離陸 

おはようございます。
露草の青い花が、あちらこちらに咲いています。

9月10日、山下さんが亡くなられました。
92歳でした。

山下さんは、零戦の搭乗員として、母艦「瑞鶴」でご活躍の後、搭乗員の育成や、大戦末期には、新しい戦闘機のテストパイロットをなさっておられた方です。

11日に、最後のお別れに行ってきました。

毎年の、お盆とお正月の、親戚としてのご挨拶が出会いでした。
ご誠実なお人柄と、お話の確かさに惹かれて、毎年お訪ねしては、長くお話を伺うようになりました。

いつか文字に起こしてと思いながら、10年以上もの時間が経ちました。
お話は、常に、細かいところまで正確で、
いい加減なことは出来ないから、文字にしたら確認していただかなくては、などと、そういう日のことを想像しつつ、
結局、愚図の私は、いつものようにグズグズとしたまま、何も出来ず、とうとう今となりました。

グラマンとの一騎打ちのお話、大分の基地の様子、着艦の時のこと、強化食のこと。
いろんなお話を聴きましたが、まだまだうかがいたいことはたくさんありました。

私たちは、お盆やお正月のごちそうを前に、大抵は広い座敷に二人でした。
ご家族の方も、話がはずむようにと、ご遠慮下さっていたのだそうでした。

昔の方ですし、思ったことをそのまま口になさるような感じではありません。
それでも、私がうかがう頃になると、毎回ごそごそと準備などして下さっていたのだそうです。
春にスーパーで、義母に逢ったとき、「この頃は、あまり来られませんか」と、お声をかけて下さったそうです。

今年は、娘が受験で、お盆には帰省しませんでした。
少しお身体の具合がお悪いと聞いてはおりましたので、来週にもと思っていた矢先のことでした。

最後まで、意識もはっきりなさっておられたそうです。
お盆を過ぎて、お水と氷ばかりになられてからも、ずっと命をもたせておられたそうです。

私を待って下さっていたのではないか、
ひと目逢いたいと思って下さっていたのではないか。

11日は、一人でバスで行きました。
広島から松江への高速道路が出来てから、夫の里も、山下さんのあたりも、直通バスの経路を外れてしまい、とても不便になっていました。
でも、本当に来ようと思えば、乗り継ぎを探して、こうして来ることが出来たのにと思いました。

山下さんは、いつも通りの朗らかなお顔をしておられました。

無理をしてでも、お盆に帰ればよかった。
私は、ひと目、お逢いしたかったです。

年に2回。
最後まで、そういう間柄でした。

お通夜とご葬儀には、夫と義母が参りました。

山下さんは、あれほどの技術を持ちながら、終戦以降、一度も飛行機を操縦しないままでした。

10日も、11日も、よく晴れて、空のきれいな日でした。

毎年、お盆にはお宅の座敷から見えていた、お庭の赤いカンナの花が、今年も咲いていました。






[2013/09/13 12:34] 山下さん | トラックバック(-) | CM(9)

雷撃隊出動 

こんにちは。
寒いですね。
今日は快晴。
冬のやわらかい陽射しが届いています。

今年のお正月には、久しぶりに、戦闘機操縦員の山下さんのお宅を訪問することができました。

お変わりなく、朗らかな山下さん。
墨絵の襖絵のある、広い仏間でお話をうかがいます。

東宝映画がね、映画を撮りに、私らの部隊に来たことがあるです。
「雷撃隊出動」という映画です。
その護衛戦闘機隊ということで。
山田五十鈴が来て。

大分の基地におる時です。
一週間くらい、飛行場へ撮影に来たり、女優連中が来て、皆でワヤワヤしよったです。

儂が零戦で離陸したり着陸したりするところを写すですよ。

飛行場に映写機を置いて、写す。
それが、ええい、じゃまになるのうと思うて。

着陸して、ゴロゴロ帰ってくるでしょう。
そうすると、飛行場の格納庫のところで整備員がこうやって(手を広げて)待っとるですよ。
ははあ、あそこへ戻れっていうことか、と思って、ゴロゴロそっちへ行きよったら、ちょっと待てって合図する。

そしたら整備員が翼の上にやって来るですよ。
俳優さんとエンジン止めずにかわってくれという。
それで、格納庫の前で飛行機を止めると、灰田勝彦が乗ってくるです。

ははははは。

何だかとっても可笑しくて。
冬の、広い座敷に向かい合って、二人しばらく笑い合いました。

灰田勝彦が乗ってきて、こう、飛行機の胴体を叩くですよ。
機銃の弾が無くなったので、早く弾をもって来て機銃に詰めろ、いうことです。

それを映画で観るとね、
そこで整備員が機銃の弾を肩がけにしてタタタと走ってきて、飛行機へ上がって弾をつめるです。

整備員が下りたら、儂と灰田勝彦が入れ替わらんといけんです。
儂が戻ってきて、飛行機を動かすです。

ははは。

ああ、はい。
顔は出んがね、飛行機を見ると、あれは儂だって分かるですよ。

飛行機を離陸地点へ持っていって、すうっと上がるのは儂です。

基地訓練は、朝ま8時半ごろから訓練するわけですが、あれらが来るのは10時頃です。
ワイワイしとると、午前中は訓練にならずに、一緒になってワイワイしとるです。

山田五十鈴さんはきれいでしたか?
いやあ、あのごろはお粗末。普通のねえ。

十九年の7月の終わりから8月の始めにかけてでした。

大勢来て、歌を歌いよる。
山田五十鈴がね、婦系図の歌を歌い出したら、私が飛行場で汗を拭いたりしたタオルをひょいと取って、そのお蔦の役を踊り出す。
すると力の役をやるもう一つのもんが出来てきて…。

ある日ね、山田五十鈴と手下の女優さんがねえ、七、八人来て、兵隊さん、一緒に歌を歌おうと言うです。
あの頃は、炭坑節がちょうど流行りよる頃でね。
歌うと、兵隊さんそれは何の歌か、ということで、
山田五十鈴やらが、兵隊さんそれを教えろということで、皆が習うて歌うです。
すると兵隊がみんな輪になって炭坑節を踊るでしょう。
そうすると、今度は踊りを教えろいうことで、踊りも教えたり。

その踊るのが、今の映画に。
内地の報道で写したのを戦地で報道で出す映画で、九州編といって、炭坑節を女優さんたち女が踊るのが出て来る。
みんなが教えた踊りが出て来る。

ははははは。

そろそろ日が暮れてきました。
大晦日から降った雪が、深く積もって、しいんと静かです。

山田五十鈴も死ぬるし…。

山下さんは、以前のように炭焼きもなさらず、前にいた子牛もいないようです。
以前より、少しお元気ではないのかも知れません。

最後に、海部政権の時に贈られたという、懐中時計や香炉を見せていただきました。

菊の御紋が入っていました。




[2013/01/20 14:23] 山下さん | トラックバック(-) | CM(2)

飛び立つ 

こんばんは。
今年のお正月、どちらでお迎えでしたか。
私は今年も、夫の里でお正月を迎えました。
今年のお正月はあたたかでした。

それでも、雪深い山里のこと、二日の朝にはうって変わっての寒さでした。
一夜にして深い雪に埋もれました。

にもかかわらず、私は積もった雪道の中を、山下さんのお宅へ。
山下さんは、夫の遠い親戚で、大戦中に、戦闘機の操縦士などをなさっていた方です。

昨年は、お正月もお盆も、お話をうかがう事ができませんでした。
ですから、今年こそという思いで、正月二日の朝の、まだ除雪もされていない雪道を、細い轍を頼りに、ポンコツ車で出かけたのでした。

誰も見かけない、物音一つしない雪の道を、よくもまあという感じの私。
それでも、山下さんは、いつもの穏やかなご様子で迎えてくださいました。

母艦への着艦のお話は、何度かうかがったことのあるお話です。
母艦には、ワイヤーが8本張ってあって、着艦時に、飛行機の後ろの下から出ているフックにワイヤーを引掛けて、機体を止めるのだそうです。

着艦は、とても難しいそうです。
飛行機がうまく止まれないと、勢いで操縦士が前にぶつかって、額に赤いあとがついて、しばらく消えないのだと、いたずらそうに話してくださるのです。

このたびは、その赤いマークのお話といたずら顔がありません。
その時になって初めて、今日は少しお元気がないかもと思いました。

私は、初めての着艦の時は、4本目のワイヤーに引っかけたですが、
それ以降はいつも3本目でした。

お嫁さんが、またお茶を汲みにきてくださいました。
私が戦前のことを研究していると言うのを聞いてすぐに、「家に古い本があります」といって、戦前の本を見せてくださいました。
広い縁の先に、小さな扉のついた箱が置かれていて、それが本棚でした。
師範学校を出られた方があると言われましたので、そこで勉強された本なのではないかと思いました。
中の本は、それは大切に保存されて、とてもきれいなものでした。

師範学校で、首席になるほどの良い成績だったもので、東大に行きたいと思うとったそうですけど、
こんな山の中の農家では、資金がありませんで。
来島の小学校の先生を3年やってお金をこさえようという話だったようです。
ところが、職員室で、向かいの席の人が結核だったそうで、
結局東京には行かれずじまいで亡くなりました。

広い座敷の、鴨居の上には、この家代々の方の遺影がならんでおります。
その中で、一つだけ小さい写真。
それがその方の写真なのでした。

あれだけが写真で、あとは絵ですけえ。

いかにも、いかにも聡明そうな、爽やかなお写真でした。

亡くなられた時と、飛行兵に志願された時と、10年も違わないのではないですか?
東京にも行かれて、アジア中を飛び回って、すごいことでしたね。

二人でじっと鴨居の小さな写真を見ました。

あの頃、東京に行くゆうたら、もう帰って来んということでした。
そのつもりだったと思います。

母艦への着艦には、4つのポイントがあるそうです。
一つは、センターを合わせること。
母艦に引かれているセンターラインに、操縦機のセンターを合わせるのだそうです。

母艦も尻を振るから、こっちもそれに合わせながら近づいていくです。

二つ目は、角度です。
赤い信号と、青い信号が、8メートル離れて点いとる。
ちょうどいい角度だと、それがちょうど板のように見えるです。
一枚の板のように見えたら、それが6度です。

三つ目?
機体の角度ですよ。
水平か、1度くらいで降りるです。

三つめと四つ目がわからない私に、少しだけ驚いておられたかとも感じました。
四つめはスピードなのでした。
着艦時のスピードは、130㎞だそうです。

母艦の大きさにかかわらず、幅16メートル、奥行き40メートルという広さは決まっていて、大きくても着艦の時は同じということでした。

狭いのは飛び立つ時も同なじです。
背もたれが倒れるかと思うくらいふかしながらブレーキを踏んでおって、一気に出るです。
それがうまくいかんと、下に落ちて、まあ、おしまいです。

時々、落ちていくヤツがおって、「ああ、こいつぁまくれてしもうた」思うとると、下からすうっと上がって来る。
助かったなと思うわけです。

甲板から海面までは、どのくらいあるんですか?

30メートルです。

青い海と空のあいだに聳え立つ、軍艦の先端が、見えたように思いました。






[2012/01/09 22:16] 山下さん | トラックバック(-) | CM(4)

天上の波紋 

おはようございます。
昨日は夫の里のお祭りでした。
今でも、曜日に関係なく、毎年11月7日に行われます。
この日は初雪が降ると言われていますが、昨日はよいお天気でした。

雪は、どのくらい高いところから降ってくるのでしょうか。
ご存じでしたら教えてください。

昨日は、山下さんのお宅にうかがいました。
山下さんはいつものように、ほがらかで、お元気そうです。
お目にかかるだけで、ほっと気持ちが温かくなります。

お部屋の小さなこたつにあたりながら、また零戦搭乗員時代のお話をうかがいました。
こたつの炭は、山下さんが焼かれたものだそうです。
部屋の隅には、まだ使われていない火鉢が置かれていました。

空の上の方は、寒いのではないですか?

私の唐突な質問。

そりゃ寒いですよ。
1000メートル毎に6度下がりますからね。
私が一番高く上がったのは、11000メートルです。

ちょうど今時分でしたか、比島のあたりは30度くらいです。
ランニングシャツの上に一枚着て、その上に飛行服ですから3枚ですよ。

しばらく上がると、ブルブルっとして、お、寒いなという感じがするです。
そのうち、なんか肌がピリピリしてきて。
だんだんそれも感じんようになるです。

艦砲射撃も7000メートルくらいまでしか届きませんから、上から見とるです。
弾が直接あたるというのではなくて、上で炸裂して、その破片を当てて飛行機を落とそうというわけですから、
その、炸裂するのを見とるです。

破片が飛んだところに、空気の波が、ほら、ちょうど池に石を投げた時みたいに、ずうっと広がって行くのがね、見えるんですよ。
空気が見えるです。

山下さんの眼下に、今、その空気の波が広がっているのがわかります。
その様子を見ながら私は、それはきっと、美しい眺めだったに違いないと思います。

そんなに空気が薄いところにいて、苦しくないんですか?

酸素ボンベが座席の後ろに付いておって、それを吸うです。
出発前に、鼻のところに管がくるようにしておいて、上に上がったら、バルブを弛めるわけです。

そう言って山下さんは、左肩後ろに手をやって、バルブを弛める仕草をなさいます。

4500メートルくらいで吸う者もおりましたが、私は6000と決めておりました。
全然吸わんと帰ってくるものもおったです。

大丈夫なんですか?

全然苦しくはないんですよ。
自分では、酸素が薄くなったと言う自覚はないんです。
ただ、吸わんとおると、帰ってから、ああ、今日はえらいくたびれたなあと思うわけです。
だから、気をつけておいて吸うわけです。

高山病とかにはならないんですか?

まあ、身体が丈夫な者が飛んどるわけですから。

そう言って、山下さんが笑います。

私の質問はいつもこんな具合。
いつも思うことですが、飛行機の知識も、戦争の知識も乏しい私は、山下さんのインタビュアーとしては不適格です。

それでまあ、離れたところから、皆ですうっと下に降りていくんです。
下にほとんど近くなってから、ふわっと暖ったかくなって、おお、寒かったんだなあと思うわけです。

その時山下さんの機が下りたのは、母艦だったのか、比島の基地だったのか。

私たちは、縁側のむこうの、これから冬に向かう村の景色に目をやりました。
そうしながら、しばらくの間、山下さんの眼の奥に広がる、南国の11月の海の景色を見ておりました。



[2010/11/08 09:59] 山下さん | トラックバック(-) | CM(2)

山下さんのこと 

こんにちは。
やさしい雨が降っています。
のんびりした日曜日です。

こんな雨の日は、農作業はお休みなのでしょうか。
それとも、また炭焼き小屋へ上がられたかもしれません。

山下さんは、夫の里の、遠い親戚にあたります。
夫の実家のある山里のあたりでは、今でも、お盆やお正月、お祭りなどの折々に、家々を訪ね合います。
私も、義母の名代で、あちらこちらに参ります。
訪ねた先の家々では、ごちそうをいただきながら、いろんなお話を聞くのです。
山下さんのお宅も、そうした家の一軒でした。

初めてうかがったのが、いつのことだったか、今では分からなくなりました。
娘がうんと小さい頃ですから、もうずいぶん前になります。

夫と一緒にうかがった、山下さんのお宅の、広々とした表の間。
お盆のごちそうをいただきながら、ふとうかがった、零戦搭乗員の頃のお話に、私はすっかり引き込まれたのでした。

山下さんは戦時中、零戦の搭乗員として空母「瑞鶴」に乗り込み、また零戦搭乗員育成の教官のお仕事、終戦前には横須賀実験部で、実験パイロットをしていたそうです。

端正なたたずまいで、少し遠慮がちに話されるそのお話は、淡々として、少しユーモアもあって。
戦争に行った男の人たちの、空母や戦場での生活としてのお話でした。

比島から四国に帰って来たときは、シャツ一枚で。
本土に着いたら、そりゃ寒くて。

山下さんのお話を聞いていると、ずっと続く海の上を、ゆうゆうと飛んでいるような、どこかそんな感じがいたしました。
正義とか、英雄とか、戦争の悲惨とかいう物語ではなくて、海の上の飛行機の上から見ている景色を話して聞かせるような、そういうお話なのでした。

私は以来、毎年お正月とお盆と、欠かさず山下さんのお話を聴きに、一人でお宅に伺うようになりました。

時には幼い娘を連れて。
大雪の中を出かけたり。
義母に呆れられたりしながら。

飛行機や戦争に元々全く興味がなかったはずですのに、
それはいつのまにか、帰省のたびの、私の一番の楽しみになっていました。


山下さんは、決してご自分を立派な者としては話されません。
それでも、山下さんの飛行技術の水準が飛び抜けて優れていたのだということは、すぐに気がつきました。

毎回のことですが、ご自分が話しておられることと、聞き手の私のことを、冷静に把握しながら話しておられるのを感じて、私は内心深く感嘆いたします。
いつも、私が聴きたがっているようなことを探りながら、楽しめるように話されて、
話の流れが逸れたり、つじつまが合わなくなったりということもありません。

そのありかたの中に、研ぎ澄まされたような山下さんの戦時の日々が、彷彿とするのでした。


山下さんは、戦後はお里に戻り、結婚して、この大きな農家とご家族を支えてこられました。
日頃は戦争の話をほとんどなさることはないそうです。

今年のお正月は大雪で、とうとう出かけられないかと思いましたら、なんとお嫁さんがジープで私を迎えに来て下さいました。

雪の中を進む車の中で、山下さんの噂をいたします。

おじいさんも、私らにも少しも偉そうにもされんで。議員に立つでもなくて。


山下さんは、いつも、少しだけ微笑んでおられるように見えます。
私は、人の強さということをふと考えたりいたします。

戦時の空と、空母と、着陸時の基地の眺め、海軍の栄養ドリンク。
もう、この世のどこにもなくなってしまった、そういう世界の話を聴きに、私は雪の中を進んでいきます。

海の上を飛んでいるとき、水平線は、高いところにあるものなのだそうです。




[2010/01/31 14:10] 山下さん | トラックバック(-) | CM(5)