こんばんは。 夜も10時を回った今になって知ったのですが、 今日は「庚申の日」なんですって! さあ大変。 庚申の晩には、人間の中に棲む虫が、人が眠っている間に、天帝にその人の悪行を報告しに行くというのです。 報告されたら寿命がちぢめられてしまいます。 怖いです。 一日でも長く生きていたい。 対策は、昔から「徹夜」と決まっています。 虫が体内を抜け出さないように夜通し見張るわけです。 なんだか受身な対策です。 困った。 すでにとても眠い。 私、何か悪行を働いたかしらん。 悪いことなんて何もしていないような気がする。 こら、自覚がないのは大いに問題である。 この世に生きて暮らす人間なら、何にも悪いことをしてないなんてこと、あるはずがないぞよ。 況んや悪人をや ああ、私は救われない真の悪人かも。 うう、眠い。 まずいです。
[2022/09/04 23:05]
日記 |
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こんばんは。 今日は9月1日。 長い夏休みが終わって、2学期が始まる日。 そう思っているのは、ひと年取った大人だけになりました。 最近の学校は、数日早く始まるところが多いのです。 全然終わりの見えない宿題に、泣きたい気持ちになる8月31日も、 今では沢山の人の記憶の中の幻です。 小学校の時の自由研究、覚えていらっしぃますか。 私は、自由研究も工作もできなかった夏休みの記憶がございます。 小2の時、 結局なんにもやらないまま夏休み終了。 当時、虫が大嫌いだったのに、近所のお兄ちゃんの昆虫採集の箱を持って学校へ行きました。 小4の時、 パンダの寝間着入れをさっさと作って済ませてしまいました。 あんまり頑張らない私 大体今とおんなじ。 今年の夏休み、どうしようかなあ。 大学の先生の夏休みは、これからです。 宿題は、たくさんあります。 ははは。
[2022/09/01 23:10]
日記 |
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こんにちは。 ご無沙汰申し上げております。 お元気でいらっしゃいますか。 今年は秋が来るのが少し早いな と思っていたら、 今日は久しぶりに暑くなってきました。 真夏のしっぽのような昼間です。 この頃は、ものを読んだり書いたりする時には、メガネが欠かせなくなりました。 老眼鏡です。 手元にある書きものに、さりげなくさっと目を通すことができません。 ちょっと添えられた文字だけでも、メガネを取り出し、改めて向き合わなければ読めないのです。 先輩の先生方がメガネをかけて、机に向かっておられた姿を思い出します。 そして今、私はそれと同じ様子をしているのだと思います。 自分ではその頃の先輩方のように立派になれた感じは全くしないのですが、 外から見ると、きっと同じように見えるでしょう。 小さな言葉を読むためにも、いちいちメガネをかけて向き合うようになってから、 どんなささいな言葉にも、書いた人があるのだと感じるようになりました。 それは、私の十分な年齢に、いかにもふさわしいあり方に思えて、 ただ年月を重ねてきただけの平凡な私に訪れた、年月の恩恵。 ちょっといいなと思うこのごろです。
[2022/08/30 15:19]
日記 |
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こんにちは。 新学期から一ヶ月がたちました。 ご挨拶がすっかり遅れてしまいましたが、私は今年度より大学を移籍いたしました。 11年間の単身赴任生活を終え、今は毎日広島の自宅からお仕事に出かけています。 昨年度末、お世話になった皆さんに、慌ただしくお別れを告げました。 一番お世話になった、学科の先生方へはお手紙をお渡ししました。 お名残惜しいばかりでした。 ここに記念に記しておくことにいたします。 本当におせわになりました。 ありがとうございました。 *********** 日本語・日本文学科の先生方へ 年度末になりました。昨年度に続いて変則的なことが多かった一年間が、ようやく終わろうとしています。本当にお疲れさまでした。 卒業式の今日、私もそっとこの大学での生活を終えます。 大変お世話になりました。ありがとうございました。心から御礼申し上げます。 この頃はずっと、先生方と共に過ごした時間を、あれこれ思い出しています。 先生方へのお礼とお別れを、きっとうまく言えないと思いましたので、かわりに、堀江敏幸の「此処に井戸水と葡萄酒があるよ」という文章を贈らせていただくことにいたしました。数年前の総合国語の教材文です。 堀江敏幸さんの学生時代が描かれたこの文章には、大学と、文学と、そして友について、そのかけがえのなさが切なく綴られています。ここに描かれている、言葉にならないいろいろを、先生方となら黙っていても共有できると、全く疑うことも無く、 私はこの文章を先生方と一緒に読みたいと、去ろうとする今も思っているのです。 日本語・日本文学科は、私にとってそういう場所であったのだと思います。 来年度の高校の教科書からは、こういった文章は消えてゆくことになりそうです。 こんな時代に、若い時間を日本語・日本文学科で過ごす学生たち。 彼女達にとってここは、文字どおりかけがえのないものとなるでしょう。 その同じ日々を、先生方や学生たちと共に過ごせなくなることを、今更のように残念で寂しく感じています。 十一年間、育てていただきましたこと、ただ感謝しています。本当にありがとうございました。温かい先生方と、学生さん、卒業生たちに恵まれ、やりたいことをみんなやらせていただいて、本当に幸せでした。 卒業生との読書会の最後のしおりがちょうどできあがりましたので、同封いたします。こちらもどうぞご覧ください。 四月からは、新しい赴任先の大学で、これまで同様、開放制での中等教員養成の仕事を中心に取り組みます。 残り短い職業生活ですが、ここで学んだことを活かしてゆければと思っています。 本当にありがとうございました。 最後になりましたが、先生方のご健康とご活躍、大学の益々のご発展を、心から、いつまでもお祈り申し上げております。 2022年3月11日 礼拝堂の金色優し卒業す 卒業の子等それぞれに花飾り 卒業式理事長式辞はホームページ ここ
[2022/05/05 23:18]
日記 |
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ご無沙汰申し上げております。 お変わりなくお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。 毎年恒例の、卒業論文集あとがき、新年度が始まった今になってアップいたします。 いつもとあまり変わりませんが。 学生さんは皆さん違って、だから私にとっては全然違うゼミで、一つ一つが全く違う卒論集です。 どうぞご容赦くださいませ。 私はこの春、11年間勤めた大学を退職して、広島の大学に移籍いたしました。 その引っ越しやらなにやらで、ずっと気持ちがふわふわして、 ずっと落ち着いた日がありませんでした。 新しい職場での毎日で、まだまだ少しも落ち着いてはいないのですが、 ふと卒業していった学生さんたちのことを思い出して。 みんな、元気で頑張っていますか。 *********** あとがき ここゼミのみなさん 卒業論文、完成、おめでとうございます。 よく頑張られましたね。 お一人お一人が、ご自身の大切なことをテーマに込めて、 それぞれとても良い卒業論文になったと思います。 大変おつかれさまでした。 今年もまた感染症のため、ゼミとして集まるのが難しい時期が何度もありました。 お茶会も、合宿の代わりに集まっての発表会も、 日時を決めて楽しみにしていると、結局いつも開催できなりました。 オンライン飲み会、楽しかったですね。 このゼミは、本当に居心地のいいゼミでした。 繊細であることが生きにくさと同義でもあるこの世情にあって、 私は、あなた方の姿を通して、繊細であることの温かさや強さを知ることが出来ました。 皆さんは、本当に素敵な大人でした。 人のための言葉を、いとも自然にかけるA田さん。 Si田さんの、言葉を大切にしながらの丁寧な進行。 Aさんの、真摯で、応援の気持ちに満ちた質問。 控えめなF﨑さんが、実はゼミ一番の理論家でしたね。 Su田さんは常に率直で、さわやかに頑張り続けていました。 途中からS藤さんが入って来てくださって、ゼミはますます楽しくなりました。 気さくで積極性があって、今も初めから一緒だった気がしています。 穏やかで心優しいゼミでした。 一方、皆さんの繊細さが温かさとなって、皆で進んでいける、強いゼミでもありました。 私は皆さんのことを、とても誇らしく、そして愛おしく感じています。 私はこの春、この大学を去ることになりました。 そのため、ゼミ開催の卒論発表会は出来なくなりましたこと、本当に申しわけありません。 良い論文が揃っていましたから、私もとても残念です。 だからこの卒業論文集は、皆さんのゼミ発表会です。 いつか、随分時間が経った頃、ぜひこのゼミ発表会の場を訪れてください。 きっと、向こうが見えない海原に、小さな不安と勇気を携えて漕ぎ出してゆかれるご自身の、今の姿に出会えると思います。 自分の問いは何かを、自分で見出そうとすること。 その営みの中に道はあります。 そして気がつけばあなたのそばには、その孤独を支えてくれる誰かがいます。 皆さんの姿は、大学を去るにあたっての、皆さんから私への何よりのはなむけになりました。 ありがとうございました。 私からは、この論文集をお贈りします。 どうぞ、今のお気持ちを大切に、それぞれの海原の道を進んでください。 私は、いつまでもいつもまでも、遠く後ろから、手を振って応援しています。 ご卒業、おめでとうございます。 心よりお祝い申し上げます。 2022年3月11日 ここ
[2022/04/24 21:40]
教育 |
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「 弾き始める前に、静けさを伝えてくる演奏家がいる。その人の音は、自分、そして世界を見つめている。年齢とは関わりない。上手い下手とも関係がない。そういう人は、大切なことを言おうとしているためか、つっかえ、間違え、コンクールの予選で消えていくこともしばしばである。しかし、静けさに耳を澄まそうとする姿勢は、聴き手に確実に何かを刻印する。 おそらく、音楽は世界から静けさを聞きだそうとするものなのだろう。もちろん、音楽だけに限らない。森や海辺で静けさを浴びることも出来る。しかし、クラシック音楽に親しんでいると、静けさに入る方法を知らず知らず身につけているように思える。この困難を極めた世界に、 これは何らかの方法を示唆してくれるのではないだろうか。 」 梅津時比古「静けさに耳を傾ける~音楽の効用」 (『婦人之友』2022年2月号)より 静けさに耳を澄ます音楽家にのみ、奏でるべき音楽が降ってくる。 教育と同じだ。 子どもの声に耳を傾けると、自然と為すべきことが見えてくる。 教育方法をあらかじめ学ぶことは無意味ではないけれど、 子どもより先に、教育方法や内容を考え始めると、子どもの声は聞こえなくなる。
[2022/02/11 16:45]
読書 |
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昔勤めた学校の 古い校舎 3階つきあたりの教室が好きだった 南窓いっぱいの梢の緑 温室の中にいるみたい 私は木漏れ日が子どもたちのまわりを飛び回っているのを見ている 何の授業だったか その木漏れ日の中に入りたくて 子どもたちの方へと踏み出す また誰かが面白いことを言って みんなが笑っている
[2022/02/11 16:00]
詩 |
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こんにちは。 例年になく早い梅雨入りとなりました。 今日もどんよりとした空模様、 梅雨曇りです。 出会い。 今日は、私にとっての出会いのお話をさせてください。 詩人の井野口慧子さんとの、お話です。 初めてお目にかかったのはいつだったでしょう。 おそらく、広島で、毎年、鈴木三重吉の命日に行われている「赤い鳥の会」でのことだったと思います。 その年の講演者が井野口慧子さんでした。 講演の内容は、出席された全ての方が、すんなりと受け入れるのは、難しいかもしれないお話でした。 それは井野口さんが体験された、たくさんの出会いの羅列といった内容で、 どれも少々不思議でしたし、当たり前と言えば当たり前のことも含まれていて、 言ってみれば、全体が不思議な内容なのでした。 私は、会場の後ろの方で、そのお話しをうかがっておりましたが、 ある不思議さの中で生きておられる井野口さんのこと、 井野口さんの伝えたいことが、次第に、次第に強く伝わってき始めました。 その会の後、昂ぶる気持ちをもって、少しご挨拶程度のお話をしたのだと思います。 お食事をご一緒したかどうか、記憶は定かではありません。 次の年の「赤い鳥の会」で、私は井野口さんのお姿を探しました。 私より一回り以上上のご年齢の井野口さんは、 控えめな雰囲気で、会場に座っておられました。 会のあと、井野口さんと、お友達の年若いご友人のSさんと3人、 平和大通りに面したホテルの喫茶室で、とても長い間お話しました。 なんと、井野口さんも私に会えるのではないかと思って、来てくださったということでした。 いろいろなことが話題でした。 数ヶ月後のある日、私の元へ、井野口さんの新しい詩集が届きました。 『千の花びら』です。 私はその詩集を読み、 詩とは、このように書いて良いものなのかと、心から驚いたのを覚えています。 それまで考えてもみなかったことでしたけれど、突然、私も詩を書きたいと思いました。 私たちは、本当に時折でしたが、便りを交換していました。 私はたいてい、絵はがきを送っていました。 井野口さんからはいつも封書で、いろいろなことを書いたお返事をいただきました。 いつも素敵なマスキングテープで封がしてありました。 私は、絵はがきに、お礼と共に、私も詩を書いてみたいと付け加えて、井野口さんに送りました。 ある時、井野口さんから、県立図書館での講演のご案内が届きましたが、 私はその日は、仕事でどうしても出かけられない日でした。 そのことを絵はがきでお返事しました。 それからしばらくして、 Sさんから、とても慌てたお電話がありました。 井野口さんの訃報でした。 それは本当に突然のことでした。 井野口さんと親しかったSさんは、なぜか、その第一報を、私にお知らせくださったのでした。 離れた福岡市の真ん中の小さな部屋で、 私は呆然としました。 今も私は、どこにも身の置き所がなく、呆然としたままのような気がいたします。 何事も分からずに年齢だけ重ねてきた私。 かけがえのない友を失うとは、こういうことなのかと、初めて知った気がいたしました。 幾重にも、無念が残りました。 思えば、たった2度しか会っていない私たちでした。
[2021/05/18 12:04]
お友達 |
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こんにちは。 「国語科教育法Ⅰ」 今年度の授業、初めに読む文章は、 随想、堀江敏幸「此処に井戸水と葡萄酒があるよ」 にいたしました。 ご紹介いたしますね。 ** それは、筆者の堀江さんの大学時代のお話です。 大学生の堀江さんは、古本屋の百円均一で見つけた「ジャム詩集」(堀口大学訳)に夢中になります。 特にその中の、「桜草の喪」の冒頭、親友のサマンを悼む詩に惹かれました。 「親しきサマンよ、 僕はまたしても君にこの手紙を書く。 死人に手紙を書くのは僕にもこれが初めてだ。 」 ジャム二十七歳、サマン三十七歳、 年齢も、文学的地位にも隔たりがある二人でしたが、深い友情で結ばれました。 知り合って三年後には、ジャムも世に知られることとなります。 しかしその二年後、サマンは病に倒れてしまったのでした。 ジャムは、生きているサマンにもあれこれ手紙を書いていたのだろうか。 夏休みのある日、堀江学生は、大学図書館で、サマンとジャムの往復書簡集を見つけます。 虚飾を排したどこか宗教的な厳粛さをたたえた古い図書館の大閲覧室。 彼はそこで、辞書を片手に、その五年にわたる友情の跡をたどりました。 筆者の、ジャム詩集との出会い ジャムとサマンとの出会い 大学図書館 往復書簡との出会い この随想には、それぞれに奇跡のような出会いが、いくつも描かれています。 そして、その出会いひとつひとつの、深さと静かさに、胸を打たれます。 この文章の冒頭には、筆者の記憶の中にある大学図書館の光景が、丁寧に描かれています。 人との出会い、本との出会い、言葉との出会い、その場所。 何かが少しでも違っていたなら、これらの静かで深い出会いは、このようなものとしては、なかったのではないか。 人にとっての、出会いと、その奇跡を、しみじみと思わされる文章です。 冒頭の詩の終わりのあたり、 ジャムはサマンに語りかけます。 「のどが渇いていないか? 此処に井戸水と葡萄酒があるよ。」 ※随想 堀江敏幸「此処に井戸水と葡萄酒があるよ」 ( 『精選国語総合 現代文篇』 筑摩書房 2015 )
[2021/05/17 17:51]
教育 |
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こんにちは。 お元気でいらっしゃいますか。 新学期が始まって、あれよあれよといううちに、再び授業がオンラインになりました。 ようやく軌道に乗り始めたところでした。 自宅から授業をいたします。 移動がない分、体力的にはとても楽です。 受講者の反応があまりわからないのと、資料が思うように揃わないのがちょっと難点ではありますけれど。 おかげで少し余裕が出来ましたので、 授業記録を。 ** 四月の授業はまだ対面で行われていました。 「国語科教育法Ⅰ」 国語の先生になりたい、主に3年生のための授業です。 先生になりたい学生さんの瞳は、いつも理想と希望に輝いています。 ブラック職種の評判も高い中、’でもしか’(死語?)の私は、ただただ感心するばかり。 学生さんたちが夢見ている、先生になった自分がいる国語の教室。 あなたの理想の授業のイメージはどんな風ですか? 言葉を扱う、国語の授業は、不思議と言えば不思議です。 自分の言葉で、生徒と話が出来る先生にだけ、 生徒は、自分の本当の声を聴かせてくれます。 あなたの教室が、そういう場所になるといいですね。 今、この教室に、おんなじ場所にいる一人の人として、生徒の前に立つこと。 想像してみてください。 結構難しいです。 毎年、一番最初の授業は、 教科書から一つ、文章を選んで、みなさんに感想を披露してもらうことにしています。 作者についての知識とか、文章の分析とかでなくて、自分とつながっている、自分の感想の披露です。 「この文章を読んで、あなたの言葉で、あなたの感想をお願いいたします。」 ***
[2021/05/17 13:15]
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こんばんは。 新年度が始まりました。 先週の金曜日、第1回の「国語科教育法Ⅰ」の授業でした。 中高の先生になりたい学生さんが、第1回目は特に、はりきって受講してくれる授業です。 ですが、このご時世です。 残念ながら、急に出席できなくなった学生さんがありました。 で、このご時世、授業を録画して、欠席の学生にも見られるようにいたしました。 今日になって、先週の自分の授業をそっとのぞいてみると、 なんとまあ、 画面の中の私ったら、 まるで学校の先生みたいな、かイイイイことを言っています。 「先生と言われるほどの○○」を、引き受けるのが、先生のお仕事ですから、まあ仕方ありません。 *********** 今日は、このパソコンを取りに行く、セットするとかで、とっても時間がかかってしまいました。 みなさん「私の大事な時間がもったいないじゃないか、ちゃんと予定の授業をしてくれよ」って、思った? うふふふふ(みんな笑う) 皆さんの教室の中には、 あ、それ、あなた方が先生になって行く教室のことね。 その教室の40人の中には、そういう風に思う子どもがいると思わない? 「あいつのために時間使うなよ。こっちは受験があるんだから」とか思う子がいると思わない? 先生としてはどうしましょう。 結論として、私はね、 パソコン取りに行って、時間かけてセットしました。 では、それはどうしてか。 キリスト教のお話で、迷える子羊のお話、聞いたことがあるでしょ。 群れの中から迷った子羊が出たら、それを探しに行く。 迷ってない羊は放っておいて。 それってどうなんでしょう、ていうことですよね。 私が他の子をおいて、迷った子を探しに行くのはどうしてか。 それは、迷ってない羊たちが、いつまでも元気で迷わないかというと、きっとそうじゃないから。 子どもたちは本当に真面目で、いい子たちで、シビアな彼らの世の中を生きています。 そういう厳しいところで生きている子どもたちは、案外ギリギリのところにいたりする。 そして、学校に来られなくなった子どものことを見てる。 そして、あなたのことを見ている。 自分に何かあった時に、この人は自分を助けるのか。 迷ってない羊たちをおいといて、迷った子を探しに行って、連れ戻そうとすることは、 あなたが迷ったとき、私はあなたを探しに行きますよ。 っていう無言のメッセージになるよね。 そしてね、 迷う日が来なかったたくさんの子にも、 若い時代の学校での時間を、そういう先生や生徒がいる教室でしばらく過ごしたっていうことが、 これから先の人生、どんなに意味があるか。 この大学を卒業して、社会に出て働いているときに、 自分が迷ったときには、この人たちが自分を助けてくれるんじゃないかなって、 なあんとなく思えてたとしたら、幸せだと思いませんか。 社会がそういうところだって、なんとなく信じることが出来ているとしたら、 それはどこから来ているのか。 それはもちろん家庭だし、そして、学校の、ある教室での一年間かもしれないって、思っています。 私に何かあったら、絶対誰かが助けてくれる、誰かが助けたいと思ってくれてる、と思える何年間があったなら、 それがその人の一生の社会の見方を作っていくと思っています。 たとえ全員を信じることができないくても、この中の誰かがきっと…って思えることが支えてくれる。 だから、先生になって、たった一人でも、そんな教室を作ることができたら、すごく意味があると思ってる。 私たちは、弱い羊を探しに行く人にならなくちゃいけないのです。 教室にいる子どもたちに向かって、弱ったらあなたを探しに行くよっていう在り方を持って立っている、 私は、それが、先生ということだと思っています。 みなさんは、今から先生になろうとしていますから、 まず自分は社会をどういうものだと思っているか、自分の認識を問い直すことから初めてください。 そして、先生になるってどういうことだろうって、自分で考えていってほしいなと思っています。 この授業が、そういう授業になればいいなって思っています。
[2021/04/22 21:32]
教育 |
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こんばんは。 お元気でいらっしゃいますでしょうか。 なんということもない日のことを、日記として書いておこうと思います。 今日は月一回の通院日でした。 今までは、電車を乗り継いで、一時間以上かけて行っていましたが、 今朝は夫に、車で連れて行ってもらいました。 ちょっと気持ちのいいドライブコースです。 せっかくのドライブですのに、運悪くお仕事の連絡が、ひっきりなし。 助手席でメールを見てばかりの私。 自分ながら味気ない限り。 あっという間に到着。 さて、病院が終わったら、 いつも行くことに決めている小さなフランス料理のお店で昼食。 このお店では、今では何も言わなくても、パンのかわりにそっと小さなオムレツを添えてくださいます。 それからおなじみの刺繍屋さんへ。 大切な方への贈りものに、ハンカチに名前を入れていただくのです。 年を重ねるについて、 いつもの、がだんだん増えてきて、 ささやかな、お気に入りの暮らしが出来るようになるのですね。 少し歩きくたびれて、デパート地下のいつものお茶屋さんに。 あら、お店が無くなってる。 お店を閉めるとは聞いていました。 聞いていたのに、やっぱり驚いてがっかり。 なんということもない、今日の一日。 ささやかなお気に入りが増えてくる楽しみと、 変化の楽しみ、 少しずつ変わってゆくことの寂しさも。 夕方から雨になりました。
[2021/04/12 22:13]
日記 |
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みなさま、こんにちは。 ご無沙汰申し上げております。 昨日は、卒業式でした。 略式でしたが、皆が一堂に集うことができたことを、何よりに思いました。 まあ、正直を申し上げますと、 毎年の、かなりの人数をぎゅうぎゅう詰め、保護者席もいっぱいというのでなくて、 学科の学生だけがゆったり間をあけて座っていたこと、 日頃ほとんどなじみのない、理事長や来賓の挨拶が無くて、学長の他に、今年は学科長のお話だったことなど、 アットホームで、かえって良い感じでした。 この一年、イレギュラーなこと続きで、誰にとっても大変でしたね。 4年生は、前期は図書館も使えず卒論は遅くなり、就活もオンライン、教育実習は10月。 4年生でなくても、大学生くらいの年齢の若い人たちは、いろいろなことを考え込んでしまっていたようです。 その苦しさは大人には察しきれないものであったように感じられました。 それでも、袴姿の卒業生は、屈託もなく、晴れがましく、とても眩しく見えました。 私のゼミ生も、無事、全員揃っての卒業となりました。 みなさん、本当によく頑張りましたね。 毎年恒例となりました、卒業論文集のあとがきです。 *********** あとがき 卒業論文集に寄せて みなさん、卒業論文、本当にお疲れさまでした。 全員無事ご提出。それぞれに素晴らしい論文になりました。 私は、論文も、皆さんが頑張られたことも、大きな声で自慢したい気持ちでいっぱいです。 皆さん、本当によく頑張られました。 この一年は、本当に誰もが大変でした。 フレッシャーズセミナーで始まったここゼミ。 皆さん、新入生のためのお仕事に心を尽くしてくださって、本当にありがとうございました。 突然入学式がなくなって戸惑いでいっぱいの新入生を思い、少しでも入学気分を味わってほしいと、様々な制約や繰り返される変更にもめげず、熱心に取り組んでくださった皆さん。 そのおかげで、1年生がどれほど救われたか分かりません。 結局前期は授業も全てオンラインになり、大学図書館も公共図書館も使えないまま、ゼミもオンラインになりました。 それは誰にとっても初めての、長い一人の時間でした。 就職活動の面接もオンライン中心、教育実習は延期されて秋になり、卒業論文の進みものろのろになりました。 それでも励まし合いながら、コツコツと研究を進められた方々に、私は本当に感心していました。 一方で、どうしても思うように研究に向かえなかった方々もありました。 苦しかったことと思います。 ラストスパート、お疲れさまでした。 私たちは誰でも、それぞれに思い描く世界の中に、たった一人住んでいて、そこから容易に出ることができません。 そして外の世界が見えそうになると、なぜか身動きがとれなくなってしまいます。 でもこうしてはいられない、光に向かって伸びてゆきたいという強い願いも持っています。 卒業論文は、学問への扉です。 実は学問は、私たちに外の世界を見せてくれる魔法です。 皆さんはこの魔法を手に入れました。 大切な皆さんへの、私からの贈りものです。 どうぞ、これから先ずっと、この魔法を失くしてしまわないように、ともに暮らしていってくださいね。 大丈夫、知ってみると学問は、暮らしの中の小さなところに潜んでいますから。 他の人の話に耳を傾けること、分からないことを確認しようとすること、思い切って自分の考えを話してみること。 そしてぜひ、この魔法の力で少しずつご自身を育て、ご自身にとっての幸せを作っていってください。 この魔法とともにあなたのそばにいて、いつも応援しています。 ご卒業おめでとうございます。 心からお祝い申し上げます。 2021年3月11日 ここ
[2021/03/12 17:14]
教育 |
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気がつくと雪が降っていました。 世界はもう白くなっていて よく見ると、雪が、ちらりちらりと降っているのです。 とうとう、本当の雪の日が来たのだと思いました。 雪はただ降っていました。 しんとして それでも雪はやまりなく降っていました。 午後になると、空は晴れてきて、 道の雪が溶けてきました。 それでも雪はやみませんでした。 雪は 私の中に 音もなく しんしんと降り続けていました。 私の中に ただ白い雪の景色が 耐えがたい静かさで 広がってゆきました。 あの日以来 私の中には 雪が降り続けています。 私は胸に雪景色を抱えたまま すっかり晴れた外へ出かけます 私の中には今も 雪が降り続いています。
[2021/01/11 13:51]
詩 |
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新しい自転車が来た。 本当は新しくなくて、娘が中学生になる時に買った娘の自転車。大人になった娘が、今度、坂の多いところに引っ越したので、自転車はもういらないって。三人で近くの自転車屋さんに歩いて買いに行った時のことが忘れられなくて、別に何があったというわけではないのだけれど。とにかくどうしても捨てないでほしいと思う。それで、大阪から福岡まで無理して送ってもらった。わがままなママの願いを叶えるために、いつもいつも、パパと娘が頑張っている。そんな家族。 届いた自転車は、これでもかと梱包されていて、漫画に出てくる包帯だらけのけが人のようで、笑ってしまう。ガムテープやらプチプチやらを全部取ると、きれいな車体。娘が最後にきれいにしてやったのだと思う。 懐かしさで涙が出そうな自転車を連れて、夕暮れの福岡の町をゆく。後ろのタイヤがパンクしているから、本当に連れて行くのです。 なじみの自転車屋さん。とても優しく話す自転車屋さんのお二人。いい自転車ですね。前に何か辛いことがあって、こんなに優しい人になったのかもしれない。気持ちが柔らかくなるのがわかる。娘のなんです。もう大人になって。いい自転車ですね。タイヤ、取り替えましょうね。前も後ろもね。ああ、ここに座っててください。黄色い木の椅子。夕暮れが店の中まで来ている。 待つ間に今の自転車を取りに行くことにした。2台も持てないから、やっぱり引き取ってもらうしかないとなんとなく分かっていた。ここで7000円で買ったら、それから私の生活に風が吹き始めた。別れるのが少し辛い。でもまたここの子になるのだから、きっと大丈夫。 乗ると素敵によく走る。元気でいてね。福岡の街に風が吹いている。
[2020/09/30 23:17]
日記 |
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こんばんは。 お元気でいらっしゃいますか。 ご無沙汰申し上げております。 7月8日に義母が亡くなりました。 このごろようやく落ち着いて参りましたので、その後のことを書いておこうと思います。 よろしければお付き合いくださいませ。 その日は義母の88歳の誕生日でした。 ご近所のなかよしの3人の方々に、お誕生日会をしていただいて、 皆さんは夕方6時半くらいまでご一緒だったそうです。 翌朝、電話で知らされました。 頭もしっかりしていて、とても元気でした。 毎日、話に来てくださる近所の方があって、 いつも一品お料理を作って、持って帰らせるのを楽しみに暮らしておりました。 いつも家のあちこちに花が活けてありました。 台所に続きの居間は、居心地のいい空間です。 いつも掃除が行き届いています。 「今日はここ」という具合に、少しずつ掃除をするのだとよく話してくれていました。 義母が居なくなった今も、メガネや薬や、何もかもがまだそのままで、 つい、どこかから帰ってきそうです。 義母がいつも座っていたところに座って見渡すと、 お気に入りの食器やかわいい小物にかこまれて、 テレビの横の棚や壁いっぱいの、私たち夫婦や娘、大家族の義弟一家の写真。 私が時々送っていた絵はがきや手紙が、手作りの飾り箱に立ててあります。 旅行や買い物など、以前は身軽にどこでもお出かけして、楽しんでいましたが、 そういえば長らく、ほとんどどこへも行かなくなっておりました。 この部屋は、ずっと前から今と同じで、 だから何も変わっていないと思っていたけれど、 この頃は、ここでずっと一人で過ごしていたのだなあと思いました。 いろいろな方に、幸せだと話していたという義母。 最後まで一度も、義母から不平や不満らしいことを聞いたことがありませんでした。 ご近所にも恵まれて、だから何となく安心していましたけれど、 でもきっと寂しいときもたくさんあったにちがいないと思います。 今になってようやく気づくなんて。 田舎のいろいろな習わしにそって、たくさんの行事を済ませ、 四十九日も過ぎました。 仕事のある私たちは、今は広島に戻っています。 義母を一人にしていたように、またこの家をここに残して。 でも、義母の大切にしていた中庭の草花たちは、今もみんな元気です。 なぜなら、毎日来てくださっていた方たちが、 今も毎日のようにこの家に来てくださっているからです。 水やりをして、 コーヒーを飲んで、 おしゃべりをして。 きっとその輪の中に、義母もいるのだと思います。 お彼岸にはまた、義母と皆さんのためのコーヒーを持って、 私もその仲間に入れていただきに行こうと思っています。 ******* 最後に、一つだけ不思議なことがありましたから、書き留めておきます。 この辺りのご法事では、長いお経とお経の間に、皿盛りのお料理をお出しすることになっています。 お料理自慢のお母さんは、いつもいろんなお料理をお出ししていましたから、 葬儀の時には何人かの親戚から、ああもうあのお煮染めはいただけないのね、などと残念がられました。 だから四十九日には、今度は私が頑張ろうと、ちょっと張り切っていたのですけれど、 遠隔授業ですっかりヘトヘトの私は、やっぱり頑張れなくて、 結局、お漬物とお菓子と果物で何とかしようと夫と話し合いました。 でも、冷凍庫の奥に、お母さんのお料理がたくさんあったのです。 ふきの煮物。 金柑の甘煮。 わらびの煮物。 干し柿。 どれにも日付が書かれていて、解凍していただいてみると、お母さんの味そのままでした。 きっと今年のお盆にと思って、少しずつ作っていたのでしょう。 当日は、それらをいつものように器に盛ってお出ししました。 お母さんの最後のお料理です。 皆さんに召し上がっていただいて、 お母さんがしていたのと同じように、タッパーに入れてお渡ししました。 ふふふ。 結局お母さんに助けられて、立派なご法事になりました。 広島に帰る前に、最後にお墓に寄りました。 「お母さん、何とかなったよ」って、心の中で報告しました。 そしたら、ビックリするほど大きいお母さんの声が、 「あんた、まあ」って、 あの、ちょっと面白がっているような言い方で。 遠くから聞こえたとか、聞こえたような気がしたとか、そんなのではなくて、 もう、とってもはっきりと、大きな声で。 そんなこと、あるんですね。 あんまりビックリしましたから、ここに書いておくことにいたしました。 帰り道、ひなびた国道を走る私たちの車が通り抜けるのを待つ門のように、 大きな虹がかかっておりました。
[2020/09/13 00:59]
家族 |
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こんにちは。 梅雨。 家ごもりが続いていましたが、 昨日、どうしてもの調べもので、県立図書館へ行きました。 レファレンスへの対応で出てきてくださった方が、 名刺を出されましたので、 慌てて私も名刺入れを探します。 いただいた名刺のお名前に、私は驚いて顔を上げました。 覚えていらっしゃいますか。 はい。 副館長さんの名刺をくださったその人は、 遙か以前、なんと、教員採用試験の集団面接でご一緒した方なのでした。 あの日、試験後の興奮冷めやらぬまま、私たちは皆で近所の喫茶店に移動して、何時間もしゃべり続けました。 教員採用試験の合格が、今よりずいぶん難しかった頃です。 あのときの面接のメンバーのほとんどが合格したということを耳にしたのも、今では遠い記憶です。 面接で何を話したのか、今では全く覚えていません。 ただ、採用試験面接のはずの議論が、何か気持ちのよい意見交換の場のようであったことだけが、今もぼんやりと記憶に残っているのです。 立派になられた目の前のその人に、ご自慢の図書館を案内していただきました。 いろいろな展示や試みのお話を伺いながら、この人らしいと思っている私。 あの午後、喫茶店で話したきりで、私はこの人の何も知らないはずなのに。 人の不思議ということを思って、少しだけ怖くなります。 すっかり年をとった私が、あのときの私であると言えるとしたら、それはどうしてなのでしょう。 時間も経験もあまり意味を持たない、もう一つの世界にいる、 時間と経験をたくさん背負った姿の私。 図書館の大きな窓から、夏至に近い夕方の、明るい外の景色が見えていました。 翌朝、メールが届いていました。 いつもの食卓の椅子に座っている私。 昨日借りて帰った重い本の、表紙の厚い布地だけが、 なぜか確かなものだという気がして、 何度もその本の表紙を撫でている。
[2020/06/18 13:09]
日記 |
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バレリーナという名のバラを植えた ピンク色で一重の小さな花たちがたくさん 今年も元気に私の庭を飾っている 女の子なら一度は バレリーナになりたいという夢をみる 本当のバレエを見たことなどなくても バレエはやっぱり群舞が美しいと思う 有名バレエ団の群舞の踊り手は 皆すばらしく優秀で 揃えて踊る練習なんてしない 決まったフォームで決まった順に それぞれがそれぞれの踊りを踊る かわいくて仕方がない私の娘が ある日、その目をキラキラさせて バレリーナになりたいと言ったから 何もできない母親の私は 私の小さな庭にこのバラを植えた 踊り手たちが ステージの眩しい光の中でくるくるとまわる それぞれの踊り バレエはやっぱり群舞が美しいと思う 一人一人の細長い手足 倒れそうで倒れない ほんの指先だけのつま先立ち
[2020/05/30 15:50]
詩 |
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一週間の仕事を終えてようやく 家へ帰るために乗った列車が 夕方の桜の国をすすんでゆく 列車は速すぎて 桜の木のそばにいるはずの 誰の姿も見えない そうだ 遠隔授業の画面の中に 桜を入れよう まだ合ったことがない学生たちが そこにいると信じて パソコンに向かって話しかける奇妙な毎日は いつか昔話になると思う 私の家の前には とても大きな桜の木があるの 大正2年に 向かいのおじいさんが生まれた時に植えられたものだそう おじいさんは養子でこの村に来たのだから それはちょっとおかしいと思うけれど 昔話とはそういうものかも 少しずつ何かがまちがって いつのまにか 家にいる私 桜の花びらが 私に向かって絶え間なく降ってくる それとも まちがえようのない何かだけが 昔話になるのか 桜の木のそばにいるはずの
[2020/04/10 16:59]
詩 |
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大阪日航ホテル15階 大きな窓から家族3人 歓声を上げながら外を見る ずっと下の地面の 幅の広い道路には 白い矢印がいくつもいくつも 全車線一方通行右へ右へ 歩道には幾何学模様のタイル 姿勢のよい人が歩いていく それから赤い自転車の女の子も 向かいの白い建物の 欄間の組子細工のような外壁 なんて素敵 心斎橋大丸ですって 中央階あたりの屋上広場に 赤いパラソルが並んで あそこはきっとカフェにちがいない 街はあっという間に夜になって 大丸の玄関の 西欧風の高い装飾鉄格子が閉まるのが見える 15階のはめ殺し窓に並ぶ 3人の顔 楽しそうに見えるだろうか 窓の向こう側から 誰かが見ているような気がする 春の彼岸 大阪の町きれい ねえ、明日はみんなで大丸に行こうね
[2020/03/30 16:22]
詩 |
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駅の駐輪場はとても静かだ 係員の男たちは黙って作業をしている 自転車たちは皆きちんと前を向いて じっと止まっている 銀糸の森が奥深くまで続く 男たちは 青い作業服の上に 今までの長い仕事の時間と 複雑で難しい人間関係の記憶をまとい 過不足のない仕事 仲が良くも悪くもなく 明るくも暗くもなく 駐輪場の契約は1ヶ月更新 何もかもが止まったこの場所に 時間は少しずつ降る それなのに 時間は少しも積もっていない 男たちが毎日丁寧に掃き掃除をするから ここに時間が降ることを証明しているのは 自転車に貼られたシールの 一ヶ月先の日付だけ シールは 一ヶ月先には 男たちに丁寧に剥がされて そのまた一ヶ月先の日付に変わる 銀糸の森に風が抜ける 時間はいつも初雪のように降っている 係員の男たちが黙って作業をしている
[2019/12/26 21:54]
詩 |
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毎週末、市民プールに泳ぎに行きます 25メートルを5往復と決めています 正味30分くらい 1往復目 私のスイミングフォームもなかなかではないかしらん 水が少し冷たい 2往復目 早くも少し苦しく 3往復目、 泳ぎながら、何のために泳いでいるのだろうと考えてる どこかへ行くわけでもなく、25メートル行くと戻ってくるって 4往復目 どうやら私は、今でも子どもの頃、学校で習った泳ぎ方をなぞろうとしているらしい 5往復目 これで最後、ちょっと丁寧に泳ぎます 25メートルプール5往復 先週も 3年前も 5年前も 週末 夕暮れの市民プール
[2019/10/10 14:20]
日記 |
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8時12分前 少し急がないと 窓から見える坂道に、陽が当たりはじめてる このワンピースにしよう 今日のお天気に似合うから ウール毛布で手作りしたアイロン台はとても広くて フランス製の巨大アイロンは、たいてい暴走気味 水筒にミルクティー 手帳と目薬 読みかけの本 よし さあ出かけましょう ちらっと時計を確認 素敵な木の掛け時計 8時12分前
[2019/10/09 02:07]
詩 |
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こんにちは。 お元気でお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。 母からメール。 嬉しいので、そのままここに。 ****** 今日は風があって、 すすきがなびいて、 とてもすてきです。 でも、暑いのか涼しいのかわかりませんね。 空は、高くてきれいです。
[2019/10/03 14:15]
家族 |
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さっきから、背の高い青年の話を聴いている。 金色に染めた髪。 この色褪せた黒いTシャツで、どこへでも行くらしい。 風体に似合わない、柔らかな声。 この頃、近所の人の、家の片付けを手伝いに行っているんです。 半分はおしゃべりだから 全然終わらなくて。 ニューヨークに住んでたんだそうです。 翻訳とかして。 穏やかな雰囲気の人なんですけど、 五十年も前に、女性一人で。 すごいと思うんですよね。 古い手紙の束 有名になった友人たちの名前 五十年前のニューヨーク 五十年前のニューヨーク 有象無象のアーティストたち 生活の悩み 孤独 夏の、秋の、冬の、 ニューヨークの街 喧噪 友人たち 片付けはなかなか終わらない。 半分はおしゃべりだから。 穏やかな瞳に映る、 時折やってくる金色の髪の青年 長い午後
[2019/09/29 08:45]
詩 |
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新学期が始まりました。 みなさん、夏休みはいかがでしたか。 どんな風にお過ごしでしたでしょう。 よい本に出会えましたか。 どこかへ出かけた方もあるでしょう。 コンサートや映画、漫画なんかもいいですね。 心に残ったこと、ぜひ皆さんにお聞かせ下さい。 私も、私の夏休みのことお話ししますね。 では誰からお願いしましょうか。 教室の四隅の方でじゃんけんして、一番初めの人を決めましょう。 新学期が始まりました。
[2019/09/28 23:15]
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市内電車、宮島口行き 知らない人同士、向き合って座っている 白いスカートの人 虹色運動靴のお婆さん 車掌さんが車内を歩いてくる みんなで横にゆれる みんな、神様の島へ、がたんごとんと運ばれてゆく 小網町停留所 乗降客なし このすぐ近くで、建物疎開動員の全校生徒が被爆 慰霊碑は、数年前に校内に移設されて、今はもうここには無い それもいいかもしれない みんなでまた、学校に来られたね 今日も、市内電車は、 広島の街と、神様の島の間を、行ったり来たり
[2019/08/31 02:26]
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こんばんは。 お元気でいらっしゃいますか。 お盆の帰省旅行から戻りました。 お盆は、日常を離れて、宙に浮いたような、不思議な時間ですね。 母が、ベストを編んでくれました。 ずっと前に、織物のために準備していたたくさんの絹糸の中から、 青い色糸を数本合わせて。 明るくて、澄んだ水色。 その向こうの青色。 その奥に見えている深い青色。 静かで、規則正しい模様。 ラメ入りの糸がところどころで光ります。 私は嬉しくて、その青い色を長い間見ています。 あまり人が来ない山奥の湖。 複雑な青い色の水は、深みを湛えて、 水面は明るい陽にきらきら。 時々風が吹いて、さざなみが立ちます。 私は、何にもしないで、長い長い間、見ています。 いえ、湖を見ているのは、母。 それとも、母と、子どもの頃の私。 いつのまにか年をとった私。 深い湖の青色を、いつまでも見ています。 六地蔵のお一人白し秋の昼 ここ
[2019/08/17 23:34]
家族 |
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こんにちは。 おげんきでいらっしゃいますか。 暦は秋になりました。 空だけ先に秋らしくなっています。 このごろ急に本の字がぼんやりとして見えにくくなりました。 老眼が進んできたようです。 少々面倒を感じながら、 ケースから眼鏡を取り出し、 どれ、という感じで本を覗き込みます。 すると、おや、 文字が急にはっきりと見えて、 並んだ言葉たちが何か言っております。 そうそう、 本の世界って、 どれ、って覗き込むところなのでした。 子どもの頃にも、そんな風に思っていた気がいたします。 それをふっと思い出しました。 初秋や六角形のお菓子箱 ここ
[2019/08/11 00:37]
日記 |
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こんにちは。 梅雨が明けましたね。 お仕事の帰りに、花を買いました。 りんどうです。 手の中のその色が、あんまり青くて、 あんまり青くて、 ああ、夜の軽便鉄道からジョバンニとカンパネルラの二人が見たりんどうは、こんな色だったかしら。 カンパネルラ 「誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。」 ジョバンニ 「ほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼やいてもかまわない。」 まだすっかり暮れきらない、福岡の遅い夜 浮かび上がるビルの輪郭 行き過ぎる人々 ほんとうの幸... 点滅する信号を遠くに見ながら、 家路を歩んでいます。 ********* 「ああ、りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ。」カムパネルラが、窓の外を指さして云いました。 線路のへりになったみじかい芝草の中に、月長石ででも刻まれたような、すばらしい紫のりんどうの花が咲いていました。 「ぼく、飛び下りて、あいつをとって、また飛び乗ってみせようか。」ジョバンニは胸を躍らせて云いました。 「もうだめだ。あんなにうしろへ行ってしまったから。」 カムパネルラが、そう云ってしまうかしまわないうち、次のりんどうの花が、いっぱいに光って過ぎて行きました。 と思ったら、もう次から次から、たくさんのきいろな底をもったりんどうの花のコップが、湧くように、雨のように、眼の前を通り、三角標の列は、けむるように燃えるように、いよいよ光って立ったのです。
[2019/07/31 18:07]
日記 |
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