消えた!!」とか、書かれています。

bを求める問題で、誤ってaの値を求めているところでは、
×にしないで△。
「aなら○」って書いてありました。

全部の問題で、子どもの思考の跡を追っているのがわかります。
たぶん、どの子のプリントでも同じでしょう。
それもたくさんのプリント。
普通の先生なら、採点だけでも精一杯です。
先生が採点して下さるだけでも十分な仕事だと思います。

なんだか涙が出て来ました。


ねえ、数学の先生、どんな先生?

おじいさん先生。


どうやらすでに退職なさった講師の先生のようです。

よかったね、さくらちゃんの数学の先生、きっとすごい先生だよ。
ほら見て、プリントの赤い字が、みんなさくらちゃんに話しかけてる。

先生の声が、娘にどれほど届いているのか、それを考えると、もどかしくなります。
それでも、こうして、毎回のように出される宿題のプリントに、丁寧に目を通して、声をかけ続けていかれるのだと思います。

簡単な、数学の初歩の計算のプリント。

一隅を照らすということ。


  


[2009/05/27 23:47] 教育 | トラックバック(-) | CM(6)

はじめまして 

こんばんは
夕方の風の冷たさを気持ちよく感じています。

大学と高校に、非常勤で行くことになりました。
昨日は大学、今日は高校の初めての授業でした。

やっぱり教室はいいなあ。

新しい先生、どうかなあって思いながら様子を見てる。
どうしようかなって顔をして、それでも問いかけに答えてくれる男の子。
突然「トンカツが好き」とか言いだしちゃう子。
まだ、クラス替えがあったばっかり。

女の子が絶対聞くこと。
「先生何歳?」
「結婚してる?」

窓からハチが入ってきてすぐに出て行きました。

ずっと前から変わらない、新学期の教室の風景。


[2009/04/09 19:13] 教育 | トラックバック(-) | CM(6)

午後の教室 

こんにちは
ご無沙汰しております。
リビングの前の桜の樹、いつの間にかほとんど葉を落として、娘が帰ってくるのが見えるようになりました。

陽の当たるテーブルにすわってぼんやりしていたら、急に性教育の授業で話すことを思いつきました。
忘れてはいけないので、メモ代わりに。

担任をしていると、少なくとも年に一回は性教育の授業があります。
先生方は大抵、性教育が苦手。
良いお話をしてくださる講演者をお招きしたり、ビデオをみたり。
たまに、教室でクラスのみんなに話をすることがありました。
こういう穏やかな陽の入ってくる午後の教室。

いつかきっと、一生かけて大事にしたい人が現れるよ。

一生かけてなんて、そんなことできないと思う?
笑っちゃう?

今は出来ないけど、きっといつのまにか出来るようになる。
すごいね。
そんなことが出来るようになるんだね、私たち。

きっとなれるよ。
その人がいるってことが嬉しくて、きっと出来るようになる。

そうしたらね、どうしても伝えたくなると思う。
あなたは私にとって一生に一人の人ですって。

分かってもらえるかな。
どうしたらわかってもらえるかな。
分かってもらえるのに、何年もかかることがあります。
だいたい、自分でこの人だって気付くのに時間がかかる。

自分で自分の気持ちに気付きますように。
この人だって深く確信できますように。
いつかきっと現れるその人に、自分の大事な気持ちを分かってもらえますように。

好きな人いる?
一生なんて、わかんないよね。
でも、きっと、この先ずーっと変わらないって、分かるときが来るんだよ。
それはそれはすごい気持ち。

楽しみだね。
私たち、だんだん大人になって、そういう風なすごい人になっていく。

陽の当たる午後の教室。

もう、生徒は誰もいなくなったのに、こんなこと、今ごろになって。
あの頃、話してあげられたらよかったなあ。


あなたを、一生大事にします。





[2008/11/27 14:10] 教育 | トラックバック(-) | CM(2)

家庭訪問 

こんばんは
野いばらが白い花をいっぱい咲かせています。
いつのまにかやって来て、庭の隅から、倉庫の屋根を越えて。

娘の学校から家庭訪問のお知らせが来ました。
先生が我が家に!

私も昔、家庭訪問をしていました。
高校の家庭訪問は、たいてい何か訳があります。

行ったことのない遠い町。
厚手の黒い表紙を紐綴じにした一クラス分の生徒指導票を手に持って。
日陰をたどりながら、ところどころにある店の看板を読みながら。
頼りにならない自宅地図。

母親の愛想笑いとか、隠れがちの本人とか。
言いにくい話を、さも何でも無さそうに切り出す私。
家族って、一人ずつ全然ちがってるのに、みんな同じ雰囲気。
望まない、望まれない訪問者。

家を訪ねることの不思議。
怒っている父親の、疲れた様子の母親の、ふてくされた子どもの、
声にならない声。

先生見て。これが私たちの家。






[2008/05/09 22:55] 教育 | TB(0) | CM(0)